エキストラマイル
「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。」(マタイ5:41)
このイエス様のことばは、義務付けられたことを義務付けられた分だけするのではなく、義務付けられた以上のことを自発的にするようにという勧めです。
一マイルを行くように強いられた場合、強いられたとおりに一マイル行くとしたら、強いられた者の心には強いられたことに対する不満が残ります。ところが、もし自分から進んで二マイル行くとしたら、それはもはや強いられた者の心ではなく、そこには自分から進んで自発的にする者の前向きな、解放的で、充実した心があります。
さて、世界に目を向けると、新型コロナウイルスの蔓延に続き、ロシアのウクライナ侵攻がもたらした西側諸国のロシアに対する経済制裁など、世界の経済に与える影響は大きいです。しかし、経済状況がどうであれ、世の中にはいつも、なかなか仕事にあり付けない人、また、どこの会社からも引っ張り凧という人がいるものです。
私は小さいながらも20年ほど貿易会社を経営していたことがありますが、その経験から、こういう人ならいつでも自分の会社で働いてもらいたい、或いは、こういう人ならいつまでも会社を辞めないで欲しい、という「人財」がいることを知っています。また反対に、こういう人はできるだけ採用したくない、或いは、こういう人にはできれば辞めてもらいたい、という「人罪」がいることも事実です。
私自身、振り返ってみて、経営者として多くの反省すべき点があったことを認めざるを得ませんが、さまざまな失敗を通して思うことのひとつは、聖書の教えにあるように、エキストラマイルを歩くという姿勢が如何に大切であるかということです。
世の中には、報酬以上の仕事をしてきた人は報酬以下の仕事しかしていない人よりも高い地位につき、高い報酬を得ているという現実があります。もし、雇われている身であれば、昇進と昇給は、この原則を習慣づける以外にはないと断言できます。
また、この原則は雇われている人だけでなく、独立している人にも通用できるもので、この原則を守る人は、原則に従わない人よりは多くの報酬を得るとともに、幸福と満足感という収入以外の報酬も得ることができます。
報酬以上の仕事をすることは、エキストラマイルを歩く習慣が身に付いている人たちによって実行されるものです。それでは、ある一つのエピソードをご紹介しましょう。
キャロル・ダウンズは自動車製造業者のウィリアム・C・デュラントのもとで働いていました。デュラントは、のちにキャデラック社やシボレー社などを買収し、GMの社長になった人物で、米国自動車産業界の先駆者のひとりです。
ダウンズは働くうちにあることに気づきました。それは社員たちがみんな退社した後でも、デュラントだけが遅くまで会社に残り、「誰か手紙のファイルを持ってきてくれないか」とか「ちょっと誰か手伝ってくれ」と言って、辺りを見回している姿でした。ダウンズは誰かがデュラントの手伝いをしなければならないと考えました。そして、いつの間にか、ダウンズがその"誰か"の役割を果たしていたのです。
やがてデュラントはダウンズの名前を呼ぶ習慣が身についてしまいました。なぜダウンズを呼ぶ習慣が身についてしまったのでしょう。それはデュラントが「誰か」を呼ぼうとしたとき、いつもそこにダウンズが居たからです。しかも、ただ居たのではなく、役に立とうという心構えでそこに居たのです。
やがてダウンズはデュラントの右腕として、系列会社の社長を務めるようになりました。この地位は報酬以上の働きをすることによって、つまりエキストラマイルを歩くことによって得たものなのです。
今日の一言: エキストラマイルを歩こう
鶴田健次
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苦しみの意味
以前、アメリカのABC放送がエリザベス・マレンという少女に関する報道をしました。この少女は家もなく、道ばたで生活をするホームレスでした。しかし、その彼女が、ハーバード大学に優秀な成績で入学したのです。彼女は、麻薬中毒の両親から生まれ、15年間も住む家がなく、道ばたや、倉庫の片隅で寝ました。両親は、彼女が物乞いをして貰ってきた外套までも脱がして麻薬を買うほどに深刻な麻薬中毒者でした。
彼女は、10歳になった時から、道ばたで物乞いをしてお金を貰ってきては、両親を養わなければなりませんでした。そうするうちに父親は死に、続いて母親がエイズで死に、彼女は「自分は、両親のようには生きない。社会に貢献する人間になる」と決心をして、色々と努力した結果、公立高校に入学しました。公立高校は授業料がかからないので、道ばたで生活をしながら学校に通います。
