1月もあっという間に過ぎ、2月が始まろうとしていまが、この一ヶ月、皆様はどのようにお過ごしになられたでしょうか?
私は先日仕事でカナダのバンクーバーに滞在してきました。
そこで今回は、めずらしく積もった雪が美しいバンクーバーでの体験と、滞在中出席した教会で与えられた恵みや気付きをシェアさせて頂きます。
学生時代、格安周遊チケットを購入して訪れて以来、この街には仕事で度々訪れる機会がありました。
海と山がある地形から、なんとなく出身地の神戸を思い出し、美しい街並や自然、美味しい食事、またアジア人も多く住んでいるからでしょうか、来るたびにほっと出来る場所でした。
さて冬は雨が多いバンクーバーですが、今回はとても珍しく連日晴天に恵まれました。また数週間前から何度か降った雪が、気温が例年よりも低いため溶けずに残っていた上、到着前日にもまとまった積雪があり、雪化粧をした街や公園はいつにも増して美しく見えました。
外は凍り付くような寒さでしたが、時間が与えられ、市民の憩いの場であり、観光名所でもあるスタンレーパークを散策する事にしました。
ホテル近くから湾岸に沿って続く遊歩道はパークまで続き、その後公園を一周する形で作られています。途中のCoal Harbourにある水上飛行機発着場やヨットハーバーや、湾岸沿いの高層ビル群、歩き進めるにつれて変わる対岸のパノラマ風景は、いくら見ていても見飽きないほど美しいです。
またこのSeawallと言われる公園の外周の歩道以外、パーク内にはいくつものトレイルがあります。学生時代に訪れた時には、外周8.8km/5.5mileを確か自転車で一周した事を思い出しながら歩いて行くうちに、パーク内の樹林に囲まれているトレイルの一つに、誘い込まれるように入って行きました。
そこは雪がいたるところにまだ積もったままで、針葉樹林とのコントラストが美しく、また太陽の木漏れ日がキラキラと輝いていました。写真を撮ろうと手袋を取って間もなくすると、手の感覚がなくなるほどなのに、(実際に寒さのためiPhoneは途中で何度もシャットダウンしてしまいました)森林のオゾンの影響もあるのでしょうか、ずっとこのままこの空間に身を委ねていたい、そんな癒しの空間でした。
さらにトレイルを歩いて行くと、Lost Lagoon という、どちらかといえば沼地というよりも、小さな湖に突き当たりました。ラグーンは寒さのため凍っていました!
この散策の時間は、長い間忘れていたような感覚で、日常から離れて立ち止まり、神様の創られた自然の中で静まる、恵みの時間を与えて頂いた事に感謝いたしました。
自然に賛美歌を口ずさんでいて、周りにほとんど人がいなかった事もあり、
最後にはかなり大声で賛美しながら散歩し、何とも豊かな時間を過ごせました。
滞在中に現地にある教会の礼拝に出席する恵みも与えられました。仕事の為、母教会以外の教会で礼拝を守る事もありますが、なるべく流れの近い教会を捜すようにしています。今回導かれたCoastal Churchという教会は、街のショッピング街のすぐそばにありました。ドアを開けると、グリーターの温かい笑顔で迎えいれられ、メッセージノートというプリントを手渡されました。中は古い教会を改築したのでしょう、内装は全て新しいのですが、昔ながらの教会の長椅子はそのまま残されていて、なぜか懐かしい感じがしました。
ウォーシップチームによる素晴らしい賛美に続いて、牧師先生が、(Onwardsという1月のシリーズの中から)「Choose Purpose Over Popularity」と題してメッセージをとりつがれました。
メッセージノートがある為に英語の説教でも要点がつかみやすく、またそのノートは、ブランクに言葉を入れる書き込み式でしたので、要所要所の言葉を書き入れながら、何度も心の中でうなずきながらメッセージを聞いていました。そしてふと、私は主の願われる事を基準にいつも優先順位をつけているか?ということが頭の中をめぐりました。めまぐるしく変わる仕事のスケジュールやそれに伴う生活管理、複数掛け持ちの教会での働き、家族や友人、教会や職場の方との関係、そしてすぐ身近にいるかもしれない慰めや助けを必要としている人々への心配り等々。。しなければならない事、したい事、そしてするべき事。。その全ての上に神様の導きを求める時に、また聖書や祈りを通して、日々主をより深く知る時に、主はその都度行く道を示してくださるはずです。簡単な事ではありませんが、主を信頼しより頼みつつ、知恵を頂きつつ実行して行ければと願わされました。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:5〜6
次回は、教会の礼拝後の感動のサプライズです。お楽しみに!
