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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”習慣”ということについて考えてみました。

英国の作家であり医師であったサミュエル・スマイルズがこんな詩を書いています。

思いの種をまき、行動を刈り取り
行動の種をまいて習慣を刈り取る
習慣の種をまき、人格を刈り取る
人格の種をまいて人生を刈り取る


「はじめは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る」と言われるように、習慣は作ることができます。最初は意識して心がけますが、それを続ければ、だんだん慣れてきて、やがてそれが習慣になり、習慣になれば潜在意識に刻み込まれ、意識をしなくても自然にできるようになります。したがって、良い習慣は人を成長させ、人を作ってくれるのです。

そう考えると、幸せのヒントは「幸せになる種を蒔いて、幸せになる習慣を作る」ことだと言えるかも知れません。たとえば、自分が幸せを感じるような習慣、気分よく過ごせる習慣、毎日を楽しめる習慣、読書の習慣、自分を育てる習慣、運動の習慣、よく考える習慣、夢や目標をもって努力する習慣、愛する人の幸せを考える習慣、などを作るための行動を続けること、それが幸せな人生を生きる良い方法だと言えます。ですから、私たちは最大限の努力を払ってでも、幸せになるための習慣を身につけなければならないのです。

習慣は若いうちほど身につきやすく、一度身についたら終生失われはしません。ちょうど木の幹に刻まれた文字のように、時間の経過とともに大きく成長していくものです。また、人生の若い時期に得た習慣は、悪に対する真の防波堤になります。なぜなら、人間が品行方正になるのは習慣を通じてであり、モラルが損なわれないよう守ってくれるのもまた習慣の力だからです。

また、もうひとつ忘れてはならない重要なことは、自分で自分を助けることを習慣とすることです。「天は自ら助くる者を助く」という有名な格言がありますが、この格言は、幾多の試練を経て現代にまで語り継がれてきたもので、この短い言葉には、人間の数限りない経験から導き出された一つの真理がはっきりと示されています。この自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎だと言えます。

「自分で自分を助けよう」などと考えたこともない、という人も多いかも知れません。しかし、「自分で自分を助けよう」と考えれば、できることがたくさんあります。神は常に最善を導いておられるので、その約束を信じて、自分を元気づけ、励まし、心を守ることを心掛けることができれば、私たちの歩みはどれだけ健全なものになることでしょうか。

今日の一言: 習慣は人を作り、人生を作る。

平安
鶴田健次

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2014.05.23 10:11 | 鶴田健次牧師より
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去る5月18日(日)に、母の日より少し遅れて、教会の男性チーム主催のランチョンが設けられました。

以前から、準備が進められており、メニューの話し合いや子供達のランチまで用意周到になされていたようで、当日の教会の食事用のテーブルは、白いテーブルクロスで上品にカバーされており、おもてなしを感じられるものに変身しておりました。
このランチョンは、基本的にサーブされるのは女性のみ!(子供達は、ホットドッグを頂きました。)メニューは、鮭、マカロニサラダ、クロワッサン、サラダ、そしてデザートにケーキ♡
写真 2

当日集った6人の有志たちでこのラスベガス教会レストランが営まれていましたが、サービスがとてもよい心遣いがあり、一つ一つのテーブルにお茶とコーヒーのおかわりを聞きに来てくださる徹底ぶり!!そんな男性陣の働きぶりのおかげで、ご婦人たちも気持ちよく食事を楽しむことができました!

神様は、心を見られるお方であり 私達も心が伴う奉仕を全うしていきたい限りでありますが、こうして、神に仕えるものとして勤しむ姿を兄弟たちを通して見れたことにとても励まされたご婦人がたがとても多くいらっしゃったことと思います。まさに、私自身も強く励まさた一人であり、改めて、皆様への日頃の感謝を実感することができました。

結果40食以上の鮭ランチ、子供達にはホットドッグが山の様にサーブされるお腹いっぱい大反響ランチョンとなりました。

この催しを企画してくださった方、実行チームの方々、影で準備をしてくださったお一人お一人のお心を主が尊く祝福してくださいますように心よりお祈りいたします。

この機会を用いて、教会員同士の感謝の心を育ててくださったことを主に感謝します。これからも私たちが感謝を現せるもの同士として、神さまの愛が育まれる教会となれますようにお祈りいたします。

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2014.05.21 16:25 | 教会イベント
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日本の代表者的キリスト者の一人である内村鑑三が『彼は人類の華である』と賛嘆した人、それがこのB.F.バックストンです。日本の聖潔運動の父といわれ、聖潔を見せる器であるとまで評価されたのでした。

バックストンは、1860年8月16日、イギリスのエセックス州にあるレイトン・ストーン・ハウスに誕生しました。バックストン家は、古くからの騎士の家柄で、その上祖父トーマス・F・バックストンは、奴隷解放に貢献した国会議員として、サーの称号(貴族)を与えられた名門でした。父は実業家として活躍するだけでなく、C・M・Sミッションの会計係を引き受けて、主のためにも熱心に仕える信仰の人でした。母のガーニーは、社会改良家としてかの有名なエリザベス・フライと同じ家系にあたり、やはり敬虔な信仰を受け継いでいる優れた夫人でした。

