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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”世界最終戦争”について考えてみました。


最近、いろいろな所で世界の終末が囁かれるようになりました。色んな人が色んな事を言います。しかし、それは聖書預言の中にある必ず実現する出来事なのです。ただ、その本当の内容はどれだけの人がご存知でしょうか?


ところで、皆さんは”ハルマゲドン”という言葉をご存知ですか? これはもともと聖書の中に出てくる言葉ですが、聖書を知らない人々の間でも話題に上ることがあります。しかし、”ハルマゲドン”は、世間では必ずしも本来の意味で語られてはおらず、正しくは理解されていない場合がほとんどです。


まず、”ハルマゲドン”とは、聖書のヨハネの黙示録に記された、世界最終戦争の起きる場所の名前です。以前に世間を騒がせた「ノストラダムスの大予言」に、1999年の七の月に恐怖の大王が降って来て、世界は荒れ果て、すべては絶滅すると予言されていたことから、ハルマゲドンの戦いは1999年であるという説が生まれたことがありました。また、その他にも、最近の新興宗教の中には、世俗的な終末論を利用して、信者を扇動しているものもあるので、そういうものに惑わされてはなりません。


聖書預言によれば、やがてエルサレムにユダヤ教の神殿が再建されることになっています。現在、この神殿が建てられる”神殿の丘”はイスラエルの主権下にありますが、イスラム教がその敷地を管轄しているので、まだ神殿が建てられる状況ではありません。しかし、正統派のユダヤ教徒たちによって神殿建設計画の準備はほとんど整い、神殿礼拝に必要なものも全て揃えてあります。あとはイスラム教側から神殿建設に同意が得られればいいのですが、おそらく、イスラエルが反キリストと契約を結ぶと預言されているそのときに実現するものと考えられます。


この契約の始まりが預言者ダニエルによる第七十週目の預言の始まりで、この世は七年間の患難時代に突入します。そして、イスラエルと契約を結んでから三年半が過ぎたころ、反キリストは、ユダヤ教の神殿礼拝を止めさせ、自分が神であると宣言して神殿の至聖所に立ち、エルサレムを踏みにじるのです。それから、世界は患難時代後半の大患難時代に突入し、特にユダヤ人たちはとてつもなく大きな患難を迎えるようになるのです(マタイ24:15‐21)。


ハルマゲドンの戦いは、エルサレムが踏みにじられる時から数えて三年半後、つまり七年間の患難時代の最後に起こることになっており、これが世界最終戦争なのです。ハルマゲドンの戦いについて、黙示録は次のように預言しています。


第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。 また、私(ヨハネ)は竜(サタン)の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。 彼らはしるしを行う悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。 ―見よ。わたし(キリスト)は盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである― こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。(黙示録16:12-16)


ハルマゲドンの地に、多くの国々からなる同盟軍が集結するのです。ハルマゲドンは「メギドの丘」という意味で、イスラエル北部の地にあります。ガリラヤ湖の南西40キロくらいの所です。古くから、雌雄を決する戦闘が行なわれてきた戦場としても有名で、世界最終戦争もここで行なわれることになります。


しかし、多くの人はハルマゲドンの戦いは人間同士、また国と国との戦いだと思っていますが、ハルマゲドンの戦いは、人間同士が戦う普通の戦争とは異なり、神の勢力と地上の悪の勢力(反キリストとその同盟国)との戦いなのです。聖書はこう記しています。


また、私(ヨハネ)は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。・・・・・・・・ 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。・・・・・・・・ また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり(ハルマゲドンに)、馬に乗った方(キリスト)とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。(黙示録19:11-21)


神の軍勢とはキリストと天の軍勢、また悪の軍勢とはハルマゲドンに集結した王たちと反キリスト、また偽預言者です。ハルマゲドンの戦いは、このように人間同士の戦いではなく、神の軍勢と地上の悪の勢力との戦いであり、再臨のキリストが地上の悪の勢力に対してなさる審判なのです。

また多くの人は、”ハルマゲドン”と聞くと、背筋の寒くなるような人類絶滅戦争と思いがちですが、聖書の語るハルマゲドンの戦いはそのようなものではありません。確かに甚だ多くの人々が死ぬことになりますが、決して善人も悪人も無差別に死んでしまう戦争ではありません。そのとき死ぬのは、滅びるべき人々だけです。死は無差別にではなく、選択的に起こります。


ハルマゲドンの戦いは、悪の勢力を一掃するものであり、地上に至福と平和の「千年王国」をもたらし、クリスチャンたちは、キリストにあって、来たるべき千年王国を継ぐのです。したがって、クリスチャンにとってのハルマゲドンの戦いは、恐れるべきものではなく、むしろ待ち望むべきものです。それは人類絶滅戦争ではなく、悪の勢力に絶滅をもたらす神の審判だからです。


今日の一言: キリストを信じる者にはどこまでも希望がある



鶴田健次


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2017.04.29 04:09 | 鶴田健次牧師より

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数多くの忘れられない感動的なストーリーが続々と繰り広げられるオリンピックゲームから、早八ヶ月ほどが経ちました。私は4年に一度開催される夏のオリンピックが特に大好きで、次回2020年はなんと母国日本で開催されることがとても楽しみで仕方ありません。


何よりも、参加するアスリートの背景や生き様に興味をそそられます。特に選手を支える信仰が明らかにされる場面に出会う時、素晴らしい感動を覚えます。そして神の御介入を疑う余地がない、そのような出来事から、多大なる励ましを受けます。


今日は、すでにご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますが、2016年リオ・オリンピックで起きた感動のエピソードをご紹介します。


