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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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ギャングのボスが福音の使者に

  

 

 自分を愛し、自分に優しくしてくれる人を愛することはできても、自分に敵対する人、悪意を抱いている人、意地悪をする人を愛するということは、なかなかできることではありません。そのような人たちに対して、クリスチャンはどういう態度を取ればいいのでしょうか。

 

 聖書は、「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません」と言っています。

 

 また「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」とも言っています。これがクリスチャンの取るべき態度だということです。

 

 そこで私たちは思うのです。そんなの無理です。自分に悪意を持つ人、自分に害を加える人をどうやって赦すのですか。まして祝福などできるわけがありません。しかし、クリスチャンはそうすべきだと言われているのです。

 

 イエス・キリストの尊い血潮によってすべての罪を赦していただき、神の子供とされた者は、自分の敵を愛し、迫害する者を祝福すべきなのです。それがクリスチャンの勝利の道だと聖書は教えるのです。なぜなら、神の御心を行なう者の上に、神が勝利の御業を成して下さるからです。

 

 昔、ニュ-ヨ-クでギャングのボスとして名を上げたプエルトリコ出身のNicky Cruzという男がいました。ところが、この誰の手にも負えないNicky Cruzが、David Wilkersonという牧師の愛の働きかけによって生まれ変わったという有名な話があります。

 

 Nickyは悪魔崇拝をする両親のもとで生まれました。生まれた時から呪いの言葉を浴びせられ、特に母親は幼いNickyを毎日のように蹴ったり殴ったりするので、幼いNickyの鼻の骨は折れ、唇は裂け、目の周りには黒いあざが絶えませんでした。

 

 Nicky9歳の時、母親は体中血だらけの彼を裸にしてクロゼットに押し込み、何日も食べ物も水も与えずに監禁しました。泣きながら食べ物と水を求めるNickyを彼女は大声で怒鳴りつけ、こんな酷い言葉を発しました。

 

 お前は私の息子ではない!

 私はお前を愛したことなど一度もない!

 私の前から居なくなれ!

 お前の顔など二度と見たくない!

 お前は悪魔の子だ!

 私はお前を産んだ日を呪う!

 

 Nickyの魂は死に、彼は生きる希望を完全に失い、自殺を決意してマンゴーの木で首を吊ります。しかし、結局のところ彼は助けられ、少し大きくなってから兄を訪ねてニューヨークに渡ります。

 

 それから月日が流れ、正常の魂を失ったNickyは数々の悪事を働きながらハーレム街を仕切るギャングのボスになり、その悪さと巧妙さにはニュ-ヨ-ク警察もお手上げ状態でした。

 

 ところが、あるとき、ペンシルベニア州のある田舎でDavid Wilkersonという牧師が祈りを捧げていると、突然、神様から、ニュ-ヨ-クのハーレム街に行って福音を宣べ伝えなさいと言われたのです。

 

 彼は、ニュ-ヨ-クには行ったこともなく、一人の知り合いもいませんでしたが、とにかく飛行機に乗ってニューヨークに向かいました。

 

 Wilkerson牧師がたどり着いたハーレム街は、Nickyが支配している無法地帯でした。Nickyの縄張りの街角に立って、Wilkerson牧師は大きな声でキリストの福音を伝え始めました。

 

 ある日、通りすがりにWilkerson牧師の伝道する姿を見たNickyは、車から降りて殴りかかり、気絶して倒れたWilkerson牧師を道端に捨てて立ち去って行きました。

 

 ところが、翌日、Nickyが手下を連れて、同じ場所を車で通り過ぎようとしたら、全身傷だらけのWilkerson牧師が、その同じ場所に立って伝道をしていたのです。それを見たNickyは、Wilkerson牧師のところに行き、また彼に殴るや蹴るの暴行を加えました。

 

 Wilkerson牧師は、Nickyの手をつかんで言いました。「私を殺したいなら殺しなさい! それで気が済むなら私を殺しなさい! 神様は、それでもあなたを愛しておられます!」 NickyはWilkerson牧師の手を振り払い、つばを吐いて、そこを立ち去っていきました。

 

 しかし、Nickyは心に大きな衝撃を受けました。こんなに殴られているのに、柔和な目を向けて、神の愛を説くWilkerson牧師を見て、これは普通の人間ではないと思いました。

