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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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主の御名を賛美いたします。さっそくですが、皆様の中には腰痛、肩こり、もしくは原因のわからない身体の不調でお悩みの方はいらっしゃいませんか?

私は数年前に交通事故に遭い、むち打ち症になって以来ずっと腰痛、背中の痛みに悩まされてきました。またフライトアテンダントという仕事柄、普段から腰、背中を酷使しています。その上先日、飛行機が着陸後急停車した際に、お客様のサービスの為立っていた私は後ろ向きに飛ばされ、背中を強く打ち、再びむち打ち症のようになってしまいました。

身体のどこかが痛んだり、不調だと気分まで落ち込んでしまう事がありますよね。ということで、今回はそのような身体の痛み不調を、背骨のゆがみを改善することによって癒す、「背骨コンディショニング」の創始者であり、熱心なクリスチャンでいらっしゃる日野秀彦氏のお働きをご紹介させて頂きたいと思います。

背骨のゆがみは万病のもとと言われています。背骨のゆがみはそこから分布している神経の過度の緊張を生み、その結果肩こり腰痛に代表されるからだの痛み、筋肉のハリ、各関節の痛み・炎症、各所の冷え むくみ、内臓の不調等々さまざまな症状を引き起こすということです。背骨コンディショニングは、その背骨の歪みを体操や手技により改善する事で、症状の改善・ 緩和を目指しいくプログラムです。

日野兄弟は、日本最大手スポーツクラブ第1期フィットネスディレクターとして、
さまざまな運動プログラムを開発・プロデュースされ、その後独立し、聖書の『いやし』をヒントに「背骨コンディショニング」を考案されました。また、日本の腰痛本で今一番売れてる本の著者でもあり、今までにご自身のプログラムを通して、20万人の腰痛を改善、癒されてきました。

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病や、症状には「薬で(食事療法も含む)治るもの」「手術で治るもの」「運動で治るもの」とがあるという事です。でも、いずれも最も大切なのは「治る」かどうかなのです。背骨コンディショニングは、その中で特に「運動で治るもの」に焦点を当て、今までの現代医学、医療になかった独自の「医療理論」を確立し、実践して数多くの実績をあげられているとのことです。

私自身、交通事故後ずっと背中や腰の痛みに悩まされてきましたが、その痛いところをかばう為に、そのあげく他の場所まで痛くなってしまうという悪循環に陥っていました。そのような時に、昨年(2015年)日野兄弟が何度かラスベガスに来られた際に、体験会、講習会、また体操教室等に、出来る限り参加させて頂きました。今までどこか痛むとお医者様に診て頂いたり、自宅でストレッチなどしたことはありましたが、「運動で治す」背骨コンディショニングはある意味、目から鱗の体験でした。

プログラム自体はとてもシンプルで、1)背骨や仙骨のゆがみにより固まった関節や神経を緩める運動を行い、2)その歪んだ背骨、仙骨をもとの位置に戻し、3)さらに背骨、仙骨を支える筋肉を鍛え、神経の伝達を回復させる、という3段階になっています。体操は室内で、しかもタオルや、ストレッチバンドなど身近にあるものを使って、ジムなどに行かなくても簡単に出来るものです。また旅行先、出張先のホテル等でも続けられますし、運動を普段されない方でも取り組みやすいプログラムだと感じました。

実際にこのプログラムに取り組むようになってから、身体の調子はどんどんと良くなってきました。また以前はひどいアレルギーに悩まされていたのですが、それさえも徐々に良くなってきていていることを感じています。(背骨のゆがみが改善され、圧迫されていた肺機能が正常に動くようになったためと考えられます)

しかし先日再び身体を痛めてしまった事で、実際少し落ち込みましたが、今回はこの背骨コンディショニングの体操をすでに知っていましたので、傷が治ってからすぐに簡単な体操から再開しました。また絶妙なタイミングで日野兄弟がラスベガスにいらっしゃっていましたので、痛めた背中の施術をして頂くことができ、神様が不思議なように癒しの場を与えてくださったのだと感じました。その後、日々だんだん負荷を大きくして身体を鍛え直していますが、ちゃんと運動を続けていると調子がよくなるので、手応えを着実に感じています。(続く)

