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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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LVJCCブログの4/3/2016で紹介された「Nelson Ghost Town」へ、ハワイから遊びに来た友人数名と行ってみました。その時のことをレポート致します。

良く晴れた初夏、飲茶で腹ごしらえしてから、午前11時過ぎごろゴーストタウンのNelsonに向かって出発しました。
行き方は、I-15 (南) -> 215 (東) -> US95/93 (南) -> US95 (南) -> NV165 (東) -> Nelsonと、全行程約1時間ほどで到着しました。途中US95に入ってからの景色が壮大でとても素晴らしいと、友達は口々に言い合っていました。
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Nelsonには12時少し過ぎごろに到着しました。
昔の鉱山の案内をしてくれるマイン・ツアーがあったので早速申し込みました。申し込みはバーとお土産屋がある建物で、お土産屋の壁には古い写真や当時の品物なども飾られ、ツアーの前半はそれらを用いながらNelsonの歴史や周辺のこと、鉱山の話など、ツアーガイドならではの様々な知識を教えていただきました。
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その後外に出て、昔の鉱山で使っていた器具や使用方法など、また映画の撮影をしたときのことなどNelsonにまつわる話をいろいろ聞かせていただき、鉱山の中に入りました。

この辺一帯はEldorado Canyonという所だそうです。鉱山の名称は「Techatticup Mine」といいますが、鉱山の入り口にはEldorado Maine と書いてあり、そのように呼ばれていたようです。
鉱山は1861年~1942年まで採掘され、南ネバダで最も古く、最も豊かに金や銀などが採れた鉱山ということです。当時はコロラド川に蒸気船が走っていて、それが主なNelsonに通じる道だったようです。
鉱山内は非常に涼しくて、夏の暑い日には最高に涼める空間です。
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鉱山の内部は上下左右迷路のように掘ってあって、鉱山内にエレベーターもあったそうです。ですが、とても古い鉱山なので、安全が確保できる範囲のみ見学コースになっていました。

マイン・ツアー終了後、自分たちでゴーストタウンとなったNelsonの町を見て回りました。
今では見られない変形3階建ての建物の内部に入ったり、ただの小屋だと思ってドアを開けると地下室の入り口だったり、また、現在の持ち主の趣味なのか、古い車がいたる所に置いてあって、面白く改造してあったり・・・ とても楽しいです。

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ひと通り見終わってからNV165を更に先へ進むと、道路は突き当たりで自然とUターンができるようループになっていました。ループ周辺に車を止めて下を見ると、グランドキャニオンを通ってきたコロラド川が眼下に見えて、絶好の写真スポットでした。
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NV165のループの手前に下に行く分かれ道があり、それを降りていくと舗装路が突然終わってしまいドライ・リバーのダートロードになっていました。ダートロードでもコロラド川まで行けると思って少し進んだところ、道の真ん中に杭があり車両通行禁止になっていました。徒歩では、杭から川まで約5分ぐらいということでした。
ですが、4輪駆動車で行くなら、大回りする別の道もあり、cliff jumping ができるNelson's Landingというところがあるようです。

ラスベガスの中心地からわずか1時間でこのような別世界に行けるなんて、ちょっと感激でした。ハワイから来た友達も、素敵な経験だったと、とても喜んでいました。

コロラド川に蒸気船が来ていた頃は、長いドレスの女性や、三つ揃いに帽子をかぶり鎖付の懐中時計を持った紳士とかが船から降りてきて、、、いやいや鉱山の町へ行くのに、そういうオシャレな人はいなかったかも。。。 川から町までの交通機関はやっぱり乗り合い馬車だったのだろうか。もしかして宿屋もあったのかもしれないな。教会もあったに違いない。
Nelsonの町が最も栄えていた頃は1920年頃だそうです。第一次世界大戦の後の頃でしょう。その頃のアメリカは「華麗なるギャッツビー」が物語っているような時代だったようです。スカートは膝丈に、ウエスト・ルーズの筒型のドレス、髪は短いボブカット、この頃は狂騒の20年代と呼ばれていたそうです。Nelsonの町が採掘を始めてから終わるまでの時代、アメリカは大きな変化をしてきました。