(HW)
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地球は明らかに来るべき消滅の徴候を見せています。エントロピーの法則が示すように、地球上のすべてのものは上方ではなく下方へ向かっているという悲しい現実があります。進化論の主張に反し、自然は生物も無生物も創造できないばかりか、改良すらできないことを多くの自然科学者たちは確信するようになりました。
太陽系の恒星である太陽も、毎秒 400 万トンにものぼる膨大な質量を失いながら巨大な核エネルギーを発散していますが、その損失は取り返すことができません。こうして、高レベルのエネルギー系は必然的に低レベルのエネルギー系まで下げられており、その法則は生物系においても同様で、人間も動植物も進化論の必然的進歩という考え方とは逆に、漸進的無秩序へと向かっていることを観察事実は物語っています。
ところが、不思議なことに、神は聖書を通して既にその事実をこの世に明らかにしておられたのです。
「これら(天と地)は滅びるでしょう。しかしあなたは長らえられます。これらはみな衣のように古びるでしょう。あなたがこれらを上着のように替えられると、これらは過ぎ去ります。しかしあなたは変わることなく、あなたのよわいは終わることがありません」(詩篇 102 : 26 − 27 )
この比類なき神の言葉である聖書は、その 創世記において、宇宙、地球、またすべての動植物、および人類が 6 〜 7000 年前に 6 日間で創造されたことが描かれていますが、それに対して、この世の科学は、宇宙と地球には 40 億〜 60 億年の歴史があり、人類は少なくとも 50 万年以前から地上に存在していたとします。また聖書は、あらゆる生命が神の創造によるものであると教えていますが、それに対して、科学は、あらゆる生命が進化の結果であると主張します。
ニュートンは、りんごが木から落ちるのを見て、地球に引力があることを発見しましたが、なぜ地球に引力があるのでしょう。しかも、もしこの引力が今以上に強ければ、すべての物が重過ぎて非常に不自由です。また、もしこの引力が今より弱ければ、あるいは引力がなければ、すべての物がフワフワ浮いて困ってしまいます。ところが、この世の科学は、私たちの生活にほどよい不思議な引力がなぜあるのかという問いに対し、何の答えも持っていません。
また地球の動きひとつを考えてみても、それは謎に満ちています。毎日一回転する(自転)ので、昼と夜があり、私たちの生活に便利です。当たり前のように繰り返される毎日の睡眠と活動が、この昼と夜の存在と見事に調和してることを考えれば、これらすべてのものが偶然の一致と考えるより、同じ創造者の業であると考えるほうが理にかなっているように思えます。
地球の自転の原動力は何でしょう。すべての天体の動きの原動力は何でしょう。科学はその答えを知りません。時計の針は、正確に時間を刻みながら回りますが、ネジをまくか電池を入れなければ動きません。また、どんなに正確だといっても、一ヶ月に1 、 2 秒の狂いは生じるでしょう。ところが、地球は 9 億 1 千万kmもある太陽のまわりを、私たちに分かる如何なる原動力も使わずに、時速 10 万 3880 kmの速さで回り続け、一年かけてもとの位置に戻ってくるのに 1 秒の狂いもないのです。
時計でさえ、誰かが作らなければ、偶然に出来上がることなど考えられません。ましてや時計よりも遥かに正確で、巨大な地球が、誰の手にもよらず、ひとりでに偶然に出来上がることなど考えられるでしょうか。聖書は、この美しい地球が、偶然の産物ではなく、至高者なる神の創造によるものであることを明らかにしているのです。
今日の一言: 地球は意味も目的もない単なる偶然の産物ではない
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新年を迎え、早一ヶ月が過ぎようとしておりますが、皆様の2017年の歩みはいかがでしょうか。
一年の初めというとよく耳にするのが、今年の抱負です。特にここアメリカでは、多くの人々が、新年を迎えるごとに、その「今年の抱負(New Year Resolution)」というものを掲げます。
*ある統計によると、年始から1週間抱負を維持する%が72.6%に比べ、時が経つにつれてその%はぐんと下がり、6ヶ月以上維持できるのは、なんと44.8%と全体の半分以下になるようです。
その抱負に掲げられる一つとして、減量や健康維持のための運動が挙げられます。今年こそは、「適度な運動を定期的に!」というのも、私自身の目標の一つです。
毎日の忙しさのあまり、優先順位が「緊急性」というバロメーターによって大きく左右されつつある日常生活の中で、私の魂にとってエッシェンシャルな物事を優先していくことが、至難の技であると感じることは少なくありません。
しかし聖霊の宮であるこの体は、神様に用いられる道具として、勝利の信仰生活を送る上で非常に重要な媒体であります。
祈りという信仰の呼吸、御言葉という霊の糧に加え、実は聖霊の宮の管理もまた、欠かせない要素の一つでもあります。
私達クリスチャンは、祈りや御言葉の学びが霊にとってどれだけ重要かを認識する機会は多くありますが、聖霊の宮の管理、つまり与えられたこの体を大切にするということの重要性を認識する機会はあまりないかもしれません。
運動不足はもちろん、暴飲暴食、寝不足/寝すぎ、ストレス、怒り、不平不満、赦せない思いなど、挙げればきりがない多くのことが、あらゆる場面で体に及ぼす影響は、計り知れません。無意識であっても、体に無理を強いることによっていずれは体を壊し、様々な働きに影響をもたらすことも中にはあるでしょう。
この体は、イエス様の十字架という代価によって神様に買い取られ、もはや私のものではなく、主のものです。そして聖霊が宮としてこのうちに住まわれ、この体を通して主の栄光を現すために用いていただく、神様の道具となります。だとすれば、自ずと「自分のものではないこの体=神様の体」という認識から、管理の仕方も大きく変わってくるかと思います。
これから神様の体を大切に扱っていくことの意味を覚えながら、神様の愛に応答する手段の一つとして、聖霊の宮の管理に目を向けて、神に喜ばれる管理方法を祈り求めていきたいと思います。
運動に関しては背骨コンディショニングを始め、多くの方々が体に優しいアクティビティーをすでに取り入れていらっしゃるかと思いますが、皆さんの聖霊の宮の管理は、いかがでしょうか?
皆さんもこの機会に、聖霊の宮の管理に新しい何かを組み込み、さらに素晴らしい信仰生活を歩む過程で、神の栄光を現して行こうではありませんか?
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
第一コリント6:19−20
*http://www.statisticbrain.com/new-years-resolution-statistics/
(YK)
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