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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”正しさという鎧を脱ぐ”ということを考えてみました。

時どき、人と関わることが極端に苦手で、すぐに人とケンカをする人がいます。家族、友達、職場の同僚など、みんなと仲良くしたいのに、どうしてもケンカになってしまうのです。

対人関係が苦手という人には二通りがあり、自分の意見や気持ちを言わずに黙って大人しく引きこもるタイプと、上記のように、すぐケンカをしてしまうタイプです。この二つのタイプは正反対に見えますが、他人と心理的距離を取るように行動してしまうという点では同じです。では、なぜ人と距離を取らなければならないのでしょう?

多くの場合、このような人は繊細で、傷つきやすい心の持ち主です。相手の言葉や態度に心無いものを感じると、「自分は愛されていない」とガッカリして、強い不安を覚えます。自分が大切にされていないと感じる時だけではなく、周りの誰かが大切にされていないように見えれば、やはり強い憤りを感じます。それだけ愛情に敏感で、愛のある、思いやりにあふれた環境を求めている人なのです。

ところが、それが理想どおりに実現しないと、落胆し、絶望してしまいます。相手が、自分が親しくなりたい人であればあるほど、悲しい気持ちになるので、その痛みを感じたくなくて怒りが噴出するのです。そして、仲良くなりたい人ほどケンカをしては遠ざけてしまい、辛い思いをすることになります。

この繊細さはその人の個性であり、本人にしてみれば、なぜ他の人がこうも無神経なのか分からず、人と関わりたくても心理的距離が近くなると心無い言葉や態度に触れて傷つくので怖いと感じます。それでも、よくケンカをしてしまう人は、人とつながりたい気持ちが強く、人と関わることに臆病になる自分をダメだと思い、自分の怯えを抑え込んで、心理的距離を縮めようと人に近づくのです。

このように、よくケンカをする人の心の奥には、愛を求めながらも、その繊細さのゆえに傷つくのをとても怖がっている臆病なマインドがあります。人に近づこうとするとき、傷つきやすい自分の繊細な心を守るために、こういう人はよく「正しさの鎧」を着ます。

一生懸命に正しくあろうとした分、他人が自分の正しさを尊重してくれないと、自尊感情が傷つくので、つい正しさを盾に相手を攻撃してしまいます。しかし、いくら正しさを証明して相手を負かしても、相手と仲良くはなれません。みんなと仲良くするためには、この「正しさの鎧」を脱ぐ必要があります。

つまり、「あなたはこうでなくてはいけない」ではなく、「私はこう思うけど、あなたは違うんだね」と違いを許せるといいと思います。なぜなら、正しいからといって、それを人に強要しても、幸せになれるわけではないからです。

正しさを主張するよりも、違いを受け入れましょう。これが幸せの原則であり、人と上手く付き合える方法です。私たちは自分を認めてもらうために自分の正しさにしがみつこうとしがちですが、自分の考える正しさに固着すればするほど、相手を正しくないと判断することになり、仲良くなりたい人を遠ざけてしまいます。

正しさより仲良くなること、幸せになることのほうを選びましょう。私たちは、無意識のうちにしてしまうことがとても多いですが、意識的に選択することもできます。この選択の力をもっと信頼し、幸せになることを選びましょう。

今日の一言: 幸せは選択である


鶴田健次

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2014.11.28 12:12 | 鶴田健次牧師より
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今年も感謝祭がやってきました。
このシーズンは街中がホリデーシーズンになり、買い物客でごった返します。ラスベガスは、私の知る限り、先週の金曜日までは普通の街でしたが、土曜日になると、急にスーパーに感謝祭ディナーの買い物客でレジの前には長蛇の列を作っていました。。並んでいる間に前隣の客と話し仲良くなるというケースも稀ではなく、人々の暖かさを感じらsれる時期でもあります。

そして、もう一つ、感謝祭と言えば、朝早くからターキーを仕込み、焼き始め、お昼に家族や親しい人を交えて、感謝祭ディナーをいただきます。ターキーの他に、アメリカンヤムにマシュマロを乗せて焼くといい香りが漂うスイートポテトヤム、さやいんげんグラタンのグリーンビーンキャセロール、マッシュポテト、刻みセロリと人参とを混ぜ、鶏がらスープとターキーから出る肉汁とが混ざり合った絶品なスタッフィング、デザートには、欠かせない生クリーム付きのパンプキンパイ。

そして、食卓を囲んで、一人一人の胸のうちにある一年分の感謝を。。。話し合えれば良いのですが、我が家は、そういう話は5分で終わり、後は子供達の楽しかった事に話題は移り、くだらない話で笑い合い、終了します。

