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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”若々しさ”ということについて考えてみました。

私は1976年11月にアメリカに来ました。それから38年が過ぎ、39年目に入りました。当時23歳だった私も今は62歳になり、気持ちは若いつもりでいるのですが、肉体の衰えを感じるようになりました。自然の成り行きとはいえ、一抹の寂しさを覚えます。(笑)

20年間の会社経営を経て牧師になった私は、牧師歴20年、かなりの異色牧師であったような気がしますが、少しずつ普通の牧師(?)になってきたように思います。(笑)

最近は、忙しさを理由に大好きな運動から遠ざかっていますが、ある先輩牧師が「伝道者は最終的には体力だ」と言われた言葉が頭を離れません。また運動に励み、若々しさを取り戻したいと思います。

しかし何と言っても、本当の若々しさというのは、体力以上に心の持ち方ですね。先日、メモを読み返していたら、こんな詩を目にし、改めて本当の青春とは何かということを考えさせられました。

青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな創造力、炎える情熱をさす

青春とは人生の深い泉の清新さをいう

青春とは臆病さを退ける勇気 

安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する

時には、20歳の青春より60歳の人に青春がある

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失うとき初めて老いる

歳月は皮膚にしわを増すが、
熱情を失えば心はしぽむ

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い 

精神は芥になる

60歳であろうと、16歳であろうと人の胸には、

脅威に魅かれる心、
幼な子のような未知への探究心、

人生への興味の歓喜がある。

君にも我にも見えざる駅逓が心にある人から
神から、
美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り

君は若い霊感が絶え、
精紳が皮肉の雪に覆われ、

悲嘆の凍りに閉ざされる時、

20歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波を捕らえる限り、

80歳であろうと人は青春にして己む


いかがですか? 考えさせられる詩でしょ? 聖書にも年老いてなお青年の志で生きた人が何人も登場します。75歳で祖国を離れ新しい地に向かったアブラハム、80歳で出エジプトを指揮し数百万のイスラエル人を約束の地に導いたモーセ、85歳でアナキ人を追い出しヘブロンを手に入れたカレブ、いずれも主にあって心若き人々です。

預言者ヨエルは、「若者たちは幻を見る」と言いました。つまり、若々しさのしるしはVisionを持つことだということです。あなたはVisionをお持ちですか? ぜひ若々しさの証しであるVisionを持って、いつまでも若々しく生きてください。

今日の一言:Visionは若々しさのしるし


鶴田健次

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2015.05.29 10:07 | 鶴田健次牧師より
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5月17日礼拝にて、晴れて新たな魂の救いが起こされました。ジャズミンは私の次女娘であり、教会で育ち、先日洗礼を受けたジョナサンとは双子の姉弟であります。

ジャズミンとジョナサンは生まれた時から、"2人で1つ"という感覚をいつも常にお互いの事を心に抱き、どちらかが泣くともう1人は泣きやみ、どちらかがイタズラをすると、もう1人はしないというとてもバランスの取れた2人でありました。

ジャズミンは、ジョナサンに比べ、速度は遅いものの、クラスではいつも早く作業を終わり、みんなを待っている方だとの事で、そして、彼女の理解力は、平均よりもかなり高めという事を先生から聞いていました。

音楽にもかなりの興味を示し、与えると一日中でもピアノやギターの前に立っています。歌も音を外さず歌います。

運動神経も良いので、男の子顔負けのおんてんば娘です。

そんなジャズミンも、ジョナサンとセットになると、影に隠れてしまいますが、彼女はそれを楽しんでいるようにも思うので、とてもバランスの取れた双子だなと思うのです。

洗礼を受けた後のある日の午後の事。長女からちょっと話したい事があると言われ、「双子が変わったよ。なんと、私の言う事を聞くようになったよ」と言われました。

私は笑ってしまいましたが、よく考えると、その日は、喧嘩が絶えなかった子供たちだったので、いつもだったら長女とだけ話すのですが、その日は朝から双子二人とゆっくり神様のお話をした時でした。

心に怒りや負の感情がある時は、神様はそこにはもうおられないということを話しました。怒りと神様は共存できないので、怒りを自分がえらんでいるときには、神様を締め出す事を自分が選んでいる時である。

自己嫌悪するのではなく、その誤った選択をした自分の選択そのものが罪で目を止めなければいけないということを簡単に説明しました。正しい選択をするには、神様に助けてもらう。その為に、イエス様は十字架につかれたのだから!

