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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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本当の自由


 むかし、むかし、幸せな小さな汽車がいました。彼はレールの上を自由に走りながら楽しい時を過ごしていました。途中で友達に会うと、警笛を鳴らして挨拶をしました。すると友達の馬は、牧草地の端まで全速力で汽車と競走しました。また友達のカモは、ポッポと煙をあげる煙突の上を飛び回りました。


 しかし、ある日のこと、幸せな汽車は急に幸せでなくなってしまいました。彼は友達のことが羨ましくなったのです。馬は、牧草地の中を行きたいところに行けるし、カモは、空を自由に飛ぶことができます。「しかし、僕に出来ることはレールの上にとどまることだけ・・・」と、幸せでなくなった汽車はぶつぶつ言いました。

 「どうしたらレールから外れることができるかな・・・」と小さな汽車は考えました。「おそらくカーブをスピードを出して走ればいいかも知れない。そうしたらレールから外れて、友達の馬のように自由になれるに違いない!」


 そこで次の日、小さな汽車は走りながら、カーブの数マイル前になると急にスピードを上げ始めました。蒸気を噴出しながら走る小さな汽車に友達はビックリしました。彼らは、全速力でカーブに差しかかった小さな汽車がレールから飛び出すのを驚きながら見ていました。レールのそばの畑に突っ込みながら、「僕は自由だ!」、と小さな汽車は思いました。ところが、喜んで警笛を鳴らす前に、彼は動けなくなってしまいました。車輪が空回りし、後退しようとしても1インチも動けませんでした。


 「僕は自由なんかじゃない!僕は動けない!」、と彼は叫びました。


 友達の馬が来て言いました。「バカだなあ、君は。いったい何を考えてたんだい。」


 汽車は言いました。「僕は、君のように自由になりたかったんだよ。でも、僕にとって自由でいられる唯一の方法はレールの上にとどまることだってのが分かったよ。」


 すると、馬は「当たり前じゃないか!」と言いました。


 「そうだよ! 僕たちはルールに従うときにだけ自由なんだよ」、とカモは言いました。


 私たちも、この小さな汽車に似ているかも知れません。私たちは、何でも自分がしたいことをできるときが幸せだと考えます。しかし、この汽車のように、ルールを無視するとき、私たちは動けなくなるのです。


 神は、私たちを愛し、美しい世界を与えて、どうすれば幸せな人生を送れるかを教えておられます。ところが、私たちは神を無視し、自分のしたいことをしようとするのです。聖書は、それを「罪」と呼び、この罪は人生を台無しにしてしまうと教えています。


 神は、この罪の不自由さの中で動けなくなった人間を愛し、気にかけておられます。神はそのような人間が戻るべきところに戻り、本物の自由を得ることができるように、聖書の中にその方法を示しておられます。


あなたは本来の道から外れ、動けなくなっていませんか?

そうであれば、神のルールの中に戻ることこそ本物の自由を得る道であることを考えてみて下さい。



今日の一言: 本物の自由は神のルールの中にしかない



鶴田健次



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2020.01.31 03:17 | 鶴田健次牧師より

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“ゴールデンルール”



 ある人が、サンタモニカのモールの外で風船を売っていました。売れ行きが思わしくなくなると、この風船売りは大きな風船を一つ空に飛ばしました。風船が空に舞い上がると、新たに子供たちが集まり、しばらくの間、また風船の売れ行きが良くなるのです。彼は色を交互に変え、白い風船、赤い風船、青い風船、黄色い風船、緑の風船を放ちました。


 しばらくすると、小さな黒人の少年が風船売りのズボンを引っ張り、彼の目を見つめながら、こんな質問をしました。「おじさん、黒い風船も手を離したら、飛んでいくの?」。風船売りは少年を見て、思いやりと理解と優しさを込めてこう言いました。「坊や、風船が飛んでいくのは、色には関係なく、中に入っているもののおかげなんだよ。」 すると、その小さな黒人の少年は、満面の笑顔で、空を見上げました。


 風船が飛ぶのは、色には関係なく、中に入っているもののおかげ・・・・・。示唆に富んだ言葉ですね。この小さな黒人の少年がこんな質問をした背後には、今なお存在する差別的な経験が子供なりにあったのでしょう。それをいち早く察した風船売りは、最高の思いやりと理解を示しながら、この言葉を投げかけることによって、「だから、君だって、君の中にあるものが、君を上へ上へと導いてくれるんだ」というメッセージを送ったのでしょう。


 さて、より良い人生を送ろうと思えば、あなたの中にあるものを変えることだけがあなたにできることだということを知ることは大変重要なことです。そして、その最も効果的な方法は、「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」という聖書のゴールデンルールを守れる人間に変わることです。


