
先週のブログでビルマ(現マンミャー)宣教師として労されたアドニラム・ジャンソン師の回心について紹介させて頂きましたが、今回は、ビルマ宣教の働きについて紹介させて頂きます。
アドニラム・ジャドソンは、アメリカより宣教師としてビルマに派遣され、苦心の末、聖書をビルマ語に翻訳しました。ちょうど翻訳し終わった頃、1824年にイギリスとビルマとの間に戦争が起こった。彼はイギリス人と間違えられ投獄されました。
アドニラムは刑務所までのおよそ13㎞を素足で行軍させられました。刑務所では毎晩、足に枷をつけられ、両足の間に竹を通され監視兵に逆さに高く持ち上げられました。血液が頭にどくどくと押し寄せ、眠ることができなくなり、肩と首に激しい麻痺が起きます。蚊の大軍がむき出しの足に食らいつきます。このような扱いが2年近くも続いたのです。
このような拷問からどうにか耐えられたのは、夫人が毎日献身的に食べ物を差し入れ、少しでもいいから優しく扱ってくださいと監視兵たちに懇願したからと言われています。
また夫人は夫が多年苦心して訳した聖書の草稿を人に奪われないようにと、家の床下を掘って地中深く埋めて隠しました。しかし雨季が間もなくやって来て、腐る恐れが出てきたため、永く地下に隠しておけなくなった時、夫人は知恵をしぼって一策を考え出したのです。
原稿を掘り出して、よく重ねて巻き、それを綿で厚く包み、その上に布をもって覆い、アドニラムの枕として獄舎に差し入れたのです。まことに妙案で、誰も知る者もなく、アドニラムも大変喜び、安心しました。9ヶ月後、彼はさらに厳重な獄舎に移され、翌朝、他の100人と共に処刑されることになったのです。足かせをかけられ、大切な枕を持って行くことは許されませんでした。彼は命より枕のほうが大切だと思い、なくならないように熱心に祈って一夜を明かしたのです。
そして翌日・・・間際になって、なぜか彼の死刑が中止となり、他の獄舎に入れられました。さらに不思議なことには前に用いていた枕が再び彼のところに入れられたのです。しかし、喜んだのはつかの間で、またその枕が看守に取り上げられてしまいました。看守は上に巻いてあった綿をはぎ取り、芯になっていた原稿をほご紙だと思い、ゴミ溜に捨ててしまったのです。
ところが、更に奇妙なことが起きました。ビルマ人の一人の信者が、これを拾って、貴重な物だとは知らなかったのですが、敬愛するアドニラム宣教師の持ち物だとわかったので、これをしまっておいたのです。このようにして、戦争が終わって、再び草稿がアドニラムの手に戻り、1834年、最初のビルマ語の聖書が発行されたのです。神の守りの御手がアドニラムの上にあった事がわかります。
しかし、聖書は発行はされたものの、アドニラムを支え続けた夫人はアドニラムが釈放された後、病死し、また赤ちゃんも病死してしまいました。彼は神経衰弱になりかけ、雨の日も風の日も毎日、妻の墓に何時間もひざまずいていたそうです。そして、ジャングルに一間だけの小屋を建て、必要な場合に備え、自分の墓を掘っておきました。そして聖書のビルマ語翻訳にひとりで取り組み、聖書を完成させたのです。
彼のキリスト教のメッセージに興味を示したビルマ人はわずか数人でした。これが彼が見ることができた実でした。
でも、そのようにして彼は34年間ビルマに留まり続け生涯を終えます。アドニラムの生き残った子供の一人が以下のことを書き残しています。父は「私はどんなことがあってもビルマを離れない」とよく言っていました。また、 「もし、どんな労苦しても何の実も得られないとしたら、将来、誰かがその実を刈り取るのです」 「もし、何らかの実がすぐに得られたとしたら、それ以前に、誰かが労苦したということなのです」
彼の労により、ビルマ族、カレン族、モン族の間での開拓の働きがなされました。アドニラム宣教師の死から100年後、1950年には、この国の教会によれば、約20万人のクリスチャンがいるとの統計が出されました。さらに50年を経た現在、およそ四百万人、人口の8%のクリスチャンがいるといわれています。
(LVJCCブログ制作チーム:Kao)
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今日は、”自閉症の僕が跳びはねる理由”という本をご紹介します。
いま無名の日本人の若者が書いた1冊の本が世界20カ国以上で翻訳され、ベストセラーになっているのをご存知ですか? タイトルは「The Reason I Jump」(日本題:「自閉症の僕が跳びはねる理由」)。著者は、当時13歳の東田直樹さん。日本で7年前に出版された、自閉症である自分の心の内を綴ったエッセイです。
東田さんは千葉県出身で、会話のできない重度の自閉症。ところが、パソコンや文字盤ポインティングにより、援助なしでコミュニケーションが可能。小学校5年生までは授業中に母に付き添われ、普通学級に在籍。小学校6年生から中学3年生までは、養護学校で学び、その後、2011年3月アットマーク国際高等学校(通信制)卒業。
