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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

446:人間の可能性_convert_20190727023005

『人間の可能性』



 人間の可能性に関して、世の中を見まわして感じることのひとつは、人間の可能性はその人の能力次第ではなく、その人の心次第であるということです。つまり、心が何を信じているかで、その人の生き方は決まってしまうと言っても過言ではないと思います。


 もし、その人の心が医者になると決めていれば、その人は将来、医者になるでしょう。もしその人の心がプロ野球の選手になると決めていれば、その人はきっとそうなるでしょう。もちろん、そこには様々な困難の壁が立ちはだかるでしょうが、単なる希望ではなく心が決まってさえいれば、その人はどんな困難の壁があろうと、心が決めた道を突き進み、やがて目標を達成していくのです。


 二本指のピアニスト、イ・ヒアさんをご存知でしょうか? 彼女は19859月生まれの34歳。先天性四肢奇形で両手に2本ずつ、全部で4本の指しかなく、さらに膝下の足もありません。そんな彼女が、文字どおり、血のにじむような練習を重ねて、世界中の人々に感動を与えるピアニストになったのです。


 彼女がまだ5歳のとき、指の関節の力もなく、鉛筆も満足に持てない彼女に、お母さんは関節の力をつけさせようと、ピアノを習わせました。ところが、思うようにピアノを引けない彼女にしびれを切らした先生は、「この子には才能がない」とさじを投げてしまいます。


 そこで、お母さんは自分がピアノを習い、それを娘に教えるということを始められたのです。わが子に必要なものを得させるために、愛をもって心を鬼にし、娘がどんなに練習を嫌がっても、それを許さず、一日に10時間以上練習させることも珍しくありませんでした。


 ヒアさんは、そのような厳しい母親に対し、「この人は本当に私の母親なんだろうか」と憎しみを覚えることもあったようです。しかし、彼女はその厳しい練習に耐え、信じられない可能性が開花されていったのです。


 ヒアさんは、ピアニストとして世界中で活躍するようになった今、「私を産んでくれた母に、私をここまで育ててくれた母に心から感謝したい」、「私の演奏で、多くの人が勇気をもってくれたら嬉しい」と言われます。


 一日10時間に及ぶ練習は、確かに彼女にとって過酷な戦いだったでしょうが、そのおかげで多くの賞と栄誉に与ることができたのです。


 また数多くのマスコミで採り上げられ、立派に障害を乗り越えてきた姿は多くの人々に勇気と感動を与えてきました。



今日の一言: 心が決まって努力をすれば計り知れない可能性が広がる



鶴田健次


2019.07.27 02:32 | 鶴田健次牧師より

445:ストレスは人生のスパイス_convert_20190720033259


ストレスは人生のスパイス


現代はストレス社会です。人々は「ストレス」という言葉をよく口にします。それだけ多くの人がストレスを溜め込んでいるということでしょう。あなたはいかがですか?


もともと「ストレス」というのは物理学で使われていた言葉で、外からかかる力による物質の歪(ひずみ)を意味するものでした。それをカナダの生理学者ハンス・セリエ博士が人に当てはめ、「ストレス学説」として1936年に発表し、世界中で広く受け入れられるようになりました。


牧師室より#445:ストレスは人生のスパイス1


医学的には、外からの刺激に対する体や心の反応のことを「ストレス反応」と呼び、その反応を生じさせる刺激(ストレスの原因)のことを「ストレッサー」と呼んでいますが、一般に言うストレスはこの両方の意味を含んでいます。


最近の研究によると、自殺者の7割以上が鬱を伴っているそうですが、この鬱もストレスが大きな原因だと言われます。その他にもストレスが関係する心の病気としては、不安神経症、パニック障害、適応障害、PTSDASD、摂食障害、アルコール依存症、身体表現性障害などが挙げられます。


このようなことを考えると、「ストレスが無くなったらどんなに楽だろうか」と思います。では、ストレスって本当に悪いことばかりなのでしょうか?


