孤独
人は誰でも“孤独”を感じる時があります。
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある」とは哲学者の三木清の言葉です。
多くの人が行き交う賑やかな都会の雑踏の中で急に、「ひとりぼっちの自分」を感じたり、友達と楽しくお喋りをして、家に帰って一人になったとき、ふっと寂しさを感じたりということは誰にでもある経験ではないでしょうか。
また、長年連れ添った伴侶を亡くしたり、家族や親しい友が遠い所に行ってしまったり、人間関係が上手く行かなくて疎外感を感じているときなど、人は孤独感に陥りやすいものです。あなたにもそんな経験ありませんか?
孤独には、人生の中で誰もが感じる孤独や、帰属していないという孤立状態の孤独、また病的な孤独感など、いろいろな種類の孤独があります。
もし、一人になるのが怖いので、とにかく誰かと一緒にいたいと思うなら、その人は「誰かが私を気にかけている、愛している、認めている、必要としている」ということを確かめたくて仕方がないのかも知れません。
それは目に見えないものを必死で手繰り寄せたい衝動に駆られている状態で、そう思えば思うほど、それは不確かで頼りなく、そんな状態を感じている自分を持て余し、さらに支えになってくれる人を探し求めるようになります。そして、そういう中で出会った関係は、相手と依存という形の結びつきになりやすく、やがて人間関係のトラブルを招くことになりかねません。
人間は、自分が誰からも愛されていないと思うとき、最も孤独を感じるものです。そして、その孤独感は誰も取り去ることができません。それができるのは神様だけです。人が神様の無限の愛に触れるとき、どういう理由から生じる孤独感であっても取り除かれるのです。
聖書には、このような慰めに満ちた言葉がたくさんあります。ここにその幾つかをご紹介しましょう。あなたが世界中の誰からも愛されていないと思うときでさえ、天地万物を造られた神様はあなたを愛しておられることを忘れないでください。
「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。・・・・・ 」(ヨハネ3:16)
「見よ。わたし(イエス)は、世の終わりまで、いつも、あなたとともにいます。」(マタイ28:20)
人は、誰かから真実に愛されていると実感できるときに満足感があり、決して孤独だとは感じません。イエス・キリストは、あなたの罪のために、十字架で身代わりに死んで下さったほどにあなたを愛しておられるのです。この無限の愛が、あなたの心を癒し、あなたをあらゆる孤独感から解放してくれることでしょう。
今日の一言: キリスト(神)の愛は、あなたを孤独から解放する
鶴田健次
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いつくしみ深き
いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを とり去りたもう
こころの嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を
いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐れむ
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたもう
いつくしみ深き 友なるイエスは
かわらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて 労りたまわん
この「いつくしみ深き」という賛美歌は、おそらく世界中で最も多くの人々に知られ、親しまれ、また愛唱されてきた賛美歌の一つだろうと思います。英語のタイトルは、What A Friend We Have
In Jesusです。
この賛美歌の作詞者は、ジョセフ・スクライヴェン (1819 – 1886)というアイルランド人で、彼の生涯は、ある意味とても不幸なものでした。大学を終えて事業を始めた彼は、愛する人との結婚式を目前に、その婚約者を湖の事故で亡くします。そして、事業においても失敗し、彼は破産してしまうのです。
その後、彼はアイルランドからカナダに渡り、教鞭を取りながら、不幸な人々や貧しい人々のための奉仕活動にその生涯を献げるようになりました。そして、その活動の中で出会った女性と婚約をしますが、その女性もまた病を患い、天に召されてしまいます。そうやって彼は一度ならず、二度も愛する婚約者を失うのです。
この度重なる不幸を経験し、人生を呪い、神を恨んでも仕方がないと思える苦難の中で、自分を慰め、励まし、力づけてくれたものがありました。それはイエス・キリストにある望みです。
その望みについて聖書はこのように言っています。
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ書5:1-5)
