闇は光に勝たなかった
最近よくメールで、「アメリカは正しい方向に向かっていると思うか?」というアンケートが送られてきます。それに対して、私はいつも「アメリカは間違った方向に向かっていると」と答えます。アメリカだけではありません。日本もヨーロッパも、世界中が私たちの期待とは違う方向に向かっているようです。いったい世界はどうなるのか、という不安を多くの人が抱いています。まさに終末の時代を予感させます。
政治も経済も大きな問題を抱えています。いつ世界経済が破綻するか分からない状態です。またエネルギー問題、資源問題、人口問題、食糧問題、環境問題、人権問題、倫理問題、宗教問題、南北問題、核問題など、多くの問題を世界は抱えています。その中で、それぞれの国は、羅針盤を失った船のように、方向性を見失って漂流しています。世界中の誰もが将来に不安を抱き、大きなストレスを抱えています。
こういう現実に目を向けると、人類の将来に希望を見出すことは困難です。しかし、その中で、一年の終わりを迎えながら、クリスマスの意味を心に留めるとき、そこに大きな慰めを得ます。
ヨハネ1章5節を見ると、こう書かれているからです。
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」
たとえ、この世の悪がどんなに強大で、また闇がどんなに深くても、最終的には、どんな悪も闇も光であるキリストには勝てないのです。
また、ルカ2章10-11節には、こうあります。
「御使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。』」
クリスマスのメッセージは、突き詰めれば、神の目には私たち人間の命は尊いもので、そのことを明らかにするために救い主キリストが来られた、ということです。これは、人間の尊厳を軽視するこの世の風潮とは、真っ向から対立する概念です。
ハンディを負った人、年老いた人、回復の見込みのない病人、生産性のない人、このような人たちに、生きる意味や権利があるのか? ノース・フロリダ大学のクリス・ガバード博士は、かつて、この種の問いに対してとても否定的な見解を持っていました。彼は、知的能力を高く評価するような環境に育ったために、「正常に機能しない頭脳」を軽蔑するようになりました。その結果、大きなハンディを負った人たちの自殺は、認められるべきであるという立場を取るようになりました。
ところが彼は、息子の誕生を通して、自らの見解に変更を迫られるのです。彼の息子は、出産の際に、脳に回復不可能な傷を負いました。そして今も、脳性麻痺のために盲目で、全身が不自由な状態にあるのです。
ガバード博士は、こう語っています。
「誕生した息子を見て、私の心は揺れた。・・・それまでは、このような状態の新生児は、生かしておかない方がいいと考えていた。しかし、今、目の前にいるのは、私の息子である。彼は、最先端の医療用保育器の中で眠っていた。・・・私を一番驚かせたのは、その子が私に似ていることであった。予想だにしなかった衝撃が、私を襲った。彼は、私が子供時代の写真から抜け出て、そこにいるかのような顔をしていた。」
今日、ガバード博士は、ハンディを負った新生児の尊厳を擁護する論客の一人になっています。2010年のギャラップの調査では、アメリカ人の46%が、自殺の手助けをすることを容認しているそうです。
このことに関して、ガバード博士はこう述べています。
「そのような善良な市民の多くが、私の息子の苦難を終わらせてあげたいと思っている。しかし彼らは、私の息子が本当に苦しんでいるのかどうか、立ち止まって考えようとはしない。もちろん、彼が不快感を覚えることは度々あるが、唯一の痛みというのは、彼ではなく、周りの人たちが感じているものだ。彼らは、私の息子のような人間が存在しているという現実に耐えられないのだ。」
ガバード博士の体験は、人間の尊厳というテーマを再考するように、私たちに迫ってきます。聖書は、人間は「神のかたち」に造られているがゆえに尊い存在なのであると教えています。人間の尊厳の根拠は、そこにあるのです。
外から見る人間の姿がその人のすべてではありません。それどころか、目に見える部分は、ほんの一部分に過ぎないのです。むしろ目に見えない魂と霊が、その人の本当の存在であり、それこそが神のかたちに似せて造られた尊い存在なのです。
ガバード博士は、脳性麻痺を負いながら生きている自分の息子を、こよなく愛しています。それは、その子が自分のコピーのような存在だからです。同様に、創造主である神は、「天の父」として、「問題の多い」私たちを愛しておられます。その愛の表現が、御子イエスが人となられたというクリスマスの出来事なのです。
もともと私たちの内には本当の愛などありません。私たちの愛は、自己中心の愛、条件付の愛です。本当の愛は神から来るものです。だから、神の愛を受けた者だけが、本当の意味で隣人を愛することができるようになるのです。今年のクリスマスが、神の愛を体験する機会となりますように。
今日の一言:クリスマスは神の愛の表現
鶴田健次
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神に対する信頼
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)
イスラエルの民が400年のエジプトでの奴隷生活から解放されたとき、彼らは自由を求めて歩き始め、最初の行き詰まりが紅海でした。両側には越えられない山があり、前方には海があり、そして、後ろにはエジプトの王パロが心を変えたために、彼らを捕らえようとするエジプトの軍隊の追跡がありました。イスラエルの民はまさに八方塞の状態に見えました。
しかし、神はご自分が何をしたいのかをよくご存知でした。神は決して間違いをされません。神は彼らに見えないものを見ることができます。神は紅海を開き、彼らはそこを通り抜けることができたのです。何年も後に、イスラエルの民は、その時のことを振り返り、こう歌っています。
「あなたの大路は海の中にあり、あなたの道は大水の中にあり、あなたの足跡はたずねえなかった。」(詩篇77:19)
あなたは今、経済的、精神的、あるいは人間関係で行き詰まっておられませんか。神はあなたのすべてを知り、あなたが知らない道を見ることがおできになります。もしあなたが神を信頼し、信仰によって歩むなら、たとえあなたにはどこにも道が見えなくても、神は必ず道を作って下さるのです。
あなたの前に神が用意された道は、最初は分からなくても、神を信頼し続けるなら、やがて分かるようになります。箴言4:18では、こう言われています。
「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。」
やがて、あなたは永遠の光に照らされて、大きな展望が開かれるでしょう。そして、神があなたのために選ばれた道の背後にある神の目的を知るのです。
「では、それまで私は何をすればいいのですか?」と言われるかも知れません。あなたは箴言3章が言っていることをすればいいのです。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
「自分の知識にたよってはならない」とはどういう意味でしょう。それは、あなたが自分で解かろうとしなくてもいいということです。実際、あなたが天国に行くまで、あなたの人生に起こることのほとんどをあなたは知らないのです。
忍耐強く歩みましょう。神はご自分で何をしておられるかよくご存知です。神はあなたにとっての最善をご存知です。神は既に最後の結末を見ておられるのです。あなたにはそれが分かりません。すべての問題、心の痛み、困難、そして遅れなど、あなたが「なぜ」と尋ねるすべてのものが、やがて神の愛の光の中で明らかになるのです。
しかし今は、私たちは神を信頼することを学んでいるのです。
今日の一言:どんな時にも神を信頼しよう。
鶴田健次
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