
今日は、’イチロー選手’のことを考えてみました。
史上30人目となるメジャー通算3000安打達成が目前に迫るマーリンズのイチロー選手ですが、日本ではもちろんアメリカでも、改めてその偉大なキャリアにスポットライトが当てられています。
27歳で海を渡り、メジャー16年のキャリアを通じて1本ずつ積み重ねた安打が、3000本という大台に達しようとしているわけですが、日米通算では6月15日の時点で4257安打を放ち、ピート・ローズのメジャー最多安打記録を抜きました。
42歳という年齢のため、第4の外野手という立場でなかなか先発出場のない状況にありながら、代打の機会を捉えては着実に安打を重ねる姿は、日米両国で称賛の的になっています。打てて走れて守れる。三拍子そろったスーパースターについて、米野球専門各紙は、イチロー選手を、「唯一無二の存在」、「メジャー最高の選手の一人」、「イチローより優秀な打者はいない」と称えています。
迫り来る3000安打に加え、2001年の新人王とMVPの同時受賞、10年連続200安打、10年連続ゴールドグラブ賞、10年連続オールスター出場、262安打のメジャー年間最多安打記録、2度の首位打者など、すでに数々の輝かしい功績を打ち立て、殿堂入りは確実とされています。
メジャー最多本塁打記録を持つバリー・ボンズは、イチローの偉業達成に、打撃コーチとして立ち会うことになった心境を聞かれ、「試合であれ、練習であれ、イチローが打席に立つたびに目が釘付けになってしまう」と言いました。また、今季打率は.340と高水準を保ち、42歳を迎えた今でも衰えぬ打撃を披露するイチローの姿に、「開いた口がふさがらない」と最上級の褒め言葉を使っています。
イチローと同じ42歳まで現役を続けたボンズですが、「自分が彼の年にどんなことをしていたか振り返ってみても、彼の準備、毎日試合に向けて進める準備やどれだけ懸命に練習を積むか…。誰もが一度は見る必要のある選手だ」と話し、メジャー16年目のベテランとなった今でも、少しも準備の手を緩めないストイックさを明かしています。
何があろうと、イチロー選手はトレーニングを続けます。彼の練習法は、まさに伝説的です。彼は自分の技術、守備、ベースランニングを完璧な状態に保つために、多大な時間を費やしています。準備と努力に一切の手抜きをしないイチローのトレーニングは、球団OBに「伝説的」とまで絶賛されているそうです。
毎日、休みなく同じ練習を繰り返すということは、とても地味な、面白味のないことかも知れません。しかし、それがあって初めて勝利の道、大記録の道が開かれてきたのです。
そして、この事は信仰生活にも同様に当てはまる重要な原則だと言えます。毎日、祈りと聖書を読むことを欠かさないこと。折りある毎に福音を伝え、クリスチャン同士の交わりをすること。毎週の礼拝を守り、祈祷会に集うこと。これらのことを守り続けるなら、私たちも多くの実を結ぶ豊かな信仰生活を送ることになるでしょう。
今日の一言: 千里の道も一歩から
鶴田健次
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アメリカでは、ラスベガスを始め自然に近い観光地には「Horseback Riding」のツアーがありますが、Zion National Park内でも3月中旬から10月下旬の間、Horseback Ridingツアーが行われています。
グランドキャニオン・ノースリムやブライスキャニオンでも、ザイオンと同様のツアーを催行している会社が行っています。http://www.canyonrides.com/horseback-riding-zion-national-park/
1時間のコースと、3時間のコースがあり、私達夫婦は3時間のコースに参加しました。

Zion Lodgeの近く、道路と川を渡った所にある柵で囲ってある小屋にツアー時間の約20分前に行き、チェックインをし、契約書(乗馬中の注意や、事故防止に関する事)に署名すると、馬との顔合わせです!
ツアー参加者の人数(15人前後)や年齢構成、それぞれの体格等を見て、ツアーコンダクターがその人に合った馬を準備し、上手に馬に乗せてくれて、鐙(足をかける部分)の長さを調整してくれます。それぞれの馬には名前がついていて、その日のBuddy(友達!)となります。
基本的な馬の扱い方、坂を登る時、降りる時、走り出す時、ちゃんと走るように指示する方法等についてのレクチャーがあり、出発です!
ただ、どのHorseback Rideもそうですが、馬の性格に合わせて編隊が組まれますので、出発はツアーコンダクターの指示に従います。

