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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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先週に引き続き、ロードトリップ〜メイン州までの道のり第二弾をご紹介します。

ユタ州の真ん中を走って、コロラド州のデンバーに行く途中に、急に景色がガラッと変わりました。コロラド川が流れ、両端には高い岩山の景色。そこには、まるで絵葉書を見ている様な線路がありトンネルがあり、その周りの草原は黄金に輝いてる、そんな素敵な場所でした。

そこだけではありません、どこも素晴らしい景色で、神様の創造の御業に感動です!

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この近くにはスキーリゾートのアスペンやベイルがあります。有名なロッキーマウンテンの山越えは、11000フィートという高いところを通り、長い時間かかって山を越えました。

電波状態があまり良くないので、今回はこのへんで。。。
次回は、ネブラスカ、アイオワの報告をします。

「はじめに神は天と地とを創造された。 」創世記1:1

(ブログ制作チーム: Sao)


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2015.06.16 13:29 | 証し
井深

井深八重は会津藩家老の家柄に生まれましたが、母は幼い時に他界し、父は国会議員で家にいることも少なかったため、明治学院学長だった父方の叔父、井深梶之助の家に物心ついてから預けられました。そこで何不自由なく英才教育を施されて育ち、同志社女学校を卒業後、英語教師として長崎の県立女学校へ赴任します。

しかし、長崎での生活が1年過ぎて多くの女生徒たちから慕われていた頃です。八重の肌に赤い吹き出物のような斑点が幾つも出てきました。福岡の大学病院で精密検査を受けると、当時最も恐るべきハンセン病と診断されてしまったのでした。

当時、この病気は遺伝病という誤った俗説があり、恥ずべき病とされていたため、名門井深家からハンセン病者を出すことは一族の重大事件でした。八重は病名をふせられたまま御殿場の「神山復生病院」に隔離入院させられ、また勝手に井深家から籍を抜かれ、名前も変えられてしまいました。

八重が入院した病院は、フランス人のレゼー神父を病院長とするハンセン病専門の病院でした。しかし、医者はレゼー神父以外にはおらず、看護婦も皆無で、比較的軽い患者が重い患者の世話をしている有様でした。入院後3ヶ月間は自分の身におきた事に絶望し、将来の夢も結婚もすべてを失った絶望から自殺を考えたことも度々でした。そして、毎日泣いて過ごす日々を送りました。しかし、気持ちが少し落ち着いてきた時、八重は病院内の光景に不思議な思いを持ちました。

何故なら、笑顔で患者たちに接し、自分も感染するかもしれないのに素手で患者をなでさするレゼー神父と、患者たちの明るい姿を見て、八重は思いもよらぬ世界がここにあることに気づき始めます。

「もしかしたら、この世で生の望みを絶ったはずの彼らが新たな生の意味に目を開き、神の手に身を委ね、決して空ではない確かなものをつかみとろうとしているのではないのか。」 

八重は、軽患者としてレゼー院長を手伝い、多くの患者の看護に努め、絶望と戦いながら重苦しい一年を過ごしたのでした。また、この時期に八重は信仰に導かれました。レゼー神父は毎週日曜日施設の一室で礼拝をしておられました。そこに集まる患者さん達は絶望の底にいる人達であるはずなのに、きらきらと輝いて賛美をされていたのです。八重はこの人々を輝かせ、生かしているものは何なのだろうと、レゼー神父に問いました。レゼー神父の答えは「患者さんたちが持っているもの。それはイエス・キリストです」と答えました。そして八重も福音を受け、イエス・キリストを信じる信仰を持ったのです。

八重がハンセン病と診断され、神山復生病院に入院して一年が過ぎたとき、八重の醜い肌の斑点が不思議に消え、女性の肌の美しさが蘇ってきたのです。レゼー院長の勧めで東京の専門病院で精密検査を受けると、八重のハンセン病は誤診であったことが判明したのでした。レゼー院長はこのことをとても喜び、「この病気でないことが分かった以上、あなたをここにお預かりすることは出来ません。自分で将来の道をお考えなさい。もし、日本にいるのが嫌ならば、フランスへ行ってはどうか。私の姪が喜んであなたを迎えるでしょう。」とまで言ってくれました。

