
よく、三つ子の魂百まで・・・などと言いますが、それは周知の通り、幼いころの性格は年をとっても変わらない、 という意味の諺です。つまり、「性格の基礎をつくる大事なお年頃」ということです。
西洋でも、The child is father of the man、直訳すると「子供は大人の父である」という意味になりますが、これは「幼い頃の性質が、大人のときの性質の基盤となっている」というような意味で言われており、『三つ子の魂百まで』と同じ意味の諺です。つまり、それ程までに3歳ぐらいまでの生育環境は、その後の人生にとって大変重要な時期なのです。
人間は3歳ごろまでに急速に脳細胞から配線が伸び、かなりの回路が作られると言われます。その配線を伸ばし、 回路を発達させるのは、外部から入ってくる刺激や環境、教育などです。そして、この乳幼児に最も大きな影響を与えるのが母親です。わずかの部分で父親や家族が関与していますが、1歳から3歳の人格形成時における母親の存在の大きさは、どんなに強調しても強調しすぎることはありません。
生まれてきた赤ちゃんは、お母さんの胸に抱かれ、お母さんから「プラスの刺激」をいっぱいもらいます。そして赤ちゃんの脳の中で 「肯定的な感情」をはぐくみ、いわば「喜びの回路」が作られていくのです。
ところが、おむつが濡れたままで、気持ちが悪いのに取り替えてもらえない…。オッパイが欲しいのに飲ませてもらえない…。お母さんが悲しそうな顔をしている…。お父さんとお母さんが喧嘩をしている…。というようなことは、赤ちゃんに「マイナスの刺激」を与え、そこから「怒りの回路」「悲しみの回路」「恐れの回路」が作られていくのです。
大人になって、犬を見て怖がる人、好き嫌いをする人などは、自分では気づかない、小さな子供のころに「マイナスの刺激」を受け、 拒絶の回路が形成され、その後の人生を支配してしまったのです。まさに『三つ子の魂百まで』です。
生まれてから2~3歳までは、母親や家族から与えられる情報を、そのまま受け止め、脳の回路が形成されていきます。赤ちゃんは周りで発生する「プラスの刺激」「マイナスの刺激」など何でも、意味や理屈が解からなくても、 完璧に吸収していくのです。
TV漫才を見ていて、直ぐに笑いこける人、笑う姿を横で見ていて、「何がそんなにおかしいんだろう?」と不思議がる人…。 人よりも笑いのスイッチが早く入る人、遅い人。ドラマを見ていて直ぐに涙腺が緩む人、そうでない人…。人によって様々です。 幼児期にそうした喜怒哀楽の物差しが出来上がり、性格の一部となって、一生を支配していくのです。
たとえば、両親が毎日のように大声で喧嘩していると、いつの間にか赤ちゃんの脳に、「怒り」や「恐れ」「悲しみ」 回路が増幅されて形成され、成人してから、人から大声で怒鳴られたりすると、恐怖と恐れで固まってしまい、パニックに陥り、人間嫌いになってしまいます。
1歳になるかならない時期に、保育所に預けられた赤ちゃん。大人しくしていたら構ってもらえない。大きな声で泣いて自己主張すると、保母さんがやってきて抱いたり、あやしたりしてくれる。「周りの赤ちゃんより激しく泣くことで思いがかなう」ということを、学習するのです。
そして、夕方、お母さんが迎えに来て、有り余るほどの愛情を我が子に注ぎます。赤ちゃんがむずかれば、大抵のことを聞いてくれる…。そんな回路ができてしまった赤ちゃんは、その後、自己中心的で、 我がままで身勝手な子どもに育っていくのです。
今日の一言: 幼児の生育環境を真剣に見直そう
平安
鶴田健次

今年も5月26日(月) にメモリアルサービスが催されました。開催場所は、毎年行われるSouthern Nevada Veteran's Memorial Cemeteryです。
アメリカでは、メモリアルサービスは国の為に命を張ってくださったMarine, Navy, Armyの部隊に属して命を落とされた方を思い出し、感謝を捧げる日であります。この日は、感謝と尊敬を表し、独立記念日と同じに各家々でアメリカ国旗を飾ります。
当日は、いささか日差しが強かったですが、5月の朝風の中、青々とした澄んだ空に芝生の緑が生える美しい景色とともに19人の有志が参加されました。