最初は、人が歩くトレイルを走ります。
人と馬が同じトレイルを共用するのですが、国立公園内では「馬優先」となっていますので、人は脇により、馬の編隊が通過するまで待っていただくことになります。
「ごめんね!」「ありがとう!」等のやり取りがあり、馬専用のトレイルに入ります!
なだらかな道が続き、慣れて来た頃にUp & Downの道が始まります。細かいカーブもありますが、日々人を乗せている馬たちですので、上手に私達を乗せて歩いてくれます。
何故か?多くの場合、私に与えられる馬は自由気ままに後ろからついていくタイプの馬さんですので、途中で木々や草を食べ始めたり、スローダウンしたりします。
サポートのツアーガイドさんが後ろから私の馬の名前を呼んで「早く早く!」と追い立てると、駆け足で遅れを挽回する事もあれば、気にする様子も無く歩くこともあるのですが、前の馬もゆっくり歩きだしたりして、全体的には上手に編隊についていくことができていました。
そんな気ままな馬と会話をしながら、広がる雄大な景色を堪能します。
途中、前の馬が急に止ったかと思うと、バケツをひっくり返したような勢いで大量の水分が馬から流れ出たり、大きな塊が「ぽたん」「ぼたぼたぼた」と落下したりする自然現象も発生し、ビックリします。それぞれの馬たちが好きな時に、好きな場所でそれをするので、編隊が止ることも良くあります。
途中から、砂埃が立つタイプの道になり、バンダナで鼻と口を覆い、身も心もカウボーイです!

要所要所でツアーコンダクターが場所や景色の説明をしてくれて、馬や参加者の様子に気を配ってくれたりしながら、編隊はゆっくりと進みます。

途中1時間程の所で休憩もありました。馬から降りると、上手に立てなくなっていました><
約20分程の休憩の後、後半がスタートします。
前半より、少し早いペースで進み、見る風景も変化に富んでいたように思います。
最後には、Virgin River(ヴァージン・リバー)を渡りスタート地点へ戻りました。



馬から降りると、今度は普通に歩いているつもりなのですが、変な歩き方をしていたようです。
ツアーが終わった時には「もう少し馬でZionの中を歩き回りたいなぁ」と思ったのですが、リゾートライダーの体には、3時間が丁度良かったようです。

