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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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12月30日(水)、今年最後の祈祷会、望年祈祷会が催され、年越し蕎麦を共に啜りながら、一年の過ぎる早さを話しました。新年礼拝、イースター礼拝、ペギーさん米寿のお祝い、感謝祭礼拝・ディナー、クリスマス礼拝、教会大掃除、今年も無事共に迎える事ができた事は恵みでした。

蕎麦でお腹を満たした後は賛美を捧げ、一人ずつ、2015年を振り返り、イエス様への感謝を述べ合いました。ラスベガス日本人教会の2015年は、試練の年でありました。試練や霊的戦いなどを通して、益々私たち一人ひとりを強くしてくださる主に感謝いたします。神様が私達の教会にあるご計画が成就する2016年である事を期待します!

本年は大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。

LVJCCブログチーム

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2015.12.31 00:05 | 教会イベント
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「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 
ヨハネ15:13」


「塩狩峠」は三浦綾子さんの小説のひとつですが、この小説の主人公・永野信夫には原型のモデルがおられました。「塩狩峠」について三浦綾子さんはこのように語っておられます。

この小説で私は犠牲について考えてみたいと思っている。現代にはいろいろと欠けたものが多い。愛、しかり。節、しかり。犠牲にいたっては、現代人の辞書にはもうこの言葉は失われているかのように、私は思われる。「人の犠牲になるなんていやだ」とか、「そんな犠牲的な精神はつまらないわ」というように、犠牲という言葉につづいて否定の言葉が用いられているのが、みられる程度ではないだろうか。

三浦さんがテーマにされた「犠牲」はどこまでも聖書が示している「神への捧げもの」としての犠牲であることを思います。そして、この犠牲は自らの命を捨てて、人間の罪のために、永遠の犠牲になった十字架のイエス・キリストが、そこにはっきりとさし示されています。

小説「塩狩峠」の中で主人公の永野信夫は犠牲の死を遂げられますが、主人公のモデルとなった長野政雄氏は真実に人命救助のために、犠牲の死を遂げられました方でした。三浦さんは旭川六条教会を通して長野氏の信仰人生を知り、深く激しく感動し、小説の構成をはじめらたほどでした。

鉄道員であった長野氏は庶務主任の職についておられましたが、洋服などはほとんど新調しないで、また非常に粗食であり、お弁当のお菜なども、大豆の煮たものを壷の中に入れておき、一週間でも十日でもその大豆ばかりを食べていたと言います。かと言って、物惜しみするような人物ではなく、氏は故郷の母に生活費を送り、その外に教会には常に多額の献金をしていました。日露戦争の功により、金六十円(今の七十万円位)が与えられた時、氏はこれをそっくりそのまま旭川キリスト教青年会の基本金に献じました。

長野氏が信仰に熱心だったことは、その教会の各集会のすべてに出席したという一事でもわかります。しかもその集会の往復には、計画的にその道を考え、必ず人々を教会に誘ったとのことです。また、しばしば自費で各地に伝道し、鉄道キリスト教青年会を組織されました。その話は火のように激しかったと伝えられています。

しかし氏は、教会だけに熱心であったのではなく、職場においても、まことに優秀な職員でした。氏の在職中、運輸事務所長は幾度か代わりましたが何れの所長にも得難い人物として深く信頼されました。「ある所長は、後人の所長に『旭川には長野というクリスチャンの庶務主任あり。これに一任せば、余事顧慮するを要せず』とさえ言われていたと伝えられている」氏は上司だけに信頼されていただけでなく、いかなる部下をもよく指導し信頼を得ていた人物だったのです。

氏が所属していた六条教会の兄弟は氏のことを「君は愛の権化と言いて可なり」と言い表しています。信仰に燃え、勇気があり、神の愛を人々に与えていた長野氏は人生の最後の時に、最も大きな愛を残されました。

明治四十二年二月二十八日、列車は塩狩峠の上り急勾配を進行中、突然分離し、最後部の客車が急速度で元の峠の方に逆走する中、乗客は脱線転覆はまぬかれまいと全員救いを求め叫ぶ有様で車内は騒然とする大混乱でした。その時、その車両に同乗していた長野氏は客車のデッキにハンドブレーキの装置があるのを見ると、ただちにデッキに出て、ブレーキを力一杯締め付けたのです。客車の速度は緩み、徐行程度になりましたが、この先の勾配でまた加速をすると判断した長野氏は、自分の身を線上に投げ出し、そこへ列車が乗りかかり、長野氏は下敷きとなり、列車は完全に停止をし、乗客全員の無事が守られました。長野氏が線路にとびこむ寸前、うしろを振り向きうなずいて別れの合図をしたのを目撃した乗客がありました。