* ちなみに、次回の無料体操教室は2/28, 1:45 pmからです。どなたでもご参加していただけます。702-461-5099

(HW)


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2016.02.17 13:06 | その他
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今日は、‘逆説的真理’について考えてみました。

逆説’というのは、一見、真理に背いているようで、その意味が解ると、それこそ真理だと言える表現のことです。実際、‘逆説’は他のどんな表現でも言い表せない事を伝えることができます。

イエス・キリストは、多くの逆説的表現を用いられました。それは聞く人々の注意を引くためであり、それによって人々はその事を考えさせられたのです。使徒パウロも、またよく逆接的表現を用いた人です。

クリスチャン生活は、それを信じて生きている人にとっては別ですが、多くの人々に対して逆説的です。しかし、その逆説的な生き方にこそ真理があり、多くの実を結ぶ道があるのです。以下の‘逆説’は、聖書にある多くの逆説的記述の一部です。

失うことによって得る
自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。(マタイ10:39)

与えることによって得る
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。(ルカ6:38)

低くなることによって高くされる
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。(マタイ23:12)

弱い時にこそ強い
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(2コリント12:9、10)

仕えることによって治める
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。(マルコ10:42-45)

死ぬことによって生きる
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。(ガラテヤ2:20)


では、これらの事は何を意味するでしょうか。もしクリスチャン生活が逆接的であるなら、クリスチャンの生き方がクリスチャンでない人に不思議に思われるということです。クリスチャンが同じ状況の中でクリスチャンでない人と正反対のことをするなら、彼らの人生に対するアプローチに疑問を呈することになるのです。

今日の一言: 真理は逆説の中に

鶴田健次

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2016.02.12 12:52 | 鶴田健次牧師より
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・批判的な人の心や思考やその人の動機は、神のみがご存知なので、それらを判別できるよう聖霊様の助けを祈りましょう。私たちがどのように応答すべきかは、聖霊ご自身がご存知です。「言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」(ルカ12:12)

福音は、この世で迷いながら死に向かって生きる人々に、私たちが語るメッセージです。私たちの責任は、この福音を伝えることです。この使命は、人々の永遠の運命に関わってきます。これは、この世で達成するどんな業績や偉業やゴールよりも、はるかに重要なのです。人々が神様と永遠の関係を築き上げる手助けをすること以上に、重大な働きはこの世に存在しません。

これは私たちに、生きる目的を与えてくれます。使徒パウロは、「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」と言いました。この使命を達成できないなら、神が私たちに与えてくださった人生を無駄にすることになるのです。もしあなたのゆえに、一人でも天国に行けたなら、あなたの人生は、決して敗北の人生ではないのです。

イエス様は、「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」と言われました。祝福の秘訣は、神が地上でなしてくださっているお働きに参加するということです。神が与えてくださった使命を果たすというのは、時には、私たち自身の計画を手放し、神のご計画に従わなければならない時もあります。

イエス様はこう言われました。「わたしたちはみな、わたしをお遣わしになった方からいただいた仕事を、急いでやり遂げなければなりません。もうすぐ夜が来ます。そうしたら、もう仕事はできないのですから。」イエス様が、次のように言われた通り、すべての人が福音を聞くまでは、イエス様は来られません。「そして御国についてのすばらしい知らせが全世界に宣べ伝えられ、すべての国民がそれを耳にします。それから、ほんとうの終わりが来るのです。」

だから、1日も遅れが出てはなりません。今から人々に福音を語り始めましょう。人々がイエス様の元に戻る時、その喜びを分かち合い、永遠に祝うことができるのですが、人々に福音を伝えることができるのは、私たちのたった短い生涯の間だけなのです。

