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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#386「苦難は神の摂理の中に」_convert_20180519040526 


『苦難は神の摂理の中に』



人間の歴史は、まさに苦難の歴史です。人は生きているかぎり誰でも苦難に遭います。経済的な苦難、精神的な苦難、人間関係の苦難、また病気の苦難など、様々な苦難があります。


今回は旧約聖書のヨブ記を開きたいと思いますが、ヨブという人は、かつてイエス様が「ヨブの試練」と表現されたように、試練の代表とも言える、大きな、しかも理由の分からない苦難を経験した人です。


ヨブは、東の国で一番裕福な人で、また神が悪魔に自慢する程の信仰深い人でした。ところが、そのヨブが試練に遭い、全財産と多くのしもべたち、またそれに加えて10人の子供たち全員を失います。その上、彼は健康を損ない、足の裏から頭の上まで悪性の腫れ物で覆われてしまうのです。


ヨブ記の1章、2章を見ると、この試練は悪魔からのもので、神の許しのもとで起こったことが説明されていますが、私たちは、その試練の背後に、測り知れない神の愛と摂理が働いていることを認め、謙虚な心でこのことを受け止めなければなりません。


ヨブ記は、人はなぜ苦しみに会うのかを説明しているのではなく、人生の苦難の意味を探りながら、苦難に会ったとき、私たちはどういう態度を取るべきかを教えています。そこで今回は苦難の中に見出される神の祝福について考えてみます。


まず第一に、苦難は、私たちを成長へと導きます。なぜなら、苦難は私たちに自分を反省する機会を与えてくれるからです。人は苦しみに会ってこそ、自分の間違いに気づくものです。すべてが上手くいっている時は、間違いがあっても、それを認めようとしません。


しかし、自分の行く道が険しくなり、逆境が襲ってきたら、何が間違っていたのかと自分を反省し、そういう心で見なければ見えてこない自分の問題に気づくのです。


ヨブ記は、ヨブが神の前で自分の無知を知らされ、神の全能性、絶対性を認めるところで終わります。彼の受けた苦難は、信仰深く謙遜であったヨブに、さらに深い信仰と謙遜を増し加え、ヨブを更なる成熟へと導きました。


第二に、苦難は、私たちと神との関係を新しくします。ヨブは苦難を通して神との新しい関係を持つことができました。もともと神との良い関係を持っていたヨブですが、苦難を通して、さらに新しい関係を築き上げ、以前にも増して大きな祝福を与えられるのです。


人は、苦しみの中から神を呼び求めるようになります。明るい昼間に、光りを捜し求める人はいませんが、真っ暗な夜になれば、人は明かりが欲しくなります。苦しみの暗闇が近づいてこそ、人は希望の光りを捜し求めるのです。


詩篇 50篇15節に、「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」と記されています。


苦難は、人を新しい人に変える熔鉱炉のようなものです。熔鉱炉の中で、不純物を取り除き、純粋な金銀を得ることができるように、神は、苦難の火を通して、私たちから不純物を取り除かれるのです。苦しみによって私たちの心が砕かれ、溶かされるとき、私たちの不純物が取り除かれ、クリスチャンとしてふさわしい品性が養われるのです。


第三に、苦難は神の器を作ります。ヨブを見ても分かるように、苦難は素晴らしい信仰者、素晴らしい神の器を作るために必要なプロセスです。ですから、苦難に出会ったときは、もっと先にある神の摂理的な計画に目を向けなければなりません。


神は、私たちを祝福して下さるために、先ず器を準備させようとなさるのです。その器は、私たち自身です。ですから、神はイスラエルの民を乳と蜜の流れるカナンの地に導かれるとき、荒野を通らせられたのです。それは、苦しみを通して、彼らを神の器として準備させるためでした。


申命記 8:16には、「あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった」と記されています。 





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2018.05.19 04:07 | お知らせ

牧師室より#385「母の日のメッセージ」_convert_20180512024143 

『母の日のメッセージ』



歴史を通して偉大な人物となった人の背景には、必ず偉大な母親がいたということを私たちはよく耳にします。古代キリスト教の偉大な教父また神学者として有名なアウグスティヌスの陰には、彼を涙の祈りによって放蕩生活から立ち直らせた母モニカの存在が知られています。


また18世紀、産業革命の只中にあった英国で、メソジスト教会の基礎を築いたジョン・ウェスレーと、兄を助け数千曲の讃美歌を作詞した弟のチャールズ・ウェスレーの陰には、謙遜で物静かで、祈りの人であった母スザンナの存在がありました。


ジョン・ウェスレーは、その母スザンナについて語る時はいつも「私が妻を迎える時は母のような人を選びたい」と言いました。


また中国の蒋介石元首に30年間も仕えていたオ・ムンギ将軍がこんな事を書いています。一度、元首の誕生日に人々がご馳走を準備してお祝いしようとしたとき、元首はこう言ってその申し出を断ったそうです。


「私の誕生日は私を生んだ母が、この日にどれだけ苦しんだことか、それを考えれば私だけがご馳走を食べるわけにはいかない。この日は母こそがご馳走を召し上がるべきであるのに、もうすでに亡くなられたので、私は母を記念し感謝することにして、今日は何も食べない。」 


そう言って、その日は一杯の水も飲まずに母親を思い出しながら誕生日を過ごしたそうです。


私たちは、母の日を迎えて、私たちを生んで育ててくれたお母さんの苦労と犠牲をまず覚えて、そのことを感謝しなければなりません。母親を敬い、感謝することが一番の親孝行です。それから、母親を心配させないことも親孝行です。母親に何か凄いことをするのが親孝行ではなく、母親を心配させないことです。  


箴言15章20節に「知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな者はその母をさげすむ」と書いてあります。また、コロサイ書3章20節には、「子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです」とあります。


親を大切にしない者は愚かな者で、親を喜ばせる者は知恵のある者、そして親に従うことは神が喜ばれることだと神は言われるのです。あなたはいかがですか? 


