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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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日本の代表者的キリスト者の一人である内村鑑三が『彼は人類の華である』と賛嘆した人、それがこのB.F.バックストンです。日本の聖潔運動の父といわれ、聖潔を見せる器であるとまで評価されたのでした。

バックストンは、1860年8月16日、イギリスのエセックス州にあるレイトン・ストーン・ハウスに誕生しました。バックストン家は、古くからの騎士の家柄で、その上祖父トーマス・F・バックストンは、奴隷解放に貢献した国会議員として、サーの称号(貴族)を与えられた名門でした。父は実業家として活躍するだけでなく、C・M・Sミッションの会計係を引き受けて、主のためにも熱心に仕える信仰の人でした。母のガーニーは、社会改良家としてかの有名なエリザベス・フライと同じ家系にあたり、やはり敬虔な信仰を受け継いでいる優れた夫人でした。

バックストン家は、1868年に隣州のハートフォードにあるエスニーに移りましたが、幼少時代の彼は、ここで美しい自然と、すばらしい家庭環境に恵まれて成長しました。いつも子供達が、聖書と親しむように身をもって教えました。勉強の方は高校に入るまでもっぱら家庭教師によりました。

やがて14歳になった彼は、当時のイギリス上流家庭がそうであったように、私立のパブリックスクールに入学しました。彼はその中でも、最も有名なハロー校に入り、勉学とスポーツに励みました。彼はクリケットの主将として活躍しましたが、勉学の方も抜群の成績をおさめることができました。

ハロー校を卒業すると、1879年10月に、いよいよ彼はケンブリッジ大学に入学し、31カレッジで学びました。ここでも彼は優秀な生徒であり、スポーツ選手でした。特にテニスでは、ウィンブルドンでオックスフォードとの選手権試合に出場し、2年連続単優勝を飾るみごとな活躍ぶりでした。彼の前述は、望むがままに洋々と広がっており、周囲の人たちの期待もまた大きなものでした。そんな中で彼は、自分の進むべき道はなんであるか真剣に考えはじめていました。

彼は大学の中にあるキリスト者同盟に加わって、積極的に各集会に励んでいましたが、ちょうどそのころ、アメリカの大伝道者D.L.ムーディーがイギリスを訪れ、伝道旅行中でした。そこで彼らは、ムーデーをケンブリッジに招いて大伝道集会を行う計画を立てました。しかし、ムーデーはなかなか来てくれません。それは無学な自分が伝統ある名門の大学で話すというのは、とても無理なことだと思ったからでした。再三の招静状を受けて、ついに1882年11月5日、ムーデーは神のみこころと確信して、ケンブリッジでの伝道会を開始しました。日を追うごとに盛況となり、救われる人々も増えていきました。

そして、11月9日、この日の集会には、バックストンの横に彼の父も一緒でした。ムーデーはルカ14:17から『さあ、おいでください。もう準備はできましたから』という御言葉から、力ある説教をしました。この時彼は、神が自分に語りかけているのをはっきりと知りました。そして、今までの知識や宗教的生活としてのキリスト教から、イエス・キリストを個人的に受け入れる霊的な信仰への回心となりました。こうして彼は父のいる前で、自分の生涯を主のために捧げる道へと進み始めました。

彼は1885年、正式に国教会の教職として任命され、ウェブ・べプローのもとで副牧師として奉仕することになりました。そして5年の間、あらゆる階層の人々に伝道し経験を積むと共に、ケズィック・コンベンションで霊的な取り扱いを受け、彼の品性はますます豊かにあれていきました。当時のケズィックは、最も海外伝道熱に燃えており、ハドソン・テーラーの感化もあり、彼の学友たちも続々と中国や海外へと派遣されていきました。

こうした中で、彼も福音に満たされている母国ではなく、まだ福音の伝えられていない遠い外国で伝道することが、主のみこころではないかと考えるようになりました。しかし、海外伝道について話すと、彼を知るほとんどの人が反対しました。ただ彼の父トーマスだけは、それが神の導きなら従うべきだと賛成してくれました。1889年3月17日、彼は祈りのうちに宣教師となることが神のみこころであるとの確信が与えれました。最初の希望はインドでしたが、その道は閉ざされ、代わって日本への道が開かれました。