そして、やはりその負の感情の根っことなっているものを神様に取り扱っていただける様に話し、お祈りをした後の彼らの顔がとても平安だった様子を思い出しました。

その事を長女に話すと、「苦しみにあった事は幸いでした」のみことばと共に、親子で神のみなを賛美しました。もう既に始まったジャズミンのクリスチャン生活。そして、私たちの家族揃ってのクリスチャン生活。神様の守りがありますように、これからが楽しみです。

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スティンソン 早織

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2015.05.28 09:11 | 証し
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今日は、去る5月3日の礼拝で英語部のグレッグ兄がシェアしてくださったお証を、ブログを通して皆様にお届けします。

私は、母が41歳の時に7人兄弟の末っ子として生まれました。直ぐ上の兄とは6歳の差があり、周りは、私の誕生は思ってもみなかったものだったそうです。私が1歳の時、父の仕事の関係でニューメキシコに引っ越し、ほとんどがメキシコ人という環境の中で育ちました。

私の両親は、大恐慌や第2次世界大戦の時代に育ちました。父はバプテスト派の家族の中で育ちましたが、結婚した後、多くのことに疑問を持ち迷い、信仰を失ってしまいました。母はルーテル派の家族の中で育ち、聖書、祈り、イエス様についての基本的な知識などを教えられて育ちました。母は運転をしませんでしたので、父は車で母と私たちをルーテル教会へ連れて行ってくれましたが、父は礼拝に参加することはありませんでした。 

私は母から、大恐慌の頃の経験をたくさん聞きました。母の幼かった頃は、食べる物や住む所さえ確保することが難しかったそうです。雨の日に学校に行く時にはダンボールを持って、靴の穴をそれで塞ぎながら長い道のりを登校していたと聞かせてくれました。そのような貧困の中でも犯罪はほとんど無く、母が育った大都市ボルチモアでさえも、信頼できる人が多くいたそうです。映画「Cindrella Man」をご覧になられた方がいらっしゃれば、主人公ラッセルクローが大恐慌の只中、家族を養うのもやっとであったボクサーの描いた人生と良く似ていたようです。

その頃は、まだキリスト教が学校や世間から、馬鹿にされたり追いやられたりする前であったことが大きな要因であると思います。ほとんどの生徒がキリスト教を抵抗なく受け入れ、選択の余地なく、学校では、祈り、聖書や道徳を学びました。そして、神を恐れ、親や先生やお年寄りに敬意を示すことが当たり前の時代でした。

私の父は非常に道徳的で厳しくて、規則を重んじる軍人タイプの人でした。私たち兄弟姉妹は父を「パパ」と呼んでいましたが、「Sir(サー)」をつけて呼ばなければなりませんでした。自分にプライドを持ち、常にベストを尽くし、家系を尊重することを教えられて育ちました。親の期待に応えることができた時はほめられ、そうでない時は罰を受けました。私は父が、神様やイエス様について話すのを一度も聞いたことがありませんでした。 私はまだ小さかったので、体罰を受けた記憶は一度だけしかありませんが、反抗的だった2人の兄たちは、よく父から体罰を受けていたのを覚えています。

一番上の兄カールは非常に優秀で、IQが165以上あって、母は私がそんな兄のように成長するよう願っていました。カールは私にとっての憧れでもありました。私たち兄弟は曲がった事をせず正直に、粘り強く、自立心を持ち、人に頼らなくてもすむような人になるようにと言われて育ちました。母はよく、ドイツのロケット科学者で、後にアメリカの宇宙開発に携わったヴェルナー・フォン・ブラウンの伝記を例にとり、彼を模範とするようにと私に話していました。このように親の愛の中にいましたが、兄弟の間で競争心が芽生え始めました。

当時の私はそうは思いませんでしたが、私は3歳頃から読み書きを始め、大人と普通に会話をし、世の中の出来事も理解していました。そんな私を、周りは非常に知能の高い子供だと認めていました。おそらくこれは賢い母から受け継いだのだと思います。7歳の時、父が突然の心臓発作で亡くなり、母は一夜にして、一人で7人の子供たちを育てることになりました。しかし母は生涯、交際や再婚をすることはありませんでした。当時50歳の母は、まだ車の運転をしたことがありませんでした。

学校に通い始めた私はいつもクラスで首席でした。ある時、先生から母に手紙を渡すように言われ、母が開封すると、そこには母の子育てを賞賛し、息子が自分のクラスの一員でいてくれることがどんなに喜びであるかを綴った先生からの感謝の手紙でした。私はしばしば、同年代の友達より、大人や自分よりかなり年上の人に好かれました。

