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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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十字架の七言(その1)

 

 

 今週は受難週ですが、あなたに代わって十字架に架かられたイエス様のことを思いながら一日一日を過ごしておられることと思います。

 

 さて、主イエスは十字架の上で七つの言葉を口にされたと聖書は伝えていますが、これを「十字架の七言」と言います。最初の三言が午前9時から正午の間に、残りの四言が正午から午後3時の間に語られたものです。その中で最初に語られた言葉は、以下の言葉です。

 

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からずにいるのです。」(ルカ23:34)

 

 これは私たちの心を大きく揺さぶる言葉です。主イエスの十字架において、人間の内に潜むあらゆる罪が浮き彫りにされました。特に、主イエスの生涯の最後の一週間の出来事の中にそれを見ることができます。

 

 民衆はイエスに革命の指導者としての期待を持っていましたが、その期待が裏切られた時、それは怒りとなって現われました。弟子たちも主イエスが捕えられた時から臆病な欠けだらけの姿を表わし、主イエスを裏切りました。ユダヤ教の指導者たちは自分たちの利得を守るためにイエスを抹殺しようとしました。総督ピラトもイエスに罪を認め得なかったにもかかわらず、民衆の圧力に屈し、正義を曲げてイエスを十字架に引き渡します。しかし、このような心は彼らだけでなく、私たちの誰もが持っている心です。つまり、主イエスは私やあなたの罪によって十字架にかけられたのです。

 

 ひと言の弁解もなく、なされるままの主イエスに対し、あらゆる悪意の矢が放たれました。十字架上の主イエスに対してもなお、「おまえは他人を救ったが、自分を救ってみろ」と罵声が浴びせられます。

 

 しかし、その最も不当な主イエスの十字架において、神の憐れみが最大限に現わされます。それがこの主イエスの第一声の言葉です。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからずにいるのです。」

 

この言葉にある「赦し」の願いは、自分がそのすべての罪を負い、彼らの呪いをすべて引き受けるという意味です。このようなことを言って、それを実行された方はイエス・キリストだけです。私たちはこのイエス・キリストによって、なんらはばかることなく、神の前に大胆に近づくことができる者とされていることを心に刻みたいと思います。この方以外に救いはないことを確信し、赦された者にふさわしい歩みをしていきましょう。

 

 

今日の一言:十字架のことばは、救いを受ける私たちには神の力

 

 

鶴田健次


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2021.03.31 07:58 | 鶴田健次牧師より

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宇宙に浮かぶ美しい地球

 

 

 真っ暗な宇宙空間に浮かぶ青い地球。人類初の宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と言いました。宇宙飛行士が撮った地球の写真を見れば、地球が青い球体であること、また、その地球が宇宙空間に浮かんでいることが誰にでも分ります。ところが、現代人にとっては当たり前のこの事実が、古代人にとっては考えられもしないことでした。

 

 古代人が宇宙を意識し始めた初期の頃は、彼らにとっての宇宙は、自分たちが住んでいる地球上のそのまた限られた地域に限られていて、宇宙の果ては海であったり、山であったりというものでした。

 

 たとえば、古代メソポタミア人は、大地の周りを高い山々が取り囲んでいて、天空はその山の上にのっているという風に考えていました。彼らの考えによると、太陽は天空を横切って、地下のトンネルをくぐった後に、再び東からの昇ってくるのだということでした。また、それ以外にも、古代バビロニアの宇宙観、古代エジプトの宇宙観、古代インドの宇宙観、古代中国の宇宙観など、古代の人々は、それぞれに独自の宇宙観を持っていましたが、そのどれもが今の私たちから見れば非常に幼稚なものでした。

 

 ところが、神の言葉とされている聖書は、今から3000年も昔に、すでに地球を宇宙空間に浮いている存在として描いていたのです。

 

「彼(神)は・・・・地を何もない上に掛けられる」(ヨブ記26:7

 

 当時は、もちろん人工衛星もないわけで、地球の外から地球を見ることなど不可能な時代でした。しかし、そのような時代に、聖書は既に、地球が宇宙空間に浮かんでいるという事実を明らかにしているのです。すべての人々が幼稚な宇宙観しか持ち得なかった時代に、現代人にしか知り得ないことを聖書が明らかにしているという事実は、まさに驚くべきことです。それは、時間を超越して存在する神が、その存在を示すために、後の時代にならなければ分からないことを、こうして明らかにしておられるのです。

 

聖書の中の天地創造に関する記述(創世記1章)は、多くの人々に非科学的であると言われ、嘲笑の的にされてきたものです。人々は、長い間、地球、海洋、大気、大陸などの起源に関して、それが全くの空想的なものであるにもかかわらず、科学者(?)と称される人々の学説を根拠もなく支持してきました。

 

しかし時代が進み、自然科学者たちの目覚しい研究成果によって、彼らの学説は空想的なものから科学的根拠に基づくものに変えられてきました。ところが何と、その彼らの研究成果は、聖書の記述内容を否定する方向よりも、それを裏づける方向に向いているのです。

 

