召しへの応答
12月のとある日曜礼拝が始まる前に南加で事業をされているある方から電話が入り「うちにいる女の子たち傷んでるのよね、彼女たちの心もサポートをしてほしい」と言われました。突然ではありましたが祈って加州へ期間限定で戻ることにしクリスマス礼拝や教会行事を諦め短期の予定で出発しました。
この決断にはいくつかの理由がありました。まず10年ぶりに戻ったLas Vegas 日本人教会での早天祈祷、聖書クラスにおいて深い深い学びをさせて頂き、再度神とのしっかりした繋がりができた事を感じ神のみ心を強く祈る日々が再開できその日々の中でどのようなことが教会として必要であるか、何をするべきかなどを示されある日の祈りの中でふとLVへ戻る前に計画していた西海岸から東海岸への旅が思い起こされ道程が重なっていることに気がつきました。私たちの計画は陸路で米国横断をし、その後東海岸で落ち着いたら各国へ船で航海へ出る計画をしていました。当時の私は作成しているYouTubeの撮影のために色々な場所へいくのだろうということくらいしか考えていませんでした。
また、2005年の冬にハワイ島コナのクリスチャンの学校の締め切りにまにあわなかったのに入学を許可され航空券も購入した後、身体が動かなくなり医者から1週間治療をして治らないと死ぬと言われ絶対1週間で治してくれと言い車椅子に乗って渡航しました。そこから戻ると風邪を引き熱にうなされながら今後の事を祈っているとイエス様に宇宙へ連れて行かれ美しい地球を上から見るという幻を見ました。幻ですから本当かどうかはわかりません。その際に米国西海岸を示されその年に西海岸へ行く決心をしました。当時は舞台で聖書を基にした劇を作っていましたが、舞台では神の愛を伝えるには時空の限界があることを感じ、映画を作れば世界中に発信できると考え学校を探し、コネクションを作るのに一番良いと見えたUCLAで映画を学ぼうと出発しました。
しかし実際の映画製作には莫大な製作費用が必要であり、スポンサーがなければ不可能であるため、一旦映画業界を離れ日本人の方のお手伝いをすべく移民弁護士のアシスタントや移民局での通訳をしながら制作費用を貯め時間がかかりますが時を待つ事にしました。
それが今、不思議なことにYouTubeの時代がきて誰でも簡単に映像が作れ世界へ発信できるようになりました。
2021年10月にLas Vegasに戻らなければそのまま2022年に米国横断へ出発しても明確な目標もなくただ日々暮らしていたと思います。今回Las Vegas へ戻って再度神に固く立ち返り伝道の目的を再度主に示されて自分の召しを再確認しました。
キリスト者全員に言われている「伝道」は私たちの第一の使命です。最大の奉仕は神の栄光を表す事です。それはどのような方法でもそれぞれに与えられた賜物をフルに活用して全うしなければならないキリスト者として命をかけた第一の神への応答です。
そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。 それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。エペソ4:11-13
みたまの賜物は教会を建てあげるためまた信徒の成長と一致のため使命は教会を成長させるためにキリスト者に与えられています。
それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。エペソ人への手紙 4:12-13
リーダーは賜物を用いて教会を建てあげ教会員が霊的に成熟するように導く使命があり、キリスト者の召された目的は「大宣教命令」の成就です。
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
マルコによる福音書 16:15
私たちはそれぞれに与えられた召しを確信し、賜物を使って神の命(めい)を全うする「義務」があります。
私の召しは受洗してから「伝道」だと感じていましたがこの世に惑わされて眠ったクリスチャンでいたことに気がつき終末が近くなり急いで伝道をしなければならないと切迫する思いがあります。
パウロは栄光の主に示されてここで数週間、次のところで数ヶ月、また1年と半年、3年と伝道旅行をした事を知り日々御心かそうでないか祈りながらのあゆみですが取りなしを祈ってくださる方々のおかげで守られていると感じ、支えられこの世の支配と戦い続けることができます。
まだLas Vegasで仕残したしたことも多く、また本当の伝道旅行に出て行くにはまだまだ霊的に達していない事を感じていますので近いうちに教会へ戻り奉仕、勉強をさせていただく予定です。将来の人生の目的である伝道旅行の序章の期間だと思っています。LasVegasで神との深い関係を再構築させていただき、元の計画の何倍も意義のある目的を示されそれを目標として準備が整ったら西海岸から東海岸へ実践伝道開始だと思います。
これまでの生ぬるい信仰生活であった30年を反省し、これからの30年伝道に生きることを祈りそれを主が祝福されていることを信じて一歩を踏み出しました。
きっかけはどうであろうと信仰を持って祈り、主のみ心を探り、主に導かれるまま歩むことを選択し続けるものでありたいと思います。間違って水に沈みそうになったとしても主は必ず水面へ引き上げてくださると信じています。
その愛の主にしっかり繋がり、主の十字架の勝利を胸に日々前進していけるよう祈っています。
この世にいて肉を持っているのでつまずきもありますが主が必ず全てを備えてくださることは100%確信しています。これからも主に祈りつつ歩み続めるよういつもお祈りいただいている皆様に心から感謝いたします。聖徒の祈りには力があり励まされます。
皆様も召しを確信し賜物を生かし主の愛に歩まれる人生を送られますようにお祈りしています。
背教の時代に負けないように2022年が皆様にとって今までの何倍も良い年となりますように!