長野氏の犠牲の死は、鉄道、教会等の関係者はもちろんのこと、一般町民も氏の最後に心を打たれ、感動してやみませんでした。長野氏の殉教直後、旭川・札幌で何十人もの人々が洗礼を受けたのです。この出来事から百年以上の歳月が流れていますが、長野氏の信仰の火は今も燃え続けています。

長野氏は新年ごとに遺言を書き改めては、肌身離さず持っていました。氏が天に召されたのは30歳ですが、最後遺言にあった言葉です。

「余は諸兄姉が、余の永眠によりて、天父(神)に近づき、感謝の真義を味あわれんことを祈る」

長野氏はもっとも大事なご自身の「命」を捧げました。今日の生活の中で、私は神に何をお捧げできるでしょうか。神は捧げる心のあるものに、神の栄光のあらわれる機会を、御心にしたがって与えてくださる事を思います。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.12.28 00:00 | 信仰者シリーズ
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今日は、‘幸せは選択である’ということについて考えてみました。

前回は、‘人生は選択である’というテーマで、自分の人生は自分が自由に選び、決めることができるということを書きましたが、今回は、自分の感情も自分が選び、決めることができるということで、幸せもまた自分の選択であるということを考えてみます。

神が人間に与えられた素晴らしい賜物の一つは自由意志です。自由意志がなければ人間は動物のように本能という枠の中でしか生きられなかったはずです。しかし、人間には自由意志が与えられているので、すべてのものを自分で「選択」する自由 と特権があるのです。

この選択の自由は、人間の心の力を最大限に発揮させる強力な道具であり、素晴らしい技、また優れた癒しの手法でもあります。‘幸せは選択である’と言われるとおり、幸せは誰かがそうしてくれたのではなく、あなたが自分で選んできたもの、また不幸も誰かがそうしたのではなく、あなたが自分で選んできたことの結果、そして今まであなたが生きてきた人生も、すべてあなたの選択がもたらしてきた結果なのです。

確かに 人生には不慮の出来事もありますが、人生の多くの場面で選択があったことは確かです。就職、進学、結婚、離婚、様々な場面で選択がありました。もっと細かく見れば、毎日たくさんの選択をしています。そして、その選択には結果が伴い、あなたはその結果を刈り取るのです。

さて、行動の選択だけでなく、人間には感情の選択という自由があります。たとえば、誰かに嫌な事を言われれば嫌な気分になります。そこで、あなたは怒るという選択か、赦すという選択をします。どちらの選択もあなたの自由ですが、その結果は大きく違います。そして、その結果を選んでいるのはあなた自身ですから、その責任も本当は自分にあると認めることが、自分の心を育て、幸せで豊かな人生を送る重要な要素です。 

人間の心には、受容と抵抗という二つの基本姿勢があります。受容とは、状況や人や自分をそのまま受け容れることで、抵抗とは、それらを拒絶することです。そして、受容には平安や喜びや満足が伴い、抵抗には怒りや憎しみや不満が伴うのです。

受容する心を育てるには、今自分が受容できないものを知り、それをそのまま受け容れることが最初のステップです。今の自分がどこまでを受容でき、どこが限界で、どこからが受容できないのかを知り、そういう自分をそのまま受容するのです。

ところが、そうは言ってもなかなか受容できないこともあります。受容できない自分を認めるのは、敗北感を感じるものです。ですから、受容できないのは、そうしたネガティブな感情を感じたくないからで、心の中に受容できるスペース(余裕)がないのです。ですから、心の中のネガティブな感情を解放し、空きスペースを作ることが受容の心を増す方法です。この心の中のネガティブな感情は、誰かにそういう自分を受容してもらうことによって解放されていきます。

こうしてネガティブな感情から解放されることで、受容できない自分を受容する余裕と客観性が養われ、それによって人や自分や状況をありのままで受け容れる受容の心が養われ、不平不満や愚痴を言わない、幸せを引き寄せる人になれるのです。        

今日の一言: 受容の心を養おう

鶴田健次  

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2015.12.25 08:58 | 鶴田健次牧師より

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