聖書に、「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」(使徒 17:26)とあります。
その時代に生きた人々、今の世界に生きる私たち、これは神様が決めた境界なんだなぁ。どちらが良かったかとか、どちらが幸せだったとかは意味がなく、いつの時代でも造られた者は謙虚でありたいと再確認しました。

(Mi)

***
・ 出発前に飲茶のブランチを食べて来て正解でした。Nelsonのゴーストタウンにはレストランは現在は無いようです。
・ 鉱山ツアーは大人4人から催行し、料金は13歳以上は$12,50、5歳~12歳は$7,50、5歳以下は無料。(2016年6月現在) ツアー時間は確認が必要です (702) 291-0026 
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   blog pool party

ラスベガスも、とうとう40℃以上の日が続く真夏!になりました。
そんな猛暑の中、車での移動中 SOS Radio*1を聞いておりましたら、7月15日(金)朝10時半 から 夜10時まで、子供たちに大人気のWet N Wildで、クリスチャンミュージックのライブや芝生でのゲーム等のイベント「SOS Radio pool party(入場料が$15)」について周知していました。

主は、私たちに聖書を与えてくださり、日々導いてくださっていますが、その他にもこの様に車での移動中でもローカルのラジオ局等、私たちの毎日の信仰生活の手助けとなる多くの手段を用意したり、特別なクリスチャンとの集いを設けてくださったりして、元気付けてくださっている事を感謝します!

皆様の中にも通勤時間や、車での移動中、家事の時間等、クリスチャンのラジオ局を、お気に入りの局として楽しまれている方もいらっしゃるかもしれませんね。
もし、クリスチャンのラジオ局をお聞きになったことが無い方は、是非!この機会に地域で提供されているクリスチャンラジオを検索してみてはいかがでしょうか?

一人静かに奉げる賛美も恵まれますが、ラジオの音楽と共に奉げる賛美も、元気が湧いてきたり、平安が与えられたり別の良さもあります。歌う事も出来ないほどの苦難の中に居る時は、流れてくる賛美に主を見出し、励まされます。また、その時に必要な御言葉が与えられる事も多々あります。忙しい毎日の中にラジオやその他の媒体が加えられ、更に主が身近になり、主とともに歩む皆様の信仰生活が豊かに祝福されることを祈っております。

あなたがどこへ行こうとも、主なる神はあなたと共におられる。 ヨシュア1:9

*1SOSラジオ:クリスチャンミュージックやメッセージが聞けるラジオ局。ラスベガスエリアでは、90.5FM。

「SOS Radio Pool Party」詳細
場所 :Wet N Wild
日時 :7月15日(金)10:00 AM – 10:00PM
入場料:$15 (チケット購入の際にプロモーションコード「SOS」と入力してご購入ください。)
http://www.sosradio.net/
https://shop.omniticket.com/WWL/index.cfm

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今日は、“人生は旅”ということを考えてみました。

人生はよく四季に例えたり、旅に例えたり、宝石に例えたり、いろんなものに例えます。ある人は、人生とは“人 + 牛”のようだと言いました。どういう意味かと思ったら、人牛は人生に似てるということでした。(笑)

さて、今回は人生を旅に例えて考えてみたいと思いますが、聖書的観点から人生を旅に例えるなら、その旅は、私たちが目的地を決めてから出発した旅ではなく、気がついた時には、もう既に列車に乗っていたという旅です。

しかも、自分が行き先を決めていないばかりでなく、その列車にも行き先が表示されていないのです。そこで近くに座っている同乗者に尋ねるのですが、誰も最終目的地を知りません。しかし一つだけ同乗者の意見が一致していることは、次の停車駅が「死」という名前の駅だということです。でも、その駅が終着駅なのか、それともさらに列車は走り続けるのか、そのあたりになると同乗者の考えはまちまちで意見が分かれてしまいます。

つまり人生は、肉体の死で終わりなのか、それとも死後の世界があるのかということです。仮に死後の世界があるとしても、肉体を離れた霊は一体どうなるのか? また「天国」とか「地獄」は本当に存在するのか? もしそれらが存在するなら、「天国」に入るための条件は何か?など、答えが分からない疑問が次々に生じます。

人生という旅の目的は一体何なのでしょうか? 人間は何のために生きて、どこへ向かっているのでしょうか? 人は誰でも、この世に生を受けた後、再びこの世を去っていくということは分かっています。しかし、人が生きるということはそれだけのことでしょうか? あるいは死後の世界があるのでしょうか? この問いは、人類の歴史が始まって以来、今日まで続いているテーマです。ある人は、「人間は死んだら終わり。死後の世界などあるはずがない」と言います。あなたは、どう考えますか?

