FC2ブログ

LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

20150319163502abb.jpg
ラスベガスには、世界中から旅行で訪れる人たちや移住してくる人たちが集まるので、人種のるつぼです。都会過ぎず、外国人にも優しいので、日本人にはとても住みやすい街でもあります。ラスベガスでは、年々人口が増え、交通量と共に交通事故も増えています。雨があまり降らない土地なので、アスファルトの目が粗く、道路が滑りやすくなり、またまた事故が多発します。

そして、毎日運転しており感じることは、最近 全体的な交通ルールの乱れが目立ちます。車のウインカーをつけなかったり、スクールバスが止まれと言う表示をだしても止まらない車がいたり、行く方向を間違えて無理やり割り込みしたり、最悪の場合、当て逃げされたり、様々です。

次の世代がどんどんと育って初心者のドライバーが世に出て行くことを考えたら、きちんとした交通マナー・ルールを先に取得したとのがしっかりと示す事が重要です。

行く方向を周りの人に示すウインカーを出す事はとても大切な事ですし、ラスベガスは交通標識が少ない街ですので、しっかりと道の下調べが必要になってきます。iPhoneについているナビゲーションは都会には対応していますが、田舎だと道が間違っている場合もあります。ラスベガスも切れている道がありますので、そこは気をつけた方がいいかもしれません。

ラスベガスでは運転は必須で、毎日関わるものです。福音も先に聞いたものが後に聞いたものにきちんと伝える責任を担っているように、しっかりと交通ルールを後のものに示して行かねばならないですね。

(LVJCCブログチーム: Sao)

ブログランキングに参加しています。クリックで応援をよろしくお願い致します。
2015.03.18 23:34 | 証し
p2.jpg
料理研究家の小林カツ代さん。生涯に出版した著書は200冊を超えると言われています。その中の一冊に日本基督教団の月刊誌に掲載していたエッセイをまとめた「光の食卓」もあります。台所で包丁を握り、まな板にむかうと、神様を感じるとカツ代さんは言います。 野菜の美しさ、人間が作ったように見えて実は自然をつかさどる大いなる力によって作り出される食材、それらをすべて神様からの賜物だと感じるからです。心を込め、感謝を込め、腕をふるい、おいしく作らなくっちゃと思うのだそうです。

料理研究家としてカツ代さんはは年子の2人の子供を抱え、仕事を続けました。子供をもって、こういうものを食べさせた方がいいな、これは良くないなと思うことがたくさん見えてきた。だから「ほら10分で、いや5分でもこんなにおいしものができちゃうのよ」「子供がいてあなたも忙しいでしょう。それでもこんなにおいしいものができちゃうのよ」と皆に教え続けていたのです。「よりおいしく、より手早く」が彼女のモットー。最近はよく「何で手をかけて料理を作らないんだ。」「何でもっと時間をかけて料理を作らないんだ。」「近頃の主婦は手抜きである。」と批判されますが、カツ代さんはそうは考えません。いろいろな事情の人がいるのだからと、簡単に手早く誰にでも作れる料理を教えていたそうです。

カツ代さんは最初から料理研究家になりたかった訳ではありません。小さな頃は小説家になりたいと夢見て本ばかり読み、次は漫画家になりたいと勉強もせず絵ばかり描いていた。美大に入ろうとして、文学も良いなあと国文科に入学。大学3年で結婚。そして、料理研究家になる前は日本舞踊を教えていたのです。とにかく、『パッと思ったら、パッと行動する』人です。そんな彼女が尊敬しているのが、彼女の母親です。

カツ代さんはとても民主的な開放的で自由な思想を持つ、明治生まれの母親に育てられました。母親は「カツ代ちゃん、あなたが好きな道にいきなさい。あなたが好きなことをしなさい。それが一番良いんだから。」という人でした。野球をしようと何をしようと、お料理もしなければしなくていいし、女の子だからとかは一言も言われずに育った訳です。結婚するまで、だしの取り方も知らなかったというのですから、驚きです。

そして彼女が特に母親に感謝していることは、世間体とか学歴とか差別といった一切の呪縛がなく、心がいつも自由でいられたこと。いつも絶対的な味方であったことだそうです。

下記はカツ代さんのエッセイの一つです。
じっと我慢、耐える、頑張る、というのではありません。どこかに道は(神様によって)残されていると考えます。(苦難の日にも私は)考えられる限り考え、やれる限りは(希望を失わずに)やります。

みんなが諦めても諦めない。違う角度からも考えます。しつこくとか、諦めきれずにぐずぐず(する)というのとは違います。考えられる限り、出来る限りのことはしてみるのです。

どこかに(神様が用意していて下さる)突破口はないか。まだやるべきことはないかと頭をめぐらし行動します。とにかく投げ出してしまわないことです。

とは言え、それでも尚出来ないこと、取り返しのつかないことは人の世の常。いさぎよく諦め、その事態を(ヨブのような信仰で)受け入れ(すべてを神様に委ね)自然に身をまかせます。

