FC2ブログ

LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

91820.png


失敗に学ぶ


 人生に失敗はつきものです。何かをやろうとしたら、最後までスムーズにやり遂げることなど滅多にありません。ほとんどの場合、人は途中でくじけそうになったり、諦めかけたりするものです。しかしながら、自分の経験だけでなく多くの人々の経験から分かることは、失敗は必ず次に役立つものであるということです。


 そもそも英語のSUCCESS(成功)という言葉は、「後から来る」という意味のラテン語に由来しています。それが何の後から来るのかというと、失敗の後からなのです。つまり、成功とは失敗の後から来るものであるということです。


 特に、大きな失敗は、一時的には大きな痛手にはなりますが、その度合いが大きいほど、めざましい変化につながるものです。なぜなら、その痛い思いを通して、自分を真剣に変革しようという気持ちが生まれるからです。

 よく、大失敗したり、大病をしたりした人は、人間的にも大きく成長し、ずっと魅力的な人間になると言われます。そして、そのような人は素晴らしい友に恵まれるものです。

 最悪の失敗は、「次はやり方を変えたほうがいい」ということを私たちに教えてくれます。世界最高峰に7度の登頂を果たした米国の登山家ピート・アサンズは、「エベレストに挑んだ最初の4回の遠征では、どうやったら登れないかを学びました。失敗は、アプローチに磨きをかけるチャンスを与えてくれるものです」と言っています。


 その意味では、中途半端な失敗よりも、むしろ大きな失敗の方が良いくらいです。人間というのは、なぜか成功からはあまり学ばず、失敗して初めて真剣に物事を考え、大切なことを学び取っていくようです。


 聖書の中にも、多くの失敗をした人々の人生が記されています。信仰の父と呼ばれる、あの偉大なアブラハムでさえも大きな失敗を経験しました。それは創世記の16章に出てくる出来事ですが、彼の生涯において最も大きな失敗でした。


 アブラハムはこの失敗によって、13年間も神からの呼びかけを聞くこともなく、神からの導きも一切ないという、神の不在経験を余儀なくされたのです。逆に、その失敗は家庭内にいろいろな問題を引き起こし、そればかりか、4000年以上たった今日においても、世界はその問題(中東問題)を引きずっているのです。


 神を信じるクリスチャンにとっても、失敗のない人生、失敗のない信仰生活はあり得ません。創世記16章のような出来事は信仰者の誰もが必ず引き起こす間違いです。つまり、それは神から与えられた約束を、私たちの力で実現しなければならないと考えてしまうことからもたらされる失敗です。


 「失敗は成功のもと」という格言があるように、神を信じる人生においても、私たちは多くの失敗の痛みを通して多くのことに気づかされ、成長していくものです。やがてイスラエルの民も自分たちの国を失うという痛みを経験しながら、はじめて神の教えを喜びとし、昼も夜もそれを口ずさむというライフスタイルを形成していきます。


 「苦しみに会ったことは、私にとって幸いでした。私はそれであなたのおきてを学びました(詩篇119:71)」という詩篇の記者の告白も、自らの失敗を通して学んだ結実でした。


 創世記に記されたアブラハムの全生涯を見渡すとき、彼に対する神の導きの中に失敗の経験が無駄なく組み込まれているように見えます。失敗それ自体は辛く、痛みを伴うものですが、それがやがて益となり、アブラハムをして「信仰の父」と呼ばれる者に導かれた神の恵みと真実に絶えず心を留めていきたいものです。



今日の一言: 成功は失敗の後から来る



鶴田健次


 下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨







2020.09.19 01:21 | 鶴田健次牧師より

kore_convert_20200912020725.png


人の心を思いやることの難しさ


 人の心を思いやるということは何と難しいことでしょう。特に隠れたところにある事情を知らないとき、私たちは見える部分だけを見て相手を判断し、さばいてしまうようなことがないでしょうか。人はしばしば誰にも言えない隠れた重荷を抱えて生きているということがあるものです。


 ある高校生がこんな事を書いていました。


 僕の母は昔から体が弱くて、それが理由かどうか知らないが、母の作る弁当は質素で見映えの悪い物ばかりだった。友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、弁当はゴミ箱へ捨てていた。