この”自閉症の僕が跳びはねる理由”という本は、自閉症者自らが語る極めて画期的な作品ですが、出版された当初は、ほとんど話題になることはありませんでした。それがなぜ突然、7年も経って、遠くイギリスやアメリカでベストセラーとなったのか。
この本を英訳したのは、アイルランド在住の作家デイヴィッド・ミッチェル氏。彼にも自閉症の息子がいます。日本語教師の経験があるミッチェル氏は、東田さんの本を読んで、まるで息子が自分に語りかけているように感じたと言います。息子はなぜ床に頭を打ちつけるのか、なぜ奇声を発するのか、息子とのコミュニケーションをあきらめていたミッチェル氏に希望の灯がともったのです。そしてミッチェル氏の訳した本は、自閉症の子供を持つ、世界中の多くの家族をも救うことになったのです。
ミッチェル氏はこの春に来日、東田さんと感動の対面を果たされました。これは、日本の自閉症の若者と外国人作家の出会いから生まれた希望の物語です。その一部を以下にご紹介します。
「僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。
僕たちを見かけだけで判断しないで下さい。どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、話せなくて困っているのです。自分の力だけではどうしようもないのです。自分が何のために生まれたのか、話せない僕はずっと考えていました。僕は筆談という方法から始めて、現在は、文字盤やパソコンによるコミュニケーション方法を使って、自分の思いを人に伝えられるようになりました。
自分の気持ちを相手に伝えられるということは、自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです。話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいのです」
私はNHKのドキュメンタリーを見て初めて東田さんを知りましたが、普通の感覚ではとても常人の感覚を持っているようには見えない重度の自閉症ですが、普通以上の感受性と知性を秘めていることを彼自身の言葉から感じることができ、とても感動しました。
自閉症と診断されなくても、人の世界での「生きにくさ」を感じて生きる人の多くが、自分の気持はこんな風に言語化すればよかったんだ、という救いを与えられると思います。全ての自閉症児が東田さんと同じではないでしょうが、何者である前にすべての人が人間であることの重みを突き付けられた思いになりました。
自閉症の子供は、なぜ跳びはねるのか、なぜ床に頭を打ちつけるのか、なぜ奇声を発するのか、そのすべての行動に常人には解らない理由があるのだということを今まで知りませんでした。自閉症の人が独り遊びをしてるからと言って、人間が嫌いなわけではないし、出来ない事が多くても子供扱いされたくない、年齢相応に接して欲しい、そう願っていることを頭に叩き込まれた思いです。ぜひ皆さんもご一読ください。
今日の一言: 人間であることが素晴らしい
鶴田健次
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今日は、先週水曜日“グッドニュース!”舟田先生をお迎えしてに続き、「グットニュース パート2」をお届けいたします。
「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストに あってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分 を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下 さったのである」 エペソ人への手紙1:4、5
「天地の造られる前から」というのは、宇宙が始まる前からという意味です。 一般に信じられているように、今から約138億年前にまったく何もない無の状態から ある日突然、目的もなく偶然に大きな爆発があって、それ以来宇宙はずっと拡張し続 けている。
その中で地球上に偶然に小さな小さな細胞の単細胞の生命が生まれ、それが長い年月 を経るうちにだんだん進化して今日の地球の姿に、そして小さな単細胞の生命が進化 を遂げて人間になった。すべては偶然の積み重ねで、これらすべてには何の意味も目 的もない、というのが進化論です。
もし、この進化論が正しければ、この地球上の自然の美しさも動植物の美しさも人間 の存在もまったく意味なくなり、ただ偶然の結果こうなっただけだということになり ます。これが進化論の教えです。 そうしたら、人間は善を好み悪を憎む必然性もまったくないし、飲めや食えやで人を 殺そうが何をしようがまったく自由ということになってしまいます。