家どころか寝場所もなく、ましてや勉強部屋があるわけでもありません。しかし彼女は、こっそりと、あちこちの建物の外側にある階段や、地下鉄の階段などに小さく座って勉強し、雨が降るとずぶ濡れになりながらも、勉強を諦めたことはありませんでした。
やがて、ひたすらに勉強をしたお陰で、彼女は同級生の誰よりも優秀な成績を収め、ニューヨーク・タイムズが与える奨学金を貰って、天下のハーバード大学に入学することができたのです。彼女のこのような事情が新聞に報道されたおかげで、アメリカの各地から奨学金が送られてきて、それが全部で20万ドルにも及んだそうです。
彼女は両親を恨むとか、自分の環境を嘆いたりとかは絶対にしませんでした。
ある日、彼女は、成功の秘訣を質問する人たちに次のように答えました。
「私の過去の苦しみは、今の私を作ってくれました。私の両親が貧しかったので、私は道ばたで大変な苦しみの中を生きてきました。私はいつも、絶対にこれ以上の苦しみには会わないと心に決め、その苦しみを克服しながら生きてきました。そして心にいつも、「成功して見せる」という夢と希望を抱いて生き抜いてきました。ですから私に、もしも苦しく悲しい過去がなかったら、他の人たちのように、安易な生き方をしたと思います。貧しく、苦しかった過去を、私は有り難く思っています。」
世の中を見渡すと、苦しみに会った人たちの中に、多くの成功者、多くの祝福された人々を見ることが出来ます。そして、その中の多くの人たちが、その苦しみの中で神様を見出し、神様によって祝福を受けることができる器として整えられてきた人たちであることを知ることが出来ます。エリザベス・マレンもその一人です。
苦しみを正しく理解し、消化することができれば、それは大きな祝福になります。つまり、苦しみは、私たちを神様の祝福を受けることができる器にしてくれるということです。苦しみは、祝福の器を作る過程なのです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩編119:71)
鷲が、どのようにして空を飛ぶようになるか、ご存知ですか。鷲は海面から100mもあろうかと思われる断崖の岩棚に巣を作ります。親鷲は雛たちの巣をゆすぶり、くちばしで雛たちを岩棚の端まで押しやって、その絶壁から下に落としてしまいます。雛たちは翼をばたばたさせながら、まっ逆さまに落ちて行きます。そこで、親鷲わしは落ちていく雛のところに舞い降りて、翼を広げて彼らを翼の上に負うんです。雛たちを翼の上に乗せると、親鷲は、彼らをもう一度岩棚の上に運び、また同じことを繰り返します。何度も何度も絶壁から放り出し、翼に乗せて助けるのです。
親鷲の雛を訓練するこの本能は、神様から与えられたものです。そして神様は、私たちにも同じような訓練を与え、私たちが自分の翼で人生の大空を飛び交い、神様の祝福をいただける器になるように導かれるのです。そのために、神様は私たちの人生の巣を揺り動かし、一時的に私たちの希望を取り去って、私たちをうろたえさせてしまうような苦難の中に置かれるのです。
しかし神様は、私たちの苦しみの間中、私たちをその御翼の上に乗せて、私たちが決して落ちることのないように、私たちを守っていて下さるのです。
今日の一言: 苦しみにあったことは私に良いことでした
鶴田健次
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心に描くイメージ
幸いな人生を送るための最大の要素は、自分を愛することのできる者になることだとよく言われますが、これはどれだけ強調しても強調し過ぎることのない重要な要素です。なぜなら、私たちは自分自身を見る目と違った行動を取ることは不可能だからです。
その意味で、これまでもいろいろな機会にお伝えしてきた通り、心で自分をどのようにイメージしているかは、あなた自身の人生に計り知れない影響をもたらします。自分を愛することのできる人は、自分が愛される価値のある人間であることを信じているので、愛される人間、価値のある人間というイメージに基づく行動を無意識のうちに起こし、それにふさわしい結果を得るのです。
幸運なことに、人は誰でも、今まで自分のことをどのように心でイメージしてきたかに関係なく、自分の心がけ次第で、今からでも良い方向に変わることを選ぶ「自由意志」という素晴らしい贈り物が神から与えられています。これは誰にでも無限の可能性とチャンスがあることを意味すると言えるでしょう。
健全なセルフイメージを作り上げていく際に常に覚えておくべきことは、意識的に、自分の良いイメージを思い浮かべ、言葉にし、その通りに行動することを心がけることです。なぜなら、私たちが与えたイメージを心が完成させるからです。また、心がけによる新しい習慣は、やがて私たちの本質を変えるからです。
