小さなものの価値
Small is beautiful.(小なるものは美しい)という諺(ことわざ)がありますが、この諺は、小さなものが無視されやすい世の中にあって、小さなものの価値を強調する言葉です。
また、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩の一節に、「一粒の砂の中に世界を見、一本の野生の花の中に天国を見る」というものがありますが、この句は、一粒の砂や一本の花は、それが何か他のものに役立つから価値があるというのではなく、それ自身がかけがえのない存在であり、そこには宇宙や神の意志が実現されているから価値があるという意味です。
また、こんな諺もあります。
Great oaks from little acorns grow.(大きなカシの木も小さなドングリから育つ) これは、物事の始まりはすべて小さなものでも、それは次第に大きくなるので、今の小ささに引け目を感じる必要はないという意味が込められています。今は小さくても、将来に自信を持てばよいのです。
諺というのは世の知恵ですから、ブレイクの詩のように、小さいものの中に価値を見い出すものは少なく、諺のほとんどは、小さなものの価値を、それが次第に大きくなることの中に見い出そうとします。
どんな小さなものでも集まれば大きくなるし、どんなわずかなことでも繰り返せば大きな力になります。ですから、私たちは日頃から、小さなもの、わずかなことを軽視しないようにしたいと思います。
こんな話があります。
ある日、ねずみが野ばとにたずねた。
「雪のひと粒、あのひと粒の結晶の重さがどの位あるか知ってるかい?」
「雪の結晶の重さ?重さなんてなにもないさ」野ばとが答えた。
「それじゃ、すばらしい話を聞かせなくっちゃ」とねずみは得意そうに話し始めた。
「あれは寒い冬のことだった。もみの木の枝、しかもその木の幹のそばに座っていたら雪が降り始めた。吹雪のように激しい降りかたじゃなくて、夢を見ているように、ゆっくり、優しく降り始めた。そのとき僕は、特にすることもなかったので座っていた枝の、小枝の先に積もっていく雪の結晶を数えてみたんだ。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・ってね。だいぶたってから結晶はちょうど3,741,952粒になった。
ところが次のひと粒、君が「重さなんてなにもないさ」と言った3,741,953粒目、そのひと粒が枝の上に積もったとたんに、枝が折れた!」 こう話し終えると、ねずみは行ってしまった。
ノアの時代から平和のことに詳しい鳩は、ねずみから聞いたこの話をしばらく考えてから、ひとりでつぶやいた。「もしかしたらこの世界に平和が実現するために足りないのは、たった一人の人の声じゃないだろうか?」
いろいろ考えさせられる話ですね。
今、世界の人口は79億人です。それからすれば、一人の人間の存在など無に等しいと考えやすいかも知れません。しかし、私たちの存在は単なる79億分の1ではないのです。それぞれ自分の立場からすれば、自分一人の価値は79億人全体の価値よりも尊いのではないでしょうか。
事実、神様の目にも、あなたの存在は高価で尊く、まるでこの世界にあなたひとりしかいないかのように、あなたをご覧になり、あなたにも他者の存在を尊ぶ心を持って欲しいと願っておられるのです。
今日の一言: あなたはかけがえのない存在
鶴田健次
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感謝は奇跡を呼ぶ
こんな話を聞いたことがあります。第二次世界大戦後間もない頃の話です。日本の海軍将校であった川上喜一は、終戦後、故国に帰って、目の前に広がる現実にとても驚きました。むごたらしく変わってしまった故国の状況、弱り果てた人々を見て胸が押しつぶされそうでした。
しかし、彼を苦しめたことは、他にありました。どこへ行っても、軍人を見れば「あいつらのせいで日本は負けたのだ」と指を差して睨みつける人たち、そのような人たちのために、毎日、夜になると怒りと挫折感に苦しめられていました。そのような苦痛の日々を送り、とうとう彼はひどい病気になってしまいました。顔を除いて全身が麻痺し、まったく動けなくなったのです。
彼は病院で、精神科の医師である藤田勝一医師の診察を受けました。藤田医師は開口一番、彼にこう尋ねました。
「川上さん、良くなりたいですか?」
「はい。良くなりたいです。」
「では、私が言う通りにできますか?」
「はい。何でもします。」
「では、私の後について、一度言ってみてください。『感謝します』と。」
毎日、怒りと敵対心で一杯だった喜一は、「感謝します」と言おうとしましたが、口が動きませんでした。
「今日から『感謝します』という言葉を、一日に一万回ずつ言わなければなりません。感謝する心だけがあなたの麻痺した体を癒すことができます」と藤田医師は喜一に伝えると病室を出て行きました。
藤田医師が出て行った後、喜一はベッドに横になったまま、病気を治したい一心で、毎日「感謝します」と繰り返し言い続けました。最初は病気を治すためと、嫌々ながら言っていたのですが、時間が経つにつれ、「感謝します」という言葉が心の底から出てくるようになりました。怒りと敵対心による苦しみが不思議と消えていき、心もそれにつれて平安になり、変化が始まりました。
顔も穏やかになり、行動も次第に柔らかくなってきました。彼に接している家族たちも、喜一の変化に喜びを隠せませんでした。暗かった家の雰囲気も明るく一変し、以前のような和やかな家庭が戻ってきたのです。
ある日、末の息子が柿の木に柿が赤く熟しているのを見て、「あの柿をお父さんに持って行ってあげたい」と思いました。息子は、よく熟した柿を二つ取って、父親の部屋のドアを開けました。
「お父さん、柿だよ。」
そのとき喜一は「ありがとう」と言い、自分でも知らない間に手を伸ばしていました。
「まさか!」