しかし、人間の心の中には動物にない、正しいことや美しいことを求め、またそれを 楽しむことができる心が与えられているのです。 さて、先ほどの5節の 「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨 のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さった」 の「神の子たる身分を授ける」は、英語では養子にするという adopt という言葉が 使われています。
「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にし よう(すなわち、養子にしよう)と、愛をもってあらかじめ定めておられたのです」 11節にも、 「わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリス トにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである」 とあります。
それはいつのことですか? 宇宙の始まる前のことです。 私たちにはそんなことわかりません。でも、先ほど手を挙げられた方も神様によっ て、天地の創られる前からすでに選ばれていた可能性は非常に高いです。 それが証拠に、このラスベガス教会に今朝、こうして来ていらっしゃるのです。
この教会で信仰を持った人はどれくらいいらっしゃいますか? 皆さん、このラスベガスに、そしてこの教会に来られた時、自分はきっとここでクリ スチャンになるだろうと思っていらっしゃいましたか? そんなことないですよね。
7節には、 「わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、 すなわち、罪過のゆるしを受けたのである」 とあります。 「血によるあがない、すなわち、罪過のゆるし」って何でしょう。 それが13節に書かれています。
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の 福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである」 福音とは、中国語で良い知らせ、グッドニュースのことです。
このグッドニュースとは何か? 心の中にある他人に対するねたみだとか、軽蔑、恨み、憎しみ、高慢、自己中心等な ど、そしてこれらから派生する様々な不正な行為、嘘、陰口、暴言、暴力、税金逃れ のための虚偽申告、盗み、果ては人殺し。 私たちの心の中にあるこれらの醜い罪の性質から、神様は解放してくださるのです。
どのようにして? 今から約二千年前、イスラエルの小さな国にいらっしゃったイエス・キリストが私た ちの罰を身代わりになって全部十字架上で受けてくださったのです。 そのことをただ信じるだけで、永遠の滅びである地獄から永遠の命である天国に移し ていただけるのです。
これ以上のグッドニュースがありますか? このラスベガスのカジノでたとえ100万ドルあるいは1000万ドル儲けたとしても、永 遠の地獄に送られるようであればこんなものは誰だっていらないでしょう。地獄に 1000万ドル持って行って美味しいものを食べ、遊ぶことなどできません。地獄では永 遠に燃える火の中で苦しみ続けるのです。
そして、これは前回、2年前にこの教会に伺った時にもお話しさせていただいたこと ですが、私のオリジナル理論である「超ひも理論」で、今日お話ししたことはすべて つながっているということがわかります。 今朝、この教会の礼拝にいらっしゃる前には、皆さんそれぞれ様々なところを通って こられました。
皆さん、お一人ひとり違います。 振り返ってみると、その一つひとつの出来事を点と見なすと、それらの無数の大小 様々な点が集まって線となり、今朝皆さんはここにいらっしゃるのです。そして、今 朝この私の話をお聞きになったのです。 ここに至るまで、何ひとつ偶然ということはありませんでした。これがすなわち私の 言う「超ひも理論」です。 みんな意味を持っているのです。
ですからローマ人への手紙 8:28には、 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働い て、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」 と書いてあるのです。 こんな素晴らしいグッドニュースがこの世の中、いったいどこにありますか? 「たとい人が全世界を儲けたとしても、自分の命を失ったらなんの得があるでしょ う」 と聖書にある通りです。
しかも、この永遠の命を受け取るのは難しいことではなく、先ほど聖書の言葉を読ま せていただきましたように、ただ神の子、イエス・キリストを自分の罪の救い主と信 じて、心の中にイエスさまをお迎えするだけで、今すぐにでも、この場でも、誰でも できることなのです。 いかがでしょう。 自分はこれまでイエスさまを自分の救い主として心の中に迎え入れていなかったとい う方、今お迎えしませんか?
