今日は、"若者は幻を見、老人は夢を見る"という聖書の言葉を考えてみました。
東京に聖路加国際病院という病院があります。この病院に『聖ルカ病院』という名前がついているのは、『ルカの福音書』を書いたルカが医者であったからだそうですが、この病院は、医師であり宣教師であったルドルフ・トイスラーによって開設されました。
ドクター・トイスラーは、この病院にこういう夢を託しました。「この病院は、クリスチャンの愛が人の苦しみを救うために働くとき、人を変える力となるということを誰もが確信するようになるための生きた器官である。」
この創立の精神は今もしっかり引き継がれ、日本で最も進んだ病院として脚光をあびています。この病院をさらに有名にしたのは、日野原重明という人です。日野原先生は1911年生まれで、今年の7月18日に105歳で召天されましたが、生涯、現役を貫かれた方です。
クリスチャンであった日野原先生は、『人生は75歳から』という持論を持ちながら、この病院に掲げられた夢の実現のために頑張って来られました。この『人生は75歳から』というのは、おそらく旧約聖書のアブラハムから来ているのではないかと思いますが、信仰の父と言われるアブラハムは75歳になってから、人類を救う神の計画の担い手として新しい出発を始めました。
モーセが、エジプトの奴隷となっていたイスラエルを救うために立ち上がったのは、彼が80歳の時です。それから彼は、120歳で死ぬまでの40年間、イスラエルを約束の地に導くという夢の実現のために力強く生きました。
ヨシュアがモーセの後継者となって、カナンの地を征服するために歩み出したのは、彼が95歳の時です。それから彼は110歳で死ぬまでの15年間、カナン征服の夢を持ち続けながら、夢の実現に向かって進んで行ったのです。
十数年前、世界で大成功を収めた200人の人々に関する研究発表がなされました。その中で、この200人全員に共通するものがありました。それは、彼ら全員が大きな夢を持ち、明確な目標を定め、その目標達成のために歩むことを止めなかったということです。
使徒パウロにとって、すべての人がイエス・キリストの福音を聞くようになることが、何としてでも実現させたい夢でした。ですから、彼は、どんな迫害を受けても、むちで打たれ、石で打たれ、牢獄に入れられても、その夢を追い求めることを止めませんでした。それによって、全世界にキリストの福音が広がる足がかりが出来たのです。
私たちも夢を見る必要があります。教会としても、個人としても、私たちは夢を見なければなりません。しかも小さな夢ではなく、神様が持たせて下さる大きな夢を見なければなりません。小さな夢は小さな働きにしかつながりません。しかし、大きな夢は大きな働き、永遠に関わる結果につながります。
人は年を重ねるにつれて過去を見、うしろを向きがちになります。しかし聖書は、人は聖霊を受けると『若者は幻を見、老人は夢を見る』と言います。皆さんも聖霊を受けて下さい。そして、もっと幻を見、もっと夢を見、祝福の運び手となって価値のある人生を生きていきましょう。
今日の一言:若者は幻を見、老人は夢を見る
鶴田健次
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今日は、"互いに愛し合う"ということについて考えてみました。
イエス・キリストは十字架にかかる前夜、弟子たちに告別の説教(お別れの説教)を語られましたが、その中で、こう命じられました。
「わたしは、新しい戒めをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」(ヨハネ13:34-35)
主イエスは、今を生きる私たちにも同じことを命じておられます。これは勧めではなく、私たちに対する主の命令です。「あなたがたは互いに愛し合いなさい」。この互いに愛し合うとは、「互いに赦し合う」こと、また「互いに受け入れ合う」こと、と言い換えることもできます。
主イエスは私たちに「間違いをしないように、失敗をしないように」と注意しておられるのではありません。私たちは誰もが不完全であり、欠点を持っています。やがて栄光の体を与えられるまでは、この問題は持ち続けるのです。ですから、どうしても私たちは間違いを犯したり、失敗をしたりすることがあるのです。
そんな問題を抱えた私たちが、平和な人間関係を保ちながら、喜びのある、幸せな人生を生きるための鍵は、まさに主イエスが言われたように、互いに愛し合い、互いに赦し合い、ありのままを受け入れ合うことなのです。 そして、この愛し合う、赦し合う、受け入れ合うということは、相手に要求するものではなく、自分自身に求められている能動的な行為であることを理解することは大変重要なことです。
聖書は決して、誰かに愛されることを求めなさい、赦されることを求めなさい、とは教えていません。「互いに愛し合いなさい」とは、相手が自分を愛することを要求するのではなく、自分が相手を愛することを実行することなのです。
そして、この事を可能にするのは、「わたしがあなたがたを愛したように」とあるように、主イエスに愛された経験がその重要な鍵です。その経験なしに、あるいは、その経験が不足していては、「互いに愛し合う」ことは難しいのです。
あなたはいかがですか? あなたは教会のすべての仲間たちを愛することができていますか? 赦すことができていますか? すべての仲間たちをありのままで受け入れることができていますか?