中学の時に大好きな先生に出会いました。その先生は、廊下でたむろっている生徒を怒鳴り散らすような、厳しいアフリカ系アメリカ人の先生で、80点以下の成績では単位が取れないという噂を聞いていました。それは、生徒たちがより高いレベルに達するよう挑戦してほしい、という先生の励ましだったのです。厳しい先生でしたが、とても素晴らしい先生だったので、良い成績をとるのも容易で、私は、年間クラスでたった一人全科目A+の成績を保ちました。

このことが原因で、周りは妬み始めました。私だけがAの成績をもらい、さらに私だけが白人だったことから怒り、人種差別をしたのです。学校が終わると生徒が集団で待ち伏せして、私にケンカを仕掛けるのです。

私はしばしば侮辱され、人種差別的な悪口を言われました。それは、自分が他と違うということだけではなく、私が授業で良い成績をとることで、彼らが悪く見られた、と言うのです。彼らはそんな私をいじめ、ひどい目にあわせるのでした。ある時、一人の生徒が仕掛けた喧嘩だったのですが、私たち両者が退学を命じられました。その晩その喧嘩相手は、私の寝室の窓ガラスを割って行きました。私は彼らに対して何の敵対心もなかったのに、彼らは私をのけ者にし、私はますます友達もいなくなり、孤独になりました。

ちょうどその頃から、父からの愛情を受けてなかったと思い込んでいた2人の兄が反抗期に入り、近所の不良と連み始め、良くないパーティー、ドラッグ、アルコールに手を出すようになり、母を悲しませ、苦しませるようになりました。

直ぐ上の兄は、その頃からオートバイにはまり、車やバイクを組み立てたり、路上レースをしたりしていました。ある時は、警察から追われるサイレンが聞こえることもありました。また彼は、デパートやミュージックストアに強盗に入るようなこともしました。

母は、歳が若かった私を、周りの悪い影響から保護するために必死でした。母はその頃から、私たち兄弟を新しいペンテコステの教会に連れて行くようになりましたが、マリファナにはまって毎晩遊び明かす兄は、日曜日の朝、わざと車のエンジンのワイヤーを外して私たちが教会に行けなくしました。

母はあきらめて、私だけを教会に連れて行くようになりました。この教会で私は、初めて福音を聞き、イエス様を受け入れる聖霊の導きを感じました。その教会の牧師は、第一次世界大戦時のイランで数千人のクリスチャンが殉教死していく中で生き残ったクリスチャンの一人でした。私はその時12歳でした。

しかしその頃の私には、すでに自分なりに人生の計画を持っており、それは、兄たちのように遊びに走り、何をするにも、兄達には絶対負けないようにすることでした。特に私の憧れであった一番上の兄カールには、自分が兄達よりもずっと賢く、多くを達成し、彼らよりも優れていることを見せつけたかったのです。

ちょうどその年に、教会で、夜の特別伝道集会が開催され、12歳の私も出席しました。2人の伝道師によって福音が語られ、その時初めて私の心は聖霊に満たされ、イエス様を受け入れる信仰に導かれましたが、私はそれを拒みました。その場には、同じ年頃の友達も隣に座っており、彼が自分のことをどう思うか心配だったのです。さらにお互い貧困地帯に住んでいたため、すでに迫害を多く受けていましたが、自分が本当の意味で生まれ変わり、クリスチャンになったら、いじめもあざけりも、もっとひどくなるのではないかと心配になったからです。

2人の宣教師は、半ば強制的に私たちを講堂の前まで招き導き、私たちは講堂にひざまずいてイエス様を心に迎え入れるため、彼らの祈りに合わせて声に出して祈りました。祈っている間も私は、聖霊様が自分の心に入ろうとしているのを感じましたが、私はますます心を閉ざし聖霊様を拒みました。

その時私は、誇りに満ちた父を思い浮かべ、自分にこう問いかけました。「父だったら、自分と同じことをするだろうか?」答えは“NO”でした。そして次は、憧れのカールを思い浮かべて同じ問いかけをしました。もちろん答えは“NO”でした。

私は神のご計画ではなく、自分の計画を遂行したかったのです。父や兄たちのように、私も気が強く、イエス様は人々に殺されるような弱い存在であり、キリスト教は自分の力で生きることができない弱い人々がすがる宗教で、敗北者や虚弱者が必要とするものだと思っていました。

こうして私は、イエス様を拒否しました。

>>>次週に続く

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.05.25 14:47 | 信仰者シリーズ

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