心を開いて、イエスさま、私は自己中心な罪人でした。お赦しください、私の心の中 に入ってきて、私の全ての罪を赦し、私の人生を変え、永遠の命をお与えください、 と祈りませんか?
また、すでに洗礼を受けてこれまでクリスチャンとしてやってきた人でも、自分の心 の中にある罪を示されたなら、あるいはひょっとしたら自分は洗礼を受けてクリス チャンだと思っていたけど、信仰があやふやだったということに気づいた方がありま したら、今この場で悔い改めてイエスさまを心の中にお迎えしませんか?あなたの人 生は180度転換します。 行き先は地獄から天国へ。永遠の滅びから永遠の命へと変えられます。
礼拝後に舟田先生と短い間ではありましたが、お証しを聞かせていただく機会がありました。舟田先生が話されるひとつひとつのお証しは、何十年もの昔のお話もありましたが、今起こったことかのように、私の渇いている心に一滴一滴濃度の高い水が、浸透していくかのような満たされた感情が芽生えました。
舟田先生から強く放たれるキリストの香りをラスベガス日本人教会へ吹き込んでくださり、心から感謝いたします。これからの舟田先生のお働きの上に神の豊かな祝福が降り注ぎますように、教会員一同お祈りしています。また会う日まで!
(LVJCCブログ制作チーム:Sao)
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アド二ラム・ジャドソンは、北アメリカから送られた宣教師達の最初の一団の一人でビルマのパイオニア宣教者となりました。1812年2月19日に、アド二ラムと妻アン・ジャドソンは、マサチューセッツ州ケープコッドからインドに向けて航海に出ました。そこから彼らはビルマ(現在のミャンマー)に福音を運んで行きました。宣教師が一人も入って行く事のなかった、全く異端の国への最初の宣教師として、ジャドソン夫婦は、非常な苦難、投獄、そして家族の悲劇等を貫いて行きました。 しかし、どのような困難があってもジャドソン夫婦はこれらの未開人達にキリストを導くこと、そして聖書をビルマ語に最初に翻訳することなど、彼らの強い決心を決して翻すことはありませんでした。
アド二ラム・ジャドソンはいつリスチャンになったのでしょうか?彼のクリスチャンとしての生活の基盤は、彼が宣教の地に向けて出て行く以前の若き日に、彼の経験した真の回心にありました。
アド二ラム・ジャドソンの父親は、古きよき時代の会衆派の牧師でした。アド二ラムが最も恐れていたのは彼の父親でした。彼はほとんど冗談を言うことも、また笑うこともないような父親でしたアド二ラムはたった三才で読む事を学びました。それが、この少年は偉大な人物になるであろうと父親に期待させ、父親はその事を何度も彼に繰り返し言い聞かせました。父親は大きなニューイングランド教会の牧師を勤めていましたが、自分の息子には、思いもしない名声と成功を獲得する事を望んでいました。
アド二ラムは子供時代に、父親の書斎にある書物から長編小説と手に入れられる全ての本を読み、当時の大衆的な遊びも楽しみました。そしてまた、彼は非常に活発で精力的な子供でした。彼が10才になった時にすでに数学者となり、基礎的なギリシャ語とラテン語をも学んでいました。 彼の父親は、“あなたは非常に賢い少年である、アドニラム、あなたが偉大な人となる事を私は期待している”と語り聞かせました。この父親の言葉は、彼にとって非常に深い意味を持つことになりました。
この頃、彼の父親の教会の会衆の間にひどい分裂がありました。最終的に、彼の家族は、父親が他の小さな教会の牧師となる所へ移動しなければなりませんでした。しかしアドニラムは、決して妥協しない彼の父親の模範に対し、大いなる尊敬を払いました。