こんな逸話があります。ある人がストレス学の権威であるセリエ博士に「ストレスを感じたことのない人間はいますか?」と尋ねました。すると博士は、「いますよ。よろしかったら、これから会わせてあげましょう」と言って、すぐ近くの墓場に案内したそうです。つまり、ストレスを感じないのは死者だけなのです。


実は人間にとって、良いことも悪いことも、大なり小なりストレスになります。しかしながら、同じストレスでも自分の考え方や対処によって、良いストレスになったり、悪いストレスになったりする場合があります。


例えば、他人から自分の欠点を指摘されたときに、気分が落ち込んで何もかもやる気がなくなってしまう人もいますし、自分の欠点を積極的に修正しようとする人もいます。つまり、ストレスを受けることで現在の自分を見つめ直したり、新しいことを始めるきっかけになることもあるのです。


セリエ博士は「ストレスは人生のスパイスのようなもの」だと言いました。それはストレスを上手にコントロールすることで、人生をより豊かにすることができるからです。


さて、ストレスの原因として最も一般的なものは人間関係の問題でしょうか。ストレスの溜まる原因の第一は、他人が自分の思う通りに動いてくれないことです。だから何とかして自分の思い通りにしてくれるように働きかけるのですが、そうはならないのでストレスになるのです。ですから、もし私たちがお互いの違いを認め合うことができればストレスは極めて少なくなると言えます。


お互いの違いを認める。これは心を平静に保つためにはとても重要なことだと思います。「私は私、あなたはあなた。私は良いものを持っているし、あなたも良いものを持っていますね。お互いに良かったですね。」 こう言えたらいいのです。


ちょうど中華料理に、四川料理、広東料理、上海料理などがあっても、どれが一番美味しいかというのは変な話です。それぞれが美味しいわけで、どれが一番美味しいかは人の好み次第です。そのように、人の違いは特徴であり、良し悪しの問題ではなく、いずれも長所を含んでいるのです。したがって、それぞれの持ち味を認め、肯定的に評価することが重要で、そういう心を持てればストレスにはなりません。


では、どうすればそういう心を持てるでしょうか? 使徒パウロは、ピリピ書4:11-13で次のように言っています。


「・・・・私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」


牧師室より#445:ストレスは人生のスパイス2


パウロは、キリストにある測り知れない恵みに心を満たされることで、どんな境遇の中でも満ち足りることができました。また、あらゆる境遇の中に確かな意味を見出すことができました。そういう心を持つことができればストレスで悩むことはないでしょう。


異質を許容すること。なんと素晴らしいことではありませんか。



今日の一言: ストレスは人生のスパイス



鶴田健次


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2019.07.20 03:42 | 鶴田健次牧師より

444:聖書が教える真理_convert_20190713013618


聖書が教える真理


 聖書の発行部数は、年間約5億8000万冊で、2300以上の言語に翻訳され、その実績から「永遠のベストセラー」と言われてきました。聖書が他の追随を許さない驚くべきベストセラーであり続ける理由は、それが人間の言葉ではなく神の言葉だからです。


 テモテ第二の手紙3:16を見ると、「聖書はすべて神の霊感によって書かれた」とあるように、聖書は神が聖書記者たちに霊感を与えて、書かせられた神の言葉です。ですから、聖書の中には「主がこう言われた」「神がこう語られた」という表現が、実に2600回も繰り返されているのです。


 アポロ14号が月に行ったとき、16ヶ国語で書かれた4500ページの聖書が月に運ばれました。聖書は、地球から他の天体に運ばれた最初の本です。聖書はあらゆる意味で偉大で、世界中の多くの人々に計り知れない影響を与えてきました。


アブラハム・リンカーンは、「聖書は、神が人間に下さった最良の賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある」と言いました。インド独立の父マハトマ・ガンジーは、「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である」と言いました。


あなたは、このような聖書を読んだことがありますか? その内容をどれくらいご存知ですか? リンカーンやガンジーのような偉大な人々がそのように評する聖書を知りたいと思いませんか?