 

 その夜から、Nickyの脳裏にWilkerson牧師の姿がひんぱんに浮かぶようになりました。夜寝ていても、傷だらけのWilkerson牧師が一生懸命に神の愛を語る姿が、まぶたの裏に浮かんできました。

 

 そして遂に、ある晩、Nickyに聖霊が働き、彼は部下たち全員を連れてWilkerson牧師のところに行き、過去のすべての罪を悔い改め、イエス・キリストを受け入れたのです。

 

 そして、心の一新によって造りかえられた証拠に、Nickyは組織をきれいに解散し、神学校に行きました。そして、やがて牧師になって、世界中の人々に人を造りかえるキリストの愛の福音を伝えるようになったのです。

 

 FBIやニュ-ヨ-ク警察が、あらゆる方法でNickyを逮捕して生まれ変わらせようとしましたが、変わるどころか犯罪の証拠すら残さず、悪事を働く一方でした。それを、名もない田舎牧師を用いて、神様が変えられたのです。

 

 殴られても、殴られても、Wilkerson牧師は、神の愛を語り続けました。そして、今まで見たことも聞いたこともない、その愛の力が強く働いて、Nicky Cruzを変えてしまったのです。

 

 以下がNicky Cruzの証しです。どうぞお聞きください。

 


  




 


 もしWilkerson牧師が「迫害する者を祝福する」キリストの愛を貫くことができなかったら、Nickyのような人間は絶対に変わることなどできなかったでしょう。

 

 私たちは、先ず自分が造り変えられなければなりません。自分が変われば相手が変わります。相手が変われば自分も変わるという考えは順番が間違っています。「妻が変われば、自分も変わる」、「夫が変われば、自分も変わる」という夫婦は、死ぬまで上手くいきません。自分に出来ることは、自分が変わることだけです。

 

 では、どうすれば私たちは変わることができるのでしょうか。法律や裁きの力でNickyを変えることはできませんでした。Nickyを変えたのは、キリストの愛によって造りかえられたWilkerson牧師の愛でした。

 

 これこそキリスト自らが模範を示された、愛によって敵の心を捕らえ、敵を友と変える方法です。善によって悪に打ち勝つこの方法は、神のなさることであり、人間が自分の力でするのではありません。

 

 神は、私たちが御心に従うとき、敵対する者との和解を実現させて下さるのです。それは私たちがなし得ることではなく、神に自分をささげ、御心を行なう私たちの上に現わされる神の御業なのです。

 

 Nickyは全く新しい人になり、お母さんに会いにプエルトリコに行きました。そして、お母さんを赦し、お母さんを愛していることを伝え、自分を変えてくれたキリストの愛を伝えました。聖霊の助けによってお母さんが救われ、悪魔崇拝から解放され、お父さんも救われ、兄弟たちが救われ、その中の三人が牧師になるという信じられない神の御業が現わされたのです。

 

 

今日の一言: 善をもって悪に打ち勝ちなさい

 

 

鶴田健次

 

 

 

 



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2021.06.30 13:20 | 鶴田健次牧師より

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心の貧しい人は幸いである

 

 マタイの福音書の5-7章の部分は、「山上の説教」と呼ばれているところですが、主イエスの一回の教えとしては一番長いところで、主イエスもきっと心を注いで、神を信じる者の生き方についてお語りになったのだと思います。


 1節を見ると、「この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、・・・・」と書かれています。「山に登り」とは、静かな所で大切な教えを語ろうとされたことを、また、「おすわりになられた」のは、じっくりと教えるためであったことを暗示しているようです。

 

 そして、開口一番に言われた言葉が、この「山上の説教」で最も有名な言葉である「心の貧しい人は幸いである」という言葉でした。

 

 内村鑑三先生は、この最初の一言に山上の説教のすべてが凝縮されていると言われました。「心の貧しい人は幸いである」という言葉を最初に聞いたとき、私は高校生でしたが、意味も解からないのに、「感動的な言葉だなあ」という印象を持ったのを今でも覚えています。

 

 さて、この「山上の説教」の最初の教えである5章1-12節は、『八福の教え』と呼ばれるもので、主イエスが教えられた8種類の幸いな人について書かれているところです。

 

