
今日は、”収穫の原則”ということついて考えてみました。
「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」(IIコリント9:10)
あなたは、自分の必要の供給源として、神だけに頼る決断をすることの大切さを考えたことがありますか? 私たちクリスチャンは、自分の必要を満たすために、神だけを頼りにし、他の何ものにも頼らないことを神に申し上げる必要があります。
私たちは、供給のチャンネルを供給の源と勘違いすることがあります。神は、あなたの必要を備えるために、そのチャンネルとして、仕事から得る給料を用いられるかも知れません。しかし、あなたの雇い主は神の備えの単なるチャンネルに過ぎないのです。そして、神が望まれるなら、いつでも別のチャンネルに移すことも神はおできになるのです。
もしあなたが、自分の必要を満たすために何か別のものを頼りにし、供給のチャンネルと供給の源を間違い始めると、明らかな警告のしるしが見え始めます。それは“心配”です。
たとえば、供給のチャンネルの代わりに、供給の源として仕事を頼りにしているとしましょう。すると、あなたは、会社で事ある度に、「仕事を無くしたらどうしよう?」と心配し始めるに違いありません。しかし、知って下さい。供給のチャンネルは閉ざされることがあっても、あなたの必要を満たす供給の源は常に活発に働き、あなたのために備えようとしているのです。しかし、あなたが神以外のものを頼りにしているなら、あなたは神に備えていただくチャンスを与えないのです。
あなたは、自分に何が欠けているかを知ると、その必要を満たすチャンネルを選ぶ権利を神に与えなければなりません。それは、あなたが選ぼうとしているものと違うかも知れません。実際、神は、あなたが神を頼りにし続けることを学ぶために、意図的に違うチャンネルを選ばれることがあります。しかし、そこには大切な目的があることを見落としてはいけないのです。
神をどこまでも神として生きていくことこそ、クリスチャン生活の醍醐味です。神が、あなたの必要に対し、あなたが不可能と思っている方法で、あるいはあなたが考えたこともない方法でそれを満たして下さるのを見ることは、なんとスリルに満ちたものでしょうか。
今日の一言: 必要を備えて下さるのは神である
鶴田牧師
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ある時クリスチャンの友人が、お金を人に貸した時の事を話してくれました。
30年も前のことだけれど、どうにも忘れられないと、自分はクリスチャンなのに情けない!と言うのです。
貸したきっかけはこうでした。
会社に勤めていた当時の上司が身の上話を始めて、母と2人の生活が困窮していることを静かに話し出し、友人はそれに深く同情したのだそうです。
話を聞きながら、自分の銀行口座にある何年も使ってない50万円を、上司の生活のために役立てたいと思い、そのように切り出すと、上司は涙を流しながら感謝の言葉を言い、「必ず返しますから、しばらく貸していただきます」と言われたのですが、友人は返金の期限を言い出せなかったそうです。
そこで、「貸したお金は、あげたつもりでいよう」と思ったそうです。
それから数ヶ月が過ぎたある日、上司から、「母が90歳になったお祝いをする」ということで、その食事会に招待されました。
友人は、上司の生活は困窮しているのに食事会か、と何とも割り切れない気持ちで出席すると、上司は友人に、「母は自分を、女手ひとつで育ててくれたから、苦労した母の長寿を、何としても祝ってあげたかった」と話しました。
その食事会は、たぶん20人位の方々が招待されていました。眼下にある川のせせらぎを聞きながら食事ができる、ちょっとしゃれたレストランでした。
友人は心の中で、これで貸した50万はなくなったわけだ、と思い、困窮した生活はどうするのだろう、と心配したのだそうです。
それから1年もしないうちに上司は会社を辞め、ある日友人は1度だけ行った事がある上司の公団住宅を訪ねると、引越しをしたようで誰も住んでいないようすだったと言います。
友人が言うには、「上司は、私を騙すつもりはなかったとは思うけど、返すと言った手前、返せなくなりました、とは言えなかったに違いない」と、言いながらも、「しかし、話してほしかったね、返せないことをさ」と、言いました。
「もし、正直に話してくれていたら、あのお金は差し上げたものなので、返す必要はないのですよ、と開放してあげられたのに。だけど、万が一返してくれるかも知れないと思う自分のズルさが、上司を逃げる方向に追い詰めたのかもしれないな」と、言うのでした。
30年も前のことが引っかかっていた、友人の告白でした。
イエス様はマタイ22:21で、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と、言っておられます。
本来この世にある全てのものは創造主のものです。私たちの命も、体も、能力や財産に至るまで主のものなら、カイザルのものはカイザルにとありますが、それも時が来れば神に返すものになるでしょう。ましてや、私たちが人に貸したお金も、また神様に返すもので、神様の目からは、取り立てることを正当化する理屈は成り立たないことになるのでしょう。
(MU)
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今日は、「神に対する信頼」ということを考えてみました。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)
イスラエルの民が400年のエジプトでの奴隷生活から解放されたとき、彼らは自由を求めて歩き始め、最初の行き詰まりが紅海でした。両側には越えられない山があり、前方には海があり、そして、後ろには、エジプトの王パロが心を変えたために、彼らを捕らえようとするエジプトの軍隊の追跡がありました。イスラエルの民はまさに八方塞の状態に見えました。
しかし、神はご自分が何をしたいのかをよくご存知でした。神は決して間違いをされません。神は彼らに見えないものを見ることができます。神は紅海を開き、彼らはそこを通り抜けることができたのです。何年も後に、イスラエルの民は、その時のことを振り返り、こう歌っています。
「あなたの大路は海の中にあり、あなたの道は大水の中にあり、あなたの足跡はたずねえなかった。」(詩篇77:19)
あなたは今、経済的、精神的、あるいは人間関係で行き詰まっておられませんか。神はあなたのすべてを知り、あなたが知らない道を見ることがおできになります。もしあなたが神を信頼し、信仰によって歩むなら、たとえあなたにはどこにも道が見えなくても、神は必ず道を作って下さるのです。
あなたの前に神が用意された道は、最初は分からなくても、神を信頼し続けるなら、やがて分かるようになります。箴言4:18では、こう言われています。
「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。」
やがて、あなたは永遠の光に照らされて、大きな展望が開かれるでしょう。そして、神があなたのために特別に選ばれた道の背後にある神の目的を知るのです。
「では、それまで私は何をすればいいのですか?」と言われるかも知れません。あなたは箴言3章が言っていることをすればいいのです。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
「自分の知識にたよってはならない」とはどういう意味でしょう。それは、あなたが自分で解かろうとしなくてもいいということです。実際、あなたが天国に行くまで、あなたの人生に起こることのほとんどをあなたは知らないのです。
忍耐強く歩みましょう。神はご自分で何をしておられるかよくご存知です。神はあなたにとっての最善をご存知です。神は既に最後の結末を見ておられるのです。あなたにはそれは分かりません。すべての問題、心の痛み、困難、そして遅れなど、あなたが「なぜ」と尋ねるすべてのものが、やがて神の愛の光の中で明らかになるのです。
しかし今は、私たちは神を信頼することを学んでいるのです。
今日の一言:どんな時にも神を信頼しよう。
鶴田健次
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