 そこで聖書を神の言葉と信じる科学者たちは、自然科学の学問が完成に近づけば近づくほど、その学説は聖書の記述内容をさらに証明するものになると信じています。なぜなら、自然科学の学問は、神によって創造された自然界に見られる普遍的な法則性を探求するもので、神が創造された自然と、神が記された創造に関する記述は一致する筈のものだからです。



鶴田健次




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2021.03.27 02:42 | 鶴田健次牧師より

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地球の起源

 

 

 地球は明らかに来るべき消滅の徴候を見せています。熱力学第二の法則(=エントロピーの法則:閉鎖系における混沌は時とともに増大する)が示すように、地球上のすべてのものは上方ではなく下方へ向かっているという悲しい現実があります。進化論の主張に反し、自然は生物も無生物も創造できないばかりか、改良すらできないことを多くの自然科学者たちは確信するようになりました。

 

 太陽系の恒星である太陽も、毎秒 400 万トンにものぼる膨大な質量を失いながら巨大な核エネルギーを発散していますが、その損失は取り返すことができません。こうして、高レベルのエネルギー系は必然的に低レベルのエネルギー系まで下げられており、その法則は生物系においても同様で、人間も動植物も進化論の必然的進歩という考え方とは逆に、漸進的無秩序へと向かっていることを観察事実は物語っています。

 

 ところが、不思議なことに、神は聖書を通して既にその事実をこの世に明らかにしておられたのです。

 

 「これら(天と地)は滅びるでしょう。しかしあなたは長らえられます。これらはみな衣のように古びるでしょう。あなたがこれらを上着のように替えられると、これらは過ぎ去ります。しかしあなたは変わることなく、あなたのよわいは終わることがありません」(詩篇102:26-27

 

 この比類なき神の言葉である聖書は、その創世記において、宇宙、地球、またすべての動植物、および人類が67000年前に6日間で創造されたことが描かれていますが、それに対して、この世の科学は、宇宙と地球には40億~60億年の歴史があり、人類は少なくとも50万年以前から地上に存在していたとします。また聖書は、あらゆる生命が神の創造によるものであると教えていますが、それに対して、科学は、あらゆる生命が進化の結果であると主張します。

 

 ニュートンは、りんごが木から落ちるのを見て地球に引力があることを発見しましたが、なぜ地球に引力があるのでしょうか。しかも、もしこの引力が今以上に強ければ、すべての物が重過ぎて非常に不自由です。また、もしこの引力が今より弱ければ、あるいは引力がなければ、すべての物がフワフワ浮いて困ってしまいます。ところが、この世の科学は、私たちの生活にほどよい不思議な引力がなぜあるのかという問いに対し何の答えも持っていません。

 

 また地球の動きひとつを考えてみても、それは謎に満ちています。毎日一回転(自転)するので、昼と夜があり、私たちの生活に便利です。当たり前のように繰り返される毎日の睡眠と活動がこの昼と夜の存在と見事に調和してることを考えれば、これらすべてのものが偶然の一致と考えるより、同じ創造者の業であると考えるほうが理にかなっているように思えます。

 

 地球の自転と公転の原動力は何でしょう。すべての天体の動きの原動力は何でしょう。科学はその答えを知りません。時計の針は、正確に時間を刻みながら回りますが、ネジをまくか電池を入れなければ動きません。また、どんなに正確だといっても、一ヶ月に12秒の狂いは生じるでしょう。ところが、地球は9億1千万kmもある太陽のまわりを、私たちに分かる如何なる原動力も使わずに、時速103800kmの速さで回り続け、一年かけてもとの位置に戻ってくるのに1秒の狂いもないのです。

 

 時計でさえ、誰かが作らなければ、偶然に出来上がることなど考えられません。ましてや時計よりも遥かに正確で、巨大な地球が、誰の手にもよらず、ひとりでに偶然に出来上がることなど考えられるでしょうか。聖書は、この美しい地球が、偶然の産物ではなく、至高者なる神の創造によるものであることを明らかにしているのです。

 

 

鶴田健次

 

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2021.03.27 02:36 | 鶴田健次牧師より

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創造か進化か

 

 

 あなたの先祖はサルですか?

 その根拠は何ですか?

 学校でそう教えられたからですか?

 

 もしあなたが進化論を信じ、すべてのものが偶然によって出来上がったと思っておられるなら、その偶然の産物であるあなたの人生に確かな意味と目的を見出すことは不可能です。なぜなら、偶然性の中には意味も目的も存在し得ないからです。

 

 しかし、聖書が教える創造論に基づくならば、あなたの先祖はサルではなく人間です。人間は初めから人間として、しかも偶然ではなく必然的に、素晴らしい意味と目的をもって、神の創造の産物としてこの世に誕生したのです。

 

 では一体この二つの考えのどちらが正しいのでしょうか? これは、どちらでも構わないと簡単に片付けられる問題ではありません。なぜなら、どちらの世界観を前提に生きるかで、この世の人生ばかりか永遠の人生が大きく変わってくるからです。

 