ラスベガス教会のメモリアルサービスは、私達の教会員だった兵役を全うした方々と共に亡くなった他の教会員をも敬意を示し、共に思いを寄せました。
式の初めに、ビビアン姉妹の開会のお祈りで始まりました。賛美は、「いつくしみ深き What a friend we have in Jesus」を歌いました。コリント人への手紙第一15章50-58節を通して、鶴田先生よりメッセージが語られました。
そして、祈祷で閉められ、最後に「驚くばかりの Amazing Grace」を賛美しました。
イエスキリストを信じた私達の国籍は天にあり、この世の人生は旅であり、その旅はいつか終わりを迎えます。
イエス様は十字架の道を経て、わたし達が旅を終えた後に迎えてくださる永遠の御国の道を整えてくださったのです。それを思うと、神の驚くばかりの愛と恵みにただただ感謝です。
今年も良きメモリアルサービスに集えられたことを心から主に感謝いたします。

そして主にあり、愛する兄弟姉妹と御国で再び再会できることを楽しみにしております。
(LVJCCブログ制作チーム:Sao)
ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。

昔は聖書を読むことは、なかなかむずかしいことで、時には命がけにならなければいけなかったのです。その理由は第一に、聖書はヘブル語やギリシャ語といった古代の言葉で書かれていたために、特別な学者でなければ、とても一般大衆には読めなかったです。第二に、中世のカトリック教会の法皇をはじめ、司祭たちが一般の人々に聖書を読ませないようにしていた為でした。
しかし、そのような中で何とかして、誰でも聖書を読むことができるようにと、命を捨ててまでも戦った信仰者たちのおかげで、今は誰でも読むことができるようになりました。その中でも最も名高い人が、ウィリアム・ティンダルなのです。1484年にイギリスのグロースターシャで誕生しました。彼は28歳位まで学問に励み、オックスフォードとケンブリッジの両大学を卒業しました。そのとき以来一生の願望は、どうにかして聖書を誰にでも分かる英語に訳して、一般の人々に読ませてあげたいということでした。
それは当時のカトリック教会が、聖書に書いてある本当のこと、真理を教えてないので聖書そのものを読ませるようにして、神の教えを伝えなければ、人々の救われる道がないと考えたからでした。しかし、それはなかなか困難でした。彼はドイツ、ポーランドに旅行しましたが、ウィッテンベルグでルターと出会い、ケルンで印刷を始め、ウォルムスで完成させました。このような様々な苦心の末、彼は40歳近くに6千部の英語訳聖書を出版することができました。けれどもカトリック側の激しい迫害を受けて大部分は焼かれてしまいました。そのため今日、ただ一冊が残っているのみということです。
苦心惨憺の聖書を焼かれたティンダルは、それにも屈することなくまたまた新たに出版しましたので、次第に人々の手にいきわたるようになりました。ところが迫害はいよいよ激しく、50歳のときに、アントワープで捕らえられ監禁されていましたが、ついに1536年8月6日、52歳で火刑の杭に縛り付けられ、しめ殺された後、早朝に火で焼かれてしまいました。彼は死ぬまぎわに杭より大声をあげて、『神よ、わが英国の王の目を開きたまえ』と祈りました。
ティンダルの聖書は、後に英語聖書の金字塔といわれた「ジェームス王欽定訳聖書」の基礎となったのでした。今日わたしたちがこうして自由に聖書を読んで、神の恵みにあずかることができたのは、彼のような多くの信仰者たちが、命がけで尽くしてくれたためであったと知って、もっと真剣に読み、信じ、その如く行いたいものです。
(LVJCCブログ制作チーム:Kao)
ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。

