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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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       (作品:悲しみの意味)

群馬県みどり市に「富弘美術館」があります。美術館の目の前には草木湖と美しい山並みが広がっています。この美術館は1991年に開館されましたが、すでに600万人以上の訪問が記録されています。この詩画が手ではなく、口に筆をくわえて創作された物である事がより多くの方の心を動かしているのではないでしょうか。

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            (美しい自然に囲まれている富弘美術館)

星野さんは1946年に群馬県勢多郡東村に生まれ、野山をかけ回るような少年時代を過ごし、学生時代は山の美しさに魅せられ登山に熱中する日々を送りました。大学卒業後、中学校の教論になりますが、わずか2ヶ月後、クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し、手足の自由を失ってしまいます。

事故という一瞬の出来事から、絶望の淵に突き落とされ、つらい闘病生活を強いられる日々が始まります。深淵から星野さんを救ったのは、母の献身的な介護であり、憶えていたいくつかの詩人の言葉であり、信仰でした。そして、口に筆をくわえて、文字と絵を描く事であったといいます。

長い入院中、一人のクリスチャンから借りた三浦綾子さんの本で心を激しく揺さぶられます。三浦さんも闘病生活をおくられていた方でした。三浦さんがクリスチャンである事を知り、以前に送られた聖書をそっと出して、生かされていることの重さに気づかされたといいます。そして、事故から4年後に病室で洗礼を受けられました。それから5年後に退院、最初の作品展を前橋で開きます。その後は、日本国内のみならず、ブラジル、アメリカでも詩画展を開き、現在も詩画やエッセイの創作活動を継続しておられます。

星野さんの作品には「花」を題材にした作品が多く見受けられます。幼少期に自然の中で体験したさまざまな事、戦後の貧しくも心豊かな家族の中で育った事が、星野さんの感性を育んできました。星野さんは今も群馬県に在住し、身近な草花を真摯なまなざしで見つめています。そこから生まれる作品からは「生きることのすばらしさ」「生きる勇気」が与えられます。

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        (作品:たんぽぽ)

(LVJCCブログ制作チーム:kao)

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2015.09.28 00:00 | 信仰者シリーズ
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今日は、‘究極の希望’について考えてみました。

’究極の希望’、この言葉を聞いて、あなたは何を連想しますか?

私たちが生きるうえで’希望’はなくてはならない大切なものです。もし希望を失えば生きることさえ難しくなります。たとえそれがどんな希望であれ、希望があれば生きる張り合いが出てくるものです。

しかし、そのような希望も、私たちの置かれた状況次第では何の役にも立たなくなる、というような局面を迎えることが私たちの人生にはあるものです。そんなとき、たとえ置かれた状況がどんなものであれ、その周りの状況に左右されない、また何者(物)にも奪われない、永続的で不変的な希望があるとしたら、それが’究極の希望’です。

ある少年のこんな詩を読んだことがあります。この少年はキンジストロフィーという病気のために、若くして亡くなった少年でした。彼が亡くなる前にこの詩を書き残したのです。



たとえ短い命でも生きる意味があるとすれば、それは何だろう? 
働けぬ体で一生を過ごす人生にも、生きる価値があるとすればそれは何だろう?
もしも人間の生きる価値が社会に役立つことで決まるなら、僕達には生きる価値も権利もない。
しかしどんな人間にも差別なく、生きる資格があるのなら、それは何によるのだろうか?




まさに、若くして死と向き合っているこの少年の魂の叫びです。そして、いったい誰が、この少年に、それでもなお生きていく希望を、また生きる意味を語ることができるのでしょうか。人間の思想哲学、また人生訓でしょうか。そのような、人間の限りある言葉で、死を超える希望を語れるのでしょうか。

あなたは、このように死を前にした人に希望の言葉を語ることができますか? その場しのぎの慰めではなく、本当の希望を語ることができますか? もしそれができるなら、あなたには希望があります。しかし、もしできなければ、あなたが死を前にしたとき、あなたには希望がありません。

短い命にも、長い命と全く等しい意味を与え、何かができてもできなくても、あなたの存在そのものに無限の価値を見出させ、それを裏付けるものがあるとしたら・・・・

また、すべての人に全く同じ生きる価値と権利と資格を与えるものがあるとしたら・・・

そして、それが70年、80年の人生だけではなく、永続的に意味を成し続けるものであるとしたら・・・

それこそが‘究極の希望’です。

そしてこの‘究極の希望’は、どんな悲劇からもあなたを立ち直らせ、どんな絶望にも明るい光を投げかけ、人間の最後の敵である死に対してすら、胸躍る喜びと期待を与えるのです。

自称クリスチャンのあなた、あなたは本当にこの希望を持って生きておられますか?
この大切な真理を知らない方に、この究極の希望を証しておられますか?
今日は、この問いかけでメッセージを終わります。


今日の一言: 人は誰でも‘究極の希望’を持つ必要がある


鶴田健次

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2015.09.25 09:22 | 鶴田健次牧師より
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教会でどのくらいの方が子供ミニストリーに関心を持ってくださっているのでしょうか。教会でも目立つ子、目立たない子がいますが、やはり進学で他の州に行ってしまう事はとても寂しい事であります。

先日、7歳から教会に集っていたマリナ姉が大学進学の為、ラスベガスを去って行きました。姉妹は、私の娘が集っているユースミニストリーの先生をしており、寝る暇を惜しんでは複数の仕事を掛け持っていながらも、水曜日は私が行っている英語の教会でよくかち合ったものです。

「努力家で神様の愛をふんだんに貰っていた」姉妹と言う印象でした。それでも、彼女には幼いながらにも信仰を要する出来事がいくつもあり、私の娘同様、神様を見上げなくてはいけない状況があった事でしょう。

それだからでしょうか、マリナ姉妹の信仰には、私も励まされました。
教会で新しい賛美をしようと練習をしていたところ、彼女が横に座り、ずっと練習に付き合ってくれたのです。それも、一つ一つ丁寧に神様への愛を歌いながら。歌い方も抑揚があり、感情がとてもこもっているのです。そんな様子にとても心をうたれました。彼女を通して、賛美をする事とは神様への愛の讃歌なのだと思いました。感謝です。

初めて会った時はあんなに小さかった姉妹が、こうして成長し、自分の召しの為に一歩を踏み出す姿は何よりもない励ましです。どうか姉妹に最高の祝福が与えられますように。いつでも私たちの教会に帰ってきてください。神様が定められた、あなたの祈りの家です。あなたの魂を勝ち取る教会なのですから。

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2015.09.23 23:04 | 証し

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