あとはケ・セラ・セラです。「なんとかなるワサ」です。
それは絶望ではありません。なんとかなる、という(信仰的な)希望に向かっているのです。


カツ代さんは昨年、病気の為に天に召されましたが、料理研究家として活動する中で、明るく元気に周りの方に力を与えておられました。そして、信仰と沢山のおいしい料理を私たちに残してくださいました。感謝。

(LVJCCブログ制作チーム:KAO)

ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。

2015.03.15 15:47 | お知らせ
Selfcontrol_convert_20150314005956.jpg

今日は、"自制"ということを考えてみました。

 
自制をできる人は自分の気持ちを支配します。
彼らは気分に支配されたりはしません。世界でなされてきたほとんどのものは、それをする気分でもないのに実行に移す人々によって成し遂げられています。「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ち壊された町のようだ。」(箴言25:28)
 
自制をできる人は自分の言葉に気をつけます。
彼らは口を開く前に心にギアを入れます。言うべきかどうかを制御するためです。一旦、口から出た言葉は、引っ込めることができません。「自分の口を見張る者は自分の命を守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。」(箴言13:3)
 
自制をできる人は自分の反応を抑えます。
あなたは冷静さを失う前にどれだけのことができますか。「人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。」(箴言19:11)
 
自制をできる人は自分のスケジュールに忠実です。
もしあなたが自分の時間をどのように使うかを決めなければ、他の人(物)がそれを決めるでしょう。そういう生き方がもたらす結果は不本意な人生です。「そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」(エペソ5:15-16)
 
自制をできる人は自分のお金を上手に管理します。
彼らは稼ぐお金よりも少ないもので生活し、残りを将来のために投資します。立てた予算の価値は、そのお金はどこに行ったのだろうと思うより、そのお金にどこに行って欲しいかを言うことにあります。「知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし、愚かな者はこれをのみ尽くす。」(箴言21:20)
 
自制をできる人は自分の健康を維持します。
もちろん特別な素晴らしい例外はありますが、健康であれば、より多くの事を成し遂げ、それを楽しむことができます。「各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ちなさい。」(Iテサロニケ4:4)

 
あなたは、どの領域で自制を身につける必要がありますか? あなたが今日この自制の大切さに目覚めて訓練を始める決断をするなら、あなたの明日は素晴らしいものになるでしょう。しかし、自制を継続させていくためには意志の力だけでは十分ではありません。あなた自身の力よりも大きな力が必要です。それは聖霊によって与えられる力です。

「神が私たちに与えてくださったものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:7) 

 
今日の一言: 自分を自制しよう
 


鶴田健次


ブログランキングに参加しています。下記2つのアイコンのクリックでご協力お願いいたします。
2015.03.13 08:02 | 鶴田健次牧師より
201503121502383a1.jpg
ラスベガスは24時間休まない街で有名です。他の街と決定的に違う事は、酒購入の規制がない事です。

他の州では、お酒は時間制限があり、お隣のカリフォルニア州でも、夜中の2時にはお酒が買えなくなるのです。レストランも夜の10時には閉まるところがほとんどです。

その点、ラスベガスではレストランは夜中まで開いているところもほとんどですし、お酒は24時間、お求めになることができますが、その分、お酒をサーブするサーバーに責任とスキルが求められます。

ラスベガスでサーバーになるには、キッチンをより安全に保つ知識を持っている資格のヘルスカードとお酒の知識とお客様の管理と酔っ払いのプロの対処法を学ぶタムカード、そして大金を扱う責任と共にポリスデパートメントへの指紋を提供するシェルフカードの三つの資格が必要になります。

三つともまめに更新が必要であり、お客様をどの様に扱えるかで酔いの度合いもコントロールできるスキルが求められてきます。最悪の場合は、泥酔のお客様を作り、店側にクレームが来るという結末になるので、サーバーは慎重に対処しなければなりません。

そして、深刻なのは、お客様からのリクエストにも多い、食制限です。それは、アレルギーであったり、自分が好むベジタリアンであったり、宗教で食べられないものがある時です。

サーブする食品の一つ一つの材料を細かく把握していないと、裁判沙汰になる可能性もたくさんありますし、アレルギーの場合は、死んでしまうリスクがあります。

私Saoは美味しいものを食べるのが大好きです。結構 料理もこだわり、食べたいものがあるとどうしても家で作って食べようと試みます。それに、子供達にも栄養のあるものとかなりこだわりますが、1人でいる時など、時間がない時はどうしても食を粗末にしがちです。やはり神様から頂いた体を、食を提供する側も食べる側も大切に管理し、家族の体も心も健康を保って行きたいと思います。

(LVJCCブログ制作チーム: Sao)