そこで、この問題に関する多くの方々の疑問に答えるために、20ほどのテーマをシリーズで取り上げて解説していきますのでじっくり読んでみてください。きっと今まで耳にしてこられた生命や宇宙の起源についての情報が如何に根拠のない誤報であったかに気付かれるでしょう。



1.はじめに

 

ノーベル賞を受賞したハンガリーの生化学者セント・ジョルジは、「生命は、長い時間を掛けて偶然に発生した」という進化論の主張に対し、時間がすべてを解決するという論理は絶対に有り得ないとしながら、「この理論は、レンガをデタラメに積み上げて放っておくと、ギリシャの神殿が勝手に出来上がったと言うのと同じだ」と言いました。また、イギリスの有名な天文学者フレッド・ホイルは、生命が偶然に発生する確率を計算しましたが、その結果は1040,000乗分の1という確率になったそうです。つまり、生命が偶然に発生すると信じることは、ゴミ捨て場を襲った竜巻が、そこにあったガラクタを寄せ集めて、ホーイング747を完成させられる、ということを信じるのと同じようなことなのです。

 

これは非常に0に近い数字で、統計学上では、確率が「1030乗分の1」以下の場合、確率を0とみなしますが、この1040,000乗分の1という確立は、その101000乗倍以上もあり得ない確立ということになります。つまり、生命が自然発生したという進化論学者たちの仮説は、明らかにデタラメだということです。

 

近年、アメリカを中心に、科学者たちの間に創造論を信じる学者たちが増えています。これまで長きに渡って信じられてきた進化論に代わり、今や創造論が生命と宇宙の起源を的確に説明する科学的な理論なのです。進化論を支持する学者たちが減り、彼らが創造論を支持するようになっている現実は、創造論の確かさを物語るものだと言えます。

 

聖書を信じる人々は、「生命は、決して偶然に発生したものではなく、そのすべてが神によって創造された」ということを信じています。

 

 「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記11節)

 

 人間は、「神によって造られた。」
 人間は、「アメーバーから進化してきた。」
 あなたは、どちらを信じますか?

 

 

鶴田健次




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2021.03.20 00:38 | 鶴田健次牧師より

 

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空の器になれば満たされる

 

 

 器をいっぱいに満たすためには、器が空っぽでなければなりません。私たちの心が、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りでいっぱいになっていれば、神は私たちの心を天国の祝福で満たすことはできません。天国は空っぽになった心に豊かに臨むものです。イエス様は「心の貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである」と言われました。

 

 ですから、私たちの心の中にある罪と欲を捨てて、私たち自身が空の器になる時に、私たちは祝福に満たされるのです。貪欲の心を空にしてこそ祝福が臨むのです。貪欲は、神以上に自分の欲望を愛することなので、それは偶像礼拝に他なりません。。

 

 神は偶像礼拝を憎まれます。私たちが神以上に愛するもので自分の心を満たそうとすれば、神は私たちを祝福されません。たとえば、もし私たちの心が貪欲で神への捧げものを惜しむなら、神は私たちの経済を祝福されません。私たちが貪欲を捨てるなら、神は私たちの経済を祝福されるのです。

 

 イエス様は、「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」と言われましたが、神は私たちを豊かにし、あらゆる良いもので満たそうと願っておられるのです。また、神からの祝福を頂いてこそ、私たちはその祝福を他の人に分け与えることができます。

 

 私たちが、たとえわずかな物でも、それを人々に分け与えるなら神は私たちを祝福されます。またその祝福を人々に分け与えるなら、神はさらに私たちを祝福し、その量を増し加え、私たちの器を大きくされます。祝福を注ぐには大きな器が必要だからです。

 

 エリシャのしもべの一人が死んで、その妻がエリシャの所に来て言いました。「私の夫が死にました。ご存知のように、あなたのしもべは主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」

 

 そこでエリシャは彼女に言います。「あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」 彼女は答えます。「ただ油のつぼ一つしかありません。」 するとエリシャは、「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい」と言いました。

 

 そこで、彼女はうしろの戸を閉じて、子供たちが次々に持って来る器に油をつぎました。一つの器に満たしても、他の器を持ってくるとまた油が出てきて、また出てきて、家の中にある器に油がいっぱいになったので、子どもに「もっと器を持って来なさい」と言いました。そこで子供が「もう器はありません」と言うと、油は止まりました。

 

 祝福の油は、空の器がある間はいつまでも流れますが、空の器がなければ止まってしまうのです。このように、空の器を作ってこそ、祝福の油が続けて注がれるのであって、私たちが空の器を作らなければ祝福は止まります。

 

 私たちに与えられる祝福をひっきりなしに分かち合って、私たちがひっきりなしに器を空にすれば、神は大きな器にまた満たして下さり、大きな器が空になれば、更に大きな器に満たして下さるのです。神は、きのうもきょうも、いつまでも同じであられ、その豊かさの通りに、私たちの必要を満たして下さるお方なのです。

 

ルカの福音書638節では、このように言われています。「与えなさい。そうすれば、自分にも与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。」

 

 

今日の一言:神は空っぽの器を満たされる

 

 

鶴田健次

 

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2021.03.12 01:00 | 鶴田健次牧師より

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