こうして、バックストンは30歳となった1890年10月1日、懐かしいエスニーの家を離れ、妻と子、それに6人の伝道協力者をともなって、2ヶ月後の11月24日無事に神戸へ上陸しました。その頃の日本のキリスト教界は内外共に問題が山積みし、混乱と動揺を来していました。そうした状況を知った彼は日本語を学びつつ、まず日本に滞在する宣教師達のために、修養会を開いて霊的活力を与える事に努めました。

翌年4月、彼とその一行は松江に派遣されて伝道活動を開始することになりました。働きは山陰地方一帯に広がり、最初妨害や迫害を受けながら進展していきました。それと共に、バックストンの存在が知られるにつれ、各地から青年達が教えと指導を受けようと、この辺境の地にやってきました。そこで赤山に家を建て『赤山講和』が行われました。

日本での10年間の働きで、後事をウィルクスに託したバックストンは、故国に帰りイギリスにあっって日本伝道を応援することになりました。そして10年間、ウィドベリーに住み、国の内外の求めに応じて奉仕を続けました。彼は今や52歳を迎えていました。この年、母国ケンブリッジの教会より牧師に就任するようにとの要請を受けました。その熱心な誘いにもかかわらず、彼は新たなる日本伝道のためにこれを断ったのでした。

彼は1937年(昭和12年)に日本での最後の奉仕のために来日しました。半年間、各地を巡回し、修養会に全力を注ぎました。その最終の東京聖会は、霊南坂教会が会場となり、超満員の1500名の会衆であふれました。老聖徒の神々しい姿とメッセージは、多くの人々の忘れえぬところとなりました。

ウィンブルドンで余生を過ごしていた彼は、1946年2月5日、病床で"I am so happy, I am so happy"と口づさみながら、静かに天に召されていきました。今日もバックストンによる霊の遺産は、日本の教会に受け継がれています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.05.19 11:33 | 信仰者シリーズ
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今日は、”天国とはどんな所”かを考えてみました。

昨日、ある方と話をしていて、死後の世界の話題になりました。死後の世界があるかないか、あるとしたらどんな世界か、これは人間が考えて分かるものではありません。死後の世界の詳しい事情は、死後の世界を支配しておられる神のみが知っておられることです。

神は聖書を通して死後の世界を明らかにしておられます。死後の世界は永遠で、二つのまったく対照的な世界、つまり天国と地獄と呼ばれる永遠の世界が存在します。そして、すべての人間がこのどちらかに必ず行くことになるのですが、あなたはどちらに行くかご存知ですか? また、その根拠は何ですか?

聖書の中には幾つかの天国の描写がありますが、今日の聖書箇所は、”天国にあるもの”よりも”天国にないもの”を描写しながら、天国がどういう所かを伝えようとしています。考えてみれば、天国の素晴らしさは、この世のどんな言葉を用いても十分に描写できません。また、私たちの限界のある能力では、次元の違う世界のことを完全に理解することはできません。そのことを念頭において、以下の黙示録の言葉をお読みください。

「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(ヨハネの黙示録21:1-4)

ヨハネは、ここに七つの”天国にないもの”を記しながら、天国の一部を描写しています。

1.天国には「海」がない。
2.天国には「死」がない。
3.天国には「悲しみ」がない。
4.天国には「叫び」がない。 
5.天国には「苦しみ」がない。
6.天国には「のろわれるもの」がない。 
7.天国には「夜」がない。


「海」は危険や恐怖の象徴ですが、悪の根源のようにも考えられていました。
「死」は人類の最大の敵であり、私たちに絶望をもたらすものです。
「悲しみ」は私たちの心を沈ませ、希望を奪い去ってしまいます。
「叫び」は泣き叫ぶことです。人は苦しくて、悲しくて、辛くて泣き叫ぶのです。
「苦しみ」は私たちから喜びを取り去ります。
「のろわれるもの」が人間に入って来たのは、罪の結果です。
「夜」は闇であり絶望の象徴です。また前にあるものを見ることができません。

こういうものがすべて取り除かれた世界、人を苦しめたり、悲しませたりするものが何もない世界、それが天国です。そして、罪が贖われている者は永遠に朽ちない肉体を与えられ、この至福の世界で永遠を過ごすのです。そして、何よりも素晴らしい幸いは、父なる神と主イエス・キリストがそこに共におられるということです。