人の批判をする人にならないで下さい。人の批判はサタンに惑わされている人の行為です。そこには神様の祝福も喜びもありません。聖霊に導かれている人は、人の徳を高める言葉を語り、決して人を批判したりはしません。いっさいの悪意を捨て去り、互いに情深く、憐れみ深くあり、心を一つにして愛の共同体を建て上げていきましょう。
今日の一言: 互いに愛し合うことを実行しよう
鶴田健次
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若いころは、体の健康維持など気にもしなかったのですが、そろそろメディケアが手の届くところに来て、数年前から身を案ずるような方向へと徐々に変化している自分に気付きました。これは大きなターニングポイントだと思いました!
人生の前半と後半に分けられる “区切り” 的な境目を意識した始まりです!
さて、ならばどのように人生の後半戦に望んだら良いかが問題です。考えられる事として、バランスのとれた食生活、適度の運動、さらに、思考の質やマインドコントロールなども良い歳のとり方や健康維持に必要不可欠な要素として考えました。
とりあえず今回は、運動で健康な体を維持することに目を向けることにします。

ここはCharlie Frias Park チャーリー・フリアス公園です。ドッグパークや子供の水遊び場、テニスコート、バスケットボールコート、また広大な芝生にはサッカー場が3面できる広さがあり、その外周トラックは早歩きで約10分ほどかかります。そこを3周か4周するのが常です。
トラックを歩きながら朝のお祈りをします。加えて、公園で出会った人々のことを祈ります。
もし、目の前を歩いている人が神様を信じる人なら、祝福の上に更なる祝福が与えられますように。もし、まだ神様を知らないなら、その機会が与えられ、主の愛に触れ、滅びに行く魂が救われますように、という風に出会う人毎に祈ります。そして心に浮かんだ賛美を歌います。
この歩きながらの祈りは、以前何かで読んだか聞いたかしたもので、私もやってみようと思い立ち、それ以来続いています。いつでもどこでも誰にでも、こうして勝手に祈ります。
その利点はといえば、習慣化することで、主がいつも身近にいることが感じられ、心に平安が与えられることです。



朝のウォーキングはさわやかで気持ちが良いし、その日のモチベーションが上がるだけでなく、考え方もポジティブになり、力がみなぎって来るような気がします。
良い種を蒔けば良い実がなる、と聖書は教えています。これこそが、良い実を得るための基礎。健康な体を維持することも、この延長線上にある事がわかります。
聖書では、人生を健康のまま全うした人がいます。その代表的な人がモーセでしょう。
申命記34章7節に、「モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。」とあります。人は誰でも、健康のまま命を全うしたいものです。モーセのように。
私たち人間を造られた神様は、人間を健康なうちに人生を全うできるように造られたと、私は思っています。
老いるに従って体の機能が低下し、自分が何者であるかもわからず、人の介護によって生きることが「老後の人生」だ、などとは思いたくありません。
なぜなら、この大宇宙を創造され、驚異的な緻密さで人間を造られた神が「はなはだ良し」と言われた対象、それが人間だからです。神は完璧な生涯を全うできるだけの要素を、私たちの体に既に与えておられると信じています。
ただ、自由意志という名の選択を通して、良い種を蒔くという選びの行為に至れば、良い実の刈り取りができる、ということです。
箴言4章23節でこう言われています。
「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」
人生後半の健康を考えた時、この御言葉が輝き出し、目指す方向を確認した思いです。
(MU)
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