LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#348「すべての問題は自分のせい」_convert_20170818215329 

今日は、'すべての問題は自分のせい’ということについて考えてみました。


皆さんは、家庭や職場や学校、またあらゆる人間関係において何かの問題が生じたとき、それを誰のせいにしますか? ほとんどの人は、問題をすぐに人のせいにしやすいものです。もちろん、問題の中には、それが本当に誰かのせいである場合もあるかも知れませんが、実際、問題を人のせいにすることで自分に益をもたらすことは少しもありません。


時どき、怒りと憎しみに満ちた心で、自分がこんなに辛い人生を送っているのはあの人のせいだ、と言って恨み、嘆き、悲しみ、復讐心を燃やしている人がいます。しかし、怒りと憎しみは、自分の心を蝕み、人生を台無しにしてしまいます。


聖書の中に、「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません」という言葉があります。また、「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい」とも言われています。


ですから、たとえ問題が他人のせいであっても、それを自分のせいと受け止めることができれば、その人の人生は豊かで意義深いものになっていくに違いありません。


箴言10:12には「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう」とあります。また、ペテロの第一の手紙4:8には、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」とあります。


目の前の問題を自分のせいにすると、自分が謙遜になります。ところが、人のせいにすると傲慢になります。教会の中で生じる問題も、人のせいにすると裁き合うようになり、教会が傷つきますが、自分のせいにすると、謙虚になり、祈りへと導かれ、教会の徳を高めることになるのです。


私たちは、目の前の問題を自分のせいにすると、神様から助けを求めるようになります。すると神様の素晴らしい助けの手が差し伸べられ、思いもしない祝福が注がれるようになります。


ニューヨーク市の歴代の市長の中で、誰よりも多くの人々から尊敬されたラ・ガーディアという市長がいました。彼は市長になる前、ニューヨーク市の裁判所の判事でした。あるとき、パンを盗んだ罪で逮捕され、起訴された老人の裁判をしました。


彼はその老人に、「なぜパンを盗んだのか?」と問いただすと、その老人は涙声で「何日も食べれなくて、あまりにもお腹がすいていました。パン屋の前を通る時、いつの間にか自分の手がパンを盗んでいました。本当にすみません」と言いました。


裁判長は「あなたの罪は10ドルの罰金刑に該当します」と、判決を下しました。それから裁判長は自分の財布から10ドルを出して、「罰金の10ドルは私が代わりに払います。彼のように食べるものがなくてお腹のすいた人がニューヨークの街角をさまよっていることを私は知らずに、今まで美味しいものをたくさん食べました。その罪によってこの罰金は私が支払います。この人がパンを盗んだのは、この人のせいではなく、私のせいです。私は良いものを食べ、良い服を着、良い家に住む豊かな判事として、彼らの生活を顧みませんでした」と言いました。


そして彼は、傍聴席を見ながら、「私のような罪人と一緒に罰金を払って下さる方はいらっしゃいませんか?」と言って、自分の帽子を傍聴席に座っている人々に回しました。すると、その場で47ドルが集まりました。彼はそのお金を老人に渡しながら、「もう二度とパンを盗んではなりません。このお金でパンを買って食べてください」と言いました。


その老人は感激の涙を流し、裁判所を去りました。それから後、ラ・ガーディア判事はニューヨーク市長になりました。このように、私たちはこの世を生きながら、周りの問題を自分のせいであると受け止めると、自分が砕かれ、悔い改め、謙遜にへりくだり、神様の助けを求め、神様の恵みをいただくようになります。


ですから、人生の糸がもつれた時、それを人のせいにすると人生はもっともつれます。しかし、自分のせいにすれば、必ずそのもつれは解けるようになるという不思議な法則を忘れないでいただきたいと思います。