(LL)
Have A Happy Blessed New Year!
一歩を踏み出そう
今日は、「一歩を踏み出す」ことの大切さについて考えてみました。
道は近くても行かねば到達せず、事は小さくとも行わなければ成就しない。
これは中国のことわざですが、まさに、その通りですね。ああでもない、こうでもないと言うだけで、何もせず、いたずらに思い悩んでいても何の役にも立ちません。大事なことは、まず行動を起すことです。
明日こそ、明日こそと考え、ああしたらこうする、こうしたらああする、といくら胸をふくらませ、夢を広げても仕方がありません。「こそ話」、「たら話」はいつまで経っても何も起こらないのが世の中の常。どんなに小さな一歩でも、まず歩き出すことが大切です。
しかし、実のところ、その最初の一歩が一番難しいというのも事実です。でもその一歩を踏み出せば、必ず先へ進むものです。そして、一歩が千回繰り返されれば、千歩の距離になります。だから、どんな目標も、そこに向かって進み続けさえすれば、必ず目標に近づくのです。
箴言6:6を見ると、「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ」とあります。
イソップの「蟻とキリギリス」の寓話は、この御言葉に題材を得て作られたと言われています。この言葉に続いて、「蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める」とあります。今は勤勉にがんばることが、ダサいと思われる時代かもしれませんが、蟻を見習いなさい、と箴言は教えています。
生きていることの証しは、人生の目標を掲げ、そこに向かって一歩一歩と近づいていくことではないでしょうか。たとえその目標がどんなものであれ、目標に近づく唯一の方法は一歩ずつの繰り返しであることを心に留めましょう。もし一日でも動き出すのが遅れると、それだけ後悔する量が増え、それが人生の重荷になるかも知れません。
日々、神を認め、神の知恵の言葉に耳を傾け、その御心のうちを歩む、ゆるぎない人生を築いていきましょう。
今日の一言: 神の知恵に耳を傾け、次の一歩を踏み出そう
鶴田健次
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ユニークな神の作品
私が受洗した最初の教会ではかなりユニークな友達ができました。彼らは6−10人ほどの集団で全国のリトリートに参加し、それぞれの「ユニーク」な役割をはたしていました。
一人は牧師の息子で完全にサブとして、裏方となり倒れる人を支える役に徹していて彼のお父さんは牧師を辞める決心をしたときに息子が働き人になり神の計画は不思議なものだと言われていました。
リーダー的な年長者は背骨が伸びない病気で生まれてきて身長は子供のサイズのままでした。それはそれは過酷な人生を歩んできて神に救われその神の働きは素晴らしいものがありました。
それまでの人生は誰も彼をみてくれなかった。しかし救われてからの人生は神に使われるインナーヒーリングの賜物を持った人生を歩み、神を伝えるものとなりました。
背骨が曲がっているために医者からは長生きはできないと言われていたそんな人物が皆のリーダーとして立てられ全国を回るようになりました。
私が彼らと初めて出会ったのはクリスチャンのリトリートでした。
私は子供の頃の後遺症があり、人まえで自分の考えをうまく伝えることができなくなっていました。
そんな中で心の中から信頼できる友人と呼べる友に出会ったのは初めてでした。
何も語らなくても理解してもらえることの嬉しさ、彼らは一人一人本当にユニークな方法で神に呼ばれていました。
いちくんはいつも「イエス様と二人でご飯食べた」と言う朗らかな性格の、優しい子で、親はフランス人と冗談をいっていました。高校をdrop outして音楽に耽っていて、いわゆる引きこもりでした。
そんな時に彼は突然聖書をとても読みたくなって読破した後、「洗礼を受けないといけない」と決心して教会へいき受洗しました。
また一人は真っ黒な鋼鉄の車に乗り、いつも黒いサングラスをかけていました。
笑顔のない強面の顔と角刈りの髪型は人を寄せ付けないようにしているように見えました。
受洗直後の私の心は真っ白で純粋な気持ちしかなくみんなを神の家族として愛していると見ている状態でしたので全てを受け入れられました。
そのサングラスの彼は硬い名前を持っていました。
まだみんなと出会って日が浅いということでみんながどんな名前で呼んでいいかわからないという中、硬い名前、男っぽい名前を含め3つほど候補があるよと言われたのですが、
彼と話しているときにとてもとても清らかなものが内面から出ていることを感じそして彼の鋼鉄の真っ黒な車を開けるとそこは女の子のような綺麗な色の絨毯ときちんと飾られた暖かい内装がありました。
それをみた瞬間私は彼は自分自身を黒い鋼鉄で覆い隠しているけれど心は本当に純粋なんだと感じ、初めて会った彼を誰も呼ばない「名前にちゃん」をつけて呼びました。すると「え?」と驚かれ「この車はマコちゃんそのものね、外は真っ黒に固めてるけど中はとても優しくて純粋」というと驚いて嬉しいそうにはにかみ私に心を開いてくれました。
