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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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みなさん、こんにちは!もうすぐクリスマス、そして年末ですね。私は今日、(14日、木曜日)すべての期末試験が終わり、冬休みに入りました。後はドキドキの成績を待つだけです!

 

さて、この年末の時期になると、今年はどんな年だったのか振り返ることが多いと思いますが、私にとってはクリスチャン0歳としての一年でした。そこで、昨年の洗礼式をみなさんにシェアすることで、振り返りたいと思います!

 

最初の証でお話しした通り、私はラスベガスに来る前、フィラデルフィアに2年間住んでいました。昨年の冬は1か月間、里帰り(と言えるほど、家族みたいな友人がたくさんいます)をしていたので、フィラデルフィアにある日本人教会で洗礼を受けました。私の家族のような友人、スー、ダニエル牧師とその奥さん、きよ、三人が、私の洗礼式のためにその教会に来てくれました。

 

フィラデルフィアでの洗礼式は神様からの贈り物に満たされ、とても祝福された洗礼式でした。まず、前日に雪が降ったのです。私はフィラデルフィアに行く前から、滞在中に一回は雪を見たいと密かに願っていましたが、洗礼式の前日に初めてそれが叶えられたのです。また、フィラデルフィア日本人教会の牧師、メリー先生は、たくさんの準備を共にしてくださいました。洗礼式を特別なものにするために、洗礼用のガウン(Baptismal Robe)を着る第一号にして頂いたり、週報の写真を選ばせて頂いたり、礼拝の中での賛美の歌を決めさせて頂いたりしました。その上、いよいよ聖餐式の恵みにあずかることができるようになる私のために、簡単な聖餐式を計画してくださいました。私のアメリカのお姉さん、スーは普段人前でピアノを弾かない中、私のために特別に弾いてくださいました。きよは、歌い慣れない教会の方のために、賛美のリードをしてくださいました。ダニエル牧師は私のために特別に私へのメッセージを込めた説教をしてくださいました。私のアメリカでの家族全員が、私の洗礼式に参加してくださり、私はこれ以上ないくらいに、特別な日を持つことができました。感謝をしてもしきれません。

 

さらに、神様からのとっておきのサプライズもありました。ダニエル牧師の父と、教会の古くからのメンバーの田原さんが30年一緒に働いた同僚で、ダニエル牧師と田原さんは面識があったのです。二人は教会に来て顔を合わせるまで、全くお互いが来ることが知らなかったのです。私は、神様がしてくださったサプライズに感動をせずにはいられませんでした。本当に素晴らしく、温かいもので満たされた、洗礼式をたくさんの方々のおかげで持つことができました。日本語を使ってでさえも、私の言葉では言い表せない気持ちでした。

 

さて、1年たち、この時のようなフレッシュな気持ちは薄れてしまったかもしれませんが、神様にすこーーし近づくことのできた、1年だったと思います。私にとって、聖書を読み、お祈りし、神様の愛をもっと知ることのできたこの1年の喜びは、洗礼を受けた時の喜びよりも、もっと大きなものです。しかし、読み返しながら、神様の家族って、愛って素晴らしいなぁ、とニコニコ?ニヤニヤ?してしまいました。このような愛を感じられるのも、神様が私たちの中にいてくださるからです。神様の素晴らしい愛に感謝し、その愛がもっと多くの方に伝わりますように。

 

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(ヨハネの手紙第一4:10,16

 

(TK)



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2017.12.19 11:18 | 証し

牧師室より#365「人生の方向転換」_convert_20171216040527


人生の方向転換       

 

 ルカの福音書は、読むたびに、ストーリーテラーとしてのルカを思い浮かべさせます。ルカは独自の資料をもとに多くの興味深い話を残していますが、ここで取り上げるザアカイの回心物語もそのひとつです。


 ザアカイの回心物語は、人々から容赦なく税金を取り立てていた取税人のザアカイが、人に嫌われ、人から疎外されるような寂しい生活の中から、イエス・キリストとの出会いを通して愛の人に作り替えられていくという物語です。 


 ①人々からの疎外

   

 ザアカイは背が低く群集にさえぎられていたのでイエス・キリストを見るために木に登ったと書いてあります。この言葉には、文字通りの状況描写と共に、彼が疎外されていた人であったという事実が示唆されているようです。


 ユダヤ人でありながら敵国ローマに仕え、その権力をかさに同胞たちから法外な税金を取り立て、その一部をポケットに入れて私腹を肥やしていた彼は、同じユダヤ人たちから恥知らずの売国奴ということで軽蔑されていたのです。 