今日の一言: すべての問題は自分のせい


鶴田健次



下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨

2017.08.18 21:56 | お知らせ
Mt. Hermon Youth Camp 証し その1~3に続き、<Ian L.兄の証し>をご紹介いたします。どうぞお楽しみください。またIan兄の救いの為にお祈りください。

ian.jpg 

この教会に来る前、僕はいつも教会に行きたいと思っていました。父が僕を他の教会に連れて行ってくれていた時から、もっと神様について学びたいと思っていたからです。父が亡くなってから、時々、母に僕を教会に連れて行ってくれるように頼みましたが、母は2つの仕事をしながら僕と僕のお兄さんを育ててくれて、いつも忙しくて疲れているので、そうすることができませんでした。

ある日、母は僕たちを教会に連れて行ってくれると言いました。その時はとて嬉しかったです。そして父もこのことを喜んでいると思います。なぜなら父はこれを望んでいたからです。この教会に来るようになって、神様についてたくさんのことを学びました。それから、僕は素晴らしい機会を与えられました。それはマウントハーモンのユースキャンプでした。

キャンプへ行く前の自分を振り返ると、自分はそれほど良い人だとは言えませんでした。そして僕はコントロールができていないことを全くりませんでした。“コントロールができていない”というのは、僕は嘘をつく等のすべきでないことをしていて、そして神様に祈る等のすべきことをしていなかったということです。僕はそれらのことをあまり深く考えていませんでした。

キャンプが始まり、僕はとてもわくわくしました。というのも、僕は楽しい時間を過ごすことができることと、神様について新しいことを学ぶことができると確信していたからです。キャンプ中、もちろん新しい友達と作ったり、彼らとのアクティビティーを楽しみました。

それらの楽しいアクティビティーの他に、僕ははっきりと覚えている、教えてもらった一つの御言葉があります。それはヨハネの手紙第一 3:15「自分の兄弟を憎むものはすべて人殺しです。すべての人殺しはその内に永遠の命を持っていないことを、あなたがたは知っています」です。この御言葉を教えてもらうまで、僕は罪というものがどれだけ悪いものなのかを知りませんでした。
ある夜、JEMSのミッショナリーの方々が僕にいくつかのお話をしてくれました。その中でもこの2つが僕の心の中に残っています:

1. とある孤立した村がありました。ある日、そこへJEMSのミッショナリーの方々がその村へ行きました。その村の人々はイエス様を信じたくなかったので、みんな自分の住処へ隠れてしまったそうです。しかし一人の小さな女の子が出てきて、JEMSのミッショナリーの方々の後をついてきたそうです。彼女の母親は彼女に戻ってくるように言いましたが、彼女は母親の言うことを聞きませんでした。その時、ミッショナリーの方々は彼女の片方の目が盲目であると言うことに気づきました。ですから、彼らは彼女のために祈ったそうです。すると、彼女の片目は見えるようになり、村の人々は驚いたそうです。それから村の人々はイエス様を信じるようになったそうです。

2. あるとき、JEMSのミッショナリーの方々がフィリピンで教会を作ろうとしましたが、そのための費用が足りなかったそうです。ですから、彼らはその教会を作るためのお金が与えられるように祈ったそうです。もちろんイエス様は彼らの祈りを聞いてくださり、彼らはある方がそのミッションのために50,000ドルの寄付をしてくれたという電話をもらったそうです。

これらのお話は僕に神様に祈ることがどれだけ大切なのかを教えてくれました。これらのお話だけでなく、イエス様が私たちの罪を贖うために死んでくださったので私たちの罪は赦されたということ、救われたということはどれだけ大切なことなのかということ、そして神様は神であり、聖霊であり、イエス様であると言うことを教えてくれました。僕は自分が学びたかったことを含めて、本当にいろいろなことを学ぶことができました。

キャンプを終えて、僕はキャンプ前と同じことを繰り返さないように努力しています。それはとても難しいことです。僕は毎晩お祈りをし、時々、聖書を読むようにしています。キャンプ前は神様とのつながりを全く感じませんでしたが、今は神様とのつながりを感じています。僕はこのキャンプに参加できて本当に良かったと思っています。そして以前は洗礼を受けるべきかどうかわかりませんでしたが、今は洗礼を受ける準備ができたと思います。