一転して絶望の底から救われた八重でしたが、なぜか素直に喜んではいけない気がします。今自分がこの病気ではないという証明書を得たからといって、今更、大恩人のレゼー神父や、気の毒な病者たちに対して踵をかえすことができないと思ったのでした。また、入院する前の自分が身をおいていた生活には心引かれるものはありませんでした。八重は病を通して、キリストによる普遍的な価値観を知り、いずれは過ぎ去るこの世の事にもやはや心を惑わす事はありませんでした。

八重は、「もし許されるならばここに止って働きたい。」と答えます。やっと解放された病の恐怖に、今度は自分から飛び込んでいこうというのです。こうして八重は看護婦免許を取得すると、正式に神山復生病院の看護婦として奉職しました。それからというもの、老院長を助けて患者の看護は勿論、病衣や包帯等の洗濯から食事の世話、経営費を切り詰めるための畑仕事、義援金の募集、経理まで、病院のためなら何でもしました。

やがて救ライ事業に生涯を捧げた八重の労苦が世に認められるようになり数々の賞を受賞しました。1959年復生病院創立70周年にローマ法王ヨハネ23世から表彰され、日本では黄綬褒章が授与されました。さらに1961年には国際赤十字から看護婦の最高名誉ナイチンゲール記章を受章したのでした。

しかし、彼女が受けたもっとも価値ある賞は、患者たちから「母にもまさる母」と慕われたことであり、また天国で受ける神様のご褒美であった事でしょう。

1989年、八重は91歳で永眠しました。自分がハンセン病との誤診を受けたことについて、彼女はこのように語っていたといいます。

「自分がここにいることは恵みです。神様からこの場を与えられたことを感謝しています」

(ブログ制作チーム: kao)

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2015.06.15 00:00 | 信仰者シリーズ
reap what you sow

今日は、”種蒔きと刈り取り”について考えてみました。

わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。(2コリント9:6

これはコリント人への第二の手紙9章6節の御言葉です。ここに記されているように、神は、しばしば与えることを種まきと比べられます。農夫のように、出て行ってたくさんの種をまけば、たくさんの収穫を得ますが、もし少ししか蒔かなければ、少しの収穫しかなく、まったく蒔かなければ、何の収穫もないのです。

どの農夫も、種まきを支出と考えたりはしません。彼らはそれを投資とみなします。彼らは、種を買わなければ収穫もないということを知っています。

農夫たちが種を蒔くとき、彼らは興奮と期待をもってそれを蒔きます。彼らは、一粒のとうもろこしの種を地に蒔くと、たくさんの実の付いたとうもろこしになるのを信じているからです。ですから、彼らは収穫を楽しみにして種を蒔くのです。

聖書は、種まきと刈り取りについて三つの事を言っています。

1.人は自分の蒔いたものを刈り取る
もしあなたが批判の言葉を蒔くなら、人々はあなたを批判するようになります。もしうわさ話を蒔けば、人々はあなたのうわさをするようになります。人生において、あなたが何を蒔こうが、必ずあなたは自分の蒔いたものを刈り取ることになるのです。

しかし嬉しい知らせは、この原理が否定的な事柄だけでなく、肯定的な事柄においても同様に当てはまるということです。つまり、もしあなたが祝福を蒔けば祝福を刈り取り、喜びを蒔けば喜びを刈り取り、愛を蒔けば愛を刈り取るのです。(真実な愛は時には厳しさを装う場合もありますが・・・)

2.人は常に蒔いた以上のものを刈り取る
一粒のとうもろこしの種を地に蒔いた農夫は、やがて100~200粒の実のついたとうもろこしを何本も得ることになります。あなたが蒔くものもまた同じです。