そこで今日は、この中の3-6節を見てみましょう。

 

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。柔和な者は幸いです。その人たちは地を相続するから。義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」(5:3-6)

 

まず3節の「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」という言葉は、いわば「山上の説教」の顔とも言える言葉ですが、簡単な言葉なのに、その意味がよく解からない、というのが多くの人にとっての最初の印象だと思います。

 

 「心の貧しい者」とは、「霊において貧しい者」ということですが、その意味するところを私たちの経験によって理解しようとしても無理で、神の視点から理解しなければ解らないことです。まさにそれが「霊において貧しい」ということですが、そのことにさえ気づかないのです。

 

「悲しむ者」「柔和な者」「義に飢え渇く者」についても、その正しい意味を理解することは、人間の視点からは無理です。しかも、上記の四者に密接なつながりがあることにも気づかないのです。

 

天の御国は、「心の貧しい者」「悲しむ者」「柔和な者」「義に飢え渇く者」が、「幸いな者」として新しく生まれるところです。そして、その幸いは神の働きによるもので、人間の努力によって得られるものではありません。

 

幸いな者の四つの面の密接な関係を見てみますが、自分が「心の貧しい者」であることを悟った者は、そこで初めて神の深い悲しみを理解する者となります。それが「悲しむ者」の意味です。人が経験する「悲しみ」以前に、神が悲しんでおられることを知る者のことです。

 

人の「悲しみ」を理解できても、神の「悲しみ」を理解できる者はほとんどいません。その神の悲しみの原因は、私たちの内にある罪です。霊の貧しさや神の悲しみは、人が罪に支配され、神を知ることができず、神の御心を行なえない現実にあります。

 

つまり私たちの内には、罪の原理が働いており、自分の意に反して罪を犯す悲しい現実のゆえに心が打ち砕かれる者がいるのです。そのような者を主イエスは「柔和な者」と表現しておられます。そして、そのような者が神に出会い、神を知り、神を求めるようになることを「義に飢え渇く者」と言っておられるのです。

 

しかし、自分の「心の貧しさ」の状態を悟る者は、その貧しさをもたらした罪を「悲しむ者」となり、実際に罪の力に打ち砕かれて「柔和な者」とされた者は、ますます「義に飢え渇く者」(神との生きた関係を求める者)となります。

 

そしてそのような人は、神から慰められるだけでなく、やがて王であるメシアとともに地を受け継ぎ、御国のすべての祝福に与ることができるのです。だから彼らは幸いなのです。

 

 

今日の一言: 心の貧しい人は幸いである

 

 

鶴田健次



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2021.06.22 23:53 | 鶴田健次牧師より

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真の幸福を得る道

 

 

 ところで、真理とは一体どういうものでしょうか?

国語辞典を見ると、真理とは、いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の道筋。思惟と存在、あるいは認識と対象の一致。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。というふうに定義しています。

 

 では、真理の書である聖書は真理をどう定義しているでしょうか?

聖書は真理についてさまざまなことを教えていますが、一言で言えば、真理とはイエス・キリストである(ヨハネ146)と教えています。つまり、真理とは、理論でも教義でもなく、イエス・キリストご自身であるということです。少し説明が必要でしょうか?

 

 つまりそれは、人生の究極の目的が、死後の世界における天国に行く道を見出すことであり、その道はイエス・キリストだけであるがゆえに、最終的に、真理とはイエス・キリストであるという結論に行き着くのです。従って、この真理であるイエス・キリストを信じないことが罪である(ヨハネ169)ということになるのです。

 

 今世紀において、「最もキリストに似た人物」と言われ、詩人のラビンドラナート・タゴール、政治家のマハトマ・ガンジーらと共に、インドの三大精神的巨人の一人に数えられているサンダー・シングは、罪について、非常に興味深いことを書いています。

 

 「罪とは、神の意志を捨てて自分の好き勝手に生きることであり、自分の欲望を満たすためなら正しいものも捨て去り、それによって幸福になれると考えることだ。」(サンダー・シング)

 