分からないことは考えても仕方がない・・・・。これは多くの人が取っている態度かも知れません。しかし、どんなに考えないようにしても、すべての人に確実に来るものが死であるなら、分からないから何もしないという態度は危険です。なぜなら、そのために永遠を損なうかも知れないからです。

あなたは、「私は何のために生まれてきたのか?」という問いに対し、あなたを造られた神に問いかけたことはありますか? 私たちは、自分の中に自分の存在意義を見出そうとますが、自分の中に答えが見つかるでしょうか? それは無理です。なぜなら、私たちの存在は私たちによるのではなく天地万物を創られた神によるものだからです。

ですから、私たちは、神の言葉である「聖書」によって、人生に対しても、生きる意味や目的についても、確かな答えを得ることができます。これらの問いに関して、聖書にはこのように記されています。

(1)天地万物は神によって創造された
「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1) 

(2)人間は神によって造られた
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1:27)

(3)神が人を創造された目的
「わたし(神)の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれ(人間)を創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ書43:7)

(4)すべての人間はみな罪を犯し、罪人となった
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず‥‥」(ローマ書3:23)

(5)死んだ後、人間の罪に対するさばきがある
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル書9:27)

「海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして、人々はおのおのその自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である」 

(6)神は正義であるが、愛の神であり、人類の救いのためにご自分の御子を世に遣わされた
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネ3:16)
 
(7)イエス・キリストは、人間の罪のために身代わりとなって十字架で死んでくださり、三日目によみがえられた
「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々(私たち罪人)の身代わりとなったのです。」(第一ペテロ3:18)

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ書4:25)

(8)クリスチャンの本当の希望
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 」(ピリピ書3:20、21) 

「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 」(Ⅰテサロニケ4:16,17)。

「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。 」(第一ペテロ1:21)

「‥‥また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3、4)

今日の一言: 普遍的な人生の意味と目的は聖書の中にしか見出せない

鶴田健次


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2016.06.24 10:51 | 鶴田健次牧師より
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6日目の聖誕教会の後、ベツレヘムの隣・Beit Jalaという町の中心部に位置する「べイト・アル・リカ(Beit Al Liqa)幼稚園」に行きました。
この幼稚園は、本旅行の主催・山本真美子師のミニストリー・希望の収穫がサポートしているクリスチャン幼稚園です。おそらく同幼稚園は、パレスチナ中の子供たちが誰でも行きたいと願っている幼稚園だと思います。
上の写真が「べイト・アル・リカ」の建物です。近代的な4階建ての建物に、子供たちが楽しく遊べる室内のプレールームや、行き届いたクラスルーム、食堂等が、清潔に安全に整えられています。
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芝生の庭にあるブランコや滑り台などの遊び場で、子供たちが遊んでいます。「べイト・アル・リカ」の庭の大部分は公園として作り、2000年にベツレヘム州に公共の公園として提供しています。以来、大勢の子供たちや家族が遠方からもやって来て、遠足の目的地にもなっているそうです。公園内にはドリンクやアイスクリームや軽食を提供するキオスクもあるということです。
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実は「べイト・アル・リカ」は幼稚園と公園だけではなく、キリスト教のトレーニングセンターやスポーツフィールド、ユースセンター、レセプションエリア、保育園、宿泊施設、200収容のホール、ダイニング、キッチンと食堂、地下駐車場などもあり、クリスチャン・センター的な働きをしているようです。
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創始者で経営者のジョニー・シュワン(Johnny Shahwan)師の証しがとても素晴らしいので、シェアさせていただきたいと思います。