たとえば、20センチ幅の板を床の上に置いて、その上を歩くのと、同じ20センチ幅の板を50階建てのビルの間に渡して歩くのとを想像してみてください。床の上に置いた板の上を歩くのは、安全にその上を歩くイメージを思い描くので簡単に実行できます。一方、ビルの間に渡された板の場合は、そこから落ちる自分を見てしまい、その描かれたイメージを心が完成させるために、あなたの恐怖は現実になるのです。
ところが、最初は怖くても、十分な注意を払いながら、高い所での作業を続けていると、やがてそういう所でも平気で動き回れる自分が見えるようになり、そのイメージを心が完成させるために、板の上を歩くことも簡単にできるようになるのです。
ボールを池に打ち込んだゴルファーが、「そうなる気がした」とつぶやくことがあります。それは描いたイメージを心が完成させ、それを体が行動によって実現させたのです。しかし、前向きなゴルファーは、打つ前にボールがホールに入るイメージを描きます。また、成功するセールスマンは、訪問する前に客が買ってくれるところをイメージします。そして、本当にイメージできたことが現実になるのです。
あなたは自分自身を、また自分の将来をどのようにイメージしておられますか。こういう事を考えたことがない方でも、今のあなたの現実は、実はあなたが無意識のうちにイメージしてきたことの結果であるということが理解できれば、心に描くイメージの大切さがお分かりになれると思います。
あなたは愛されるべき人です。あなたは価値のある人です。そんなあなたの将来は、幸せと希望に満ちたものなのです。ですから、これからはそんな自分、そんな将来をイメージし、そのような人生を生きていきましょう。
今日の一言: いつも幸せをイメージして生きよう
鶴田健次
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thriving placeー神が与えられる場所
先月から数回参加している教会では数名の牧師の方が交代でメッセージをされます。
皆さんがお年を召したベテランというわけではありません。その中で2人のsenior paster と呼ばれる方のお話が良く心に響きます。
今朝は直接参加できなかったのでOnline live で8時から参加しました。
やはり実際教会の中に行った方が賛美は躍動感があり聖霊の迫りもあると思っていましたが今日のメッセージの後半は自分のいた場所でも大いなる聖霊の迫りがあり満ち溢れました。
タイトルは英語では「繁栄の場所」モーセが神によってエジプトの地からユダヤの民を「約束の地」へ導いたことを示唆されています。
“わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。” 出エジプト記 3:8
メッセージの中で、
「神はあなたをあなたがいるべきその場所に連れて行ってくださいます。
あなたに良いとされる場所(物)を与えてくださいます、しかしその場所や物を自分のものとして繁栄させるには『あなたが袖をまくって汗をして開墾しなければならない』のです。神に「あなたがくださったのだから繁栄させてください」と言ってませんか。エジプトから連れ出して蜜の溢れる土地を与えてくださいましたがそこを蜜の溢れる土地にするのは彼らが額に汗をして耕さなければならないという意味です。」
ーーそういえば以前の私は良い仕事を与えられる時に「神が下さったのでうまくいかせてくれるのは神だ」と思ってました。自分では自分でできる努力をします。でも主が責任を取ってくれると考えていましたーー
今日のメッセージでは結婚も、人間関係も、仕事も家庭も、教会も「あなたが袖ををまくって」努力して「あなたの良い場所」にしなければならないことを言われました。
「神は「そこ」をあなたに良い」として与えられます。
しかしそこが最初から居心地がいいとは限りません。
神がよしと与えられるあなたに良い物は居心地が悪くそれを努力で良い場所(もの)へと変えていくのです。人は居心地が悪いとそこから離れます。
しかしそうではなくそこで努力してその土地を開拓しなければならないと言うことです。
結婚は「このひとを愛している」からしますし、結婚式には一生懸命力を入れます、がしかし結婚には力を入れないのではないでしょうか。
結婚は「仕事」です。良い関係を保ちたければ自己を捨て相手に尽くさなければ成功しません。
また他の人間関係もそうです。
あなたは普通の「ひと」ですが我々は「神のひと」にならなければならないのです。」
さて私達はどれだけ自分に死ぬことができるでしょうか。
今日運転中にあなたを追い抜いた車に文句を言っていませんか、その人が事故に遭わない様に祈ることから始めませんか。
つい最近までは周りの車が荒い運転をするたびにその運転手が癒される様に祈っていました。
今日は海岸を運転中にとっても変な運転をする車に危険運転の警告のクラクションを鳴らしてしまいました。