下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。

✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨


2017.08.17 01:10 | 証し

牧師室より#347「障害者は邪魔者ではない」_convert_20170812075820 


今日は、'障害者は邪魔者ではない'ということについて考えてみました。


一年前に神奈川県の知的障害者福祉施設で19人もの人が殺害されるという、おぞましい事件がありました。第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては犠牲者の数が最も多いだけでなく、重度の知的障害者はいない方が良いと言う男性による大量殺人であったことが日本社会に大きな衝撃を与えました。


この事件は、海外でも大きく報道されました。治安の良い日本で起きた残虐な大量殺人であること、そして障害者がターゲットとされたことがその理由でした。


私たちの社会は弱肉強食ではないのです。ルールがあり、マナーがあるのです。順序を守って並ぶ。高齢者には席を譲る。自分のことだけでなく、もっと他の人のことを考える。それが動物とは違う人間社会のあり方です。

子どもたちにケンカは付き物かも知れません。ケンカは両成敗が基本です。しかし、いじめは両成敗ではありません。被害者を守り、加害者を指導しなければなりません。


さらに、障害児に対するいじめは絶対に許されるものではありません。特に学校という教育の現場において、障害児に対して、その障害のゆえのいじめが起きたとしたら、それは大きな問題であり、普通のいじめ以上に、加害者は強く指導される必要があります。


しかし、いつの世にも、どこの世にも、障害者差別はあります。人は、障害者を差別するのです。なぜでしょうか? それは、障碍者であれ、お年寄りであれ、弱い人を見る視点が間違っているからです。


エドナ・マッシミラの『天国の特別な子ども』というタイトルの詩をご紹介しましょう。


会議が開かれた。地球からはるか遠くで。
『次の赤ちゃんの誕生の時間ですよ』
天においでになる神様に向かって、天使たちは言いました。
『この子は特別の赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長はとてもゆっくりに見えるかも知れません。
もしかして一人前にはなれないかも知れません。
だからこの子は下界で出会う人々に、
とくに気をつけてもらわなければならないのです。
もしかしてこの子の思うことはなかなか分かって貰えないかも知れません。
何をやっても上手くいかないかも知れません。
ですから私たちは、この子がどこに生まれるか、
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が、幸せなものとなるように。
どうぞ神様、この子のために素晴らしい両親をさがしてあげて下さい。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を…
その二人は、自分たちに求められている特別な役割を、

すぐには気がつかないかも知れません。
けれども天から授けられたこの子によって、やがて二人は、

ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。
そして、自分たちに与えられた特別の神のおぼし召しを悟る

ようになるでしよう。
神から贈られたこの子を育てることによって、柔和でおだやかな
この尊い授かりものこそ、天から授かった特別な子どもなのです。』


障害者は邪魔者でも迷惑な存在でもありません。世の中のデタラメな価値基準は障害を持った人を、役に立たない存在として扱いますが、神の支配にある世界での位置づけは、自分は健全だと錯覚をしている人々の訓練のためだということです。


愛の足りない、忍耐のない、寛容さの足りない、自己中心な人を訓練するために、神は弱い人々を特別に用いようとしてらっしゃるのです。家庭の中に弱い存在がいると、その家庭は健全になると言われます。本当に大切な事を考え、大事なものを見つめ、人と比較してではなく、その子をその子として見つめるようになるからです。


競争社会の今日において、何かが出来るから価値のある人間なのではなく、何かが出来ても出来なくても、その人の存在そのものに価値があるのだということを再認識したいと思います。なぜなら神がその人を価値ある存在として造られたからです。それを証明するために、神はご自分の独り子の命を犠牲にされました。そこに人間の価値の根拠があるのです。


今日の一言:弱い人を大切にしよう。


鶴田健次


下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨


2017.08.12 07:58 | お知らせ

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.