当時の私たちの写真を見てみると本当に不思議な変わったユニークな集団でした。
皆、学校や社会に溶け込めず、そして神の愛をしり、神の愛ゆえにまとまった集団でした。
神なしにはこの集団のまとまりはありえない、そんな存在の私たちでした。
彼らは音楽に優れ、サポートに優れ、初めて訪れた方々を暖かく迎えてくれる不思議な存在でした。ペテロたちと同じで彼らの誰も有名校になど行ってません。
いつも数名で行動していた彼らはイエスの弟子たちのようだと言われ「軍団」と呼ばれていました。
その中で聖霊に満たされると普通は音痴な私が綺麗なソプラノで歌うのです。
私の声ではない、聖霊の満たし以外には考えられないhigh tone の綺麗な声です。
この世界には他の人と違うということで差別されることが多々あります。
その心への影響は大きく、大人になっても社会に溶け込むことができません。
しかし神はそんな私たちを「ユニーク」に創られました。
「あなたはあなたで大丈夫、そのままのあなたを愛する」と言ってくださる主の愛に触れてこの方のそばを離れたくないと思うのは救われた皆さんが感じることだと思います。
私たちも神の愛で自分の「ユニーク」さを喜び、神が愛されるあなた自身を愛し、そして「ユニーク」なあなたの隣人を愛しましょう。
あなたは「ユニーク」でいいんです、そしてあなたの友も「ユニーク」でいいのです。
自己受容ができれば他者受容ができます。
神は全ての人を「そのままで愛する」と抱き締めてくださっています。
誰にもジャッジされなくて良い存在です。
あなたの与えられた才能を大いにいかし神のために何ができるか考えてみませんか。
あなたの賜物、才能はなんですか。神に捧げるとその何倍も祝福が帰ってきます。試してみませんか。
明日はクリスマスイブです。
イエス様がこの世に私たちのために来てくださったことを祝う日です。
さて、どんな奇跡が起こるでしょうか。楽しみにして、
(LL)
Merry Christmas!
Jesus is the
Reason for the Season
クリスマスのシーズンになると、この言葉をよく耳にします。
”Jesus is the Reason for the Season”
「イエスは、このシーズンの理由です」
確かにイエス・キリストは、このシーズンの理由、クリスマスのメッセージです。
私たちの中にある希望は、イエス・キリストにのみ見られる贖いと救いの恵みです。 一人の人、イエスの誕生と人生が、その誕生の何世紀も前に語られた何百もの預言の成就となったとき、私たちの希望、私たちの信頼、そして私たちの信仰がイエスに置かれていることは否定の余地がありません。
ある静かな夜、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていると、主の使いが彼らの所に来て告げました。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)
クリスマスは、神が人となってこの世に来られたことを感謝と喜びをもって祝う日です。神はあなたを愛し、あなたの罪の身代わりとして、ご自身の独り子を十字架につけるためにこの世に遣わされたのです。その神の独り子がイエス・キリストです。
まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ローマ5:8)
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。(第一ヨハネ4:10)
クリスマスの賑やかさの中で孤独を感じている人がたくさんいます。
お金も、地位も、名誉もあり、社会的に成功者のように見える人でも、
心の中に大きな穴が空いている人がたくさんいます。
その穴は、どんなにお金を儲けても、どんなに立派な家に住み、
どんな高級品を身に着けても、埋めることができません。
その心の穴を埋めることができるのは、神の愛だけです。
神の愛とは何でしょう。それは御子イエス・キリストです。
キリストが十字架の上で成し遂げられた、あなたの罪の贖い、
キリストが復活によって成し遂げられた、あなたの死からの解放、
それが神の愛の賜物です。
キリストをあなたの救い主、また主として、心にお迎えするとき、
あなたは、完全な罪の赦しと、死からの解放を得ます。
あなたの心にある空しさの穴が埋められ、あなたの心に愛が注がれます。
たとえあなたがどんな罪を犯していても、神はあなたを愛しておられます。
たとえあなたが自分の中に何の価値も見出せないとしても、
神はあなたの中に全世界の富よりも尊い価値を見出しておられます。
イエス・キリストは家畜小屋の飼葉桶の中で生まれました。
神の御子が、金・銀・宝石で飾られた王宮で生まれたのではなく、
汚い家畜小屋で生まれたのは、あなたの心が、どんなに醜く汚れていても、
キリストはあなたの心に喜んで来てくださる方であることを示すためです。
イエス・キリストをまだ信じておられない方にお伝えします。
イエス・キリストが約2000年前にお生まれになったとき、
それが世界で最初のクリスマスでした。
そして今日、もしあなたが、イエス・キリストを心にお迎えになるなら、
それがあなたにとっての最初のクリスマスとなるのです。
メリー・クリスマス!