アドニラムは、常に心から宗教家になりたがっていました。しかし、彼はどうしたら真のクリスチャンになり、同時に偉大な人となる事が出来るのか?を考えていました。彼が病気で床に横たわっていると、彼の思いの内に、ある声が“我々にではなく、我々にではなく、神の御名がほめたたえられるよう ”と言うのが聞こえたように思えました。田舎の牧師の名が今ここでは聞かれなくとも、その知られざる彼の名声は永遠に残るであろう。 この世はヒーローについて誤っている。 この世は、裁きについて誤っている。 その知られざる田舎の牧師の名声は、真に偉大であり、その偉大さは、この世の他のどの功績をも些細なものにひるませるほどである。 これが、死に打ち勝つ唯一の名声である。 “我々にではなく、我々にではなく、神の御名がほめたたえられるよう”、と彼の思いの内に鳴り響きました。 彼は、病床でまっすぐに座り、これらの奇妙な驚くべき思いによって衝撃を受けました。
彼はまもなく、思いの内からそれらの思いを取り出しました。しかし、その短期間の間の洞察は非常に印象深く、彼は一生涯それを忘れる事はありませんでした。
16才で、アドニラムは大学に入学する事が可能でした。アドニラムの父親自身エール大学の卒業生ではありましたが、彼は息子をそこに送りませんでした。またハーバード大学は50マイルしか離れてはいなかったけれども、彼は息子をそこにも送りませんでした、なぜならそこはすでにリベラル主義になりつつあったからです。その代わりにプロビデンスのロード・アイランド大学に息子を送りました。アドニラムがその大学へ入るとまもなく、その大学は“ブラウン・ユニバーシティ”という名で知られました。父親はその学校は信用でき、聖書に従う大学であると確信し、アドニラムがこの大学にいて安全であると感じました。
アドニラムは、すでにラテン語、ギリシャ語、数学、天文学、論理学、弁論ならびに倫理を知っていたので、新入生としてではなく、二年生として入学しました。 彼の教授達は、彼の聡明さにすぐに気づきました。その年の学期が終了するころ、大学長は彼の両親に手紙を書き、“アドニラムは非常に素直な将来性豊かな息子さんである”と称えました。 父親はその手紙を読んだ後、自尊心が湧き上がるのを禁じえませんでした。
同級生は、アドニラムが週二回の祈祷会に来ることに非常に消極的である事に気づきました。その代わりに、回心をしない若者達の間では評判者になりました。アドニラムはすぐに、一才年上のジェイコブ・イアメスと知り合いになりました。イアメスは、秀逸で評判のよい学生でしたが、無神論者で、クリスチャンではありませんでした。彼とアドニラムは大変親密になり、アドニラムは彼の影響を多分に受け、ジェイコブ・イアメスと同様、無神論者になってしまいました。 もしアドニラムの父が、このことを知っていたならば、すぐさま彼を学校から引き離したことでしょう。 父親は、リベラル、ユニテリアン派教義、普遍救済説を拒否していましたが、無神論をその中で最も嫌っていました。無神論者は、聖書を完全に否定します。彼らは、人類にまったく影響を与えない神の存在だけを信じています。彼らは、神の御子としてのキリストを拒否し、天国地獄を信じず、キリストの償いの御血を信じません。しかし、父親は、自分の息子がそのような間違いと不信に踏み込んでしまった事を知りませんでした。
ジェイコブは、アドニラムの友達の間でリーダー的な存在でした。これらの少年達は、勉強を一緒にやり、若い女性とパーテーに行き、一緒に話したり遊んだりする間柄でした。彼らには、キリスト教に対する興味は全くありませんでした。彼らは、偉大な作家になること、劇作家になること、俳優になることに話の花をさかせていました。彼らは、アメリカという新世界で、シェイクスピアやゴールドスミスになることを夢見ていました。アドニラムの父親が、注意を払って教えた全体の宗教は、完全に泡と消えました。アドニラムの新しい生活は彼の父親の古い信仰から“解放し”、名声と富に彼を解放したのでした。