女子5000メートル予選で、米国のアビィー ダゴスティーノ選手とニュージラントのニッキー ハンブリン選手がおよそ2000メートル地点で接触し、転倒してしまいます。


致命的な状況下でアビィー選手は、先に転倒したニッキー選手が倒れたままであるのを見て、真っ先にニッキー選手の肩に手を差し伸べ「立って、立って、最後まで走らないと!」と励ましました。


母国の代表として晴れて参加の切符を手に入れた選手たちは、この晴れ舞台のために、一生をかけて想像を絶するほどのトレーニングを積み重ね、万全に備えた上で挑むのが当然であり、たとえ転倒してしまったとしても、即座に立ち上がり振り向くことなく先頭群に追いつけるよう走行を再開するのが普通でしょう。


でもアビィー選手は、違いました。実際に負傷したのは彼女自身であったのに、まず先にニッキー選手を励まし、2人でレースを走り続けるのでした。膝に大怪我を負ったアビィー選手は、棄権をも止むを得ない状況にもかかわらず、最後までレースを走り抜けたのです。そして先にゴールしたニッキー選手は、最下位のアビィー選手をゴールで待ち続け、二人は感動の抱擁を交わすのでした。この時まで、二人はお互い全く知らない存在でした。


最後まで諦めずにゴールを目指した二人の姿に称賛が集まり、大会側も特例で2人の決勝出場を認めたのでした。(アビー選手は怪我のため決勝出場ならず)


クリスチャンであるアビィー選手は、これまでにもSNSなどで普段から自分の信仰をシェアしており、陸上を通して神に栄光を帰することへの喜びを綴っています。


そんな彼女は、この場面を自身で振り返り、このように語っています。


「きっと瞬時に本能からあのような行動をとったのかもしれませんが、今思うと神様があのように応答するようあらかじめ私の心を備えてくださったのだと確信しています。」


さらには、「神から来る平安と喜びと満たしを経験するには、自身を神に明け渡す事の他にはないと頭ではわかっていましたが、自分の信仰が公に表される状況下に置かれる経験をすることができたことはとても新鮮でした。」と語りました。


感動のシーンを何度も見ながら、自分もまた神に全てを明け渡し、イエス様から目を離すことなく「信仰」のレースを走り抜きたい、そう切に思いました。と同時に、目に見えるスコア上の勝利ではなく、「本当の勝利」って、なんだろう?と改めて考えさせられるのでした。


その時のシーンはこちらから


こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。


信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。


ヘブル書12:1−2



YK



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2017.04.27 00:37 | お知らせ
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  「贖い」という言葉はクリスチャンがよく使う言葉ですが、意味の説明を求められるとクリスチャンの中にもちゃんと説明できない方が結構たくさんおられるようです。「贖い」というのは、もともとは「代価を払って買い戻すこと」を意味します。

  人間はアダムの堕落以来、サタンの支配下に陥り、罪の奴隷として罪に縛られながら生きる者となりました。そのために人間は初めから罪人として生まれ、その罪の性質を持っているがゆえに当然のように罪を犯してしまう存在なのです。またさらに、サタンがさまざまな誘惑と惑わしによって人間に罪を犯させようとするため、その誘惑に応じてしまうのが罪人である人間の実態なのです。

  そこで神はこの世に「律法」を与え、人間が神の御心に従って生きる規範を示されました。しかし、神がこの世に律法を与えられたのは、人間がそれを守るように意図されたからではありません。神は人間が律法を守れないことを最初からご存知でした。では何のために律法が与えられたのでしょう。それは、人間に、自分が律法を守ることのできない罪人であることを気づかせるためだったのです。

  人間は、自分で善をなそうとすればするほど、自分がそれをなし得ないことを意識し、葛藤を覚えます。この律法は人の罪を暴き、人の無力を知らしめ、人を絶望させるかのように感じられますが、実は人が自分の罪と無力さを知れば、神に救いを求めるように誘導する役割を持っていたのです。自力の救いから、神による他力の救いへと人を促す役割がもともと神の意図された律法の機能なのです。人が自分の努力において絶望に至るとき、実はそれは幸いな瞬間なのです。

  さて前置きが長くなりましたが、古代社会においては、奴隷が解放されるためには誰かがその人のために代価を払う必要がありました。それが「贖い」です。そして私たちが罪の奴隷から解放されるために、神は御子イエス・キリストの尊い命を代価として払って下さったのです。したがって、御子イエスを信じる者は、その代価によって神に買い戻され、サタンの奴隷という立場から、神に属する自由人としての新しい立場を与えられるのです。

  このようにサタンによる罪の支配から神の恵の支配へと移された私たちは、もはや自分で律法を守る努力は不要となります。律法を完全に守られたイエス様の義の衣を着せていただけるからです。これが人間を罪の奴隷状態に束縛する律法に対して、神が授けてくださる恵みの効力です。

  したがって、「贖い」とは、律法による罪の奴隷状態から、恵みによる自由へイエス・キリストの命という代価が支払われることによって移し変えられることです。そして、信じる者は死んでいた霊が生き返り、失われていた神との交わりが回復されます。また聖霊の働きによって、その魂が聖化の恵みにあずかり、そして最後にキリストの再臨とともに、永遠に朽ちない栄光の体が与えられるのです。

  クリスチャンの贖いは、①霊、②魂、③体という順番でなされていきますが、最後の「体の贖い」こそが神の贖いの計画の完成であり、私たちの栄光の望み(ローマ8:23)なのです。

LVJCC牧師:鶴田健次

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2017.04.25 02:05 | キリスト教 Q & A

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