 人間は神の意志を無視して自分勝手に生きても、決して真の幸福に至ることはありません。なぜなら、神は天地万物の創造者であり、罪とは、その創造の秩序に反するものだからです。つまり罪というのは、創造によって生み出された、実体のあるものではなく(神でないものに創造する力はないから)、創造されたものを破壊する、ただの欺瞞的な状態を指すのです。

 

 それはちょうど「光」と「闇」のようなものです。光は、粒子(光子)としての性質を持つ実体のあるものですが、闇には実態がありません。闇は「光の欠如」というような定義しかできないものです。同様に、悪というのは、神という光(愛)の欠如の状態にすぎないので、それによって人間が真に幸福を得たり、満足を得たりすることはあり得ないのです。

 

 したがって、霊的な生活、つまり神との生きた関係こそ、真の幸福を得る生き方であると言うことができます。霊的な進歩が伴わなければ、世俗的な進歩はインチキな偽物でしかありません。世俗的な進歩は、他の人に損失を与えずには遂げられないものだからです。

 

 この世の競争社会においては、勝者の背後に多くの敗者が生まれます。もちろん、そこには表向きの大義名分はいくらでもありますが、結局は、常に勝者の陰に多くの敗者があり、見せかけの幸福を得るために多くの人々を不幸にする社会構造があるのです。

 

 一方、霊的な進歩は本物です。なぜなら、神との生きた関係を豊かに味わうなら、人のために生きることを求めるようになり、一人の人の進歩が他の人々の成功を助け、人のために働くことで自分自身が助けられ、自分の成功が他者の成功を生み出していくという世界が広がるからです。

 

 

今日の一言: 人を不幸にして自分が幸福になることはできない。

 

 

鶴田健次


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2021.06.13 01:23 | 鶴田健次牧師より

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三歳児までの生育環境


 子育て奮闘中のお母さん、ご苦労さまです。あなたは今、とても難しい、しかし世の中で最も大切な働きをされていることをご存知ですか? 人それぞれ置かれた環境は違いますが、どんな環境であれ、子育てほど重要で、楽しく、生きがいと喜びのある、それでいて難しい仕事はないかも知れません。

 

 よく、三つ子の魂百まで・・・などと言いますが、それは周知の通り、幼いころの性格は年をとっても変わらない、という意味の諺です。つまり、「性格の基礎をつくる大事なお年頃」ということです。

                                               

 英国を代表するロマン派の詩ウィリアム・ワーズワースは、The child is father of the manという言葉を残していますが、直訳すると「子供は大人の父である」という意味になります。これは「幼い頃の性質が、大人のときの性質の基盤となっている」というような意味で言われており、「三つ子の魂百まで」と同じような意味です。つまり、それ程までに3歳ぐらいまでの生育環境は、その後の人生にとって大変重要な時期だということでしょう。

 

 人間は3歳ごろまでに急速に脳細胞からの配線が伸び、かなりの回路が作られると言われます。その配線を伸ばし、回路を発達させるのは、外部から入ってくる刺激や環境、教育などだと言われます。そして、この乳幼児に最も大きな影響を与えるのが母親なのです。わずかの部分で父親や家族も関与していますが、1歳から3歳の人格形成時における母親の存在の大きさは、どんなに強調しても強調し過ぎることはありません。

 

 生まれてきた赤ちゃんは、お母さんの胸に抱かれ、お母さんから「プラスの刺激」をいっぱいもらいます。そして赤ちゃんの脳の中で 「肯定的な感情」をはぐくみ、いわば「喜びの回路」が作られていくのです。

 

 ところが、おむつが濡れたままで、気持ちが悪いのに取り替えてもらえない。オッパイが欲しいのに飲ませてもらえない。お母さんが悲しそうな顔をしている。お父さんとお母さんが喧嘩をしている。というようなことは、赤ちゃんに「マイナスの刺激」を与え、そこから「怒りの回路」「悲しみの回路」「恐れの回路」が作られていくと言われます。 

 大人になって、犬を見て怖がる人、好き嫌いをする人などは、自分では気づかない、小さな子供のころに「マイナスの刺激」を受け、拒絶の回路が形成され、その後の人生を支配してしまったのです。まさに「三つ子の魂百まで」です。

 

 生まれてから2~3歳までは、母親や家族から与えられる情報を、そのまま受け止め、脳の回路が形成されていきます。赤ちゃんは周りで発生する「プラスの刺激」「マイナスの刺激」など何でも、意味や理屈が解からなくても、完璧に吸収していくそうです。

