『喜びの処方箋』
「喜べば 喜び事が 喜んで 喜びつれて 喜びに来る」という格言がありますが、いつも喜んでいる人の所には、喜びが他の喜びを連れてやって来るものです。
しかし、それとは反対に、いつも愚痴を言う人の所には、不平不満が他の不平不満を連れてやって来ます。皆さんは、そんな法則があることをご存知でしょうか。
喜びと愚痴というのは、決して同時にその人の中にとどまることはありません。喜びのある人の心に愚痴がとどまることはできず、愚痴を言う人の心に喜びがとどまることはできません。
喜びのある人生はますます喜びに満たされ、愚痴の多い人生は不平不満から開放されることがありません。ですから、幸せな人生には、喜ぶということが不可欠な要素なのです。
ところが、『喜び』と一言で言っても、喜びにも色んな喜びがあります。オリンピックで金メダルを貰うことも大きな喜びです。学生なら優秀な大学に入ること、また卒業して一流企業に就職することも大きな喜びです。
しかし、こういう喜びは、自分だけの喜び、また限定された喜びで、同時に、メダルを取れなければ悔しい、入りたい大学に入れなければ、また気に入った会社に就職できなければ悲しいという、条件付きの喜びに過ぎません。
それに対して、聖書は、「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」と言っています。この「いつも喜ぶ」ということは決して簡単なことではなく、「主にあって喜ぶ」ということが「いつも喜ぶ」ことの鍵です。
この「主にあって」という言葉は、別の言い方をすれば「主を信じて」ということです。 つまり、どういう現実の中にあっても、神の導きは最善であるという神の約束を信じて、喜びなさいということです。
この喜びが、本物の喜びであり、いつまでも変わることのない普遍的な喜びなのです。それは、自分だけの喜び、また条件付きの喜びではありません。それは、メダルを取れない中にも存在する喜び、希望する大学に入れなくても、希望する会社に就職できなくても失われない喜び、つまり涙の中にも、苦難の中にも、どんな状況の中でも変わらない普遍的な喜びなのです。
讃美歌作者として有名なファニー・クロスビーは、95歳で天に召されるまでに9000もの賛美歌の詩を書いた偉大な讃美歌作者です。彼女は一歳のとき父親を亡くし、母親に育てられるのですが、彼女がまだ生まれて6週間にしかならない時、医者の不注意な過失によって目が完全に見えなくなってしまいます。
こんな悲劇は、誰にとっても、人生に行き詰まりを覚えさせる辛い出来事ですが、驚いたことに、彼女にとっては別でした。彼女は、後になって、自伝の中にこう書いています。「私が、一生涯、盲目であるという事は、祝福に満ちた神様の摂理であり、私はその事を天からの贈り物として神様に感謝します。」
彼女を盲目にさせた医者は自分を赦すことができず、また自分のした事と向き合う事も出来ず、その町からいなくなってしまいました。しかし彼女はその自伝の中で、こう書いています。
「もし今、私が彼に会うことが出来たら伝えたいのです。私の目を見えなくしたことで自分を責めないで下さいと。あなたにとっては失敗だったかもしれません。でも神様にとって失敗はありません。私が肉体的に暗やみの中で生涯を暮らすことは神の御旨だと私は信じています。見えない事を通して多くのものを見ることができ、神様への讃美を歌い、他の人々を励ますことが出来る者とされたのですから。私は世界中で一番幸せな者だと思います。ですから、私はあなたに、私の目が見えなくなるようにして下さって有難うと、心から言いたいのです。」
この盲目を多くの人は“呪い”と考えるかも知れません。しかし本人はそれを神からの贈り物と考え、神に感謝しました。だからこそ彼女は、これだけの賛美歌を書いて、世界中の人々を励ますことが出来たのです。感謝をして喜べば、喜び事がやって来るのです。
今日の一言: 喜べば 喜び事が 喜んで 喜びつれて 喜びに来る
鶴田健次
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去る4月22日(日)に、ラスベガス日本人教会バーベキュー(Las Vegas Japanese Community Church BBQ) がParadise Recreation Centerにて開催されました。
午前11時に通常通り、礼拝が礼拝堂で始まり、賛美、主の祈りを捧げた後、日語部は礼拝堂に残り、英語部は公園で礼拝を捧げるため、教会を出発しました。
11時40分頃、英語部の方々が公園に到着し、初めてお会いする方もいましたので、お互いの自己紹介から始まりました。自然に真ん中のベンチに集まり、英語部をリードするジョシュア兄の祈りからメッセージに移りました。
(メッセージの様子。緑に囲まれ、とても平安な時でした)
メッセージの後、時間は午後12時45分。
教会から日語部が到着し、さぁ、いよいよバーベキューの始まりです。
(串焼き)
(プルドポーク)
(バーベキューの列)
(ポットラックの列)
4・5種類の野菜が入った焼き鳥串に、野菜愛好者さん🧡専用串、少ししか食べれない方用のベイビー串の串盛り。
アメリカ南部料理・プルドポーク、そしてホットドッグが焼きあがりました。バーベキューから美味しそうな匂いが漂っています。
日語部婦人会からは、巻き寿司、いなり寿司、おにぎり、スパムむすび、炒飯、シュウマイ、きゅうりの漬物、野菜スティック、ビーンズ、コールスロー、おでん、葡萄、林檎、スイカなどなど、愛のこもった豪華なポットラックが届きました。
(盛りだくさんのお皿)
お腹いっぱいになり、交わりも進んできた頃、やってまいりました、この時間!