主人は例年仕事ですので、ターキーを作っても、子供達も私もあまり食べないで終わってしまうのが通常の我が家の感謝祭。食べ終わり、家族で映画を見た後は、さっさと次の日のブラックフライデー(一年で一番のセール日で、通常は朝5時開店なお店が多かったが、最近では早い所は木曜日の夜中12時から次の日の閉店日まで開いているところもある。お目当ての品をめがけて、前日から店の前に並ぶ客も大勢見られる)に備えて寝ます。

今年の感謝祭は、なんと嬉しいことに今年はラスベガス日本人教会で感謝祭ディナーが開かれます。子供達も、毎年ラスベガスの家族だけの感謝祭には少々物足りなさを感じていたようでしたので、感謝祭ディナーを神の家族と祝えることを主に心から感謝です。

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「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」第一テサロニケ5:16-17

(ブログ作成チーム:Sao)

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2014.11.26 11:41 | お知らせ
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(創世記37章:兄弟達によって穴に落とされたヨセフ)

創世記は聖書の一番始めの書であり、天地創造、人間の罪の堕落、ノアの方舟、そしてアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの生涯について書かれています。ヨセフの生涯を通しても、神によって導かれた一人の信仰者の歩みの中から、多くの信仰の証を読み取ることができます。今日はヨセフの従順な信仰を神様がどのように扱われたかをご紹介いたします。ヨセフ物語について詳しくお読みになりたい方は聖書の「創世記」をお読みください。

旧約聖書に見る本来の労働の姿として、ヨセフの労働を取り上げる。ヨセフは17歳で売られ、エジプトの王パロに仕えるようになった時は30歳。38歳の時にエジプトの総理大臣となった。17歳の時にすでに夢によって神からの語りかけを受けたが、既にこの時、自分は主に呼ばれたものであるとの何らかの自覚を持ったと思われる。

その後の彼の働きの人生において、ヨセフは本当に多くの試練に会ったが、彼は困難な状況の中でも自分の人生の不幸を呪うということをせず、むしろ新しい環境で生き生きと活躍をした。人を恨み、卑屈になって不幸のかたまりのような、また奴隷のような態度で生き続けることをしなかった。むしろ、神の恵みに生かされている人間、神から働きかけを受けた人間として希望を持って歩んだ。このことがパロの夢を説き明かすというまたとない機会に繋がっていった。

ヨセフは働きの人生において本当に神と良く交流をした。そのことは創世記の37章から50章の多くの御言葉から伺うことができる。神のヨセフへの働きかけに関する御言葉は、彼が一番逆境の時に多く出てくる(創世記39章には8回)。神はヨセフの一番逆境の時に一番彼と共におられ、彼を導かれた。「主がヨセフとともにおられたので」(創世記39:2)、「主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させて」(創世記39:3)、「主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった」(創世記39:5)、「それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させて下さったからである」(創世記39:23)。また、ヨセフの神への応答に関する御言葉も多くある。「このことが神によって定められ神がすみやかにこれをなさるからです」(創世記41:32)、「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」(創世記41:52)、「神は私をエジプト全土の主とされました」(創世記45:9)。

ヨセフのように、問題や困難に直面した時に、それらが、私たちを本当に愛し、決して裏切ることなく支え続けて下さる神の御手の中で許されたことであると信じる人は、絶えず自分の前に神を覚えることができる。ヨセフはこのような神との密な交流を通して成長し、成熟した人物へと作り変えられて行った。創世記39章3節には、ヨセフの歩みの内に、そこに働かれる神の臨在が確かにあることを、その主人は知ったとある。「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た」。また、創世記41章38節には、パロが家臣たちに、神の霊の宿っているこのような人をほかに見つけることができようかと言ったとある。「そこでパロは家臣たちに言った。『神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか』」

これらのことから、ヨセフの歩みは、その周囲にいる人にも神の臨在を感じさせる素晴らしいものであったことが伺える。そのことは、彼の労働を含むすべての人生にあらわれていた。彼は全力を注いで彼の働きを行った。そして、エジプトの大臣としてパロに仕える働きを通して、実に多くの恵みをエジプトの国に、また彼の親や兄弟に、引いてはイスラエル民族にもたらした。その働きの内には、彼が神から与えられた多くの賜物を見ることができる。神は、本気で神に従う人には、多くの恵みと祝福とを与えられるということが分かる。神は、彼のなすことすべてを成功させてくださった。ヨセフの人生を通して、労働においても、神との密な交流が、いかに大切であるかを覚えさせられる。(参考:クリスチャントゥディ)


(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.11.24 16:40 | 信仰者シリーズ

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