 ところが、どんなに間違った行為であっても「自分は正しい」と思わなければ人は生きていけません。こういう心の態度を心理学では「安全操作」と呼びます。つまり、自分を疎外した社会や人々に理由付けをもって復讐するという態度です。


 おそらくザアカイは子供の頃から疎外感を感じながら生きてきたのでしょう。やがてローマ帝国の手先となり、自尊心を捨てて、祖国ユダヤを植民地にしているローマ帝国と運命を共にしようとしたのです。つまり自分が生きるはずの世界が自分を疎外したので、その世界に刃(やいば)を向けてしまうようになったのです。 


 ②主イエスによる受容

   

 主イエスは、木の上にいるザアカイに声をかけ、「きょうは、あなたの家に泊まることにしている」と仰いました。この言葉にはどんな意味があるでしょうか。ザアカイはその言葉を聞くなり、滑るようにして木から下りて来ました。このザアカイの行動に、この言葉の意味が暗示されています。


 これは「ザアカイ、私はあなたをありのままで受け入れますよ」というメッセージです。この「泊まる」という言葉は、もともとは「荷を降ろす」という意味の言葉です。つまり、イエス様はザアカイのすべての罪の重荷を降ろさせるために彼の家に泊まろうとされたのです。 


 自分のありのままを受け入れてもらえる事ほど、私たちにとって心休まるものはありません。人は、愛され、受け入れられ、信頼されると、その愛し、受け入れ、信頼してくれた人の期待を裏切らないように心掛けるようになります。どんなに罪人のレッテルを貼られた人であっても、あなたは神の愛と祝福を受けるべき人であると主イエスは見て下さるのです。


 ③人生の方向転換

           

 さて、主イエスはこの物語の最後の部分で、「今日、この家に救いが来た」と宣言されました。この救いとは、もちろん罪の赦しですが、同時にザアカイの人生の変革を意味しています。つまり、自分のありのままを受け入れられたザアカイは、人生の変革を経験するのです。 


 ビクター・フランクルは、「もし私たちが人々をありのまま受容するならば、彼らはさらに悪くなる。しかし、もし私たちが彼らをあるべき最高のものであるかのように受容すれば、彼らがなりうるものになるのを私たちは助ける事が出来る」と言いました。


 主イエスは、ザアカイのありのままを受け入れられたとき、十字架の愛を彼に向け、彼を神の御子の命に等しい価値ある者として受け入れておられたのです。


 そこでザアカイは、「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。・・・」と言うのです。私たちは、このザアカイの意の中に、大きな変革を見る事が出来ます。自己中心から解放されて、神と人とに心が開かれた姿が見えます。


 獲得する生き方から、分かち与える生き方、奪うあり方から捧げるあり方、そんな方向転換を見る事ができるのです。



今日の一言: 誰でも今日から生き方を変えられる



鶴田健次

 

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2017.12.16 04:10 | 牧師室より
キャンドルライト 
 
こんにちは。
今年も最後の月、12月に突入し、もうすでに半分が過ぎようとしています。日本では12月は師走(しわす)とも呼ばれ、普段、平常心を保ちながら、ゆっくりしている師(お坊さん)でも走り回るほど忙しい月ということで、この呼び方がつけられたそうです。去年までは12月にそれほど忙しさも感じなかった私ですが、今年はこの呼び方がつけられたことを納得するほどの忙しさを感じながら、このブログ記事を書かせていただいております。

さて、LVJCCでは毎年、クリスマス前の水曜日にキャンドルライトサービスが行われます。わたしにとっては2回目のキャンドルライトサービスとなりますが、今年のキャンドルライトサービスは特別なものとなりそうです。なぜならクリスチャンとなってから初のキャンドルサービスとなるからです。

去年のキャンドルライトサービスは実を言うと参加する予定はありませんでした。と言うのも、夜に運転するのが苦手ということ、そしてクリスチャンでもないのに、このようなイベントに参加するのは失礼かも、と思っていたからです。ですが、LVJCCのクワイヤーの方々に勧められ、もともと私は歌うことが嫌いではなかったので、試しにということで歌わさせていただき、そのままクワイヤーメンバーとしての参加となりました。この時は「私以外のメンバーの方々は皆さんクリスチャンだけど、私はクリスチャンではない。本当に参加してもよいのだろうか?」という思いが心のどこかにありながらの参加となりましたが、皆さんから素晴らしい出来だったとお褒めの言葉をいただきました。
その頃は神様という存在が徐々に私の中に大きくなりつつあったのは確かですが、100%神様を信じていたわけではなかったので、あの時に本当に参加してよかったのだろうか?と思うこともあります。しかし、賛美の中に住まわれる主は、そういう私を救いの恵みに与らせるために、クワイヤーの一人に招いて下さったのだろうと思います。