水風船ゲーム!
二人一組になり、最初は近い距離から水風船を投げ、パートナーが上手にキャッチできたら、互いに一歩下がり距離を開く、という事を繰り返し、水風船を割らずに最後まで残ったチームが優勝です。
(最初の位置)
2メートル以上離れても数組が残っており(素晴らしい!)なかなか勝敗が決まりませんでしたが、やはり強い男性陣!アレックスとショーンのペアが優勝しました。景品は、ブーブークッションです。
次にやってきました、二人三脚。
親子参加からティーングループ、仲良しグループの合計6組が参加しました。
鶴田先生、きみこさんチームも早かったのですが、若者グループが勝ち抜き、決勝戦では 見事善くんとヒロシくんチームの優勝となりました!
動画の様子は予選と決勝戦の様子です。
ラスベガスではもう初夏の季節の今、緑の中で開かれた交わりの時、バーベキュー。
合計60名以上の方がこのLVJCC BBQにお集まりくださいました。ありがとうございました。
この日が交わりの日として立てられ、主の力強い後ろ盾とたくさんの方のご協力のおかげで、BBQを成功することができました。主の御名により集まり、交れたこの機会に心から感謝いたします。
「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩篇118:24)
交わり委員会: さおり
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『あなたの将来』
あなたは『将来』という言葉を聞くと何を思い浮かべられますか? ある人は『将来』という言葉から、チャンス、チャレンジ、成功、勝利などというものをイメージされますが、中にはこの同じ言葉から、困難、孤独、不安、病気、重荷、死などというものをイメージされる人もおられます。
つまり、その人の将来は、その人がどこに目を向けているかで変わり、明るい将来にもなれば暗いものにもなります。そして、その人がどこに目を向けているか は、その人が自分自身をどう見ているかということと密接な関係を持っています。
すべての人の将来は、未知の世界に向かう旅のようなものです。しかし、この旅は、確実に、ある目的地に向かっています。そこで今回は、将来について考えてみましょう。
1.あなたの将来は不確かである
将来というのは聖書の至るところに書かれているテーマ ですが、一つの厳粛な事実は、あなたの人生の終わりが、いつ、どのようにして訪れるかを、あなたは知りません。ただ確実に、あなたは必ずいつか死を迎えます。
たとえあなたがどんに素晴らしい人生設計をし、どれだけ熱心にその事に取り組んでも、それとは関係なしに、あなたは必ずこの死と直面する時が来ます。
現在の日本人の平均寿命は男性が80.98歳、女性が87.14歳だそうですが、だからと言って、あなたが80歳まで死なないという保証はどこにもありません。命ということに関しては、「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ」と聖書にあるとおりです。
ある人々は、将来のことを決めるのに、占いやまじないに頼ろうとします。わざわざ高いお金を払ってまで占い 師のところに行く人がいます。しかし、人の将来を占う占い師たちも自分の将来のことが分からないでいる事実を考えれば、こういう現実の中に将来の不確かさを見ることができるのではないでしょうか。
2.あなたの将来は神の管理下にある
あなたの将来は、あなたの管理下にあるのではなく神の管理下にあるという事実を知ることは、将来を考えるときに大変重要なことです。神は、あなたの人生のすべてを完全に支配しておられ、あなたの将来のすべてをご自分の手の中に握っておられます。ですから、あな たには将来を見るのに占いもまじないも必要ないので す。
あなたの神は全能の神であられ、あなたの将来をすべて知り、あなたのためにあなたの将来を計画された方なのです。イエス様は「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。だから、まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添 えて与えられるであろう」と言われました。つまり、あなたの将来は神の管理下にあるということです。
3.あなたの将来を神様に委ねる
ヤコブは、「人が、なすべき善を知りながら行わなけれ ば、それは彼にとって罪である」と言いましたが、あなたは神のために今できる事を後回しにしていませんか。
『今すぐくだされる間違った決断は、引き伸ばされる決断に優る』というのはブライアン・トレーシーの言葉ですが、すべき事をしないで後回しにすることは、何かをして失敗するよりも良くないということです。あなたはこれをどう思いますか?
私たちは、何もしないで将来をあてにすべきではありません。心の姿勢としては、明日は来ないかも知れないという観点に立つことがむしろ大切かも知れません。従って、神のために何かをするということも、常に今日という日であることが肝心なことです。来るかどうかも分からない明日のために生きるよりも、私たちの務めは、明日の事は神様にゆだねて、今日という日を神と人のために生きることです。
今日の一言: あなたの将来は神の素晴らしい計画のもとにある
鶴田健次
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