シュワン師はベツレヘムのアラブ人クリスチャンの家庭に生まれ育ちました。ベツレヘムには世界最古のキリスト教共同体が存在していましたが、パレスチナ自治政府になって以降、ムスリム過激派からクリスチャンが迫害され始め仕事も少なくなり、クリスチャン人口は激減しました。そんな中、シュワン師は、知り合いのいるドイツに滞在した後、兄のいるカナダに行きました。そこで初めて兄から、イエス様の生まれた場所が自分たち兄弟が生まれたベツレヘムだと聞きビックリ仰天し、イエス様がこれほど近くにいたんだと、目が覚めた思いでした。
さあ大変だ、帰ってベツレヘムで人の役に立つ仕事をして、人々のために働こうと思いました。帰り道、再び知人のいるドイツに寄り教会でその話をすると、ルーテル教会が資金の援助を申し出てくれました。また奥様のMarleneさんにも同じルーテル教会でお会いされたそうです。
シュワン師は以前からムスリムの貧しい人々に食べ物を持って行ったりする心優しい人でしたので、ムスリムの人たちからも評判の良い人でした。そしてムスリムの子供たちは、滑り台も無い芝生も知らない生活をしていることを知っていたので、そんな子供たちのために幼稚園を作ることにしました。すると、クリスチャンの子供たちもムスリムの子供たちも喜んで来てくれるのでした。そして、現在では、パレスチナのクリスチャン幼稚園として海外でもその名を知る人々が増えています。

神様の導きは、本当に不思議としか言いようがありません。そして、神様の言われたとおりに従う時、そこに見えて来るのは祝福を伴なう大いなる主の栄光なのだと改めて思いました。
「べイト・アル・リカ」は神様の栄光を浴び輝いている場所でした。明るく、温かく、やわらかく、愛と平和の雰囲気の中で歓迎していただきました。実は、正に、これが「べイト・アル・リカ」のビジョンなのだそうです。
下の写真、シュワン師は前列の真ん中。
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ある日クリスマスのお祝いに、ビリーグラハムの活動機関から子供たちにシューボックス・ギフトが2000個届いたそうです。シューボックス・ギフトというのは、靴の箱の中にプレゼントを詰めてギフトラップしたものです。子供たちはイエス様から届いたギフトに目を輝かせ、普段からイエス様の話を学び教えを守っている子供たちの中で200人が自主的に信仰告白をしたのだそうです。ハレルヤ!

さて、次に向かった場所はラケルの墓です。
(創世記35:16-20の要約) 父ヤコブが兄エサウと和解した後、べテルを発ってベツレヘムに向かう途上、ラケルは産気づき難産の末ベニヤミンを産んで亡くなり、ベツレヘムへの道に葬られました。

ベツレヘムの北にラケルの墓はありました。何とそこは、両側が分離壁に挟まれた道でした。
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壁で囲まれた威圧感の中、バスを降りてラケルの墓まで少し歩いたのですが、視界に見えるものは高い壁と砂嵐色の空だけで、その雰囲気はまるで壁の中の囚人のように感じました。ラケルの墓の入り口も、分離壁の一角に設けられていました。女性側の内部は狭く、女学生がたくさん来ていて身動きできないほどでした。多くの人たちは聖書を開いて熱心に読んでいました。棺のようなものは見えましたが近寄れる状況ではありませんし、写真撮影禁止でしたので中の写真は撮れませんでした。
聖書から思い描いたラケルの墓と現実とのギャップに戸惑いを感じたのが正直な感想です。 
下の写真の左壁にあるアーチ状の一つに、男女別の入り口が作られていました。
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下に、昔のラケルの墓の写真を見つけました。以前はこの写真のようだったのでしょう。何となくホッとしました。
ラケルは夫ヤコブに愛されていましたが、その生涯は幸せだったのだろうか。多産の姉と自分を比べて悲しく思っていたかもしれない。その上、姉レアのように先祖の墓アブラハム、イサク、ヤコブと同じマクペラの洞窟に埋葬されませんでした。なぜなのでしょう。ラケルは父のテラフィムを盗んだ(創世記31:19)からかな、とも思いました。
しかし、ラケルの墓がベツレヘムの途上にあることで、何世紀にも渡り多くの旅人たちが癒されたことでしょう。
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夕方近くエルサレムのホテルに戻り夕食までのフリータイムの間、電車・ライトレール(Light Rail)に乗って街まで行ってみることにしました。電車に乗るまで、どの路線、どのホーム、切符の買い方等わからないことだらけだったので時間がかかってしまいました。
ですが、予定にない行動はとてもエキサイティングで、どんな路地裏も探検したい思いに駆られました。けれど、限られた時間内なので自粛し、表通り付近を写真を撮りながら・・・・・なぜか、食べ物屋さんばかり写していました。パン屋さん、タコ屋さん、クッキー屋さん、そして目を引くポップアート看板のメガネ屋さん・・・
そうだ、帰ろう。もうそろそろホテルのディナータイムが始まるから。
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無事にホテルに着いて夕食と楽しいしおしゃべりをし、6日目が終わろうとしています。
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聖書を読みながらふと、イスラエル旅行中の日々の収穫に思いを馳せていました。それは、他ではできない聖書体験がこうして実際に毎日できること、それが最も大きい収穫と驚きです。聖書の真実を次々と証拠をあげて語って来る旅、それが聖地旅行なのだと実感します。