今年はイースターという素晴らしい日に洗礼を受け、晴れてクリスチャンとなり、このキャンドルライトサービスにまたクワイヤーの一員として参加させていただくことができることを心より感謝しています。そしてキャンドルライトサービスで歌う曲を11月から皆さんと一緒に頑張って練習させていただいています。今年は牧師先生も参加されることとなり、一層、力が入った練習が毎週行われています。
キャンドルライトサービスはこの練習の成果を出す場とも言えるのですが、やはり神様へお捧げするという気持ちを忘れずに、他のクワイヤーのメンバーの皆様と牧師先生と共に素晴らしい賛美がお捧げできたらと思っております。

今年のキャンドルライトサービスの日程は以下の通りです:
 
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  日にち:12月20日(水)
  時間 :午後6時半より
  場所 :Las Vegas Japanese Community Church
  (1800 East Desert Inn Rd., Las Vegas, NV 89169)

皆さんもお友達をお誘いの上、ぜひお越しください。

(ML)

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2017.12.14 00:03 | 教会イベント
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2017年、アメリカは多くの自然災害に見舞われました。
大雪から始まり、夏の山火事、ハリケーン、そして現在カリフォルニア・ロスアンゼルス郡にまで拡大しつつある少し季節外れ感のある北・南カリフォルニアでの山火事等等。

アメリカにはFEMA(Federal Emergency Management Agency)という、大災害に対応する組織がありますが、今年のFEMAの災害に対する活動予算は、8月のTexasを中心に被害が出たハリケーンの時にはもう消化してしまっていたそうです。
それに追い打ちをかけるように、その後カテゴリー5の2つの大型ハリケーンがカリブ海沿岸の島々及びフロリダ周辺を襲い、プエルトリコでは、電力100%ダウンの日々が続いた程の大きな被害を出しました。

通信関係の建設資材を扱う仕事をしていることもあり、2つの大型ハリケーン被災地へ約3週間の出張に来ているのですが、その間、被害にあった人達との会話で改めて教えられた事がいくつかありました。

島全体が甚大な被害を受けた、St. Maarten - St-Martin島に行こうとしたのですが、営業しているホテルが無かったため、その島の関係者のいるSt.Kitts島に行きました。
2つの島は比較的近くにあり、St. Kitts島も一つ目の大型ハリケーンで被害が出てはいるものの、電力・通信共にほぼ正常通り供給されていました。その事に対して「ラッキーでしたね」と言ったところ、直ぐに「Yes, Blessingでした」と答えが返ってきて、ハッとしました。
確かに「Blessing」なのだと。

その後、ハリケーン以降70日以上が過ぎた現在も、電力復旧率約40%とも20%とも言われているプエルトリコに出張の拠点を移しました。タクシー運転手の殆どが「まだ家は電力は来ていない」「ジェネレーター(発電機)でまかなっている」と言っていましたが、最後2日間お世話になったタクシー運転手は「昨日電力が来た!」と大喜びしていました。
仕事関係の方々も会社が手配してくれたジェネレーターを使った生活をしていらっしゃる方が殆どだったのですが、それでも皆さん口をそろえて「水があるから感謝だ」「ジェネレーターがあるから生活できていて感謝だ」「屋根があるから感謝だ」と仰っていました。
「被災者の方々が早く『通常』の生活に戻れますように!」と祈っていたのですが、ある時から「通常」という言葉に違和感を感じ始めました。

私の『通常』は、 水・電力・ガス・通信環境はもちろん、温かいご飯や飲み物、冷たい飲み物、寝心地の良いベッド etc. etc. etc. etc…..のある生活です。
それの何かが欠けると、無意識にブツブツ文句を言っています。

私は「無いもの」に目を向けて生活しているのです。

でも、彼らは「有るもの・与えられているもの」に目を向けて生活をしているのです。

比較的関係の近い顧客から、2人のお子さんの内の1人が癌サバイバーであることは以前お聞きしていたのですが、今回31時間にも及ぶハリケーンによる暴風の間の息子さんとの時間や会話、心境等を聞かせてくださいました。「命があれば、それで何もいらない」とも。
その会話の間、その方が2回程涙しそうになられた時に、はかり知ることもできない程の困難があるんだろうな・・・と、ハリケーンの通過中やその後の生活の大変さを思うと共に、私とは全く違う観点を与えられたんだろうなぁ・・・と、少し何か羨ましい思いがしたのも事実です。