今日の一言: イエスは、このシーズンの理由
鶴田健次
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引きこもりから世界で羽ばたくMusician へ
これは引きこもりから神に解放された子のお話です。
彼が17歳の頃初めて会った時には本当に目つきの鋭い誰も信頼しないと思っていることがわかる感情を閉じ込めてしまった子でした。
お父さんに出来の良いお兄さんと比較され、理解されず高校生活の全てを引きこもって過ごしました。お母さんだけが彼をかばって生きている、そんな家庭でした。
ある日教会に来られたこの母子に会った時、この子の痛みや、また本当はとても純粋な心を持っていると感じました。そして親しげに話しかけると心を開いて話してくれました。
私に語ってくれた彼の話はあまりに純粋なために傷つき、自傷し、死のうと思って教会の玄関に寝ていると神さまが救ってくださったことを知り、これから生きていく自分に何ができるか考えてお母さんが大好きなJazzをひたすら練習することにしました。
彼は生きる時間の全てを楽器を弾く練習をしていました。
お母さんが一体いつ寝ているんだろう、と思うほど毎日毎晩楽器を弾いていました。
彼は楽譜が読めません。
しかし、絶対音感があるためどんな曲でも聞けば弾ける才能を持っていました。
彼が初めて一人でNew York の各所のBarで行われる有名ミュージシャンのliveにいきたいと訪米すると未成年一人ではBarへ入れないと言われ、そこでたまたまNew Jerseyのリトリートに参加していた私はその後NewYorkへ行く予定にしていたのでNew Yorkで付き添うことになりました。
アルコールを飲めない私はBarがどこにあるか、誰が有名なMusicianかなどわかるはずもなくただ保護者としてついて行っただけですが
ひとつの Barでピアノの前に座ったMusicianが鍵盤を一本の指でポーンと叩きました。それを聞いた彼が「このピアニストはかなりすごいよ」というのです。
それがわかる彼がすごいと私は思いました。
こんな才能を神に捧げ、使われたらどうなるでしょうか。
彼は引きこもりをしていたため学歴はなく、英語もできるわけではく推薦状なども取れませんでした。
世界で音楽を学びたいという願いを持っていても諦めていました。
そこで私がアメリカで受けた素晴らしい経験を話し、音楽には言葉はいらないから彼の純粋さと才能は必ず受け入れられること、絶対に行った方がいい、と勧めると自分の才能を試すため渡米したいと思うようになり相談されました。
全てを準備して渡米したものの書類のミスだかなんだかで入管で止められ誰かが説明しないと入国させてもらえないとお母さんに電話が入りました。
たまたま教会にいた私は電話で担当者に彼の渡米理由を説明し、このまま留め置くことはおかしいこと、即刻許可を出すことを勧めるような話をして彼は入国できました。
それからの彼はあらゆる音楽家を訪ね、コネクションを作り、当時17歳だった彼は今現在30歳を超え世界のJazzPlayerを日本へ招聘し自分が建てた音楽の家でコンサートをするほど外交的になりました。
皆から好かれる人懐っこさと才能の素晴らしさは言葉の壁を越えたくさんのMusicianから愛されるようになり今では彼が年下の子達を導いています。
神は何を使ってご自身を表されるか私たちには想像もできません。
しかし、必ず助け人が供えられどんな道も必ず開いてくださいます。
そして今もしあなたの周りに社会に受け入れられない子供達がいたなら彼らが得意とする才能を見出してあげ、神に捧げる素晴らしい器に導いてあげましょう。
必ず神がその才能を祝福され神の美しい賛美を奏でるものになります。
もうすぐクリスマス、神はどんな奇跡を見せてくださるでしょうか。
楽しみですね。
(LL)
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励まされます!
神の栄光が世界に伝えられますように