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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

良い習慣改定_convert_20150801015051

今日は、‘良い習慣’ということについて考えてみました。

「すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい」

これは、パウロが愛弟子のテモテに書いた手紙の中にある一節です。私たちは、霊的な救いを得た瞬間に全く新しい生まれ変わりを経験しますが、依然として、取り除かれ、取り替えられなければならない古い習慣や行動パターンが身に付いています。私たちは、自分の現実の姿を謙遜になって直視することを恐れます。真理は私たちを自由にするのですが、最初は、私たちを惨めにします。

自分の性格の欠陥を正直に直視することへの恐れは、私たちを、いつまでも自分はそういう者ではないという“否定の獄”に閉じ込めてしまいます。しかし、もしそれを否定し続けるなら、その欠陥の周りに自分自身を築き上げていくことになるのです。私たちには、もし自分の中のものを手放せば自分を失うのではないかという無意識の恐れがあります。この恐れは確実に私たちの成長を遅くします。

私たちが自分の欠点や失敗や怠惰さに対して神の真理の光を当てることを受け入れるときにだけ、私たちはその事と取り組み始めることができるのです。謙遜で教えられやすい態度なしでは、人間は成長できません。

良い習慣は育てるのに時間がかかる: あなたの品性はあなたの習慣がもたらしたものであることを理解できますか。もしあなたが習慣的に親切でないなら、あなたは親切な人とは言えません。もしあなたが習慣的に正直でないなら、あなたは誠実な人とは言えません。品性を育てるには、それに必要な習慣を身に付けることです。

習慣は品性を作る: キリストのような品性を発達させる唯一の方法は、時間をかけて訓練をすることです。どんな事でも習慣化することに近道などありません。パウロは弟子のテモテに、「すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい(1テモテ4:15)」と勧めました。

もし時間をかけて何かを実践するなら、誰でもそれが上手になります。繰り返しは品性と技量を育てる黄金律です。この品性を育てる習慣は、しばしば‘霊的な訓練‘と呼ばれ、それには瞑想、祈り、断食、聖書の学び、服従、奉仕、伝道などが役に立ちます。

今日の一言: 良い習慣を身につける鍵は、それを続けることである


鶴田健次


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2015.07.31 08:51 | 鶴田健次牧師より

(写真:サンデースクール後の子供達の遊び場)

((前回の続きから))
そんな嬉しい神様からの応答はまだ続きました。

子供達がサンデースクールで集っている時に、スナックが出され、アレルギーがある息子一人だけが食べられないという問題(?)があがりました。

アレルギーがあるので、そういうことは私も息子も慣れっこだったのですが、サンデースクールだったからでしょうか、孤独を感じてしまったのでしょう。息子は一人泣いていました。

スナックタイムがあるという事で、次の週から息子専用のスナックバックを用意しました。すると、その週にサンデースクールにアレルギーのある息子でも食べられるフルーツスナックが用意されていました。

思いもよらなかった事にびっくりしていると、実はある一人のサンデースクールの先生がいてもたってもいられなく、息子のためにフルーツスナックを用意してくださったという事を知りました。

期待も何もしていなかった私はかなり感動してしまい、礼拝後に彼女のところに行き、「あなたを通して神様を感じました!God Bless You」と言い、彼女が「もちろん!あなたの息子を泣かせたままではいられなかったもの。God bless you too!」と言ってくださり、深い感謝の中 二人で強く抱き合いました。

ほんの些細な小さな事でもこうして大切な誰かの心に神様が触れてくださり、彼女を通して素敵な体験をさせていただいた事は感謝な事でした。そして、私の「神様が本当に置きたい場所」と言う祈りに応答してくださったことを嬉しく思い、私を愛してくださる父なる神様の愛を更に感じました。

イエスが愛したように、私達も愛し合う。心からそう思いました。

(LVJCCブログ制作チーム: Sao)

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2015.07.29 16:08 | 証し
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今日は第2次世界大戦時、香港の英国人捕虜収容所で、自分の命をかけて信仰を守り、捕虜の生命を守りぬき、戦後英国でテレビ放映され、英国人を感動させた「アンクル・ジョン」こと渡辺潔牧師をご紹介いたします。

渡辺潔牧師(1889-1977)は17歳で主イエスを信じ、25歳から牧師として働き、45歳の時に米国の神学校で学んだ方でした。太平洋戦争勃発に伴い、英語能力のゆえに52歳で香港に遣わされ、捕虜収容所で日本軍の通訳の働きを日本政府から命じられました。

そこで彼が目にしたのは、人間としての尊厳を剥ぎ取られ、劣悪な環境の中で十分な治療を受けられずに死を待つ捕虜たちの姿でした。

ある日、イギリス人捕虜がむきだしにされた胸をベルトの締がねで打たれ、激痛で呻いたとき、もはやいたたまれなくなった潔師は部屋から逃げ出しました。急いで手洗い所にかけこんで、内側から錠を掛けて立てこもったのです、たった今見てしまった恐ろしい出来事から逃れようとして、目や耳をふさぎました。羞恥心と嫌悪、そして絶望で吐き気が襲ってきました。

潔師はむせび泣く声を漏らすまいとして、ハンカチで口を覆い、「神様、あなたは戦争を正当とされて、人々を戦わせているのですか? 神の御子であるキリストが人となって十字架上で死なれたのは、このためだったのでしょうか?」そのような叫びを神に投げかけずにはいられませんでした。そして、神への信仰さえ失ってしまうのではないかと思うほどの深い絶望の中で、自分を見失いそうでした。

とうとう潔師は手洗い所に閉じこもってひざまずいたのです。たった今、見てしまった悲惨な光景と湧きあがった疑念をぬぐい去るために、神にすがりつくように語りかけ、必死になって助けを求めました。力と助けと理解力と、さらに多くのことを求めて、熱い祈りを神に捧げました。

そして最後にこう祈ったのです。「神さま、私をお赦しください。私の弱さとふがいなさをお赦しください。冷酷な私をお赦しください。御子イエスは十字架上の強盗でさえお赦しになりました。どうぞ、何の価値もなく脆弱な私ですが、お用いください。神さまのいつくしみの器として、私の思いではなく、神さまの御意思が実現されますように。」

その後、祖国と敵国との間で苦悶しながらも、潔師は仲間の協力を得て、捕虜たちに医療品を届ける決意をします。それはクリスチャンとして聖書のことばに従い、自分のできる小さなことから平和をつくりだそうとする決意でもあったのです。それ以来、外部からジフテリアなどの血清、医薬品、食料などを密かに収容所に持ち込み、救援活動を始めました。

潔師の行為が明るみに出た後、死刑が言い渡されましたが、はからずも終戦を迎え命は助かりました。

イギリス人捕虜たちは、潔師を心から尊敬し、賛辞を惜しみません。なぜ、命をかけてまで助けてくれたのですかと問われると、こう答えました。

「私ではありません。神がなさったのです。私は神に用いられただけです」

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.07.27 00:00 | 信仰者シリーズ

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