 多くの人は、自分の満足のために、自分の都合を一番に考えます。しかし、自分の都合を一番に考える生き方は必ず他者に不都合を生じさせるので、他者に不満を抱かせ、色んなしっぺ返しを招くことになります。成功と幸福の鍵は、ゴールデン・ルールにあります。さらに断言するなら、他者が欲するものを手に入れられるように手助けをすれば、あなた自身、人生において必要なものを必ず手に入れることができるのです。


 アルフレッド・ノーベルに関するこんな逸話があります。少年時代、彼はいつもクラスで二番の成績でした。一番はボギーという子でした。あるときボギーが病気のために長期欠席したのです。普通なら、一番の成績を取る絶好のチャンスです。ところが、その間ノーベルは、彼にせっせと授業のノートを送り続けたのです。そして次の試験のときに出て来たボギーはまた一番を取りました。しかし、その後、ノーベルは歴史にその名を刻む大成功を収めるのです。


 人生において、最良の結果をもたらす生き方は、自分にして欲しいことを自分にするのか?他者にするのか?が分岐点になります。自分にして欲しいことを自分にする生き方は、他者からは何も期待できません。ところが、自分にして欲しいことを他者にする生き方は、結果として、自分にして欲しいことを他者から受け取るのです。


今日の一言: ゴールデンルールを生きる人間になろう



鶴田健次



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2020.01.24 03:16 | 鶴田健次牧師より

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夢の実現


 皆さんは、新年をどのようにお過ごしですか。新しい年を迎えると、新鮮な思いが与えられ、それぞれに新しい夢と目標をもって生きようという気持ちになりますね。どうか皆さんが、その気持ちを大事にされ、ぜひ夢の実現を目指していただきたいと思います。


 夢を持ち続け、そのための新しい習慣を続ければ、その習慣がもたらす結果(夢の実現)を自分のものにすることができます。今の時代は、色んな意味で難しい時代です。しかし、こういう困難な時代にあっても、夢を持ち続けることのできる人はピンチをチャンスに変え、新しい道を切り開いていくことができます。


 夢を実現させるにはいろいろな要素がありますが、ひとつの大事な要素は明確な目標を持つことです。目標のない人生は成り行きまかせの人生で、いつまでも堂々巡りで前進がありません。明確な目標があってこそ目標に向かって前進することができ、前進を続ければ必ず夢を実現できるのです。


 中世の時代の、ある修道院での出来事です。多くの志願者が修道士になりたいと言って修道院に入って来ました。ところが、しばらくすると落伍者が続出して、残ったのは僅か数名だけでした。そこで、以前からいる修道士たちが院長に尋ねました。「院長、多くの人たちが修道士になろうとして入って来ましたが、大部分の人たちが途中で出て行きました。これは一体どうしてでしょう?」 


 すると、彼らを静かに見つめていた院長が言いました。「実はこんな話があります。猟師が猟をするとき、多くの猟犬を連れて猟をします。その中の一匹がウサギを見つけたら、吠えながらそのウサギを追っていきます。すると、ほかの猟犬たちも一斉に吠えながら、その後を追っていくようになります。しかし途中で、大部分の猟犬たちは主人を振り返りながら、その場に立ち止まります。ところが、最初に飛び出していった猟犬は最後までウサギを追いかけて行って、それを捕まえて帰ってきます。 それは一体なぜでしょう? 最初の猟犬には、ウサギという明確な目標があったのです。しかし他の猟犬たちは、最初の猟犬につられて飛び出しただけで、はっきりした目標がなかったのです。多くの人たちが修道院に入って来ますが、確実に一生を修道士として生きるという目標もなく入って来たので、途中で辛いことがあると落伍するのです。しかし、明確な目標を立てて入って来た人は、最後まで努力し、それで立派に耐え抜いて、ついには立派な修道士になれるのです。」


 これはあらゆる夢の実現にも当てはまることではないでしょうか。多くの人がいろいろな夢を持って生きています。しかし、それがもし漠然とした夢で、はっきりした目標でなければ、人は困難に出くわしたときに夢の追求を諦めてしまいます。それに対し、明確な目標があれば、どんな困難に出会っても、その人は目標に向かって前進し続けることができ、やがて夢の実現を果たすことができるのです。


 どうか皆さんが、この新しい年を、夢の実現を目指して生きていかれますように。


今日の一言: 明確な目標をもって生きよう



鶴田健次



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2020.01.17 03:16 | 鶴田健次牧師より

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‘絶対幸福’



 今日は、‘絶対幸福’ということについて考えてみました。


 幸福といっても相対的幸福の定義は十人十色、百人の人がいれば百の幸福の定義があるかも知れません。通常、私たちが思う幸福とは、「苦しみがなく、人や物事が自分の願い通りに動き、自分にとって都合のいい状態、喜ばしい状態」を指すのではないでしょうか。確かに、嫌な事がなく、経済的に恵まれ、健康で、地位と名誉、美貌や権力などに恵まれれば、人生は楽しいでしょう。だから人は、誰でも本能的にそのような生きる条件をよくして、楽に生きたいと願い、自分を取り巻く条件が満たされることこそ幸福だと思うのです。