バックストン家は、1868年に隣州のハートフォードにあるエスニーに移りましたが、幼少時代の彼は、ここで美しい自然と、すばらしい家庭環境に恵まれて成長しました。いつも子供達が、聖書と親しむように身をもって教えました。勉強の方は高校に入るまでもっぱら家庭教師によりました。

やがて14歳になった彼は、当時のイギリス上流家庭がそうであったように、私立のパブリックスクールに入学しました。彼はその中でも、最も有名なハロー校に入り、勉学とスポーツに励みました。彼はクリケットの主将として活躍しましたが、勉学の方も抜群の成績をおさめることができました。

ハロー校を卒業すると、1879年10月に、いよいよ彼はケンブリッジ大学に入学し、31カレッジで学びました。ここでも彼は優秀な生徒であり、スポーツ選手でした。特にテニスでは、ウィンブルドンでオックスフォードとの選手権試合に出場し、2年連続単優勝を飾るみごとな活躍ぶりでした。彼の前述は、望むがままに洋々と広がっており、周囲の人たちの期待もまた大きなものでした。そんな中で彼は、自分の進むべき道はなんであるか真剣に考えはじめていました。

彼は大学の中にあるキリスト者同盟に加わって、積極的に各集会に励んでいましたが、ちょうどそのころ、アメリカの大伝道者D.L.ムーディーがイギリスを訪れ、伝道旅行中でした。そこで彼らは、ムーデーをケンブリッジに招いて大伝道集会を行う計画を立てました。しかし、ムーデーはなかなか来てくれません。それは無学な自分が伝統ある名門の大学で話すというのは、とても無理なことだと思ったからでした。再三の招静状を受けて、ついに1882年11月5日、ムーデーは神のみこころと確信して、ケンブリッジでの伝道会を開始しました。日を追うごとに盛況となり、救われる人々も増えていきました。

そして、11月9日、この日の集会には、バックストンの横に彼の父も一緒でした。ムーデーはルカ14:17から『さあ、おいでください。もう準備はできましたから』という御言葉から、力ある説教をしました。この時彼は、神が自分に語りかけているのをはっきりと知りました。そして、今までの知識や宗教的生活としてのキリスト教から、イエス・キリストを個人的に受け入れる霊的な信仰への回心となりました。こうして彼は父のいる前で、自分の生涯を主のために捧げる道へと進み始めました。

彼は1885年、正式に国教会の教職として任命され、ウェブ・べプローのもとで副牧師として奉仕することになりました。そして5年の間、あらゆる階層の人々に伝道し経験を積むと共に、ケズィック・コンベンションで霊的な取り扱いを受け、彼の品性はますます豊かにあれていきました。当時のケズィックは、最も海外伝道熱に燃えており、ハドソン・テーラーの感化もあり、彼の学友たちも続々と中国や海外へと派遣されていきました。

こうした中で、彼も福音に満たされている母国ではなく、まだ福音の伝えられていない遠い外国で伝道することが、主のみこころではないかと考えるようになりました。しかし、海外伝道について話すと、彼を知るほとんどの人が反対しました。ただ彼の父トーマスだけは、それが神の導きなら従うべきだと賛成してくれました。1889年3月17日、彼は祈りのうちに宣教師となることが神のみこころであるとの確信が与えれました。最初の希望はインドでしたが、その道は閉ざされ、代わって日本への道が開かれました。

こうして、バックストンは30歳となった1890年10月1日、懐かしいエスニーの家を離れ、妻と子、それに6人の伝道協力者をともなって、2ヶ月後の11月24日無事に神戸へ上陸しました。その頃の日本のキリスト教界は内外共に問題が山積みし、混乱と動揺を来していました。そうした状況を知った彼は日本語を学びつつ、まず日本に滞在する宣教師達のために、修養会を開いて霊的活力を与える事に努めました。

翌年4月、彼とその一行は松江に派遣されて伝道活動を開始することになりました。働きは山陰地方一帯に広がり、最初妨害や迫害を受けながら進展していきました。それと共に、バックストンの存在が知られるにつれ、各地から青年達が教えと指導を受けようと、この辺境の地にやってきました。そこで赤山に家を建て『赤山講和』が行われました。

日本での10年間の働きで、後事をウィルクスに託したバックストンは、故国に帰りイギリスにあっって日本伝道を応援することになりました。そして10年間、ウィドベリーに住み、国の内外の求めに応じて奉仕を続けました。彼は今や52歳を迎えていました。この年、母国ケンブリッジの教会より牧師に就任するようにとの要請を受けました。その熱心な誘いにもかかわらず、彼は新たなる日本伝道のためにこれを断ったのでした。

彼は1937年(昭和12年)に日本での最後の奉仕のために来日しました。半年間、各地を巡回し、修養会に全力を注ぎました。その最終の東京聖会は、霊南坂教会が会場となり、超満員の1500名の会衆であふれました。老聖徒の神々しい姿とメッセージは、多くの人々の忘れえぬところとなりました。

ウィンブルドンで余生を過ごしていた彼は、1946年2月5日、病床で"I am so happy, I am so happy"と口づさみながら、静かに天に召されていきました。今日もバックストンによる霊の遺産は、日本の教会に受け継がれています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.05.19 11:33 | 信仰者シリーズ

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