不思議なことに、麻痺して少しも動かなかった手が動いたのです。息子も目を丸くして驚きました。
手から始まった奇跡は、その後、腕や足など体の隅々にまで及びました。硬くなっていた彼の体は、まるで感謝の呪文によって魔法が解けたかのように、動くようになっていきました。
奇跡は、感謝があふれるとき、それによって神様の心を動かすときに起こるのです。神様は時に、私たちの小さな感謝を通して小さな奇跡を日常で見せてくださいます。また逆境と試練の中で大きな感謝をささげることができた人に、大きな奇跡を与えて下さるのです。
今日の一言: どんな時にも感謝の言葉を口にしよう
鶴田健次
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あなたは特別な人
これはずっと以前、ある知的障害を持った子供たちの施設での出来事です。先生は子供たちにお金の価値について話をしていました。10円玉と100円玉と500円玉 を机の上に並べて、その価値について説明しました。10円は10枚集めると100円になり、100円は5枚集めると500円になることを、分かりやすく実物を使って説明したのです。そして、「この中で一番価値のあるお金はどれですか?」と質問しました。
すると一人の女の子がすぐさま、「10円!」と答えたそうです。それを聞いた先生は少々ガッカリして、もう一度お金の価値について、ていねいに説明し、また同じ質問をしました。すると女の子は、「10円!」と大声で答えたのです。
不思議に思った先生は、「なぜ、10円玉が一番価値のあるお金なの?」と聞くと、彼女は、「10円玉はお母さんに電話ができるから!」と答えました。施設での生活をしていた彼女にとって一番幸せな時間は、施設に備えてあった10円玉専用の公衆電話から、大好きなお母さんの声を聞くことでした。ですから彼女にとって10円玉はどうしても、なくてはならない大切なお金だったのです。そこに100円玉があっても、500円玉があっても、この女の子は、そんなものには見向 きもせずに、お母さんの声が聞きたい一心で、10円玉に目を向け、10円玉をつかもうとするのです。
あなたの事をいつもそんな風に思ってらっしゃる方がおられることをあなたはご存知ですか?お金があってもなくても、能力があってもなくても、有名であっても なくても、そういう事とは関係なしに、あなたを愛してやまない方がいらっしゃる。それは神様です。
あなたは、神様にとって、なくてはならない存在です。も しあなたがその愛に気づき、その愛に応えるなら、その愛があなたのものになります。あなたもそんな愛を欲しくありませんか。
今日の一言: 神の目にあなたは高価で尊い
鶴田健次
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責任感
皆さんは、「責任感」という言葉を聞くと、どんな気持ちになりますか。世の中には、「責任感」という言葉を肯定的な気持ちと結びつける人と、否定的な気持ちと結びつける人がいます。また、考える事柄によっては、責任感を感じやすい場合と感じにくい場合とがあります。
私たちは普通、自分は絶対に出来ないと思っていることに対しては何の責任感も感じません。たとえば相撲取りが、「どうしてあなたは100mを10秒で走れないのか」と問われても平気でいられるのは、そんなことできる筈がないと思っているからです。ところが、オリンピックの短距離ランナーであれば、この同じ問いかけが非常に気になるのです。
そう考えれば、いろんな事に責任を感じる人というのは、「自分にはいろんな事が出来る筈だ」というふうに、自分の可能性を心の中で感じているからかも知れません。
たとえば、ある分野に対して責任感を強く感じるということがあるとしたら、その人は、その分野に関しての才能があるということで、その分野において努力をすれば、どんどん自分を伸ばしていけるのではないでしょうか。
一流のスポーツ選手が激しい練習を重ね、自分を限界まで追い詰め、とことんまで挑戦することができるのは、自分を信じ、自分の才能を信じているからです。つまり、健全な責任感というのは、「私にはこれが出来る」という信念のもとに湧き上がる気持ちだと言えるかも知れません。
あなたは責任感のある人ですか?
「この件に関しては、私が責任を持って引き受けます」と言う勇敢さがありますか?
それとも、何かあるとすぐ他人のせいにしていませんか?
遅刻をしたのは子供がグズグズしていたせい
仕事がないのは不景気のせい
苦労が多いのは夫(妻)のせい
このように、思い通りにならないことがあると、それをすぐ周りの人のせいにしていませんか? そうやって、いつも周りに責任を転嫁するクセが身につけば、あなたの人生は間違いなく周りの状況に支配される人生になってしまいます。周りのせいにするということは、自分に責任を持たないことなので、そこには成長もなければ、発展もありません。大切なことは、「責任感」を持つということです。
もしあなたが、「すべての事は私の責任だ」と言うことができれば、それはとても素晴らしいことであり、頼もしいことであり、あなたの将来は可能性に満ちています。なぜなら、物事を自分の責任として受け止めるとき、人はそれを改善させようと心がけ、大きく成長するからです。
すべての出来事には原因があり、すべての結果にも原因があります。したがって、自分の責任を認めたとき、あなたは結果のための原因を作り出すことができるのです。
自分の人生を作ってきたのは自分です。なぜなら、あなたの人生はあなたの選択の結果だからです。だからこそ、これからの自分と自分の将来を作り上げるのも自分の責任なのです。そして、この大切な原理を認めたとき、自分の人生は自分が自由に決められるものであるという信念のもとに明るい未来が広がることでしょう。
今日の一言: 私に関わる事はすべて私の責任
鶴田健次
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