1日1日を与えていただいている喜び、日々の糧をいただいている幸いを私は本当に心から感じ・味わい・感謝しているのだろうか? 
この生活が当たり前と思っている気持ちの方が強いのではないか? 
与えられた物に目を向けることができない事実、心から感謝する事ができない自分・・・・それは、本当に悲しいことだと我ながら思いました。

「無いもの」に目を向けて生活をし、日々与えられているものに感謝できない自分。
これは本当に大きな問題だと思いました。向き合わなければなりません。

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(ローマ人への手紙 8:35)
(KS)

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2017.12.11 10:40 | その他

牧師室より#364「苦しみが幸いをもたらす」_convert_20171209040715 


『苦しみが幸いをもたらす』      

 

 私たちの人生には試練や苦難が付きものです。試練を経験しない人はいません。いろいろな問題の中にいるとき、この問題さえなくなれば幸せになれるのに、と誰もが考えます。


 ウィロークリーク教会のジョン・オートバーグ牧師は、『水の上を歩きたければ舟から出よ』という本の中で、「快適すぎる環境は危険だ」と書いておられます。その根拠として、このような興味深いデータを紹介しています。 


 アメーバを全くストレスのない完璧な環境の中に置きます。理想的な温度と湿度を保ち、豊かな栄養を与えました。さあ、このアメーバはどうなったでしょう。栄養満点で、どんどん繁 殖したでしょうか。実は、アメーバは死んでしまったのです。


 オートバーグ牧師は、「すべての生物に共通することは、生きるためにはチャレンジが必要だということだ」と言っています。人間も同じで、生きるために空気や食物が必要なように、変化や適用、またチャレンジが必要なのです。 

 

 ①苦しみは私たちの間違いを正す


 私たちは、苦しみに会って初めて自分の考えや生き方を見つめ直し、そこに間違ったものを認め、悔い改めるようになります。事が順調に運んでいるときは、たとえ間違った考えや生き方があっても、人は悔い改める気にはなりません。


 しかし、自分の進む道が険しくなると、どこに問題の原因があるのか、何が間違っていたのかを考えるようになり、悔い改めるべき問題に気付かされていくのです。  


 誰にとっても、自分の問題を認めることは辛いことであり勇気のいることです。心を素直にしなければできません。しかし、そう簡単に素直になれないところに私たち人間の問題があります。そこで神は、そんな私たちに苦しみを与えて、自分の問題を認めざるを得ない状況に置かれることがあるのです。


 「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今はあなたのことばを守ります。」(詩篇 119:67) 

 

 ②苦しみは私たちの自我を砕く


 苦しみは、しばしば私たちの頑なな心を砕くのに有益です。しかし、心が砕かれることは、頭で考えるほど簡単ではありません。私たちの心を砕くのは、私たちの努力や心がけではなく、苦しみによるというのが聖書の教えです。    


 聖書は、苦しみを人の心を精錬する熔鉱炉に例えています。金や銀を熔鉱炉に入れ、ドロドロに溶かして、そこから不純物を取り除き、純粋な金や銀を得ることができるように、神は、私たちを苦しみの炉に入れて、私たちの自我を砕き、私たちから不純物を取り除かれるのです。そして、私たちは砕かれた程度によって成熟度が違ってくるのです。 

 

 ③苦しみは神との出会いをもたらす


 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇 119:71) 


 この言葉は、試練が神に出会う機会となることを教えています。実際、この言葉の通り、試練や苦難を通して神を知ることができたという人はたくさんいます。


 困った状況の中で、しばしば人は、それまで経験したことのない真剣な思いで自分を見つめ、自分の問題と取り組むことをするものです。その問題が大きければ大きいほど、人は真剣に物事を考えるようになります。


 物質的に豊か過ぎて、裸の自分を見つめることができなかった者が、すべての物を失った時に、裸の自分と向き合い、人間の本質に触れることができるようになるのです。


 また、自分の力だけを頼りにしていた傲慢な者も、手に負えない大きな問題にぶち当たり、徹底した葛藤の中で自分の無力さを知らされ、謙遜にならざるを得なくなるのです。そういう中で、人は生ける神を認めるようになるのです。


今日の一言: 苦しみが幸いをもたらす世界がある


鶴田健次  

 

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2017.12.09 04:08 | 牧師室より

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

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