しかし、アドニラムは罪を簡単には感じませんでした。彼の父親の神を拒否することは、父親を拒否するのと同じことであると、心の奥底で感じていました。学期間の休暇時に家に帰ったとき、彼は父親の不満を恐れて、彼の不信心を告白することは決してありませんでした。
アドニラムはクラスで主席になり、卒業生総代に選ばれ、スピーチをすることになりました。 彼はその名誉を知るや否や父親へ手紙を書き、“親愛なる父へ、ついにやりました。 あなたの親愛なる息子、A.J.”と書き送りました。 式の後、最も名誉な席で、アドニラムは卒業生を代表してスピーチをしました。 聴衆席には、彼の両親が暖かく彼を見守っていました。
19才になり、アドニラムは今後の人生を歩む準備ができました。しかし、何をすべきなのか彼には思いつきませんでした。彼は家に帰り、毎週日曜日に両親と教会へ行きましたが、彼の両親は、彼が不信者になったことを知りませんでした。彼は両親と家での祈りの際、自分が偽善者であるように感じました。
毎週、彼は平安を覚えず、野心のことを考え続け、その思いを友人のジェイコブに語りかけたのです。その年の夏、彼は結局家を出、劇作家になるつもりでてニューヨークに行く決心をしました。彼の両親は、ニューヨークはアメリカの中でもっとも罪に満ちた都市で、現代版のソドムであると思っていることを知っていました。アドニラムは両親が劇場は堕落と罪の地獄へ通じる穴であると思っていることを知っていました。そのような両親を非常にこころの狭い人達であると思っていました。
すぐに、ニューヨークへ出発する準備ができました。両親にとっては、彼が月へ旅立つように思われました。この旅立ちの直前まで、父親は彼に牧師になる勉強をしてくれるよう頼みました。アドニラムがそのことを聞いた時、彼は両親に真実を話しました。彼らの神は自分の神ではないこと、彼は聖書を全く信じていないこと。彼は、イエスが神の御子であることを信じていないこと、を話しました。
彼の父親は説得しようとしたが、できませんでした。彼の母親は、家中彼を追って泣きながら懇願しました。“母親にどうしてこのようなことができるの?”と彼女は泣きました。 彼女の親愛なるアドニラムは、悪魔を選んで神を拒否したのです。家からは、母親の鳴き声と祈りが聞こえました。
アドニラムは6日間この状態を我慢しました。そうして、自分の馬にまたがり、ニューヨークへ向けて出て行きました。 しかし、そこに着いたとき、彼は夢に描いていたパラダイスとは違うことに気づきました。彼を暖かく迎えることもなく、また仕事もありませんでした。彼は数週間そこに留まっただけで、消沈のちにそこを去りました。
日没前に、彼は小さな村に辿り着きました。彼は宿屋を見つけ、馬を休ませ、空き部屋があるかどうか尋ねました。 その宿はほとんど満杯でしたが一部屋だけが残っていました。その主人は、その空き部屋が重い病気で死にそうな若者の隣部屋であることを彼に教え、夜間、煩わしいことがあるかもしれないと伝えました。 “問題ありません”とアドニラムは答え、“ぐっすり眠れるでしょう”と主人に言いました。簡単な食事を与え、主人は彼を部屋に案内しました。アドニラムは床に入り、眠りに着くのを待ちました。
しかし、彼は眠れませんでした。隣の部屋から、足音や、床がきしむ音、低い話し声、うめき、喘ぎが聞こえてきました。彼はこれらの音には差ほど気にかけませんでした―もちろん人が死んでいくなどとは思っても見ませんでした。 死は、アドニラムの住むニューイングランドでは普通のことでした。いつでも、誰にでも起こることのように思われていました。
