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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”心の重荷からの解放”ということを考えてみました。

赦しは、聖書が扱う最も重要なテーマで、二つの意味における赦しを取り扱っています。それは、人間の罪に対する神の赦しと、人間同士の赦し合いです。

この赦しが聖書の重要なテーマである理由は、何と言っても、罪に対する神の赦しがなければ人間は永遠の裁きを受けるからであり、また私たちが人を赦さなければ、この世の人生まで地獄にしてしまうからです。

私たちが人を赦せず、人との断絶状態にある姿は、肩に大きなショルダーバックを担ぎ、大きなスーツケースを引きずりながら空港カウンターに向かう旅行客のようです。旅行客は、その大きな荷物をカウンターに預けるまではその重荷を負ったままですが、荷物をカウンターに預ければ重荷がなくなります。

同様に、人を赦せなければ、私たちは心の重荷を降ろすことができないので、それはとても辛いことです。しかし、人を赦せば、その重荷を降ろすことができるので、とても楽になります。 



人を赦すということは、人と和解するとことであり、自分の大きな荷物を自分のために降ろすことです。相手のために赦すのではありません。自分のためです。あなたは、誰か赦さなければならない人がいませんか? 

アメリカの心理学者、エルマ・ゲイツは、人間が吐き出す息を液体酸素で冷やして出来る沈殿物について、このように発表しました。健全な人間の吐き出す息の沈殿物は無色。怒っている時は、栗色。そして、その怒っている時の栗色の沈殿物をネズミに注射すると数分で死んでしまうそうです。もし一人の人間が腹を立て続けると、なんと80人を殺し得る毒を発生するほど、人を赦さないことは危険なことだそうです。

しかし、人を赦すことは簡単なことではありません。ましてや、ひどい仕打ちを受けた人を赦すということは、そう簡単にはできないことです。ところが、神の赦しを経験した者の特権は、人を赦す力が与えられるということです。しかも自分が経験した神からの赦しが大きければ大きいほど、人を赦す力も大きいものです。

オランダの有名な伝道者コーリー・テン・ブームは、彼女の生涯を通して『赦しと和解』のメッセージを語り続けました。コーリー・テン・ブームは第二次世界大戦のとき、ユダヤ人をかくまったことで家族全員が逮捕され、ドイツの強制労働収容所に監禁されてしまいます。そして、そこで大変な苦しみを受けながら、彼女の父親も、彼女のお姉さんもこの世を去っていきます。やがて戦争が終わったとき、彼女と弟だけが、やっとのことで釈放されました。

彼女は、収容所生活を思い出すたびに身震いしました。なぜなら、ドイツ人の看守が寒い冬の日に、自分とお姉さんを裸にし、あらゆる悪事を働いたからです。彼女が経験した苦痛は、彼女の心の中で消し去ることのできない、深い傷となって残っていました。

戦後、コーリー・テン・ブームは、神の召命を受けて伝道者になりました。そして彼女は、仇敵の国ドイツに行って福音を伝えなさいという神の啓示を受け、ドイツの各地を巡り回りながら福音を伝えたのです。

そんな或る日のこと、集会が終わり、たくさんの人々が来て彼女と握手をするところに、みすぼらしいコート姿で並んでいる一人の男性がいました。彼を見るなり、彼女は全身の血が凍りつくような感情に捕らわれてしまいます。その男性は他でもなく、あの収容所の中で、特に残忍・冷酷であった看守だったのです。その男の手にかかってお姉さんは死に、彼女も苦しめられたのです。

その男性は夢にも忘れることのできない動物のような人間でした。その男が今、民間人となって、コートを着て、彼女の前に立っているのです。彼女は、凍りついたようにその場を動くことができませんでした。彼がコーリー・テン・ブームに握手をしようと手を差し伸べたとき、彼女は手を差し出すことができませんでした。彼女は心の中で、「主よ、私は死んでもこの男と握手をすることはできません」と言いました。

その瞬間、コーリー・テン・ブームの心の中に、カルバリの丘が現れたと言います。十字架に釘付けられて身を裂き、血を流しおられるイエス様の姿が鮮やかに見えたそうです。そして神が彼女の心にこう言われたのです。「私に逆らい、反逆した人々のために、私は十字架にかかりました。私を見つめなさい。そしてその人を赦してあげなさい。その人に向かって赦しと和解の手を差し伸べなさい」と。
 