冒頭の御言葉でも、「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられる」とあります。

また、イエス様と共に十字架につけられた二人の強盗のうち、悔い改めた一人に対して、イエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)と約束されました。

天国の素晴らしさは、誰もそれを人間の言葉で表現することはできません。使徒パウロは、第三の天(天国)について次のように語っています。神は大きな試練の中で落胆するパウロを励ますために、第三の天(天国)を見せてくださいました。この時のことを、彼はこのように書いています。

私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に ― 肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、― 第三の天にまで引き上げられました。 私はこの人が、― それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです、― パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。(IIコリント12:2-4)

またパウロは、ピリピの教会に宛てて、このような希望に満ちた言葉を書いています。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3:21)

どうか、あなたも神が備えてくださったこの素晴らしい天国の恵みをお受けになってください。キリストを信じた者の最終的な行き先は、恐ろしい「地獄」ではなく、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」慰めに満ちた「天国」なのです。

今日の一言: 私の国籍は天にある


平安
鶴田健次
2014.05.16 14:05 | 鶴田健次牧師より
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今回は、ラスベガスのスーパーマーケットのご紹介、その2です。

最近の食品には、精肉製品にホルモン注射がなされていたり、農薬がかかっている野菜や果物、遺伝子組み換え製品が当たり前のように出回っています。特に、アメリカの規制は日本に比べて緩いと言われており、多くの食品が害されているのも事実です。

よく聞く話は、ホルモン注射をされた肉を食べていた7歳の子供にヒゲが生えてきた!などという通常ありえないような状況に立たされ、親はそのとき初めて食品の怖さを知るということも度々あったりするのです。

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(オーガニック食品、卵は遺伝子組み換え無しホルモン注射無し与えられた餌も明記)

アメリカには、オーガニックの製品だけが売られているホールフーズマーケットがあります。今回は、そのホールフーズマーケットを御紹介します。

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ホールフーズには、野菜、魚、肉、乳製品、スープ、ワイン、チーズ、デザート、コーヒー、紅茶、医療品、ベビー食品・用品、花屋があり、ピザ、寿司、ベーカリーも入っています。お好みならば店内で食事ができるようにもなっており、ファミリーフレンドリーなスーパーマーケットです。

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冒頭でも書いたように、私がホールフーズで買い物するものは、特に気をつけているものです。遺伝子組み換えがされていない卵や牛乳、農薬がたまりやすい葉物や果物などです。最近では、胸焼けするようになってきたので、油もホールフーズで買ったりもします。 

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いくら体に優しいと言っても、身の回りのものを全てオーガニック製品で揃えるのは至難の業です。そして、毎回購入の度にお金もかかります。それでも、食の大切さを思うと、少し献金と似ていると思いました。

確かに高いコストがかかりますが、何が良い物かを学び、神様から与えられた大切な体を健康に維持することは素晴らしいことだと思います。それでなくても、現代生活は知らず知らずのうちに体に悪影響を及ぼすものに囲まれています。それらを考慮しながら、出来る限り自分と家族の食生活を整えることは、私たちがしなくてはならない大事なことだと思います。

983ba.jpg(出来上がり、ご飯はそら豆ご飯)

我が家に子供がいないとしたら少し違う状況かもしれませんが、ネバダ州は他の州と違い、食品に消費税がつきません。その分、食費にお金をかけられるのもメリットの一つです。

最後に、私達の日々の食生活を整え、規則正しい生活ができるように支えてくださる主に感謝いたします。

(ブログ制作チーム: Sao)


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2014.05.14 00:49 | それ行けSaoシリーズ
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暗黒大陸といわれたアフリカの奥地に、福音の光と新しい歴史の道を切り開いた人それがリビングストンです。彼は1813年3月19日に、スコットランドのグラスゴー市の近く、ブランタイヤという小さな町に誕生しました。父のニイル・リビングストンは、代々からのプロテスタントの信仰者であり、母のアグネスは5人の子供達に、「敬虔、快活、柔和」を身をもって示し、育てたということです。先祖の1人は、自分の家系にただひとりの不正直者のいないことを誇りとし遺言に「子供達よ、正直であれ!」と言ったといいます。そしてこのことは彼の血にも受け継がれ、後の偉業を助けるために力ともなりました。