3.人は常に蒔いた時と違う時に刈り取る
ある季節に蒔いたものは、別の季節に刈り取りをします。もしあなたが今日種を蒔いて、明日それを掘り起こしてみても、何も変わっていません。しかし、しばらくそのままにしておけば、やがて成長し実を結びます。それが神の経済における待つ必要に対する信仰の部分です。

あなたは自分の人生に、どれくらい大きな収穫を望まれますか?
神はこう言われます。「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」(マタイ9:29)


今日の一言: 与えることは支出ではなく霊的投資である


鶴田健次



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2015.06.12 09:18 | 鶴田健次牧師より
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数年前も日本に訪問させていただいた様子をご紹介しましたが、今年は東海岸のメイン州に行く予定ができ、キャンパーを引いての、アメリカロードトリップの様子をご紹介します。

ラスベガスから東海岸メイン州までの道のりは、ユタ、コロラド、ネブラスカ、オイオワ、イリノイ、インディアナ、オハイオ、ペンシルバニア、ニューヨークとマサチューセッツ州の10の州を超えて、到着します。

アメリカでの牽引免許は要らず、普通免許にて、牽引できます。私は牽引するのは初めてでしたが、下調べをした結果、30分で慣れると書いてあったのでそこまで気負わずに、ちょっと試しに。。という感じで、運転しました。

フリーウェイはそこまで入り組んだ道では無いので、ひたすら真っ直ぐな道を走ります。ただ、キャンパーが少しのハンドルの動きにより左右に揺れてしまいます。しかも、私たちが運転しているフォードもまた車体が軽いので、車体の重いヨーロッパの車に比べて、ハンドルが軽く少しの振動で車が動いてしまいまいます。運転し始めて30分。コツを掴み、左側にカーブがかかる時など、追い越し車線の人が安心して追い越せるようにまでに、こなせるようになりました。

フリーウェイは、まっすぐな道が多い中、ラスベガスを出発してすぐに、アリゾナのザイオンの手前に岩に囲まれ、曲がりくねった道が続きますが、ただでさえ運転しずらいそこの道がちょうど工事中だったのです。しかも、ワンレーンしかなかく、辺りは夜だったので、見通しがあまり良くありませんでした。その時にこれまでには無いほど(?)神様を思い、集中して無事に通り終わった時には、心から神様に感謝しました。娘よ、もっと私に頼りなさいと言われたようで、車内で家族が寝ている中、1人反省し、夜道を走らせました。

その後は順調に進み、その日の走行距離のほとんどを運転することができました。
コロラドのガソリンはラスベガスに比べて、70セントも安く、びっくりしました。
そして、コロラド川も初めて見ました。コロラド川の水がレイクパウエルに行き、レイクミードに水が貯蔵され、私達ラスベガスに住むものが水を得れるのですね。感謝です。

アメリカは広大です!
この後はカンザス、シカゴに向かいます!
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(LVJCCブログ制作チーム: Sao)

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2015.06.10 15:19 | 証し
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今日はノートルダム清心学園理事長・渡辺和子先生の講和『キリストの香り「いつも喜んでいなさい」』をお送りします。

キリスト教との出会いは12歳の時に、東京・四谷のミッションスクールへ母が入学させてことによります。私が9歳のときに父が不慮の死を遂げたため、母としてはミッションスクールに入れたかったのだと思います。それまで広々とした武蔵野の小学校で、当時は珍しい男女共学のクラスの中、伸び伸びと勉強や遊びをしておりましたが、一転して狭い校庭、おとなしい女子、厳しいシスターの躾をキリスト教のせいだと思い、キリスト教にほとんど無関心で中学校・高校を過ごしてしまいました。18歳の時、まだ第二次世界大戦のさなかでしたが、自分を受け入れられない時期がありました。毎日、空襲がありいつ死ぬかわからない、そんな状況にある自分が、高慢で母に対しても冷たくしたり、すねたり、口をきかない、そういう自分のままで死んでいいのだろうかと悩み、スクールのシスターに相談に行きました。