次回(7/6)はヒゼキヤノの水路、モラン師のオフィス訪問、マフネ・イェフダ市場を予定しております。

(Mi)


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2016.06.21 13:12 | イスラエル聖地旅行
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 これは誰もが一度は持つ疑問です。世の中には、確かに福音を耳にすることのできなかった人々が大勢います。これらの人々は当然イエス・キリストを信じるすべはありませんでした。キリストを信じなければ救われないのであれば、これらの人々はみな滅びるのでしょうか。もしそうであれば神の公平さをどう説明すればいいのでしょう。

聖書には、神は公平な神であると書かれています。ですから、神がなさることは何でも正しく公平です。福音を一度も聞いたことのない人についても、神はいつでも正しいことをされるのです。

さて、ローマ書2:11-16には、神の律法を一度も聞いたことのない人について、彼らの心に記された律法に従ってどのように裁かれるかが書かれています。まず12節で、「律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる」と言われているように、福音を聞いたことのない人は、福音を信じなかったからではなく、自分に与えられた神の啓示に正しい応答をせず、それを拒否したから裁かれるのであって、彼らには弁解の余地がないのです。

また15節に、彼らの心に記された律法という表現がありますが、それは善悪に関する知識のことです。おそらく、神に関する適切な知識のない人に対する神の裁きは、「そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである(15b)」とあるように、彼ら自身の良心にしたがってなされることでしょう。私が知っている明らかな事実は、神は常に正しい事をされるということと、既に福音を聞いたあなたの罪が赦される方法は、唯一イエス・キリストを通してであるということです。

さらにローマ書1:18-23を見ると、すべての人が神の存在を認識できるように、自然界を通し、歴史を通して神の啓示が与えられていると書かれています。つまり、神の永遠の力と神性は、被造物の世界を通して明らかにされているので、人間には神の存在など知らなかったという弁解の余地はなく、たとえキリストの福音を聞かなくても、その与えられた啓示に対する信仰の応答がその人に救いをもたらすということです。

また申命記4:29を見ると、もしある人が自然界に現わされた神の啓示に応答して神を求めるなら、神はその人を福音の真理に導かれるということが書かれています。つまり、時間を越えてすべてを見ておられる神には、福音を聞かないで死んだ人は、福音を聞いても信じなかった人であることが分かっておられたとも言えるかも知れません。

しかし、私たちは、福音を聞かずに死んだ人のことを心配するより、今生きている人のことを心配すべきです。神は公平な方なので、私たちの手の届かない事については、必ず公平な方法ですべての事を導かれます。そこで私たちは、救いをもたらす明確な神の啓示であるキリストの福音を大胆に語り続ける者でありたいと思います。       

LVJCC牧師: 鶴田健次


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2016.06.20 11:56 | キリスト教 Q & A

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

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