彼女は、十字架のイエス様を見つめることで、自分では到底できない筈の事をすることができました。彼女はその男に向かって手を差し伸べることができたのです。すると彼は、彼女が誰かも知らずに、彼女の手を力強く握って言いました。「私たちは戦争当時、あなたがたをむごい目にあわせました。それなのに、なぜあなたは私たちを赦し、この国に来て福音を証しするのですか。私は余りの感激に、今日、イエス・キリストを信じて救いをいただくことを決心しました。」

するとその時、瞬間的にキリストの愛が雨のように彼女の上に臨んだそうです。彼女の心の中に、その男性に対する敵愾心がきれいに消え去り、温かいキリストの愛が太陽の光のように照り輝いたのです。彼女はその場で、涙を流しながらその人の過去を赦し、その人と心の底から和解し、その人に神様の祝福が臨むようにと祈ったそうです。
 
これは神の御業でなくて何でしょう。恨み骨髄に徹した収容所生活・・・、これが瞬間的に溶かされて、心からの赦しと和解をすることが出来たということは、キリストの十字架の愛がもたらす奇跡です。その赦しと和解の福音を通して、そのドイツの看守も救われ、コーリー・テン・ブームの心の中の憎しみも消え去り、心に平和と喜びと幸せを得ることができたのです。

今日の一言: 人を愛し、人を赦すことを選ぼう


鶴田健次


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2015.01.30 08:59 | 鶴田健次牧師より
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先週からお伝えしている私の住むラスベガスシリーズの第二弾 学校編をご紹介します。

ラスベガスに住んでいる時に一番多い質問は、学校の事です。地域に住んでいるからと言って、学校の事についてのエキスパートというわけではありません。その学校やクラスを受け持つ先生と子供との相性など色々考慮しなければならないことはたくさんあるのは、どこでも同じです。

ラスベガス市内でも、公立学校、チャータースクール、マグネットスクール、私立学校、そして学校を通してカリキュラムを学ぶホームスクールなどがあります。

チャータースクールやマグネットスクールは、成績優秀者を育てる学校とされています。

私立学校では、クリスチャンスクールからカソリックスクール、そしてその他に別の教育方針を掲げた私立学校もあります。

公立学校は、中・高と進むに連れて、多いところでは、クラスに入りきれない生徒で溢れかえり、午前の部と午後の部に分けている高校もあるらしいです。

現在はわかりませんが、ラスベガスは、過去に子供の数がアメリカ一多かったとの報告があり、数々の公園を市内で見かけます。

学校選びは、ご両親の判断でありますが、ラスベガスで育った私の友人は、公立学校、私立学校、ホームスクールのフルコースを経験している方がたくさんいます。

それと同時に、ラスベガスは犯罪が多い都市であるのにも関わらず、ラスベガス出身の方は、自分が生まれ育ったホームタウンを愛され、大切にされている方を多くお見かけします。

ラスベガスの州 ネバダ州は、アメリカでもクリスチャン人口ワースト10に入るくらいクリスチャンが少ない街で、子供にとっても大人にとっても確かに誘惑の多い街です。それでも、いつかは説明しなければならない罪についての具体例がたくさんありますので、子供にとっては、良い親のリードがあれば、大人になった時の誘惑への大変良い予行練習になります。大人になり、道がわからず、神の御心からそれてしまうよりも、かなり若いうちに訓練の場となるわけです。

聖書の中で「私達の国籍は天にあります」という有名な箇所があります。私達が今いるラスベガスは旅の通過点だとおっしゃいます。毎日世界中の色々な場所から訪れる人でごった返す街ラスベガス。旅のおもてなしをする一流所のラスベガス。

もしかしたら、罪の街ラスベガスーではなく、魂の救いをイエス様へ天国への道へと続くおもてなしをする超一流所のラスベガスへと神様は変えてくださるのかもしれません。そんな期待を神様に抱いているSaoでした。

(ブログ作成チーム : Sao)

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2015.01.29 01:19 | 証し
Blessed Assurance - The Fanny Crosby Story
「罪とがをゆるされ」「岩なるイエス」「イエスよこの身を」これらの賛美歌は詩人ファニー・クロスビーによって書かれたものです。実に彼女が作った賛美歌詞は800以上にのぼると言われています。