十字架につかれる前の晩にイエス様は御父に、「わたしは、何もかも、あなたに言われたとおりやり遂げ、地上であなたの栄光を現わしました。」と言われました。私たちも人生の最後に、このように言えるでしょうか。私たちの使命を果たし、神に栄光を現すのが、あなたや私が造られた目的であって、これは、私たちの一生涯のゴールであります。

私たちの全存在を神に捧げ、神の目的のために用いられる道具となりましょう。神に全てを捧げる時、従順と信仰と愛を持って、神に「Yes」と応答したその時から、本当の意味で、私たちの使命を果たす働きが始まります。

ヨハネ3:16では、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と書かれています。私たちが行く所どこででも、神の愛を光り輝かすことができますように。一緒に祈りましょう……..

ビビアン 岩田

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2016.02.11 00:24 | お知らせ
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今日は、‘平和な関係’について考えてみました。

平和な人間関係を築き、維持するための重要な要素のひとつは赦し合いです。あなたもこの問題で苦しんだ経験をお持ちですか? 

誰にとっても、人を赦せないのには、それなりの理由があるものです。しかし、どんな理由であれ、人を赦せないとき、その人は赦せない人に心を束縛され、自分を苦しめてしまいます。たとえ自分が100%正しく、相手が100%悪くても(普通、そんな事はありませんが)、その赦せない思いは、あなたの心を束縛し、傷つけ、あなたを不幸にしてしまいます。そして、その赦せない思いは’平和な人間関係’を壊してしまうのです。

この事について聖書は、「互いに忍び合い、だれか他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい」と勧めています。そして続けて、「主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたもそうしなさい」と言っています。

つまり、私たちが人を赦さなければならないのは、それが神の命令であり、神がまず先に私たちを赦して下さったからなのです。ですから、神に赦された経験は、人を赦すうえで大きな動機付けと力になります。

以前、南アフリカ共和国は白人と黒人を差別する人種隔離政策を取ったことがあります。この人種隔離政策をアパルトヘイトと言いますが、この政策のために、南アフリカ共和国は32年間オリンピックからも追放されてしまいました。

このアパルトヘイト撤廃へと南アフリカを導いて、後に大統領になったネルソン・マンデラは、新しい国を作るためには何よりも黒人と白人の和解が必要だと考えました。そこで彼は、「真理と和解の委員会」を発足させ、神の愛により真実を明らかにし、互に謝罪し合い、赦し合うという道を歩む政策を執りました。

アパルトヘイトの時代に、多くの罪もない人々が虐殺されましたが、「自分の犯した罪を認め、心から謝罪するなら、たとえその人が100人の人を殺した人であっても、その人を赦します」とマンデラは言いました。このような、普通の政策では考えられない「罪」と「赦し」の問題に、南アフリカの加害者と被害者の両方が向き合い、話し合い、理解しようとしていきました。その中にこんな話があります。

バンデ・ブロイクという警官が他の警官たちと共に起こした事です。彼らは18歳の少年を銃で殺し、その遺体を燃やしました。8年後バンデ・ブロイクは同じ家に行って、今度は少年の父親をつかまえてガソリンを体にかけ、火をつけ、それを奥さんに強制的に見せたそうです。

やがてアパルトヘイト撤廃後、バンデ・ブロイクは捕えられ、「真理と和解の委員会」の審議の場に立たされました。そこで、長男と夫を殺されたその奥さんに発言の機会が与えられ、「バンデ・ブロイク被告にどうしてもらいたいですか」と尋ねられた奥さんがこう答えたそうです。「夫の体を焼いた場所へ行って、灰を集めてほしい。そうすれば夫をきちんと埋葬してやれるから・・・・」 バンデ・ブロイクは頭を垂れたまま、うなずきました。

