
イスラエル2日目。
ネタニア(Netanya)のホテルから大型バスに乗り、一路カイザリア(Caesarea)に向かいました。ネタニアから地中海沿いの道を走り、北に約10Kmのところにあります。
カイザリアは紀元前20年頃ヘロデ大王によって建設された港湾都市。現在この一帯はカイザリア国立公園に指定されており、円形劇場跡、ローマ時代の競技場跡、宮殿跡、導水橋跡、13世紀に建てられた十字軍の要塞跡なども残っています。
ペテロがここの官邸に投獄されローマへと送られ、パウロがローマへの宣教に旅立ったのもこの港でした。
最初に見学したのは円形劇場跡、冒頭にある写真がその全景です。直径約170mの半円劇場。4~5千人のキャパシティーがあり、小さい音でも隅々まで響くように設計されているといいます。修復されて今でもコンサートなどで使用されているそうです。この日は催し物があるのか、折りたたみ椅子が並べられバックに暗幕が掛かっていました。早速、話し声でも客席に響くという実験をしました。(下の写真、下段右) ・・・ですが、失敗! 今日は周りに陽気な観光客が多くて・・・




下は宮殿跡と競技場跡の写真です。









こちらは13世紀に建てられた十字軍の要塞跡。


さて、カイザリアからバスに乗り、少し内陸へ入り カルメル山(Mount Carmel)へ向かいました。カルメル山は高さ約500mの丘陵地でした。

カルメル山と言えば、紀元前9世紀頃、エリヤがバアルの預言者たち450人と、天から火をもって答える神こそ真の神、と言い対決し勝利を収めた場所として有名です。(第1列王記18章20-46)
現在、山頂にはカルメル修道会(聖エリヤ修道院)が建っており、その正面に記念のエリアの像がありました。
屋上からの景色は視界を遮るものがなく、イスラエルで最も肥沃な地エズレル平原が遠くまで見渡せました。下の写真で下段右の写真は、メギドの方を写したものです。(メギド=ハル・メギド=ハルマゲドンの戦い、大規模な最後の戦いが行われると預言されている場所)




さて、ランチタイムとなりまして、カルメル山から下って、アラブ料理のレストランに行きました。野菜中心のヘルシー料理が多く、いくらでも食べられました。後から焼きたての焼き鳥が来ました。・・・っと思ったら、アラブ風味のチキンの串焼きでしたが、けっこう美味しくてパクパク食べてしまいました。


次回は、Akko(ユネスコ世界文化遺産)と受胎告知教会やガリラヤ付近や、ホテルの豪華バフェ等をご紹介します。どうぞお楽しみに!
(Mi)
* おまけ写真
左・10人でこのバス貸切 /右・田辺先生 先ほどはお顔半分で失礼しました!


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去る 3月23日(水)に、当教会Las Vegas Japanese Community church にて「音のりぼん コンサート」が行われました。過去のご紹介ブログ
日本から、20歳前後の障害をお持ちの演奏者4人とご家族がいらしてくださり、日本の童謡、有名なクラッシクの作品、演奏者の為に作曲・編曲されたオリジナル曲等、様々なジャンルから約25曲の素晴らしい演奏を披露してくださいました。
また、曲の多様性だけでなく、それぞれ違う障害をお持ちの4人の演奏者が奏でる音にも個性が光り、神様が一人一人を大切に作られ、このような素晴らしい演奏をされる4人の演奏者を、遠く日本からラスベガスに居る私たちに紹介してくださった事に感謝でした。
コンサートの最後では、演奏者4人がピアノやリコーダー、フルート、パーカッション等を担当され、それぞれのご家族も会場に居る私達も共に歌い、音楽を楽しむ機会が与えられ、とても恵まれた時間でした。

演奏者の4人の方々が、ピアノや楽器を演奏していらっしゃる時の真剣なお顔は、私の心に「喜び」という言葉を突き付けました。私は最近何かを「喜び」をもってしているだろうか? と自問せずにいられませんでした。
私たちは誰でも、生活の中で困難や逆境に出会います。その中でも4人の演奏者の方々とご家族は、音楽・楽器演奏という宝物を見つけ、そこから目をそらさず、努力と希望を持って音のリボンの活動をこうして続けて来られたのだろうと思います。
お母様方は、演奏者のお子様達を誇りに思いながら、活動をサポートされていらっしゃることでしょう。
また演奏者の方々は、客席にいる人々の喜びの笑顔を見、拍手を聞き、それを継続の力に変え、これからも多くの人々に励ましを与えていかれますことを願ってやみません。
私は最近、やっと・・・
主の喜ばれることを!
主に栄光あれ!
と言う視点から、自分の言動に気を付けることができるようになりました。
しかし、まだまだ・・・・常にそれを基に行動する事はできていません。
私も「主の喜ばれる事」を追い求め、生活できますように!
それによって、私にも「喜び」がありますように!
何より、音のリボンの方々の上に主の恵みと慈しみが限りなくありますように。