親はいつも子どものことを心配しています。ですから子どもが親を心配させることばかりすれば、親は絶対に幸せではなく平安ではありません。親孝行をしようとするなら、親が心配しないようにすることです。


今年の母の日は、いつも以上にしっかりとお母さんに感謝の言葉を述べ、お母さんを心配させないようにすることを心新たにされてはいかがでしょう? また同時に、このように私たちを犠牲的な愛で愛し続けてくれたお母さんを与えて下さった神様に心からの感謝を捧げましょう。



今日の一言: お母さんを大切にしよう



鶴田健次



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2018.05.12 02:44 | お知らせ

牧師室より#384「感謝がもたらすもの」_convert_20180504232707 

『感謝がもたらすもの』



昔、備前の富岡村に『ありがた与一兵衛』という人がいたそうです。朝起きると「おはよう」のかわりに、「ありがたい、ありがたい」と言います。何がそんなにありがたいのかというと、「朝起きて、家族の顔を見られてありがたい」のだそうです。


またある時、小雨が降りだし急いで帰ろうと滑って転び、そこでもまた「ありがたい、ありがたい」。転んで擦りむいて一体何がありがたいのかとたずねると、「自分の落ち度で骨折してもよさそうなところを、ただの擦り傷ですんでありがたい」・・・。


確かに、私たちは、感謝しようと思えば、どんな時にも感謝することはできるものです。


水泳の練習中に、事故で首から下が付随になられた、ジョニー・エレクソン・タダというクリスチャンがいらっしゃいます。素晴らしい信仰の持ち主で、アメリカのみならず、世界中で講演活動をしてらっしゃる彼女がこんなことを言っておられます。


「新しい事に気づいてほしい。弱い人が、家庭や教会に必要だということを・・・。神様は自分自身に頼る人ではなく、自分の弱さを認め、神様に頼る人に力を与えて下さるから。だからこそ、私たちは弱さの中に誇りを持つことができる。神様を感じることもなく毎日を忙しくしている人が、いちばん重度の障害を持っているのかも知れません」。


ジョニーさんは、目に見える障害だけが問題なのではなく、神を必要だと感じないことこそが問題なのだと言っておられるのです。困難にぶつかった時、すぐにその意味を知りたい、答えを欲しい、そう思うのが人間です。しかし神は、すぐには答えを下さらないことがしばしばです。彼女自身、自分の身に起こった出来事に「神様、なぜですか?」という問いを繰り返したそうです。


しかし、彼女が長い祈りの葛藤の中で気付かされたことは、「私は答えを求めていたけれど、神様は既に、ご自身の命を私に与えて下さっている。だから、この神様がすべての答えなのだ」ということだったそうです。


簡単に問題を解決したいと思う人間、簡単に答えを与えようとするこの世の宗教、しかし、そういうものはすべてまやかしであり、本当の答えも解決も与えません。ただ、十字架で極限の苦しみと痛みを担って、私たちに火のような愛を下さった方がいらっしゃる、このキリストの愛こそが、どんな問題にも光を注ぐことができるのです。


ジョニーさんは毎朝、「神様に感謝する心を与えて下さい。微笑みを与えて下さい」と主にお願いし、一日を始められるそうです。人の世話にならずには自分で自分の体を動かすことは出来なくても、感謝の言葉や、微笑みは与えることが出来るので、その感謝の心と微笑を与えて下さいと神様に祈るのだそうです。


こんな大きなハンディを背負っている人が、今日も生かされていることを感謝し、毎朝、心からの感謝をもって一日を始められるとしたら、それは何と豊かな人生でしょうか。また、それを可能にして下さる神様という方は、何と素晴らしい方でしょう。


神様は、「すべての事に感謝しなさい」と言われました。良い時に感謝することは、誰にもできることです。良い時にも感謝しない人もたくさんいます。しかし、苦しくて、悲しくて、大変な状況の中にあっても、感謝ができるとすれば、それこそ御霊によって生きるクリスチャンの姿です。


アイジャック・ワットンは、「神様には二つの居場所がある。一つは天国であり、一つは神様を愛し、感謝をする人の心の中である。」と言いました。


皆さんは如何ですか? 小さい事にも感謝をする生活をしたら、私たちの人生は積極的、肯定的な人生に変えられます。一方、神様が与えて下さった恵みに感謝もせず、不平不満や愚痴ばかりを言っていたら、持っているものまでも失ってしまいます。これは神様の法則です。


ある人が、「神様は、ろうそくの明かりに感謝したら、電燈の明りを下さり、電燈の明りに感謝したら、月の明りを下さり、月の明りに感謝したら、太陽の光を下さる。また太陽の光を感謝したら、何の明かりも要らない天国を下さる!」と言いました。感謝は、すればするほど、もっと感謝すべきことが生じるということです。これもまた神様の法則です。 



今日の一言: すべての事に感謝できる者になろう



鶴田健次



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2018.05.04 23:28 | お知らせ

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