そしてみ言葉が追いかけて来ました。
「いつも喜びなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。」
はい、その変な運転の車のおかげでゆっくり運転しようと速度を落とす事になりました。全てをご存知の神のご計画に感謝します。
追記、
この牧師は教会が今の建物に移動した時のことをこう話されました。
「今はステージがあり、スポットライト、カーペットが敷かれみな綺麗に見えます。
最初この建物を見たときにはwearhouse (倉庫)の様でした。コンクリートの床、天井は穴が開き電気のケーブルが垂れ下がる状態でした。
床のコンクリートをカーペットにするには何人ものボランティアの働きがありました。
そのカーペットの下のコンクリートにはびっしりと聖句が手書きされています。
あなたが座っている場所にみ言葉が書かれています」
日本もお祓いなどせず聖句を書けば良いですね
そういえば何十年も前ですが私の実家が地鎮祭ですか、する際に聖書を埋めて貰いました。神主(「かんぬし」とは妙な漢字ですね)に母親が「あの子はいいんです」と拝まない私のことを説明してました。
昔の私の方がもっとhesitate せずに信仰に強い意思を持って行動していた気がします。
年取ると丸くなるのでしょうか。それともめんどくさくなるのでしょうか。あなたはどちらですか。
さて、今後は与えられた「ところ」を袖をまくって自分の居場所へとかえていく様にします。
(3/6/2022 LL)
風船が飛ぶのは中にあるもののおかげ
一人の風船売りが、サンタモニカのモールの外で風船を売っていました。売れ行きが思わしくなくなると、この風船売りは大きな風船を一つ空に飛ばしました。風船が空に舞い上がると、新たに子供たちが集まり、しばらくの間、また風船の売れ行きが良くなるのです。彼は色を交互に変え、白い風船、赤い風船、青い風船、黄色い風船、緑の風船を放ちました。
しばらくすると、小さな黒人の少年が風船売りのズボンを引っ張り、彼の目を見つめながら、こんな質問をしました。「おじさん、黒い風船も手を離したら、飛んでいくの?」。風船売りは少年を見て、思いやりと理解と優しさを込めてこう言いました。「坊や、風船が飛んでいくのは、色には関係なく、中に入っているもののおかげなんだよ」。すると、その小さな黒人の少年は、満面の笑顔で、空を見上げました。
風船が飛ぶのは、色には関係なく、中に入っているもののおかげ・・・・。示唆に富んだ言葉ですね。この小さな黒人の少年がこんな質問をした背後には、今なお存在する差別的な経験が子供なりにあったのでしょう。それをいち早く察した風船売りは、最高の思いやりと理解を示しながら、この言葉を投げかけることによって、「だから、君だって、君の中にあるものが、君を上へ上へと導いてくれるんだ」というメッセージを送ったのでしょう。
さて、より良い人生を送ろうと思えば、あなたの中にあるものを変えることだけがあなたにできることだということを知ることは大変重要なことです。そして、その最も効果的な方法は、「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」という聖書のゴールデンルールを守れる人間に変わることです。
多くの人は、自分の満足のために、自分の都合を一番に考えます。しかし、自分の都合を一番に考える生き方は必ず他者を困らせ、悲しませ、怒らせ、不都合を生じさせるので、色んなしっぺ返しを招くことになります。成功と幸福の鍵は、ゴールデン・ルールにあります。さらに断言するなら、他者が欲するものを手に入れられるように手助けをすれば、あなた自身、人生において必要なものを必ず手に入れることができるようになるのです。
アルフレッド・ノーベルに関するこんな逸話があります。少年時代、彼はいつもクラスで二番の成績でした。一番はボギーという子でした。あるときボギーが病気のために長期欠席したのです。普通なら、一番の成績を取る絶好のチャンスです。ところが、その間ノーベルは、彼にせっせと授業のノートを送り続けたのです。そして次の試験のときに出て来たボギーはまた一番を取りました。しかし、その後、ノーベルは歴史にその名を刻む大成功を収めるのです。
人生において、最良の結果をもたらす生き方は、自分にして欲しいことを自分にするのか?他者にするのか?が分岐点になります。自分にして欲しいことを自分にする生き方は、他者からは何も期待できません。ところが、自分にして欲しいことを他者にする生き方は、結果として、自分にして欲しいことを他者から受け取るのです。
今日の一言: ゴールデンルールを生きる人間になろう
鶴田健次
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