私達人間の視界と馬からの視界には少し違いがあり、また足元を見る時間よりも周りの景色を見たり、感じたりする時間が長い事が、私がHorseback Ridingを好きな理由です。
しかし、人間の視線でも、馬からの視線でも、車窓からでも、神が創られたこのZion National Parkは、日本人が好む美しい四季を楽しめる美しい公園です。
私達人間だけではなく、Zion National Parkの多様な地形、植物、動物達、全ての物を創られ、全てを御手に納めていらっしゃる大いなる大いなる神の力を改めて思いました。
(KS)
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人類、および地球、宇宙の年齢の問題については、進化論者と創造論者との間に大きな論争があります。進化論者によれば、 人類の年齢は250万年と言われています。しかし、この数字は、どれだけ信頼に値するものでしょう。
現在よく使われる年代測定法の一つに、「炭素14法」と呼ばれる測定法があります。この方法は4000年前ぐらいまでのものならば、その信頼性が確認されています。 この方法によって人類の化石を調べると、人類の年齢は250万年ではなく、2万年ほどでした。また、その他にも、炭素14法で調べた結果、ホモ・サピエンスの最も古い化石の一つと考えられている頭蓋骨は8500年を示し、アウストラロピテクスは1万5500年、ジャンジャントロプスが、わずか1万100年を示しました。
Radiocarbon誌によれば、いわゆる有史以前の化石の炭素14法による年代測定が、数百人の科学者によってなされていますが、その中にはネアンデルタール人、クロマニョン人、ブロークンヒル人、マンモス、マストドン、及び他の絶滅動物ばかりでなく、化石の木、森、石炭、石油、天然ガスの年代もすべて含まれ、これらはわずか数千年の古さにすぎないことが分かっています。
これは、一体どういうことでしょう? 進化論者がとてつもなく長い年月を与えている化石も、炭素14法によれば皆2万年以下なのです。それでは進化論者は、一体どこから250万年前という膨大な数字を持ってきたのでしょうか。これは「カリウムーアルゴン法」と呼ばれる年代測定法で出されたものなのです。
炭素14法の場合は直接、生物の化石を調べますが、カリウムーアルゴン法の場合は性質上それができないので、化石のなるべく近くの火山岩の年代を調べるのです。しかし、カリウムーアルゴン法による年代測定は、その信頼性に問題があります。これは放射性カリウムの「半減期」を利用して年代を測るものですが、その「半減期は13億年で、膨大な時間をかけて、カリウムはその半分がアルゴンになるのです。したがって、数千年前のものでも、数百万年前のものでも、この方法で年代を測定すれば、「半減期」の数字が何桁も違うため、あたかも″時針しかない時計で秒を測る”ようなもので、正確さに欠けるのです。
1968年10月11日号の科学雑誌『サイエンス』は、200年に満たないと分っている火山岩を、カリウムーアルゴン法で測定すると1200万~2100万年を示したと報告しています。同様な結果は、ノルウェー、ドイツ、フランス、ロシア等、世界各地から報告されており、カリウムーアルゴン法が、真の年代よりも遥かに古い年代を示すことを告げています。
進化論者は、炭素14法による結果が彼らの進化論に合致しないことが分かると、カリウムーアルゴン法による結果を持ってきて、それを採用しました。しかし、それはカリウムーアルゴン法による結果が信頼できるからではなく、単にその結果が、長い時間を必要とする進化論の考えに合ったからです。
私たちの手元にある最も信頼できる証拠は、人類は生まれてから、まだそれほどの年月を経ていないことを示しています。実は、先ほどの炭素14法が与えた「数万年」という人類の年齢でさえ、真の年齢よりも大きいと考えるべき理由があります。炭素14法は、大気中の炭素14の量は、全時代を通じて一定だったという前提の上に立っていますが、ノアの洪水以前の地球における大気中の炭素14の量は、実は現在よりも少なかったはずです。とすれば、洪水前のものを炭素14法で測ると、その結果は、真の年代よりも古く出てしまうことになり、人類の真の年齢は、「数万年」にもなりません。
人類の創造は、聖書の文字通りの解釈によれば、今からおよそ6000年前です。炭素14法による結果は、聖書の言う人類の年齢6000年という数字を、ほぼ支持しているのです。
最後に、人類の誕生に関することですが、進化論者は長い間、アウストラロピテクスなどの「猿人」から、ジャワ原人・北京原人などの「原人」が出、そこからネアンデルタール人などの「旧人」が出て、最後にクロマニョン人などの「新人」が出てきたと説明してきました。しかし最近では、この考えが間違いであることを示す多くの証拠が提出されています。実は、「新人」と呼ばれる現生人類は、進化論者が「猿人」「原人」「旧人」などと呼んでいるものと同じ時代に生息していたのです。こうした共存の例は数多く発見されており、今や現生人類が「猿人」「原人」「旧人」と呼ばれたものと同時代に存在していたことは確実とされています。
人類は、猿や猿に似た動物から進化して生まれたのではありません。人類の歴史に、「猿人」→「原人」→「旧人」→「新人」というような進化的発展はなかったのです。では、進化論者が「サルのような動物から人間に至る中間型と主張してきたアウストラロピテクス、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人などは、一体何だったのでしょう。
結論から言えば、アウストラロピテクスは、人間の祖先ではなく、他の動物なのです。また、ジャワ原人も北京原人も、数メートルも離れたところにあった人間の骨とサルの骨とが組み合わせられたものでした。進化論的想像が、こういう状況下での種々の骨の発見をこのように結び付けただけなのです。また、後にその地層をもう一度よく調べてみると、その同じ地層から、今と同じ人類の遺骨が発見されたのです。
「猿人」とか「原人」というようなものは、もともと存在しなかったのです。あったのは、サルと、サルに似た絶滅動物と、人間です。サルと人間の中間は、現在も、また化石としても存在していません。サルは初めからサルとして存在し、人間も初めから人間として存在していた証拠です。サルも人間も、聖書が述べているように同時代に創造され、同時代に存在し始めたことを化石記録は物語っているのです。
(LVJCC牧師:鶴田健次)