彼の眠りを妨げたことは、隣の部屋の人は果たして死ぬ準備ができているのだろうか、という思いでした。自分自身、その準備ができているのか?これらの思いが彼の思いの中を駆け巡りました。彼は自分は死に対してどのように立ち向かうのか?彼の父親は、永遠の栄光の扉が開くとき、死を快く迎えるのだろう。しかし、不信心のアドニラムにとっては、死は、底なしの穴への暗闇に通じる扉で、墓の中で這い蹲る肉体、少しづつ腐食していく死体、棺おけを覆いかぶさる土の重さ。 これだけが、終わりなく続くのであろうか?
しかし、彼のもう一つの思いは、真夜中のこれらの思いを笑い飛ばしました。彼の学校の友人達は、この悪夢をどのように思うか?ジェイコブが自分を笑うのを思い浮かべました、そして、彼は恥ずかしくも思いました。
太陽が窓から差し込んで、彼は目が覚めました。暗闇の中での畏れは消えうせました。自分はそんなにも弱く恐怖に慄くことが、信じ得ませんでした。着替え朝食をとるために下へ降りていき、宿屋の主人を見つけ支払いを済ませたました。そして、隣の若者は元気になったかどうか聞いてみると、“その若者は死んだ”と答え、アドニラムは、“彼は誰であるか”と尋ねました。宿屋の主人は、“もちろんさ”と言い、ブラウン大学の学生で、彼の名前はイアメス、ジェイコブ・イアメスだ。”と告げたのです。 彼の最も久しい友人のジェイコブ・イアメスが、前の晩に隣の部屋で亡くなったのです。
アドニラムは、その後数時間をどのように送ったかを思い出すことは決してできませんでした。思い出すことのできることは、その宿をしばらく出なかったことだけでした。ついに彼は立ち、馬に乗って走り出しました。彼の思いには、一言“失われた!”が駆け巡りました。死に臨んで、ジェイコブ・イアメスは失われていました。完全に失われていました。失われたままで死ぬこと。友からの死、この世界からの死、将来からの死、それらが空中に消えていく煙のように思えました。もしジョイコブ自身の思いが真実であれば、彼の人生と死は何ら意味を持たないことになるのです。
しかし、もしジェイコブが間違っていたら?もし聖書が文字通り真実で、個人的な神が真であったならば?ジェイコブは永久に失われたままでした。自分が失われたままである事をジェイコブが知り、自分が間違いであることを知った時、 しかし、ジェイコブにとっ知るのが遅すぎました。自分の過ちを知り、ジェイコブは創造をしたこともない地獄の火炎の苦しみを経験しているのです。救われる全ての機会は、永久に失われました。これらの思いが、アドニラムの動揺した思いの中を駆け巡りました。アドニラムは、最も久しかった友が自分の隣の部屋で死んだのは、決して偶然なことではないと考えました。
突然、アドニラムは、聖書の神は真の神であると感じました。彼は馬の向きを返し、家に向かい始めました。 彼の旅はたった五週間続いただけでしたが、彼の両親の影響から離れたその五週間のうちに、彼の魂を揺すぶる激変を彼は体験しました。彼は心の葛藤の中、自分自身の魂の死闘と戦いました。彼は家に着いたときには、覚醒した罪びとでした。
このとき、二人の牧師が彼の父親の家を訪れました。彼らは、アドニラムに当時開設された神学校へはいるよう薦めました。 彼はその年の十月にアンドーバー・セオロジカル・セミナリーに入学しましたが、まだ回心していなかったので、牧師養成員ではなく、特別生徒として入りました。そこでは生徒として、ヘブライ語とギリシャ語の原語でもって聖書を読み始めました。11月までに、彼の疑いは薄れ、“聖霊の新生させる影響を持ち始める望みを持ち始めた”と書けるまでになりました。12月2日―彼にとって忘れることのできない日―彼は回心をし、全生涯を神に捧げました。その日以来、彼は文字通り生まれ変わりました。彼は永久に、世界的な名声を獲得する夢から離れ、自分自身に、“どのようにしたら神を喜ばすことができるであろうか?”と尋ねたのです。