彼は両親の厳しい指導と、信仰への期待の中で成長していきましたが、科学に関する本や旅行記が大好きで、そちらを夢中で読みました。しかし、家が貧しいために10歳の時から紡績工場に出て働きました。朝は6時から夜の8時まで仕事をし、それから2時間を夜間学校で勉強するという毎日を過ごしました。学ぶことの好きな彼は、家に帰ってからなお12時まで本を読み続けました。12歳頃、自分が罪人であることに気づきはじめましたが、頭だけの理解のため、自分のような者は神の祝福を受ける資格がないと思い、信仰を持つまでにはなりませんでした。しかし、20歳頃ある書物を読むうちに、主の十字架を今すぐこのまま受け入れればよいのだと悟り、断然主を救い主として信じて生まれ変わりました。

今やリビングストンは、神の愛にこたえるために自分の一生をささげたいという思いに満たされていました。ちょうどその頃、中国伝道を行っていたギュツラフ(日本最初の聖書を和訳した人)の書いた本を読み、その熱烈なアピールに心動かされて、中国への医療伝道者になる決心をしたのでした。そこでまず医学を勉強するため、暖かい半年間は一生懸命に働いて学費を作り、冬の半年間をグラスゴー大学で学ぶことになりました。彼は医学の他に語学と神学についても学び、さらに後には、ロンドン大学でも学びを続けました。26歳の時、彼はロンドン伝道教会の宣教師となる試験を受けました。その一つに実地訓練がありました。ある日、牧師に代わって説教をすることになり、講壇に立って、いざ話そうとして何を話すのかすっかり忘れてしまいました。いくら考えても思い出せません。ついに「皆さん、私は何を話すのか忘れてしまいました」と言って、講壇を降りて逃げ出してしまいました。こんなふうに彼は人の前で話すことが下手で、一生うまくなれなかったといいます。

いよいよ中国へという時、アヘン戦争が起こり道が閉ざされてしまい、失望と落胆の毎日を過ごさなければなりませんでした。ところが、そこへアフリカの宣教師モファットと出会って、心動かされ「私のような者でもアフリカで何かできるでしょうか?」とたずねると、「勿論です。ただ誰も入ったことのない奥地で伝道することです」とアドバイスされ、ただちにアフリカに行く事にしました。

こうして彼は、1840年12月8日ロンドンを出帆し、5ヶ月目にアルゴ湾のポート・エリサベツに上陸し、更に850キロ北のクルマンに到着しました。しかし、そこはすでに何人もの先着の宣教師たちによって伝道されていました。しばらく滞在した後、今度はまだ白人の足が踏み入れられていない奥地へと進んでいきました。文明社会と隔絶し、閉ざされた奥地に住むアフリカ原地人たち。リビングストンの愛と福音の使命は、想像を絶する数限りない困難を乗り越えて、伝道の道を切り開いていく力となりました。ある日、マボッサという小さな村で伝道している時、ライオンの急襲にあい左肩にその牙が食い込むという大怪我をしました。しかし、彼はどんな危険をも恐れません。原地人たちの求めがあればいつでも出かけて行って、病人や怪我人を助け、時には奴隷商人の手から、あわれな人々を救出しました。彼は無力な人たちのために、ヨーロッパの国々の奴隷売買に対して、強く反対を主張しました。

リビングストンは、やがて自分一人で行う奥地伝道より、自分の後から続いて伝道する人達のパイオニアになることこそ、主の求められていることであると確信し、生命がけの奥地探検を志しました。1858年2月、彼はイギリス政府の派遣によってこの旅行を敢行しました。まだ見ぬこの奥地探検には、忍耐と勇気だけでなく、はかり知れない困難がともない、また様々な犠牲と不屈の祈りを必要としました。このようにしてリビングストンの足の進む中に、中央アフリカの地図の空白部分は明らかにされ、交易の道は開かれ、文明の夜明けが訪れることになったのです。

アフリカ伝道に踏み出して30年間、奥地を歩き続けた彼は、1873年5月、バングエオロ湖のほとりにある小さな村にたどり着き、そこで病気と極度の疲労とで4日の未明、神に全アフリカの救いと祝福を祈りつつ、そのままの姿勢で天に召されていきました。忠実な従僕として最後まで従い続けた数名の原地人たちは、その遺体をていねいに運び出し、更にイギリス本国まで送り返されました。