 聖書はまた預言の書で、その預言の的中率は100%です。その驚くべき不思議な事実を通して、人々が神の存在を知り、聖書を神の言葉として受け入れるように神は願っておられるのです。


 では、なぜ神は聖書によって私たちに語ろうとなさるのでしょうか。それは、私たちが神について、また自分自身について、そして救いについて知ることができるために、どうしても「神の言葉」が必要だからです。つまり人間がどんなに考えても分らない事を示すために、神からの啓示が必要だったのです。


 聖書には、一貫し、完結した、明解な世界観が記されています。人類の始まりから終わりまでの歴史を記し、すべての人が絶対に聞かなければならないメッセージを伝えています。


 そのメッセージとは何でしょうか? それは、一人の例外もなく、すべての人間が自分の罪のために永遠の滅びが定められているという事実です。また同時に、神はすべての人を愛し、すべての人を永遠の滅びから救い出すために、イエス・キリストによる救いの道を用意して下さったということです。


 人間は、いくら考えても、死後のことを知ることはできませんが、神の言葉である聖書は、人間の死後について、次のように厳粛に告げています。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)

 人間は、だれでも必ず死ぬ時が来ることを知っていますが、「人は、死んだらどうなるのか」という問題に対して、殆どの人は漠然としていて、「分からない」と答えます。また、「死んだ後は無になってしまう」という人もおられますが、その根拠となるものはなく、ただの推測に過ぎません。 人間というものは、とかく自分が望んでいることを信じたがるものです。


 しかし、聖書は、はっきりと、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と宣言しています。


 これは、何と厳粛な言葉ではないでしょうか。すべての人は、いつか必ず死ななければならない存在です。これには、いかなる差別もありません。老人だけでなく、若い人もやがていつか必ず死ぬ時が来ます。病弱な人だけでなく、健康な人も、やがては必ず死ぬ時が来ます。貧しい人だけでなく、金持ちも例外なく死ぬ時が来るのです。また、身分の低い人だけでなく、一国の大統領や王様も死ななければない時が必ず来るのです。


 だれでも、病院の医者から「あなたは癌です」と告知されたら、非常に大きなショックを受けるでしょう。なぜでしょうか。死ぬのが怖いからです。しかし、このような死よりもさらに大きな問題は、すべての人が死んだ後にさばきを受けることが定まっているという事実です。そして、その事実を知ろうが知るまいが、この事実は変わりません。


 とすれば、この世でどんなに恵まれた生活をしている人であっても、この死の問題に解決がない限り、人は絶望の中で生きている存在なのです。


ですから、この「死と死後」の問題は、軽々しく取り扱うべき問題ではなく、非常に厳粛な事柄なのです。そして、この死の問題に本当の解決を与えるものがイエス・キリストの福音なのです。



今日の一言: 聖書は真理の言葉



鶴田健次


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2019.07.13 01:37 | お知らせ

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敵への愛は自分のためのもの



 自分の子供にはたっぷりの愛情を注ぐのに、他人の子供にはそうすることを惜しむお母さんがいます。なぜなら、そのお母さんは、愛は注げば注ぐほど減るものだと思うからです。だから他の子供には使えないのです。しかし、本当の愛は、使えば使うほど、その人の中で育ち、増えていくものです。

 もしあなたが、自分の気に入る人が現れたら、その人を愛するけれど、そういう人がいないから愛が湧いてこないと考えるなら、それはちょうど素晴らしいピアノが目の前にあったら自分は上手に弾けるのにと言うのと同じです。立派なコンピュータを手にしたら自分は上手な文章が書ける。立派な勉強部屋があったら自分は偉い学者になれると言うのと同じです。