このような試練と苦難の中で、キリストにある望みのゆえに、励ましと慰めと力を体験した彼は、郷里のアイルランドで病に苦しむ母を慰めるために、その体験をもとに詩を書きました。それがこの「いつくしみ深き」です。そして、この詩にアメリカ人の弁護士であり、アマチュアの作曲家であったチャールズ・コンヴァース(1832年-1918年)が曲をつけ、1870年に世に発表されました。
このローマ書5:5に、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」とありますが、この神の愛は、あなたの心にも注がれているのです。そして、この神の愛は、あなたがたとえどんな患難の中を通ろうとも、あなたにその患難を通して忍耐を与え、忍耐を通して練られた品性を与え、練られた品性を通して希望を持たせてくれるのです。
今日の一言: 私たちは患難をも喜ぶことができる
鶴田健次
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子を持って知る親心
私にも二人の子供がいますが、いつの間にか彼らももうじき40歳(長男)と39歳(長女)になります。今でも思い出すことですが、彼らが幼い頃、私は二人を見ながら、「もし私の両親が私がこの二人を愛するように私を愛してくれていたのであれば、それは何と感謝なことであろうか」と、親の有難さをしみじみと思ったものです。まさに“子を持って知る親心”でしょうか。
親は自分の子供を可愛がって育てます。それが親の本能です。子供のためにと、子供を厳しく育てる親もいれば、子供を溺愛する親もいます。それもまた親心というものです。しかし、いずれにしろ子供は、親の願い通りにではなく、育てられたようにしか育ちません。
裕福な親は、幼い時から、子供に高級ブランドのものを与え、高級ブランドは良いものであり、安いものは良くないものであるというイメージが幼い時から子供の心の中に刷り込まれていきます。そうやって子供は、貧しさは悪だという感覚を家庭の中で教え込まれるのです。
子供に苦労をさせたくない、大変な思いをさせたくない、というのも親心です。風邪を引けば、親は子供をすぐ病院に連れて行きます。咳をすれば、すぐに薬を飲ませます。欲しいものがあれば、できる限り買ってあげようとします。現代の出生率の低迷は、生まれた子供には十分な教育を与え、物質的にも乏しい思いをさせたくないので、簡単に子供も持てないという思いと無縁ではありません。
しかし、残念ながら、甘やかされた子供は親心を感謝する人間には育ちません。親心を身にしみて感じるには、苦労をし、苦しみの体験を積む必要があります。甘やかされた子供は、やがて苦しみの人生を歩むことになりますが、本人はなぜ苦しみの人生を歩むのか、その心のからくりが分かりません。親も子も互いに分かり合わないまま、苦しんで生きている。それが多くの人々の現実ではないでしょうか。
今の世は、“楽して生きたい”という風潮があり、苦しみに耐える力が阻害されているように思います。特に日本では、子供は小さいときから受験競争の中に巻き込まれ、勉強の苦労はするものの、それは希望校に入学することを目標にした苦労であり、受験から解放されたとたんに勉強をしなくなります。それは将来に目標がないからです。
人生において、将来に確かな目標を持つということは大変重要なことです。目標達成は簡単ではありませんが、忍耐をもって進み続ければ誰でも必ず目標に近づくことができます。
昔は、松下幸之助のように、幼いときから奉公に出て、苦労して仕事力を身に付け、大成した人が大勢いました。
アメリカでも、エジソンやリンカーンは子供のときから苦学をして大成した人物です。昔に遡るほど、人々は子供の頃から苦労を重ね、人生を練ったものです。豊臣秀吉などは、そのいい例です。
今の時代、中学を出て働く人は落ちこぼれの人間とみなされます。奉公に出る人間は皆無です。もちろん学位を取得することも必要ですが、大成するために本当に必要なことは、自立心と忍耐と仕事力、そしてVisionです。だからこそ、子供には苦労をさせ、自立心と忍耐を持たせるための親業が必要なのです。
そして、さらに大切な親業は、自分自身の生き様を通して、子供が真の神を知るよう導くことです。
今日の一言: 若い時の苦労は買ってでもせよ
鶴田健次
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祈りの力
~七時間の祈りを経て神のみ手の中で~
2021年10月、Las Vegasに戻る決心をする前後に激しい霊の戦いが有りました。(これを書いてるのは2021年10月です)
神にしっかりと繋がっていなかった隙間を狙って悪は何度も私を潰してしまおうと様々な手段で攻撃を仕掛けてきました。死ぬかと思う状態に置かれ身動きが取れなくなり全て肉的に頼るものを取られた後には神に祈るしかない場所に置かれました。