(KS)
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今日は、’ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)’のことを考えてみました。
今日は、Good Fridayです。
今から約2000年前の今日、人類史上最大の事件がありました。
それは神の子キリストが人類の罪を贖うために十字架に架かられた事件です。
イエス・キリストはピラトの官邸で行なわれた裁判で死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の場となったゴルゴダの丘まで歩いて行かれたわけですが、その曲りくねった道をVia Dolorosa(悲しみの道)と呼びます。そして、その道に沿ってイエス・キリストにまつわる出来事を記念した14のステーションが設けられています。
まず、第一ステーションから第九ステーションまでは旧市街の通路の傍らにあります。最初の地点は主イエスが裁判を受けたとされる総督ピラトの官邸の跡地で、現在はエル・オマリア小学校の校舎が建てられています。そこからライオン門通りを隔てた向かい側に第二ステーションがあり、第三から第五ステーションまでがエル・ワド通りの細い路地の中に、第六から第八ステーションまでがヴィア・ドロローサ通りの南側に、第九ステーションが聖墳墓教会に隣接するコプト教会の中庭にあります。残りの第十から第十四ステーションまでは聖墳墓教会の内部に設けられています。
第一ステーション(主イエスが死刑判決を受けられた場所)
第二ステーション(主イエスが鞭で打たれ、十字架を背負わされた場所)
第三ステーション(過酷な拷問で体力を無くされた主イエスが倒れたとされる場所)
第四ステーション(母マリヤが群衆に混じって主イエスを見られたとされる場所)
第五ステーション(クレネ人シモンが主イエスに代わって十字架を担がされた場所)
第六ステーション(ベロニカが主イエスの顔をベールで拭ったとされる場所)
第七ステーション(主イエスが二度目に倒れたとされる場所)
第八スステーション(主イエスがエルサレムの婦人たちに語りかけられた場所)
第九ステーション(主イエスが三度目に倒れたであろうとされる場所)
担いできた十字架はここで降ろされました。この辺りの丘がゴルゴダの丘ということになります。以下、第十ステージ以降は聖墳墓教会の中にあります。
第十ステーション(主イエスが服をはぎ取られる)
ローマの兵隊たちは、主イエスを十字架につけると、くじを引いて、その着物を自分たちで分け合ったとされています。
第十一ステーション(主エスが十字架に釘づけられる)
第十二ステーション(主イエスが息を引き取られる)
これはゴルゴダの丘の左側に設置されており、そこで主イエスが息を引き取られたと言われています。現在はギリシア正教会の管理下にあり、巡礼者の多くは長時間ここで足を止めます。それはゴルゴタの丘の岩盤が露出しているくぼみの箇所を直に触れることができるからです。
第十三ステーション(主イエスが十字架から降ろされる)
夕方になると、アリマタヤ生まれの金持ちでヨセフという人が来ました。彼も主イエスの弟子であり、彼が総督ピラトのところに行って、主イエスの体の下げ渡しを願い出、ピラトはそれを了承しました。
第十四ステーション(主イエスが墓に葬られる)
これは主イエスの墓とされる場所にあります。福音書によれば、主イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が所有する墓地に埋葬されました。
このヴィア・ドロローサの歩みは、巡礼者の熱意によって自然発生したもののようです。主イエスを信じる者たちにとって、主イエスが十字架を担いで歩まれた道を辿ることは自らの信仰を見つめ、新たな献身の時となる良き機会です。
あるいは、こうして14のステーションの一つ一つを聖書に照らし合わせて思い巡らすだけでも十字架の恵みが身に沁み、心に沁みます。あなたもこのヴィア・ドロローサを歩いて、深い感動を味わってみませんか?
今日の一言:十字架の悩みは我が罪のためなり
鶴田健次
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今回から、イスラエル聖地旅行で訪れた聖書に登場する各地を、解説や旅のエピソードなどを織り混ぜながらシリーズでお伝え致します。
この旅行は、山本真美子師の「希望の収穫/Harvest of Hope Ministry」が主催したイスラエル旅行に参加させていただいた時のものです。
上の写真はエルサレムの城壁「西壁」に行った時の写真をタイトル画像に使っています。タイトルにありますように、訪れた時期は去年の9月です。
全員クリスチャンで、10人という小さいグループでしたので、小回りが利き集合も早く伝達事項もスムースで、参加されたみなさんは初日から家族のように仲良くなりました。
下の写真はLos Angels空港で撮った出発の時の「Let’s go!」写真です。

途中フィラデルフィアで乗り換えて、テルアビブのベングリオン国際空港に到着するまで、全フライト時間は約17時間半、乗り換えや待ち時間などを入れると20時間は軽く越えました。
下の写真は、地中海上空からイスラエルに入って最初に見えた地、テルアビブ近郊。