 一度もピアノの練習をしたことがない人が、どうして上手に弾けるでしょうか。毎日練習をしていればこそ上手に弾けるのです。だから、いつも、この人は肌が合わない。この人は苦手だ。この人は愛するに値しない。そう思っている人には、愛が湧いたり、愛が育つことはありません。


 むしろ肌の合わない人、苦手な人、平凡な人、つまらない人と思う人を、自分にとって意味のある人、大切な人、愛すべき人としていくときに、その人の心に愛が育っていくのではないでしょうか。なぜなら本物の愛は感情の愛ではなく意志的な愛だからです。


 「敵への愛」を試みようとしない人、いつまでも練習しない人は、いつまでもその愛が、身内への愛、仲間うちへの愛、利害を共にする者への愛、自分によくしてくれた者への愛という感情の愛にとどまるのです。

 自分の子供を愛するお母さんには愛があります。しかし、それが自分の子供だけにしか注がれない愛ならば、その愛は愛であっても、他の人に対しては決して使われない種類の愛です。


 自分の仲間しか愛さない愛、自分と利害が一致する者しか愛さない愛、自分の身内しか、自分に感謝してくれる相手しか、自分に特別なことをしてくれる相手にしか注がれない愛は、どんなに犠牲的な愛のように見えても、それは欲望と執着で凝り固まった愛です。

 イエス様は、愛は愛でも、自分を愛してくれる者以外には、妬みや、恨み、無視、反感、意地悪となって現れる愛があることを、敵を愛する愛で教えようとされました。そして、そこに留まる限り、人はイエス様が語られる愛に出会うことはないのです。

 皆さんは、キムデジュンという方を覚えておられるでしょうか? 日本では金大中と言われていた方です。1970年代から80年代にかけて何回も投獄され、裁判では繰り返し死刑判決を受けながら、その後、韓国の大統領になられた方です。


 この人が獄中から家族や友人に出した手紙が「金大中獄中書簡」という書名で出版されています。その中に、三男の金弘傑(キムホンゴル)氏に当てた手紙があります。その一部をご紹介します。


「愛する(ホンゴル)よ。お父さんは誰も恨まず、誰も憎まない。お父さんがこうした心の変化を得るようになったのは、以前の3年間の獄中生活の時、神の教えについてたくさんの本を読み、イエス様の言葉と行動を思い、自分のこととして受け入れる中で、私が本当にイエス様の弟子になろうとするなら、この道しかないとハッキリ思い知ったからだ。そればかりか、お父さんは自分のこれまで犯してきた罪と過ち、そして、人知れず抱いた邪悪な思いを知っている。そうした私の罪をスクリーンに映し出すように、主の前でひとつひとつ挙げていく時、果たして私が誰を裁き、誰を断罪することができるのかと痛切に感じるのである。私たちは自分が罪人であるがゆえに、他者を、敵さえも赦さなけれぱならない。赦しは神の前にあって最も強い愛だけがなし得る。赦しはあらゆる人々との平和と和解の道だ。それだから、赦しは喜びの心をもってしなければならない。私たちはイエス様が十字架で釘打たれながら、ご自身を処刑した人々をお赦しになったことを無駄にしてはならない。一生の間、他者を理解し、赦し、愛する生活をしようと努力するなら、必ずやお前の将来は、物質的あるいは社会的地位や名声がどうであっても、決して悔いのない平和と喜びの生涯を送ることができると確信する。お父さんはこうしたことに気づくのが、あまりにも遅かったと残念に思っている。」

 いかがでしょう。イエス様が「敵を愛しなさい」と言われる時、それは敵のためではありませんでした。それは憎しみに囚われ、人生を間違えてしまう私たち自身のためでした。

 イエス様が金持ちに「施しなさい」と言われる時も、それは貧しい人たちのためではありませんでした。金持ちが金銭に囚われ、人生を大切でもないもので一杯にしないようにするためだったのです。



今日の一言: 人を赦し愛することは自分自身のため



鶴田健次


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2019.07.06 06:13 | お知らせ
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