するとシスターは私に一冊の聖書を渡してくださって、「毎日15分読んでごらんなさい」そして「そんなに自分が嫌なら洗礼を受けたらいかがですか。新しい人になれますよ」と言って下さったのです。私は水をかけていただくだけで新しい人になれるのだったら、キリスト教も悪くないな・・・と思い、シスターに特訓していただきました。そして4月のご復活祭が過ぎた頃、スクールのチャペル(私の洗礼の後、焼けてしまいましたが)そこの最後の受洗者として洗礼を授けていただきました。母は私が洗礼を受ける事を嫌がり、当時、敵性国家と言われた国の宗教になぜ入信するのかと立腹しました。私は私で母が「ダメだ」と言えば、母に逆らう気持ちで洗礼を受けました。

母は3日間口をきいてくれず、ミサに行く事も許してくれませんでした。私にとって一番、痛かったのは、母が「あなたはそれでもクリスチャン?」と私をなじってくれたことです。洗礼はマジックではありません。洗礼を受けたからと言って、急に優しくなったり勤勉になったりするわけではありません。自分自身との戦いが必要でした。母は聖書を手にしたこともありませんでしたが、聖パウロがテサロニケの信徒に送った言葉に「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんな事にも感謝しなさい。」という言葉がありました。聖書を読んだことのない母が、自分の意に反して洗礼を受けた娘に求めていたことは、喜びのある生活、祈りのある生活、感謝のある生活を私が行うことではないかと思いました。日本には1%のクリスチャンしかいません。99%のキリスト教徒以外の人がキリスト教徒に期待していることは、喜びのある人、祈りの人、どんなことにも感謝に到達できる人ではないかと考えています。

いつも喜んでいなさいというのは、ある意味で無理な話です。私達の毎日の生活の中には辛いこと、悲しいこと、嫌なこと、腹がたつこと、傷つくこと、だまされたり裏切られたり、失敗や過ちや人間の弱さからくることがたくさんあります。その時に悔しいと思っても、私はいいと思っています。旗を立ててもかまわないと思います。辛いこと悲しいこと悔しいことをいつか自分が断ち切って、神様は自分の力に余る試練をお与えにならないと信じて、この理不尽なこと悔しさはいつか私のためになる、必要だから神様は与えてくださっているのだ、と希望を持って生きることが大切でないかと思います。一時は苦しみ神様を恨んでも、その自分の思いを断ち切って、神様は決して悪いようにはなさらない、と考える事を習いました。

十字架上のイエス様の死が復活をもたらしましたように、私たちも自分の生活で小さな死を毎日経験することが、必要だと思います。いつか必ず訪れる大きな死のリハーサルを、日々、自分が人から傷つけられる言葉をいただいた時また挨拶をしたのに答えていただけなかった時の辛さや悔しさを喜んで受け入れることで、小さな死が一粒の麦の例えにありますように、そのまま死ななければ、そのまま枯れてしまいます。しかし自ら地に落ちて死んで、暗い土の中で人に踏まれ、時を過ごすといつかきっとたくさんの実を結ぶーそれに基づいた考え方だと思います。

「イエス様また今日もしくじりました。倒れてしまいました。」と申し上げますとイエス様は「いいよ私だってゴルゴタの丘をのぼっている時、三度も倒れたのだから倒れてもいいよ。また笑顔で起き上がってごらん」と言ってくださると思うのです。私たちはイエス様のように死んで生きます。そして生きていくためにそれも前より豊かに生きていくために、毎日毎日、小さな死、口答えをしたいときにしない、挨拶をしない方に挨拶をする、微笑んでくださらない方に微笑む、愛されるよりも愛することを、慰められるよりも慰めることを、理解されることよりも理解することを、そうすることによって平和を創り出す人となり、もし母が生きておりましたら「ようやくあなたも少しクリスチャンらしくなった」と言ってもらえるような自分になりたいと思っています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.06.08 00:00 | 信仰者シリーズ

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