 ある朝、母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老を入れといたよ」と僕に言ってきた。僕は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。すると確に海老が入っていたが、殻剥きもメチャクチャだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。

 家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。僕はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので、「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。

 母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

 それから半年後、母は死んだ。僕の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。

 「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
 「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど…喜んでくれると良いな」


 日記はあの日で終わっていた。

 何で食べてあげなかったんだろう…今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。



 この若者は、友達の弁当と自分のを比べ、外観上、あまりに見劣りのする弁当を友達に見られるのが恥ずかしかったのでしょうが、そんな弁当しか作れない母親のことも恥ずかしく思ったのでしょう。それは、普通の母親ならば、普通に見栄えのする弁当くらい作れるはず、いや作って当然、という思いがあったに違いありません。


 ところが、母親には息子には言えない事情があったのです。それは不治の病のために手が思うように動かない。だから、特別に注意を払って愛する息子の弁当を作るのだけれど、手が動かなくて見栄えのしない、グチャグチャの弁当になってしまう。その理由を息子に言えば息子も分ってくれるはずだが、それを言うと息子を悲しませることになる。いろんな可能性を考えて、この母親は最終的に余命が僅かなことを言わずに、日記がその事だけに終始するほどに、一生懸命、息子の弁当作りに励んだのです。


 こうして、その両方を見れば、いろんな事が見えて、より的確な判断をすることができるのですが、何しろ人にはその両方を見ることができない限界があることがしばしばです。そういう事情を踏まえ、人に厳しく自分に甘くならずに、努めて人に対しては大目の物差しを用い、「あの人がああいう態度を取るのは、きっとそれなりの事情があるのだろう」という、人を思いやる心を忘れずにいたいものです。


 「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ書4:29)



今日の一言: 隠れたところにある人の事情を思いやろう



鶴田健次


 下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨


2020.09.12 02:09 | 鶴田健次牧師より

image003.jpg


コロナ危機のインチキがバレ始めている


8月30日のDaily Mailによれば、7月にMassachusetts, New York, NevadaでCOVID-19の検査を受けた人の最大90%が本当は新型コロナウイルスの痕跡をほとんど持っていなかったということです。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-8679307/Experts-say-USs-coronavirus-positivity-rate-high-tests-sensitive.html


この誤判定をリークした新型コロナの専門家によれば、この誤判定は現在行われているPCR検査の感度が高すぎるのが原因だそうです。そのために現在、米国では615万件の感染者、187,000人の死者が報告されているのです。


新型コロナは、ウイルスが咽頭に100万個から1億個ぐらいの単位で付着していないと感染しません。ウイルスの発祥から半年が過ぎ、世界中にウイルスが存在している状態なので、咽頭にウイルスが数百から数千個ぐらい付着するのはよくあることで、この程度の数では免疫力が落ちている人でも感染せずに終わります。PCR検査は、被検者の咽頭からぬぐい取った体液に含まれている遺伝子類を何回も増幅して増やし、検出しやすい状態にして染色しますが、この増幅をやり過ぎると、感染に至らないごく少数のウイルスの付着でも検知して陽性の結果を出してしまうことになります。実際の感染者だけを陽性と判定するには、増幅回数を30回未満にしなければならないところを、米国でのPCR検査の多くは37-40回も増幅しているのが現実なのです。1回の増幅で2倍になるので、25回の増幅で3300万倍になります。30回の増幅で10億倍、40回の増幅で1兆倍になります。30回と40回では千倍、25回と40回では3万倍も違います。したがって、たとえ検出しやすくするためとはいえ、倍率を上げ過ぎると、もともとウイルスの遺伝子の破片だけしかなくても陽性反応が出てしまうことになるのです。したがって、ウィルス専門家は、PCR検査は感度が高過ぎるので、システム内にウイルスの量が少ない人を除外する必要があると述べています。


 今年の7月にNYの州立研究所で行われたPCR検査では794人に陽性反応が出ましたが、これは40回の増幅の結果でした。もし増幅の回数を35回にすると陽性反応が半分に減り、増幅を30回にすると陽性の数は3割に減ることが分かりました。またMassachusetts州の検査施設の計算によれば、40回の増幅で陽性になった人の85-90%は、増幅を30回にすれば陰性と判断されるということです。


アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は、米国内のPCR検査で何回の増幅をしているか発表しません。増幅回数は、検査キットのメーカーや各地の検査施設に任せています。本来、PCR検査の増幅回数が検査キットメーカーや検査施設によって違うというのはおかしなことです。CDCは、増幅し過ぎていることがバレないよう、増幅回数をうやむやにしているように思われます。この誤判定をリークした専門家によれば、米国での通常の増幅回数は37~40回だそうです。CDCは、このように過剰に増幅させることでコロナの陽性者の数を10倍くらいに膨らませていると考えられます。


米国だけでなく、日本政府もPCR検査の増幅回数を明らかにしてません。マスコミも問題にしません。世界は米国のやり方に準じることが多いので、コロナをことさら深刻な問題と誇張してきた先進諸国は、おそらく米国と同じ過剰な増幅回数だと考えられます。そのようにPCR検査で過剰な増幅を行い、そのことを全く発表しないことで統計上のコロナの感染者を何倍にも水増ししてきたのです。徳島大学の大橋眞教授は以前から、PCR検査の増幅回数が明らかにされていないことを繰り返し指摘し、過剰な増幅で陽性者を水増ししているのでないかと訴えて来られました。


PCR検査の過剰な増幅と並んで、コロナ以外の持病で死んだ人の死因をコロナにしてしまうインチキについても最近、CDCが認め始めています。もはや嘘をつけないところまで真実が暴露されてきたということでしょう。CDCが発表したデータを米元下院議員のロン・ポールの研究所が調べたところ、米国の統計上のコロナによる死者のうち、コロナが主たる死因だった人は6%に過ぎませんでした。残りの人々は他の重篤な持病をいくつも持っていて(平均一人あたり2.6個の持病)、しかもほとんどが高齢であり、加齢と持病による死であったということが明らかにされました。これまで現場の医師などの話を総合する形で、コロナの死者のほとんどは他の持病を持った高齢者であり、コロナの死者統計の中でコロナが主たる死因の人はごくわずかだと言われてきましたが、そのことを8月27日にCDCが統計として初めて発表しました。もはやコロナは風邪やインフルエンザと何ら変わるものではないのです。

http://www.ronpaulinstitute.org/archives/featured-articles/2020/august/31/cdc-bombshell-only-six-percent-of-covid-deaths-from-only-covid/


このように最近、米国ではコロナ危機を誇張する手口について多くの人々が気づきはじめ、米当局もそれを間接的に認めざるを得なくなってきたと思われます。世界的に、もともと少数の発症すべき人が発症して獲得免疫を得て、残りの人々は自然免疫によって新型コロナに感染しないかたちで、世界中の人々が集団免疫をほぼ達成し、実際にはコロナの感染者がほとんどいない状態になっても、PCR検査で過剰な増幅を行い、病院に補助金を与えて死因をごまかせば、コロナの統計を何倍にも水増しし続けられるわけです。そうやって実際の感染者が僅かになっても、感染者や重症者や死者がどんどん出ているかのような構図を維持し、危機を永続化できたのです。ワクチンが作られて全人類に強制的に接種されても、コロナ危機自体が実際の感染者の多寡と関係なく永続化される構図なので、統計上のコロナ感染者は減らず、このワクチンは効かない、次のワクチンが必要だという話になるのです。 


ところで、コロナの蔓延を防ぐという名目で世界中の教会が屋内での礼拝を制限されており、アメリカでも50名以下の集会を許可している所が州によってはあるものの、それ以上の人数の集会は許可されていません。そんな中、カリフォルニアのサンバレーにあるGrace Community Churchのジョン・マッカーサー牧師は、このような屋内での集会に対する制限を、信仰の自由に対する過剰な攻撃と考え、大勢が集まる礼拝を続けています。それに対し、ロサンゼルス郡はGrace Community Churchの礼拝を禁じる裁判所命令を求めていました。ところが上級裁判所は、教会がマスク着用や社会的距離などの安全対策を講じことを条件に屋内での礼拝を許可する判決を下しました。国際的に知られるジョン・マッカーサー牧師は声明で、「私たちは教会を不合理で違憲な制限から保護するためにしっかりと立ちます」と述べました。



今日の一言:コロナ危機のインチキがバレ始めている



鶴田健次

 下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨

 



2020.09.05 01:00 | 鶴田健次牧師より
| ホーム |

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.