一粒の麦となったリビングストンの後には、イギリスはもとよりヨーロッパ各国から、多くの宣教師が派遣され、40数年後の後には110の伝道教会と、19000箇所に伝道地が開設され、彼の祈りと遺志とが受け継がれていきました。

「暗闇の中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:16)

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.05.12 15:43 | 信仰者シリーズ
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今日は、”人生の出会い”について考えてみました。

マルティン・ブーバーは「人生は出会いで決まる」と言いましたが、その出会いには、人を不幸に導く出会いもあれば、幸いに導く出会いもあります。悪い人に出会ったばかりに、その人の人生の歯車が狂ってしまい、取り返しのつかないほど不幸な人生を余儀なくされることもあります。しかし、人生の出会いには、人の考えや計画を超えた不思議なものがあるのです。

ある受刑者のこんな証しがあります。

私は前科3犯、合計約20年の受刑生活を過ごしてきました。私がそんな大それた罪を犯してきた理由は、根本的には、生まれつき私の中にあった神に反逆する罪の性質ですが、私と同じような悪い性質をもった人たちとの出会いがたくさんありました。

また、私は両親の離婚と母親の愛を全く知りませんでした。私は両親に対してそのことをずっと恨んでいたのです。(イエス様と出会った今の私には、私と母親との間に心と心の擦れ違いがあったのだと分かりました。母親も私のことを愛してくれていたのに、私はそれを感じることができなかったのだと思うのです。母親も私に対してどのようにして愛の表現をしたらよいのか分からなかったのだと思います)

以前の私は、刑務所の中で出会った他の受刑者たちから悪いことをたくさん学び、もっと悪くなって出てきました。三度目に逮捕・留置されて、私は自分に絶望して自殺を考えていた時に、留置場で神様はクリスチャンの日系ブラジル人と出会わせてくださいました。生まれて初めてのクリスチャンとの出会いでした。彼との心の触れ合いを通して、私は人を信じることができるようになりました。

その後、聖書を読んでいた時に、私はイエス・キリストと心の深いところで出会い、徹底的に自我が砕かれて、神のすばらしい愛を知りました。神の愛に触れた私の心には、革命的な変化が起きました。なにが悪か、なにが善かが、はっきり分かりました。

自分に一番欠けていたものは、神を信じて人を愛する心であることを知りました。神を信じないから、人を愛さないから、次々に平気で罪を犯してきたのです。イエス様は、私のような者と、毎日一緒に同じ部屋の中で刑務所生活をしてくださいました。

神様は、S弁護士を送ってくださり、毎月の手紙のやりとりと、彼が差し入れてくれたキリスト教の書物を学ぶことで、イエス様との関係を深めることができました。刑務所の中での、受刑者や監守たちとの出会いを通して、苦しんだり悩んだりしながら、実体験の中で、イエス様との関係をもっと深めさせていただきました。

文通によって、多くの神父、牧師、伝道者、信徒と出会い、慰めと励ましが与えられました。その中で、マザーテレサの愛の宣教会のシスターたちと出会い、彼女たちの使命に共感して、出所後は、受刑者たちを助ける「マザーハウス」を立ち上げることに導かれました。

神様は、私が与えられた使命を実行するために、ふさわしい助け手として、すばらしい女性と出会わせてくださいました。彼女は私の生涯の伴侶として、私に仕えて助けてくれるのです。

これからも、さまざまな人たちとの出会いがあります。一人一人との出会いを神様の導きと信じて大切にしていきたいと思います。私の最大の使命は、イエス様の十字架の愛を証しして、人々がイエス様と出会うように助けていくことです。


人生には、確かに多くの出会いがあります。この世に生を受けた時の両親との出会いから始まり、さまざまな出会いを誰もが経験します。この受刑者の方も、自分を不幸に導く出会い、また幸いに導く出会い、さまざまな出会いを経験して来られました。そして、その中で最も大切な出会いは、イエス・キリストとの出会いだったと証しておられます。その経験から、イエス・キリストの十字架の愛を証しして、人々がイエス様と出会うように助けていくことが彼の最大の使命となったのです。

今日の一言: 人生を幸いに導く出会いを選ぼう


平安
鶴田健次

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2014.05.09 13:38 | 鶴田健次牧師より

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