 

 TV漫才を見ていて、直ぐに笑いこける人、笑う姿を横で見ていて、「何がそんなにおかしいんだろう?」と不思議がる人 人よりも笑いのスイッチが早く入る人、遅い人。ドラマを見ていて直ぐに涙腺が緩む人、そうでない人。人によって様々です。幼児期にそうした喜怒哀楽の物差しが出来上がり、性格の一部となって、一生を支配していくのです。

 

 たとえば、両親が毎日のように大声で喧嘩していると、いつの間にか赤ちゃんの脳に、「怒り」や「恐れ」「悲しみ」の 回路が増幅されて形成され、成人してから、人から大声で怒鳴られたりすると、恐怖と恐れで固まってしまい、パニックに陥り、人間嫌いになったりします。

 

 1歳になるかならない時期に、保育所に預けられた赤ちゃん。大人しくしていたら構ってもらえない。大きな声で泣いて自己主張すると、保母さんがやってきて抱いたり、あやしたりしてくれる。「周りの赤ちゃんより激しく泣くことで思いがかなう」ということを、学習するのです。

 

 そして、夕方、お母さんが迎えに来て、有り余るほどの愛情を我が子に注ぎます。赤ちゃんがむずかれば、大抵のことを聞いてくれる。そんな回路ができてしまった赤ちゃんは、その後、自己中心的で、 我がままで身勝手な子どもに育っていくそうです。

 

 

今日の一言: 幼児の生育環境を真剣に見直そう

 

 

鶴田健次

 

2021.06.08 15:57 | 鶴田健次牧師より

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習慣は人を作り、人生を作る

  

英国の作家であり医師であったサミュエル・スマイルズがこんな詩を書いています。

 

思いの種をまき、行動を刈り取り
行動の種をまいて習慣を刈り取る
習慣の種をまき、人格を刈り取る
人格の種をまいて人生を刈り取る

 

「はじめは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る」と言われるように、習慣は作ることができます。最初は意識して心がけますが、それを続ければ、だんだん慣れてきて、やがてそれが習慣になり、習慣になれば潜在意識に刻み込まれ、意識をしなくても自然にできるようになります。したがって、良い習慣は人を成長させ、人を作ってくれるのです。

 

そう考えると、幸せのヒントは「幸せになる種を蒔いて、幸せになる習慣を作る」ことだと言えるかも知れません。たとえば、自分が幸せを感じるような習慣、気分よく過ごせる習慣、毎日を楽しめる習慣、読書の習慣、自分を育てる習慣、運動の習慣、よく考える習慣、夢や目標をもって努力する習慣、愛する人の幸せを考える習慣、などを作るための行動を続けること、それが幸せな人生を生きる良い方法だと言えます。ですから、私たちは最大限の努力を払ってでも、幸せになるための習慣を身につけるべきです。

 

習慣は若いうちほど身につきやすく、一度身についたら終生失われはしません。ちょうど木の幹に刻まれた文字のように、時間の経過とともに大きく成長していくものです。また、人生の若い時期に得た習慣は、悪に対する真の防波堤になると言われます。なぜなら、人間が品行方正になるのは習慣を通じてであり、モラルが損なわれないよう守ってくれるのもまた習慣の力だからです。

 

また、もうひとつ忘れてはならない重要なことは、自分で自分を助けることを習慣とすることです。「天は自ら助くる者を助く」という有名な格言がありますが、この格言は、幾多の試練を経て現代にまで語り継がれてきたもので、この短い言葉には、人間の数限りない経験から導き出された一つの真理がはっきりと示されています。この自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎だと言えます。

「自分で自分を助けよう」などと考えたこともない、という人も多いかも知れません。しかし、「自分で自分を助けよう」と考えれば、できることがたくさんあります。神は常に最善を導いておられるので、その約束を信じて、自分を元気づけ、励まし、心を守ることを心掛けることができれば、私たちの歩みはどれだけ健全なものになることでしょうか。

 

 

今日の一言: 習慣は人を作り、人生を作る。

 

 

鶴田健次



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2021.06.02 22:17 | 鶴田健次牧師より
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