奥さんはさらに続けました。「私はバンデ・ブロイクさんに家族全員を奪われてしまいました。でも私にはまだ神様の愛がたくさん残っています。私は彼に月に2回ゲットーに来て(ゲットーというのは黒人達の居住地)、私と一日を過ごしてもらいたい。そうすれば私はブロイクさんの母親のようになれますから。そしてブロイクさんが神に赦されていること、そして私も彼を赦していることを知ってほしいのです。ブロイクさんを抱き締めていいでしょうか。そうすれば私の赦しが本物だということがわかるでしょうから」と、そうおっしゃったそうです。

これこそまさに生ける神を信じる者の姿です。そして彼女が法廷の証人台に向かって歩き始めると、誰かが「アメイジング・グレイス」を歌い始め、このとき被告は感極まって気絶してしまったそうです。

今日の一言: 赦しは高貴な生き方の象徴

鶴田健次

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2016.02.05 09:48 | 鶴田健次牧師より
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私たちは、これらのことを行うことを常に求められています。テモテ第2の手紙の4:2では、このように書かれています。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」言い換えるならば、私達は常に準備ができていなければならないということです。

第一ペテロの手紙3:15−16では、「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。」

神に用いられるというのは、重大な責任であるとともに、信じられないほどの名誉でもあります。私たちに課された任務の重大性と重要性を理解できたとき、自ずと人生すべての側面、特に周りの人々と関わり方に大きな影響を及ぼすします。使徒パウロは、「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」と言いました。

私たちは、神と一緒に働く神の働き人なのです。私たちの使命は、神と一緒に人々に、新しく生まれ変わる希望のメッセージを示す働きに加えていただくことなのです。神は、私たちと人々の違いを受け入れることができるよう助け、彼らをご自分と和解させるように私たちを用いてくださいます。私たちは、イエス様について語るために送り出されたのです。

たとえ成功を手にし、この世のすべての必要が満たされているように見える人がいたとしても、例外なく誰もが、イエス様を必要としていることを忘れてはいけません。イエス様なしでは、絶望の中で、魂は永遠に神との分離へと向かうのです。聖書は、イエス様の他に救いはないと言います。

私たちには、苦しんで迷うこの世の人々に語る素晴らしい福音が与えられていますが、実際には、このメッセージはいつも歓迎されるというわけではありません。多くの場合、誤解や批判をもたらすというのが事実でもあります。

天の国籍を持たない人々は、私たちの見解や動機を誤解してしまうことがよくあります。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(第2テモテ3:12) イエス様に従順でいるが故に起こる摩擦は、避けられないので、語る相手に謙遜と憐れみと忍耐の精神を持って接して行く必要があるのです。

では、どのように福音を語るのでしょうか。私たちは、どのように救われていない人々と関係を築きあげていくのでしょうか。

イエス キリストが示してくださった例より他に優れたものはありません。

・ヨハネ4:5−15 イエス様は、サマリアの女の人生の比喩として、井戸とその水の話をしました。

・私たちは気転と憐れみをもって人と接することが大切です。気転とは、相手を討論の末敵にすることなく、要点を伝えることです。そして良き聞き手になることです。相手のことについて質問します。人は皆、自分について語ることを好みます。忘れてはならないのが、説得させられて御国に入る人は誰もいないということです。私達は、謙遜を尽くして相手との会話に臨まなければなりません。全ては彼らの魂を勝ち取るためなのです。

・状況に応じて臨機応変でいることが大切です。人はそれぞれ違うので、柔軟でいなければなりません。第一コリント人への手紙9:19−22で使徒パウロは、「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」と言われました。

・福音を語るための架け橋として、自分のストーリーをシェアします。造り変えられたあなたの人生について語ります。神の御言葉に対しては、反論する人がいるかもしれませんが、神がどのようにあなたの心に触れ、あなたの人生を変えられたかということは、反論できないからです。人が、非難され、長い討論の結果イエス様との関係へと導かれるというのは非常にまれですが、それに対して喜びに満ちた人生は、誰もが魅力的だと思うでしょう。常に喜びに満たされ続けましょう。真実の証を語り、神があなたのために何を捧げて下さったかを伝えましょう。


③に続く。。。

ビビアン 岩田

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2016.02.03 23:52 | お知らせ

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