ブログランキングに参加しています。クリックで応援お願いいたします。
2015.03.11 22:07 | 証し
19299.jpg
今日はノートルダム清心学園理事長・渡辺和子シスターの講和からお送りいたします。

56年くらい前の国連の事務総長でダグ・ハマーショルドという方がおられました。氏は有能な外交官であったと共に、敬虔なクリスチャンで深い祈りの人でした。1961年コンゴに赴く途中、飛行機事故でお亡くなりになりました。その時、携えていた本はトマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」1冊だけだったといわれています。

一年の終わりまた新しい年を始めるにあたって、私はいつもハマーショルド氏の日記を思い出します。氏は英語で「Markings」日本語で「道しるべ」と訳されている日記を遺して世を去りました。1953年ハマーショルド氏が国連の事務総長に任命された年の初めに書いている言葉を思い出します。「夜は近きにあり。過ぎ去ったものはありがとう、来たらんとするものにはよし」この「よし」と言う言葉は、英語の「YES-はい」という言葉です。人生の中で遭遇する数々の楽しいこと、嬉しかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、災難も不幸も全てに対して「ありがとう」と言える自分でありたいと思います。また、これから起こる全ての事もすべて神の御手を通ってくること、したがってあらかじめ「はい」とそれを頂く事ができる自分でもありたいと思います。

私は30歳間際で修道会に入り、一人だけボストンにある大きな修道院に送られました。そこでは100名以上の修道女達が修道者になる前の修行をしており、20代前半の人達と共同生活を送りました。アメリカに着いたのが4月でしたが8ヶ月ほどたった12月末、私たちには3日間の自分を振り返る日が与えられていました。1目は感謝の日、2日目は反省の日、sおして3日目は新しい年への決意の日でした。1日目の朝はやく修練長は私たちに「Count your blessings-祝福を数えあげなさい」とアドバイスをくださいました。

長くて辛い船旅のあげく慣れない生活に入って色々な失敗をして叱られ、また慣れない食事、習慣、たった一人の日本人のさびしさ、それらの中で過ごした8ヶ月に何を感謝することがあるのだろう、と思っていた私がふと気がついたのは、「祝福を数える」のではなく、「祝福として数える」ことでした。この考えがそれから4年に及ぶアメリカ生活とその後の私の生活を支えてくれました。

この世の中には無駄はありません。無駄にしてはいけないのです。すべてのことに意味があり、また意味あらしめないといけません。どんな辛いことも自分の成長の糧として生きること、失ったものを追い求めるのではなく、得たものに目を向けて生きていう事を習いました。

「来たらんとすることにはよし」と言ったハマーショルド氏でしたが、国連の事務総長としてくるであろう様々な難題を前に、心が臆したこと萎えたこともきっとあっただろうと思います。その時、ハマーショルド氏を支えたのは、おそらく聖書の中にある「神さまは力に余る試練を決してお与えにならない」という御言葉でした。「試練にはそれに耐えられるように逃れる道を備えてくださる」という優しい神様の御言葉であろうかと思います。さらにハマーショルド氏の心に去来したのは、イエス様はご受難を迎える前夜、ゲッセマネの園でもだえ苦しみながら御父に捧げた祈りだったのかもしれません。「アバー父よ、あなたは何でもおできになります。どうぞこの杯を取り除いてください。しかし、私の思いのままではなく、御心のままに」という苦難を前にしてのイエス様の祈り、唱え終わって自分を待ち受けている、辛い人々からの嘲り、裏切り、十字架につけられるまでの人々から受ける苦しみに向かって「よし」と立ち上がって、ゲッセマネの園をお発ちになりました。

自分の苦しみ、願いを父なる神に率直に言い表し、しかも「私の思いではなく御心のままに」とおっしゃったイエス様の態度こそハマーショルド氏が難しい年に向かって「来たらんとするものにはよし」とおっしゃった言葉の背後にあったのだと思います。

ハマーショルド氏は「夜は近きにあり」と言う言葉を残しています。この言葉は「道しるべ」の中で何度も記している言葉ですハマーショルド氏にとって夜は、死を意味していたのかもしれません。絶えず死を身近に感じて生きていたのかもしれません。だからこそ、一つ一つのことに感謝し、それがたとえ辛いことであろうと、あらかじめ「よし、いただきます」ということができ、また言いたかったのだと思います。事実、氏は56歳の若さで飛行機事故で突然、神様の御許に召されました。1956年の日記に次のような言葉があります。

「理解する心の静けさを通じて、行動する心の静けさから出発して、勝ち取る心の静けさのうちに」
私たちも夜は近きにあります。このことを忘れず、自分自身との対話、神との対話によって得られる心の静けさの中で過ごしていきたいと願います。

(LVJCCブログ制作チーム:KAO)

ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。
2015.03.08 19:26 | 信仰者シリーズ

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.