「その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」ヨハネ16:8
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今日は、”挑戦”ということを考えてみました。
「1000回の憧れより、たった1度の挑戦のほうがずっと価値がある」とは、サミュエル・スマイルズの言葉ですが、確かに、憧れだけで何の行動にも移らなければ何も生まれませんが、ただの一度でも何かに挑戦すれば、そこには成功につながる可能性が生まれます。結局のところ、「成功の反対は失敗ではなく、何もしないことである」と言われる所以はそこにあるのだと思います。
ところで、”挑戦”という言葉を聞いて、あなたはどういう印象を持たれますか?
私は、”挑戦”という言葉を聞くと、胸が膨らみ、内側から沸々と力が湧いてきます。そして、ある時などは、この言葉のおかげで、自分が目指してきた目標とは別のものに意識が向けられている自分に気付かされ、再び初心に戻って頑張ろうという思いにさせられることがあるものです。
そのように、目標の実現に向かって挑戦を続ける中で絶えず経験することの一つは、困難のゆえに、本来の目標を他のものに替えてしまおうとする誘惑です。しかし、そういう理由で目指すべき目標を替えても、また同じことの繰り返しになることは火を見るより明らかです。
その意味では、成功の秘訣は「目標の一定不変」にあると言っていいかも知れません。つまり、熟慮して人生の目標を掲げたなら、どんな事があってもその目標を他のものに替えないことです。たとえ大して力のない人でも、一つのことに忍耐をもって全力で取り組めば、大きな成果が得られるものです。
世界にキリストの福音を広めた一番の立役者である使徒パウロは、福音宣教のために生きる自らの姿勢をこのように言い表しています。
「兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:13、14)
これはクリスチャンの地上での生活を競争に例えているわけですが、勝利の栄冠を得るためには目標を目指して一心に走らなければなりません。その原則を”挑戦”ということに当てはめるなら、挑戦する者は、目標を目指して一心に走ることが大切です。
競争においては、わき見をすることは禁物です。それはルール違反にはなりませんが、栄冠を得ることにはつながりません。競争においては、目標を目指して一心に走ることだけが勝利につながる秘訣です。
日本を代表するプロスキーヤーであり登山家の三浦雄一郎さんは、65歳の時に、5年後の70歳でエベレスト登頂を果たすという目標を立てられました。それ以来、外出時には常に両足に重りを付け、20kg近いリュックを背負うというトレーニングを再開されたそうです。当初は藻岩山登山ですら息切れがするという状態であった体力を5年がかりで回復させ、2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢となる70歳7か月での登頂を果たされました。
あなたも何か意味のある目標を掲げて”挑戦”をしてみませんか? そして、いつまでも若々しく生きましょう。
今日の一言: 目標を目指して一心に走ろう
鶴田健次
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