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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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先日イエス様の復活をお祝いしたばかりのような気がするのですが、早いものでイエス様が弟子たちと過ごされた40日間も過ぎ、来週日曜日6月4日がペンテコステ(聖霊降臨日)ですね。今まで、ペンテコステのことについて、そしてその日のことについて真剣に向き合ったことが無かったことに気づき、聖書を読んでみました。

イエス様は十字架にかかられる前に、もうひとりの助け主、聖霊の事について弟子たちに話をされました。

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ヨハネの福音書 14:16-17

また、復活されたイエスは40日間弟子たちと共におられる間にも再度言われました。

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。
使徒の働き 1:3-5

そして、実際にイエス様の復活から50日目にキリストの弟子たちの上に天から聖霊がくだりました!!!

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
使徒の働き 2:1-4

これにより、50日前にはイエス様のことを知らないと言ったペテロが人々の前で大胆にイエス様のことを証しし、3000人程が弟子に加わり、キリストの体である教会が形成されました。

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
使徒の働き 2:14
ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
使徒の働き 2:36-42

この日、弟子たちにくだった聖霊様は、私たちキリストを信じる人たちの内に住んでくださり、私たちを助け、教え、導き、平安を与えてくださっています。そして何よりも、私たちの主イエスキリストの証人となるための力を与え、助け人となってくださると書いてあります。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
使徒の働き 1:8

その他にもまだまだ、聖書には聖霊様のことについて書いてありますが、今回改めて私が教えられたことは、イエス様は前もって私たちに聖霊様のことについて話をされ、忍耐をもって教えられ、そして実際に聖霊様を私たちに注がれ、今もなお聖霊をとおして働いておられるという事でした。
ペンテコステを前に、今一度聖霊様のこと、そして私たちの中に住んでおられる聖霊様を通して主が私たちにしようとしておられることをもっと学び、聖霊様の働きを妨げないような生活をしよう! 伝道をしよう! と思った週末でした。

(KS)
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2017.05.30 02:38 | その他

牧師室より#336「収穫の原則」_convert_20170526231643 


今日は、”収穫の原則”ということついて考えてみました。 

 

 

「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」(IIコリント910

 

あなたは、自分の必要の供給源として、神だけに頼る決断をすることの大切さを考えたことがありますか? 私たちクリスチャンは、自分の必要を満たすために、神だけを頼りにし、他の何ものにも頼らないことを神に申し上げる必要があります。

 

私たちは、供給のチャンネルを供給の源と勘違いすることがあります。神は、あなたの必要を備えるために、そのチャンネルとして、仕事から得る給料を用いられるかも知れません。しかし、あなたの雇い主は神の備えの単なるチャンネルに過ぎないのです。そして、神が望まれるなら、いつでも別のチャンネルに移すことも神はおできになるのです。

 

もしあなたが、自分の必要を満たすために何か別のものを頼りにし、供給のチャンネルと供給の源を間違い始めると、明らかな警告のしるしが見え始めます。それは“心配”です。

 

たとえば、供給のチャンネルの代わりに、供給の源として仕事を頼りにしているとしましょう。すると、あなたは、会社で事ある度に、「仕事を無くしたらどうしよう?」と心配し始めるに違いありません。しかし、知って下さい。供給のチャンネルは閉ざされることがあっても、あなたの必要を満たす供給の源は常に活発に働き、あなたのために備えようとしているのです。しかし、あなたが神以外のものを頼りにしているなら、あなたは神に備えていただくチャンスを与えないのです。

 

あなたは、自分に何が欠けているかを知ると、その必要を満たすチャンネルを選ぶ権利を神に与えなければなりません。それは、あなたが選ぼうとしているものと違うかも知れません。実際、神は、あなたが神を頼りにし続けることを学ぶために、意図的に違うチャンネルを選ばれることがあります。しかし、そこには大切な目的があることを見落としてはいけないのです。

 

神をどこまでも神として生きていくことこそ、クリスチャン生活の醍醐味です。神が、あなたの必要に対し、あなたが不可能と思っている方法で、あるいはあなたが考えたこともない方法でそれを満たして下さるのを見ることは、なんとスリルに満ちたものでしょうか。

 

 

今日の一言: 必要を備えて下さるのは神である

 

 

鶴田牧師


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2017.05.26 23:17 | 鶴田健次牧師より
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ある時クリスチャンの友人が、お金を人に貸した時の事を話してくれました。

30年も前のことだけれど、どうにも忘れられないと、自分はクリスチャンなのに情けない!と言うのです。

 