今日は、”習慣”ということについて考えてみました。
英国の作家であり医師であったサミュエル・スマイルズがこんな詩を書いています。
思いの種をまき、行動を刈り取り
行動の種をまいて習慣を刈り取る
習慣の種をまき、人格を刈り取る
人格の種をまいて人生を刈り取る
「はじめは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る」と言われるように、習慣は作ることができます。最初は意識して心がけますが、それを続ければ、だんだん慣れてきて、やがてそれが習慣になり、習慣になれば潜在意識に刻み込まれ、意識をしなくても自然にできるようになります。したがって、良い習慣は人を成長させ、人を作ってくれるのです。
そう考えると、幸せのヒントは「幸せになる種を蒔いて、幸せになる習慣を作る」ことだと言えるかも知れません。たとえば、自分が幸せを感じるような習慣、気分よく過ごせる習慣、毎日を楽しめる習慣、読書の習慣、自分を育てる習慣、運動の習慣、よく考える習慣、夢や目標をもって努力する習慣、愛する人の幸せを考える習慣、などを作るための行動を続けること、それが幸せな人生を生きる良い方法だと言えます。ですから、私たちは最大限の努力を払ってでも、幸せになるための習慣を身につけなければならないのです。
習慣は若いうちほど身につきやすく、一度身についたら終生失われはしません。ちょうど木の幹に刻まれた文字のように、時間の経過とともに大きく成長していくものです。また、人生の若い時期に得た習慣は、悪に対する真の防波堤になります。なぜなら、人間が品行方正になるのは習慣を通じてであり、モラルが損なわれないよう守ってくれるのもまた習慣の力だからです。
また、もうひとつ忘れてはならない重要なことは、自分で自分を助けることを習慣とすることです。「天は自ら助くる者を助く」という有名な格言がありますが、この格言は、幾多の試練を経て現代にまで語り継がれてきたもので、この短い言葉には、人間の数限りない経験から導き出された一つの真理がはっきりと示されています。この自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎だと言えます。
「自分で自分を助けよう」などと考えたこともない、という人も多いかも知れません。しかし、「自分で自分を助けよう」と考えれば、できることがたくさんあります。神は常に最善を導いておられるので、その約束を信じて、自分を元気づけ、励まし、心を守ることを心掛けることができれば、私たちの歩みはどれだけ健全なものになることでしょうか。
今日の一言: 習慣は人を作り、人生を作る。
平安
鶴田健次
ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。

去る5月18日(日)に、母の日より少し遅れて、教会の男性チーム主催のランチョンが設けられました。
以前から、準備が進められており、メニューの話し合いや子供達のランチまで用意周到になされていたようで、当日の教会の食事用のテーブルは、白いテーブルクロスで上品にカバーされており、おもてなしを感じられるものに変身しておりました。
このランチョンは、基本的にサーブされるのは女性のみ!(子供達は、ホットドッグを頂きました。)メニューは、鮭、マカロニサラダ、クロワッサン、サラダ、そしてデザートにケーキ♡

当日集った6人の有志たちでこのラスベガス教会レストランが営まれていましたが、サービスがとてもよい心遣いがあり、一つ一つのテーブルにお茶とコーヒーのおかわりを聞きに来てくださる徹底ぶり!!そんな男性陣の働きぶりのおかげで、ご婦人たちも気持ちよく食事を楽しむことができました!
神様は、心を見られるお方であり 私達も心が伴う奉仕を全うしていきたい限りでありますが、こうして、神に仕えるものとして勤しむ姿を兄弟たちを通して見れたことにとても励まされたご婦人がたがとても多くいらっしゃったことと思います。まさに、私自身も強く励まさた一人であり、改めて、皆様への日頃の感謝を実感することができました。
結果40食以上の鮭ランチ、子供達にはホットドッグが山の様にサーブされるお腹いっぱい大反響ランチョンとなりました。
この催しを企画してくださった方、実行チームの方々、影で準備をしてくださったお一人お一人のお心を主が尊く祝福してくださいますように心よりお祈りいたします。
この機会を用いて、教会員同士の感謝の心を育ててくださったことを主に感謝します。これからも私たちが感謝を現せるもの同士として、神さまの愛が育まれる教会となれますようにお祈りいたします。
(LVJCCブログ制作チーム:Sao)
ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。