ファニー・クロスビーは 1820年3月24日、アメリカのニューヨーク州サウスイーストのごく普通の家に生まれました。父は彼女が生まれて間もなく亡くなり、母親と信仰深い祖母とに育てられました。しかし、ファニーは生後6週目に医療過誤によって失明をしてしまいます。

母親は彼女の失明を深く悲しみましたが、娘が物心つくと、詩人ホーマーやミルトンも失明していたことを話し、ミルトンの「失明について」という詩を読んで聞かせました。ミルトンは失明の苦しみを乗り越えて「失楽園」「復楽園」「闘士サムソン」の三大傑作を書き上げました。ミルトンの詩「失明について」はファニーの魂に、失明という悲運を乗り越える力を与えまし
た。

また祖母の感化も大きかったと言われています。特に自然の美しさと精神の世界のすばらしさを、詩人の心で受け止めることを教えたのは祖母でした。眼のみえない孫のために、祖母は、日の出や日没の美しさ、虹のすばらしさ、小鳥や花々の愛らしさ、香しさを語って聞かせました。祖母は、それにもまして聖書の話を感激を込めて話して聞かせました。後年ファニーは「世界のどのような音楽も、祖母の(聖書を読む)声の美しさにはかなわなかった」と、述懐しています。

視力を奪われた人によくあることですが、彼女は驚くべき記憶力を与えられていました。祖母が読む旧約聖書のモーセ五書、詩篇の大部分、箴言、雅歌、ルツ記、そして新約聖書の多くの部分を暗唱していたといいます。この聖書の言葉の宝庫の中から彼女の讃美歌が生まれたのでした。そして彼女は、その自作の讃美歌のすべてを暗記していて、礼拝や集会では何も見ずに、もちろん何も見えないのですが、歌うことができたということです。

彼女は失明という運命にうち勝っていました。彼女の詩にこういうのがあります。

何と私は幸せなのでしょうか。私は眼は見えないのですが、ひとつの決意に支えられています。この運命に満足して生きようという決意に。

何と多くの祝福を受けていることでしょうか。他の人々が知らない失明という恵み嘆き悲しんで生きることは、私にはできませんし、したくもありません。


ファニーは27歳で盲学校の教師として働き始めて3年後の30歳の時、生涯の大きな転機を迎えます。ニューヨークのメソジストの教会に出席していた時、会衆がアイザック・ワッツの有名な讃美歌旧138番「ああ主は誰がため世にくだりて」を歌いました。その第5節の「ここに、主よ、私自身を捧げます。」という言葉を聞いた時、彼女は魂を刺し貫かれました。彼女はこの出来事を「11月体験」と呼んで生涯の分岐点としました。

彼女の人となりをよく知ることの出来る賛美歌のいくつかは、1時間かそれ以下で作詞されたものです。ある日、ウィリアム
ドーンがオハイオから彼女の家にやってきて、挨拶をして入ってくるやいなや、彼女を急がせてこう言った、「ファニー、シンシナチ行きの列車に乗るのに、40分しかないんだ。そこで行われる大きな日曜学校大会のために、新しい歌が必要なんだ。」そして、しばらく話した後、「あと30分しかない」と彼は言いました。彼女は、机に向かい、しばらくして、彼に一枚の紙を手渡し、列車の中で読むようにと言ったのです。それが、彼女の作詞した最も有名な賛美歌「いつかは『さらば』と(聖歌640番)」です。

ファニーは、しばしば、「イエスのみうでに」がそうであったように、ドーンやアイラ・D・サンキーのように有名な作曲家が作曲したメロディーを聴き、その音楽にふさわしい詩を作るように依頼された。彼女は、たちまち、広く認められるようになり、ホワイト・ハウスで、ジェイムズ・P・ポーク大統領に会い、アメリカ議会において、彼女の救い主を証し、アメリカ全土に旅行し、文化講習会の講師をしたり、D・L・ムーディーや、他の伝道者たちの集会のために奉仕したように、他のキリスト教修養会においても奉仕をし、95歳の天寿を全うしました。

ファニーが葬られているコネチカット州ブリッジポートの墓石には、ラザロの姉妹マリヤが主に高価な香油を注いだ後、主がマリヤに対して語られた言葉が刻まれています。

「彼女は出来る限りのことをしたのだ。」

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.01.26 17:00 | 信仰者シリーズ

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