貸したきっかけはこうでした。

会社に勤めていた当時の上司が身の上話を始めて、母と2人の生活が困窮していることを静かに話し出し、友人はそれに深く同情したのだそうです。

話を聞きながら、自分の銀行口座にある何年も使ってない50万円を、上司の生活のために役立てたいと思い、そのように切り出すと、上司は涙を流しながら感謝の言葉を言い、「必ず返しますから、しばらく貸していただきます」と言われたのですが、友人は返金の期限を言い出せなかったそうです。

そこで、「貸したお金は、あげたつもりでいよう」と思ったそうです。

 

それから数ヶ月が過ぎたある日、上司から、「母が90歳になったお祝いをする」ということで、その食事会に招待されました。

友人は、上司の生活は困窮しているのに食事会か、と何とも割り切れない気持ちで出席すると、上司は友人に、「母は自分を、女手ひとつで育ててくれたから、苦労した母の長寿を、何としても祝ってあげたかった」と話しました。

その食事会は、たぶん20人位の方々が招待されていました。眼下にある川のせせらぎを聞きながら食事ができる、ちょっとしゃれたレストランでした。

友人は心の中で、これで貸した50万はなくなったわけだ、と思い、困窮した生活はどうするのだろう、と心配したのだそうです。

 

それから1年もしないうちに上司は会社を辞め、ある日友人は1度だけ行った事がある上司の公団住宅を訪ねると、引越しをしたようで誰も住んでいないようすだったと言います。

友人が言うには、「上司は、私を騙すつもりはなかったとは思うけど、返すと言った手前、返せなくなりました、とは言えなかったに違いない」と、言いながらも、「しかし、話してほしかったね、返せないことをさ」と、言いました。

「もし、正直に話してくれていたら、あのお金は差し上げたものなので、返す必要はないのですよ、と開放してあげられたのに。だけど、万が一返してくれるかも知れないと思う自分のズルさが、上司を逃げる方向に追い詰めたのかもしれないな」と、言うのでした。

 

30年も前のことが引っかかっていた、友人の告白でした。

 

 

イエス様はマタイ22:21で、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と、言っておられます。  

本来この世にある全てのものは創造主のものです。私たちの命も、体も、能力や財産に至るまで主のものなら、カイザルのものはカイザルにとありますが、それも時が来れば神に返すものになるでしょう。ましてや、私たちが人に貸したお金も、また神様に返すもので、神様の目からは、取り立てることを正当化する理屈は成り立たないことになるのでしょう。

 

MU

 

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2017.05.24 15:22 | 証し
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  マリア崇拝とは、聖母マリアを崇拝することですが、これは明らかに聖書の教えに反する行為で、カトリック教会でも禁じられていることです。ところが、多くのカトリック教徒の中にマリアを崇拝している現実があり、プロテスタント教会の人々にカトリック教会がマリア崇拝を教えている、という誤解を生んでいるようです。

  また、有名なフランスのノートルダム寺院も、その名前は「私たちの貴婦人」という意味で、聖母マリアを指し、これと同じ名前を持った教会がカトリックの世界には数多くあります。あるいは、たとえマリアの名前を冠していない教会でも、マリアの聖画を掲げ、マリアを崇拝対象としているように見える教会がむしろ一般的です。また、カトリック信者が日常的に唱えるロザリオの祈りなどはマリア追憶のようなものです。

  さらに、カトリック教会はマリアの永遠の処女性を主張しており、ヨセフとも結婚せず、子供も産まなかったとします。したがって、聖書にあるイエスの兄弟に関する記述は都合が悪いので、彼らは従兄弟であると説明します。また、‘マリアの被昇天’(マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという教義)や、‘マリアの無原罪’(マリアはその原罪を免れているとする教義)などは、結果として、マリアを神性を帯びた存在とする主張へと発展するのです。このマリアが神性を帯びた存在であるとする主張の根拠は、イエスが救い主キリストであるとの主張の延長線上に出てくるもので以下の論点に基づいています。

1.イエスは救い主キリスト=神の子
2.神の子を宿すものは神的な存在であるはず
3.その神の子を宿したのはマリア
4.したがってマリアは神的な存在とならなければならない

  この理念がマリアを‘テオトコス’(神を生んだもの)と呼ぶことに執着を持たせることになります。しかし、後にイエスの人性・神性を巡っての論争で、イエスは人として地上に来た神の子であるから、その人性を無視した‘テオトコス’という言い方は良くないのでキリストの母と呼ぶべきだという論争が起きました。ところが、結局‘テオトコス’派に負けて異端とされて迫害される始末となりました。こうしてマリアの女神的あり方はどんどん突き進められ、多くの信者たちに崇拝の対象として受け止められていったようです。