下の写真はイスラエルの空港にてWelcomeサインの前で出迎えの旅行社の女性と一緒に記念撮影。(左端の2人の女性は中国人団体からはぐれて、間違って写真に入ったようでした)

空港を出てバスに乗り、今夜の宿泊予定地ネタニア(Netanya)へ向かいました。
ネタニアは空港のあるテルアビブの北30kmに位置する、地中海沿いに14キロも続くビーチの美しい街。
この街は米国、イギリス、カナダなどから来た人々が多く住んでいるきれいな街で、不動産の値段も高いとガイドさんが話していました。


下の写真は、ネタニアの景勝地に立つ今夜の宿King Solomon Hotelです。部屋のベランダからは地中海の美しいビーチが正面に見えていました。
夕日が沈み、ホテルでイスラエルの夕食をいただき、その後、夜のネタニアの街へ行ってみました。




ゆったりと気持ちの良い景色を見ていたら、徹夜で荷造りをしてあわただしく出発したこと、静まって神様との時間を持つことができなかったことを今更ながら思い出し、悔い改めと感謝の祈りを捧げ、心を主に向ける時間を過ごすことができました。
今日から聖書の地イスラエルに滞在します。ここはイエス様の地、ペテロやヨハネやパウロが暮らした地、旧約のアブラハム、モーセ、ダビデが本当に生きてこの地にいた、そこに今立っていることは、肉の私より私の霊が喜んでいるような気がしました。
一晩寝たら長旅の疲れも癒え、朝食前に朝焼けの残る海辺を散歩し、各種のオリーブやニシンの酢漬け、チーズやヨーグルトや新鮮な野菜・果物などの美味しい朝食Buffetを皆さんといただきました。


さて次回からは、10人で大型バス貸切り、本格的に聖地旅行が始まります。
これからのブログアップをご期待ください。
(Mi)
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私がイエス様を、信じたのは、2013年のイースターの夜でした。
「Just believe me」とイエス様が言ってくださり、その決断を確かな物にしてくださいました。
私を選んでくださり、私の為に十字架で死んでくださり、死を打ち破り!
そして日々私と一緒に居てくださる。本当に幸いな事です。
さて、「あの日まで 40日間の旅」シリーズ最終回、5回目の今日は、レント第四十日目に送られたメッセージです。
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レント第四十日
今日はレント第四十日、マルコの福音書15章37−41節の御言葉を読んで瞑想してみてください。
それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった」と言った。 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。 イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。(マルコ15:37−41)
ローマの百人隊長は、イエスの味方でもなく、ユダヤの指導者たちの味方でもありませんでした。完全に中立の立場で、総督の命令どおりに職務を果たしただけでした。しかし、百人隊長は、いつまでもイエスに対して、中立の立場でいることはできませんでした。イエスの十字架に向かわれる態度、十字架から語られたひとつひとつの言葉は、彼の胸を揺さぶりました。そして、イエスが息を引き取られた時、ついに彼は「この方はまことに神の子であった」と叫んだのです。受難劇では、この時、百人隊長は、そのかぶとを脱ぎ、十字架の下に置くのですが、私たちも、私たちのかぶとを十字架の下に置きましょう。百人隊長が「イエスと向かい合って」いたように、イエスに向かい合う心をもって十字架の前に立ちましょう。
黙想: 私はイエスと向かい合います。十字架のもとに立ちます。
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イエス様の十字架を考えるときに、まず思うのは
・私が間違いなく、イエス様を十字架にかけてしまった。
・イエス様の十字架に対する思い、その奥義に関して、とても理解が浅い。
と言う事です。
洗礼を受けてこの数年間で、イエス様への愛、思い、感謝、イエス様を信じる心は強くなったとは言え、約2000年前のイエス様が実際に十字架にかかられた時であろうと、今私が生きているこの時にイエス様が十字架にかかられたであろうと、やはり私はイエス様を十字架にかけてしまった(しまう)であろう事は、残念ながら疑う余地がありません・・・。
また、イエス様の十字架の御業を思う時に、「イエス様は私の罪の為に十字架で死んでくださった」「大きな愛」等という事は理解できても、もっともっと深い、イエス様が十字架の死を通してして下さった事を自分の物(事)として理解できていない、いや、もしかしたら理解しようとしない自分が居るように思います。厚い厚い肉の「かぶと」で自分の罪と向かい合わない、向き合うのが怖い私が居るのかもしれません。
私は本当のクリスチャンなのだろうか? 私は百人隊長と何ら変わらないのではないか? とも思います。
イエス様の十字架の御業で罪を赦していただいているのに・・・・。
イエス様、約2000年前、あなたを十字架にかけてしまったのは私です、それを改めて悔い改め、その事実から目を離さず、十字架を見上げ、その十字架を通してあなたがしてくださった事を、愛を、もっと深く知り、感謝する日々を送ることができますよう助けてください。
(KS)
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