今日は、“孤独”ということを考えてみました。
人は誰でも“孤独”を感じる時があります。
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある」とは哲学者の三木清の言葉ですが、多くの人が行き交う賑やかな都会の雑踏の中で急に、“ひとりぼっちの自分”を感じたり、友達と楽しくお喋りをして、家に帰って一人になったとき、ふっと寂しさを感じたりということは誰にでもある経験ではないでしょうか。
また、長年連れ添った伴侶を亡くしたり、家族や親しい友が遠い所に行ってしまったり、人間関係が上手く行かなくて疎外感を感じているときなど、人は孤独感に陥りやすいものです。
孤独には、人生の中で誰もが感じる孤独や、帰属していないという孤立状態の孤独、また病的な孤独感など、いろんな孤独があります。
もし人が一人になるのが怖いので、とにかく誰かと一緒にいたいと思うなら、その人は「誰かが私を気にかけている、愛している、認めている、必要としている」ということを確かめたくて仕方がない状態なのかも知れません。
それは目に見えないものを必死で手繰り寄せたい衝動に駆られている状態で、そう思えば思うほど、それは不確かで頼りなく、そんな状態を感じている自分を持て余し、さらに支えになってくれる人を強く探し求めるようになります。そして、そういう中での関係は、相手と依存という形の結びつきになり、やがて人間関係のトラブルを招くことになります。
人間は、自分が誰からも愛されていないと思うとき、一番孤独を感じるものです。そして、その孤独感は誰も取り去ることはできません。それが出来るのは神様だけです。人が神様の無限の愛に触れるとき、どういう理由から来る孤独感であっても、取り除かれるのです。
聖書には、このような慰めに満ちた言葉があります。あなたが世界中の誰からも愛されていないと思うときでも、天地万物を創造された神様はあなたを愛しておられるのです。
「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)
「見よ。わたし(イエス)は、世の終わりまで、いつも、あなたとともにいます。」(マタイの福音書28:20)
人は、自分は誰かから真実に愛されていると実感できるときに満足感があり、決して“孤独”だとは感じません。イエス・キリストは、あなたの罪のために、十字架で身代わりに死んで下さったほどにあなたを愛しておられるのです。この無限の愛が、あなたの心を癒し、あなたをあらゆる孤独感から解放するのです。
今日の一言: キリスト(神)の愛は、あなたを孤独から解放する
鶴田健次
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8日目朝の西壁トンネル見学の後、黄金門・Golden Gateへ向かいました。
上の写真が黄金門です。聖書では美しの門という名前で出てきます。ご覧のように塞がれていますが、これは、メシヤが、オリーブ山に再臨し黄金門から入城して来るといわれているため、それを阻止しようとイスラム教徒が封鎖したものです。
さて、話は戻りますが、西壁トンネルから出た私たちは、ビア・ドロローサの始まりがすぐ近くにあるのですが、反対方向のライオン門へ出て、黄金門へ行くコースを歩きました。
↓西へ向かえばビア・ドロローサ ↓東へ向かえばライオン門


程なくライオン門(Lion’s Gate)別名ステファノ門に着きました。
ライオン門は東側の城壁にあり、ケデロンの谷を挟んでオリーブ山が見えます。


黄金門はライオン門の南に位置する次の門です。城壁に沿って歩いて行きますが、東壁の外側の壁沿いはアラブ人の墓になっています。入り口が下の写真です。ゲートが開いているので入って行きます。




城壁の中程に黄金門が見えています 黄金門を見ながら進みました


すると、黄金門で何か作業をしていたアラブ人数人が、私たちに向かって大声で怒鳴り始めました。言葉はわかりませんが、「戻れ!帰れ!来るんじゃない!」と言っているようでした。ひどく興奮して怒鳴りながら近づいてくるので、私たちは満足に写真も撮れずその場を退散しました。しかし、写真はしっかり撮れていました。

次に、私たちはヴィア・ドロローサの各ステーションを歩きました。
ヴィア・ドロローサとは、イエス様がピラトの官邸で死刑判決を受け、十字架を負わされ刑場のゴルゴダの丘まで歩いた道を悲しみの道ヴィア・ドロローサと呼んでいます。ヴィア・ドロローサで、イエス様にまつわる出来事を記念した14のステーションが設けられています。

第1ステーション、イエスが死刑判決を受けた場所。(ヨハネの福音書18:28-40)
現在はオマリア学校の敷地になっています。ヴィア・ドロローサの始発点とされています。
第2ステーション、イエスが鞭で打たれ、十字架を背負わされた場所。(ヨハネの福音書19:1-17)
現在はフランシスコ会の教会があります。


第3ステーション、十字架の重みに耐えかね、最初に倒れた場所。
現在はアルメニア正教会になっています。聖書には、この場面の記載はないので、伝承によるものと考えられます。