  したがってマリアは、聖書の記述とは関係なしに、永遠の処女でなければならず、さらにマリアの被昇天、ついにはマリアの無原罪へとその主張は発展していったのです。

  また、宗教改革以前、一般の人々は聖書を読むことを厳しく制限されていました。それによって、聖職者階級は一般大衆に対する権力を保持できたからです。彼らは,“自分たちの領域”に一般大衆が立ち入ることを望みませんでした。

  1199年、教皇インノケンティウス3世は、聖書をフランス語に翻訳して討論までしている「異端者」に関し、主イエスの「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません(マタイ7:6)」という言葉を引用し、「無学な平民が差し出がましくも、聖書の崇高さにかかわったり聖書から説教したりすべきではない」と主張しました。そして、教皇の命令に従わない人は、異端審問に掛けられて拷問を受け、信条を撤回しないなら生きたまま火あぶりにされました。

  教皇の勅令が出て間もなく、一般の人々が理解できる言語の聖書は焼却され始めます。そのような聖書の所有者が火あぶりにされることもありました。続く何世紀もの間、ヨーロッパのカトリック諸国の司教や支配者たちは、教皇インノケンティウス3世による禁令を確実に守らせるため、あらゆる手を尽くしました。

  カトリックの聖職者たちは、自分たちの教えの中に聖書にではなく教会の伝統に基づくものが多い、ということを知っていたはずです。信者たちに聖書を読ませないようにした理由の一つはそこにあります。そういう理由からも、多くのカトリック信者が自分たちの間違いに気づかず、聖書の教えでないことを信じて来たということも言えるのではないかと思います。

LVJCC牧師:鶴田健次

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2017.05.22 06:38 | キリスト教 Q & A

牧師室より#335「神に対する信頼」_convert_20170520002743 


今日は、「神に対する信頼」ということを考えてみました。



「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)



イスラエルの民が400年のエジプトでの奴隷生活から解放されたとき、彼らは自由を求めて歩き始め、最初の行き詰まりが紅海でした。両側には越えられない山があり、前方には海があり、そして、後ろには、エジプトの王パロが心を変えたために、彼らを捕らえようとするエジプトの軍隊の追跡がありました。イスラエルの民はまさに八方塞の状態に見えました。



しかし、神はご自分が何をしたいのかをよくご存知でした。神は決して間違いをされません。神は彼らに見えないものを見ることができます。神は紅海を開き、彼らはそこを通り抜けることができたのです。何年も後に、イスラエルの民は、その時のことを振り返り、こう歌っています。



「あなたの大路は海の中にあり、あなたの道は大水の中にあり、あなたの足跡はたずねえなかった。」(詩篇77:19)



あなたは今、経済的、精神的、あるいは人間関係で行き詰まっておられませんか。神はあなたのすべてを知り、あなたが知らない道を見ることがおできになります。もしあなたが神を信頼し、信仰によって歩むなら、たとえあなたにはどこにも道が見えなくても、神は必ず道を作って下さるのです。



あなたの前に神が用意された道は、最初は分からなくても、神を信頼し続けるなら、やがて分かるようになります。箴言4:18では、こう言われています。



「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。」 



やがて、あなたは永遠の光に照らされて、大きな展望が開かれるでしょう。そして、神があなたのために特別に選ばれた道の背後にある神の目的を知るのです。



「では、それまで私は何をすればいいのですか?」と言われるかも知れません。あなたは箴言3章が言っていることをすればいいのです。



「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」



「自分の知識にたよってはならない」とはどういう意味でしょう。それは、あなたが自分で解かろうとしなくてもいいということです。実際、あなたが天国に行くまで、あなたの人生に起こることのほとんどをあなたは知らないのです。



忍耐強く歩みましょう。神はご自分で何をしておられるかよくご存知です。神はあなたにとっての最善をご存知です。神は既に最後の結末を見ておられるのです。あなたにはそれは分かりません。すべての問題、心の痛み、困難、そして遅れなど、あなたが「なぜ」と尋ねるすべてのものが、やがて神の愛の光の中で明らかになるのです。



しかし今は、私たちは神を信頼することを学んでいるのです。




今日の一言:どんな時にも神を信頼しよう。


鶴田健次




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2017.05.20 00:28 | 鶴田健次牧師より

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