 しかし、そのような幸福と思える状態は長続きせず、そういう状態を必死で求めれば求めるほど、辛いことも増してくるのが人生です。他人の目にはどう映ろうが、この世に生きているかぎり、苦しみを経験しない人はありません。条件がすべて整っているように見える人であっても、心の虚しさを覚えていることがよくあるもので、幸福とは苦しみから切り離しては成り立たないようです。つまり幸福とは、人生に組み込まれている苦しみをどう受けとめ、どう向き合っていくかという姿勢と大いに関係がありそうです。


 また私たちは、幸福は今、手の内にあるのではなく、いつか希望や条件が満たされたときに実現するものだと考えがちです。そして胸のわくわくする喜びこそ幸せであると思います。しかし、人生には曇りも雨も嵐の日もあります。幸せは移ろいやすく、常に高揚した気持ちでいることはできません。そして生きているのは、昨日でも明日でもなく今だけです。


 そんな現実の中で、幸福になる秘訣をメーテルリンクは、こう教えています。

「どんな些細な事柄にも輝かしい瞬間があるということを知ること。最も不幸な者たちでさえ、あるいは最も貧しい者たちでさえ、現実の彼らがどうあろうと、魂の奥底には無尽蔵の美の宝を持っている。大切なのは、ただそこから美を取り出そうと常に心がけることだ」


 また、新約聖書の多くの書簡を書いた使徒パウロは、こう言っています。

「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」


 こうしたことを手掛かりに、‘絶対幸福’というものを得る秘訣を身につけましょう。



今日の一言: 絶対幸福を手に入れよう



鶴田健次 


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2020.01.11 03:10 | 鶴田健次牧師より

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チャンスとは手繰り寄せるもの

 

 先日、瞑想の中で、「チャンスって何だろう?」ということを暫く考えていると聖書のこの言葉が頭に浮かんできました。

 

 「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(2コリント418

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 なぜこの言葉が思い浮かんだのか判りませんが、おそらくチャンスだと思えた事が必ずしも好転に結びつかず、逆に問題だと思えていた事が大きなチャンスに変わるということが人生にはあるものだ、というようなことを考えていたからでしょうか。

 

 私たち人間は、どうしても目に見えるものに大きく左右されがちです。しかし経験的にも分かることは、見えるものは一時的な場合がしばしばで、結局のところ、多くの事柄が普遍的な原理に基づいて展開されていくということです。ですから私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ必要があるのです。

 

 一万回以上の実験に失敗しながら白熱電球の実用化を成し遂げたトーマス・エジソンは、失敗を失敗とは考えず、「一回一回の失敗は、単に上手くいかない方法を確認し消去しているに過ぎず、失敗を重ねるごとに一歩ずつ成功へ近づいているのだ」と考えました。つまり、見える失敗にではなく、見えないもの(Vision)に目を注いでいたということです。「問題は何かを示す指針であり、やめろという標識ではない」と誰かが言いましたが、あらゆる問題には、別の面でのチャンスがあるということです。         

                                        

 カルフォルニア州のパシフィック大学には、正門から入るとすぐに、空に向かってそびえ建つ新ゴシック風の建造物があり、ここを訪れる来訪者たちは誰でも高さが50メートルもあるこの塔に目を奪われてしまいます。ところが、ほとんどの人は、これが給水塔であることに気づきません。

 

 さて、この美しい給水塔が建設されるに至ったこのような逸話があります。あるとき、大学内で水不足が深刻になり、何か対策が必要になりました。技師たちは、議論を続けた結果、正門を入ったところに高い給水塔を建てる以外に方法はないとの結論に達しました。しかし学長には、その案は受け入れがたいことでした。なぜなら、巨大で醜い鉄の給水塔は、キャンパスの美しい景観を壊してしまうからです。

 

 そこで、議論が重ねられた結果、この不格好な建物を荘厳な建物にする案が出されました。それは全体をコンクリ-トの建物とし、その上の給水塔の部分はステンドグラスで囲み、下の部分は9階に分け、役員室、会議室、放送室などに使うというものでした。こうして、この大学の職員たちは窓から素晴らしい眺めを楽しみながら仕事をしています。数多くある大学の中でも、このような素晴らしい建物で大学に来る人を歓迎しているところはまれです。

 

 この話は、たとえどんな問題が生じても、その問題解決には多くの創造的な可能性が秘められていることを示しています。見える問題に心を奪われ、考えを縛られるのではなく、見えない可能性に目を向け続けるなら、思いもよらない可能性の門が開けてくるものです。チャンスとは、見えないものに目を注ぐ心が手繰り寄せるものだと言えるかも知れません。

 

 

今日の一言: チャンスとは手繰り寄せるもの

 

 

鶴田健次    

 

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2020.01.04 10:58 | 鶴田健次牧師より
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