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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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マルチンは「フランスの全歴史を支配する使途のような英雄である」といわれ、フランス国民の尊敬を受けています。彼は319年に、今のハンガリー国で生まれました。後にイタリアのパヴィアに移住しましたが、そこでキリストを信じる人になりました。両親は異教徒で父は軍人でした。15歳の時、父のすすめで軍人となりました。

マルチンは、ローマの兵士であるより、イエス様の兵士となって人々を救うために働きたかったのでした。そこで、彼は軍隊にいる間も一生懸命に人助けのために働きました。自分に与えられた衣服もみなあげてしまい、ただ1枚の外套しか着ていませんでした。ある寒さ厳しい冬の朝、馬に乗り市内を通りますと、寒さにふるえている一人の乞食と出会いました。気の毒に思って、自分の外套を半分に切り裂いて与えました。自分もその半分を着て帰りましたが、その滑稽な姿を人々から笑い者にされても平気でした。

その日の夜、夢の中にキリストが現われ、「マルチン、お前の外套を着せてくれたね」と告げられました。

明日戦争という前日に、彼は以前から願っていたように、修道院に入る決心をしていましたが、皆から「命が惜しくて逃げ出すのだろう」と言われましたので、彼は「神を信じる者は、命など惜しいものか。よし、それなら明日ただ一人、刀も持たず素手で神の御力によって、敵を追い払ってみせる」と意気込んで立ち出ました。その敵方は、勢いに恐れて和睦を申込んできましたので、戦争することなく勝利を得ました。

マルチンは願い通りに、イエス様に一生従う決心をし、ヒラリーという篤信の先生のもとへ行き、そこで教えを受け、神に仕え、人々のために仕えました。彼は、自分の両親にもイエス様の救いを伝えたいと思い、一時、家に変える事にしました。旅の途中の淋しい山道にさしかかりますと、一団の強盗に出会いました。強盗たちは、彼があまりにも落ち着いて、恐れる様子がないので不審に思って言いました。「お前は何者だ」「私はクリスチャンだ」「怖くないのか」「少しも怖くない。しかし、お前たちが神に背いて悪事を働いているのを見ると、その報いが恐ろしい」と言いました。強盗たちは彼から話をきかされ、ついにその場で悔い改め入信しました。マルチンは、家につくと両親にキリストの救いを熱心に語りました。父はなかなか信じませんでしたが、彼の母は悔い改めて熱心なクリスチャンになりました。

その後、ツール市の教会監督が天に召されました。ツールの人々はマルチンに監督になって欲しいと思って話し合い、彼を招くことにしました。しかし、マルチンが謙虚な人でとても承諾しないと考え、別の用件でツールに招きました。マルチンはそんな事とはつゆ知らず、ツールにやってきました。すると、ツールの市民が道の両側に並んで、彼を出迎えているではないですか。彼は驚いて引き返そうとしましたが、市民は話しません。とうとう監督にされてしまいました。監督になったマルチンですが、やはり乞食のような貧しい生活をやめないばかりか、立派な教会堂のかたわらに小さな小屋をつくってそこに住み、主の働きのために尽くしました。

ある時、ツールの知事は多くの罪人を死刑にする事にしていました。マルチンはその罪人たちの命を、何とかして救いたいと思い、その前夜、夜もふけた頃、官邸に行くと石段にひざまずいて祈り続けました。寒さは全身を包みました。知事は何も知りませんが、その夜に限って不安な心で眠れません。

あちこち寝巻き姿のまま歩き回って、玄関先に来てびっくりしました。「誰だ!」と大声で叫びますと、それがマルチンである事を知って敬意を表しました。彼は知事に神の愛について語り、死刑をとりやめるようにさとしますと、知事は「私こそ罪人です」と言って悔い改めました。

マルチンの修道院は、社会改善の働きのためにも中心的な役割を果たし、当時ローマ帝国の支配下の中で圧迫を受けていたゴール人たちの心を一つに結びつけ、こうして後にフランス国という統一された国民の基礎となったのでした。

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』マタイ25:40

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.03.30 21:30 | 証し
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今日は、”エホバの証人の間違い”について考えてみました。 

広辞苑によると異端とは、「正統からはずれていること。また、その時代において正統とは認められない思想・信仰・学説など」となっています。学問の世界では新しい発見や時代と共に正統とされるものが変わっていく可能性がありますが、信仰の世界においては時代が移り変わっても真理とされるものは変わりません。

キリスト教は、天地万物の創造者なる神がご自身を聖書の中に啓示された宗教です。そして聖書に啓示された真理は時代を越えて不変です。それに対し、聖書に書かれている真理を人間的に解釈して、神が意図されていない教理を導き出したのがキリスト教の異端です。したがって、そのような異端の教えは救いをもたらすものではないので絶対に認めるわけにはいかないのです。

昔から異端の教えは、イエス・キリストの神性を否定し、福音を曲解します。聖書では、神は父、子、聖霊の三位一体であり、イエス・キリストは神の独り子が救い主としてこの世においでになった方であって、真の神であり、真の人であられるのに、それを否定するのです。

エホバの証人は、別名「ものみの塔聖書冊子協会」と言いますが、1870年、アメリカのペンシルバニア州で始まった聖書研究グループが現在のエホバの証人です。創始者はチャールズ・T・ラッセルという人物でした。彼はキリスト教会が死後の地獄について語っていることを恐れ、反発し、独自の教理を説くグループを作りました。輸血拒否で社会問題にもなったグループです。