第4ステーション、悲しむ母マリアと出会う。
この場面も聖書にありません。伝承によると、この場所で母マリアはイエスを見つめていたと伝えられています。

第5ステーション、クレネ人シモンが代わりに十字架を担わされる。(マルコの福音書15:21)
クレネ人シモンは過越祭のためにエルサレムに上って来た巡礼者のひとりであったとされています。クレネは現在のリビアにある町。シモンという名前から判断するとユダヤ人。

第6ステーション、ベロニカがイエスの顔を拭う。こちらも聖書には記述はないので伝承とされています。
この場所はベロニカの家でもありました。現在は地下に聖堂を備えるギリシャ正教会で、入り口は左のドアだそうです。イエスの顔を拭ったベールは現在、ヴァチカンのセントピータ寺院に安置されています。


第7ステーション、イエスが2度目に倒れた場所。伝承。
当時は「裁きの門」と呼ばれるゴルゴダに通じる門があり、ここまでが城壁内だったそうです。イエスは「裁きの門」を通りゴルゴダの丘に向かいました。現在この場所は、コプト正教会の礼拝堂として使用されています。


第8ステーション、イエスがエルサレムの婦人たちに話しかけられた。
聖カラランボス・ギリシア正教の教会の壁に、第8ステーションのシンボル、ラテン十字とギリシア語(ラテン文字転写)で「勝利者イエス・キリスト」という言葉が刻まれた石があります。ここでイエスは、民衆と嘆き悲しむ婦人たちに語りかけられました。それが、ルカの福音書23:27~29の言葉です。

第9ステーション、イエス3度目に倒れる。
コプト正教会のエルサレム総主教座の置かれた聖アンソニー教会の入り口になっているこの場所で、イエスは3度目に倒れたと伝えられています。聖書には記述がありません。


第10ステーション、イエス、衣を剥ぎ取られる。
聖墳墓教会の入り口の右側に隣接する階段を上った小聖堂。ここでローマ兵によりイエスは衣服を剥ぎ取られました。そしてイエスの衣服をくじで分け合ったと聖書にあります。(マタイの福音書27:35~36)

第11ステーション、十字架に釘付けにされ、十字架が立てられた場所。
このステーションからは、聖墳墓教会の中に残りのステーションがあります。聖墳墓教会はゴルゴタの丘を覆うように建てられていて、三つの異なった聖地を一つに連結した教会です。現在、カトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理となっています。


イエスは十字架の上に仰向けにされ、両手に釘を打たれ、両足を重ねて釘を打たれ、そして十字架が立てられました。人類の罪を贖うために、神の御子が十字架に掛けられました。朝9時ごろでした。(詩編22:17-18、ルカの福音書 23:33-34 )

第12ステーション、十字架上で息を引き取る。
昼の12時から全地は暗くなり、3時まで続きました。イエスは大声で叫ばれました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」詳しくはマタイの福音書 27:45-54 に出ています。

第13ステーション、十字架から降ろされる。
午後3時過ぎ、イエスは十字架から下ろされました。

第14ステーション、イエス、墓に葬られる。
イエスの墓とされる場所はこの聖墳墓教会内の第14ステーションだとされています。聖書は、イエスの遺体はアリマタヤのヨセフが所有する墓地に埋葬されたとあります。(ヨハネ福書19:38-42)
写真は第14ステーションの墓。中の小さい入り口を入ると墓所があるそうです。

ヴィア・ドロローサはこれで終わりました。
聖書を読んで感じたゴルゴダの丘の印象とは大きく違っていました。実際に行ってみると、ヴィア・ドロローサの道幅は狭く両側に店がぎっしり軒を並べていて、丘の頂上と思われるところは聖墳墓教会がまるで要塞の様に立ちはだかり、中は人でいっぱいでした。感傷的になる余裕もなく、人混みに押され、前にも行かれず、今自分がいる場所が渋谷の地下鉄の構内かと勘違いしそうでした。ま、それは冗談ですが・・・
ヴィア・ドロローサ、悲しみの道を、これから死に向かうイエス様の気持ちを思いながらイエス様と共に歩く道になるはずでしたが、あまりにも阻害要因が多くて集中することができませんでした。
でも、一つわかった事は、イエス様がこのヴィア・ドロローサを歩いた時も、両脇に店があったということです。犯罪人を“見せしめ”にするために長い道を歩かせるわけですから、誰もいないところでは意味がない、ヴィア・ドロローサはそういう道なのだそうです。
これで8日目の午前中が終わり、次回8/3の更新は、シオンの丘、神殿研究所、西壁を予定しております。
(Mi)
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