これ以上自分ではどうにもできない場所に一人で置かれて神に全てを委ねる決意をすると結果、全ての事を神が光へと変えてくださいました。
住んでいた家が売れるまでの仮住まいの山小屋から一週間出られらなくなりやっとリフトを呼んでもらって自分の車を取りに行き、再度山のcabinへ戻るため初めて自分で運転すると寒暖の差から車が金属音を立てて壊れました。すぐディーラーへ持って行くとどこに持って行っても丸ごと取り替えなくてはならないと言われ、タイヤや、屋根も全て取り替えると言う修理費用は総額$10,000を超える金額になる予定でした。
そのことをその頃相談させて頂いていた鶴田牧師から「そんな高い車は不相応」「トヨタが1番」「トヨタに買い替えなさい」と言われ修理のために預けていたメルセデスのディーラーに戻り「トヨタがあるか」聞くと大きなSUVのトヨタ車が一台だけありました。
しかし今まで駐車するのが上手くないので小さな車を選んでいた私は見た途端「大きすぎる、無理」と思い、諦めて店舗を後にしてスターバックスで休憩をしているときに「いや、一台だけトヨタだという事はこの車にすべきなんだ」と考えを変え、引き返して試乗もせず即交換すると言いました。
書類上や前の車の故障の件で時間がかかりましたがやっと書類も整えられ丸一日かかってその店舗も閉店という時間になって全てが終わり、その時のFinance 担当がイスラエル人で日本にいる時に奥さんに会い結婚してアメリカに来たという日本人大好きな方で数時間話すと私の事を「日本の義妹」と呼んでくれるようになりそれまでの支払い額も半分になりました。
その結果あれだけこだわっていた一生乗ると思っていた大事な車を「あっさり」手放しました。
交換したSUVなら以前の小さなSLKのスポーツ車では不安だった山道も登れると思えましたが、それでも不慣れな山道の夜の運転とLVまでの長距離運転には自信はなくひたすら祈るしかない状況でした。
車を買い換えた後、地図を見るとCabinからLas Vegas までは裏道があり少し近道のようでした。しかし一度も通った事のない道なのでどんな険しい道か予想もできずかなり不安な中必要な分だけ荷物を車へ入れてCabinへ戻り決心してLas Vegasへ出発しました。
早朝出発した途端車のサインがタイヤに問題ありとでて「パンクー?」いやいやきっと空気が足りないだけと思い引き返して空気を入れようと思いました、が「神様、空気が足りないだけでパンクではないなら今このサインを消してください」と祈り運転を再開するとサインは消えていました。
これをcoincident と思うか「神の応答」と思うか、私は神のみ業だと受け取り感謝して祈って再度出発しました。そしてカーブの深い一度も見たことのない山道を通ることになりました。
そこからは崖を登り降りする大変な道でしたが引き返す技術もないので「前進」するしかありませんでした。
その道の険しいこと、私は高いところが苦手で高みから下を見ると転落しそうになるので見ないように運転しないといけないのですがそれでも運転する先の道は見えずこのまま谷間に転落すると思えるカーブが何箇所かありました。
そんな中祈る以外ありませんでした。
目を瞑りたくなるほどの光景に祈り続けそして山が終わって少しなだらかになった時に私はこの運転中Las Vegasへ到着するまでの間、神を賛美し祈り続けると決めそれからの六時間半の運転中本気で祈り続けました。
恐ろしい山道はたったの20分で終わったのです。これが私が耐えられる限界の時間でした。
六時間半真剣に祈った結果祈りが変わりました。
もっともっと神との近い関係ができるようになりました。
その後私は教会に行きたくて仕方ありませんでした。
私達クリスチャンは成長しようとすると必ず悪の妨げが激しくなるのでそれを乗り越える試練が続きます。
しかしその結果祈りが深まり神との関係が強くなり信仰が強められること神の臨在が強くなることをさらに深く知るようになり悪に負けない方法を見出すことができます。生まれたばかりのクリスチャンは身を守る方法を知りません。
なので成長するためには聖書を学び、深い祈りを経験し信仰を守り悪との戦いに備える武具を身につける事で戦いに勝ち続けます。
大事なのはイエスが十字架の完成ですでに「勝利」している事を知ることです。
この勝利は私達に神の子である力を与えてくれます。イエスによって何者にも負けない事を知ると必ず戦いに勝ち続ける事ができます。
一番の方法は神としっかりとした関係を持つ事です。
そのためには聖書の言葉を知って神に祈るこの時間が何より大事です。朝起きて第一に神との関わりを始め神の武具で防御する事で心が守られます。
みなさんも朝10分早く起きてみ言葉を受け取りひたすら神に祈ってみませんか。
毎日の密な祈りで神との関係が深まり祈りが変わり信仰が成長します。
〜神に愛される喜びの中で〜
"心をつくして主に信頼せよ、 自分の知識にたよってはならない" 箴言 3:5
(LL)