彼らの教理には多くの明らかな誤りがありますが、その一部を挙げると次のようなものがあります。

・三位一体の教えを否定
・イエス・キリストの神性を否定
・聖霊の神性、人格性を否定
・キリストの復活を霊的な復活と主張
・地獄はない(「滅び」とは無になること)
・救いとは滅びずに地上の楽園に入ること
・努力によって救われる(伝道熱心な理由)

エホバの証人は、独自の聖書の翻訳「新世界訳」において、キリストの神性を否定するための書き換えをしてきましたが、聖書は絶対に、付け加えたり、取り除いたりされるべきではありません(黙示録22:18、19)。また、彼らは自分たちを預言者だと偽り、自分たちに神の新しい啓示が与えられたと主張しています。しかし、現在は彼らの語ったすべての預言がはずれ、彼らが偽預言者であることは客観的に見て明らかです。

彼らは、信者の行動・思い・感情を支配し、あらゆる物事について勝手なことは許されていません。また、彼らの組織(統治体)を通さない出版物を読むことを禁じたり、聖書を一人で読むことも禁じています。それは1980年、ニューヨークのブルックリンにあるエホバの証人の本部で、自分たちで聖書を読み、エホバの証人の間違いに気づき、質問して破門された人が100人も出るという事件が起こったからです。

エホバの証人は、一見まじめそうで、聖書からそのまま語るように見えますが、聖書が語る救いについての最も重要な部分をすべて否定しています。つまり罪のさばきの場所である地獄の存在の否定であり、キリストの神性を否定するが故に、キリストの十字架の完全性を否定し、キリストを信じるだけで救われるという信仰義認を否定しているのです。

今日の一言: もうひとりのキリストは人を救うことはできない。

平安
鶴田健次
2014.03.28 09:58 | 牧師室より
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先週のラスベガス観光①レッドロックキャニオンに引き続き、今回は、バリーオブファイヤーを紹介致します 。

ラスベガスに住み始めて9年たった今でもまだバリーオブファイヤーに足を踏み入れたことがなかった私を、同じラスベガス教会に通うアウトドアに詳しいVivian姉妹が案内してくださいました。

ラスベガス市内からI-15を北に一時間半走らせたところにバリーオブファイヤーがあります。

I-15を抜けたところにガソリンスタンドがあり、その道に沿って進むと、バリーオブファイヤーのサインが見え、それと共に広大な赤褐色の肌の巨大な岩が顔を出す景色が広がります。

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料金所も通り抜け(ネバダ住民は8ドル)、最初にキャンプ場の隣を通りました。熱いラスベガスの夏を前にバリーオブファイヤーの春を満喫しようと集まった人達で賑わっていました。天気も景色も良好。子供達も岩に登ったりで、はしゃいでいました。

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次に車でアーチが見えるところに案内してもらいました。道も塗装がされておらず、ガタガタ道をとおり、アーチの風景をみました。

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そして、子供達が狩りを体験出来る場所に行き、また、インディアンが残した歴史的な岩がある場所にも登ってみました。

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当時の誰もがそのサインを見れば理解できたというひとつひとつのサインの意味もあったようで、昔の人の生きるための知恵を少しだけ感じることができました。

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高い岩に登っても、柵が荒くできているので、子供から目が離せません。景色も綺麗で、とてもアカデミックな勉強になる場所なのにもかかわらず、母の私は6歳の双子や他の子供達が心配でハラハラ。それでも、子供達は楽しくて仕方が無いようで、ケラケラ始終笑って、自然を楽しんでいました。

高い岩を降りて、トレイルを歩こうとビジターセンターを訪ねたら、突然、花嫁を乗せたリムジンが到着し、ウェディングが行われる瞬間を目撃しました。壮大な景色が綺麗なバリーオブファイヤーでは、ウェディングもやっているようでした。

そんな景色にうっとりしながらも、トレイルを歩いているとだんだん日が沈んでくる時間になったので、電灯がないバリーオブファイヤーを日が沈む前にラスベガスに戻ろうと急いで、バリーオブファイヤーを後にしました。

こうして、Vivian姉妹のおかげで、行くべき場所を絞れ、しかも効率よく回れました事、感謝でした。ラスベガスからこんな近いところに、神様がお造りになった大自然があったことを今まで知らなかったことを思うと、自分が知っていることはなんとちっぽけなんだろうと思い知らされます。

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今までは子供達が小さかったので、出向く先が制限されていたことも多かった事も事実ではありますが、子供達が成長した今、今度は子供達がいるからこそ、見せてあげたいと思う心を大切にし、神様がお造りになったたくさんの自然に出向き、少しでも多くの神のみわざを一緒に経験していきたいと強く思った日でありました。

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2014.03.26 22:03 | 証し
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イタリアのアッシジに、フォリノーという貴族がいました。その妻オルトラナはフィウミという貴族の家から嫁いでいました。大変信仰のあつい婦人でしたが、子供がありませんでしたので、 熱心に神に祈り求めていました。やがて妊娠したとき、「女よ、心配するな。全世界を照らすべき光の子を与える」という声が心に響いてくるのが感じられました。そこでその子が生まれた時、クララ(輝くもの)と名づけました。

このようにして、1194年7月11日にクララは誕生いたしました。それはあのフランシスが生まれて12年目の事でした。クララは貴族の娘として、大事に育てられていたのですが、小さい時から信心深くよくお祈りをしたり、貧しい人を助けたりすることに心を動かせました。彼女はとても美しく、その姿はまるで花のようでその髪はいつも輝いているので、彼女が町を歩いていると、人々がその美しさを眺めにくる有様でした。15歳ぐらいになったときには、方々の貴公子から結婚の申込みがひきもきらないほどになりました。そこで両親は、その中でも一番よい縁談を選んでクララにすすめましたが、彼女は「私には他に考えることがあります」と言って断ってしまいました。

ある日のこと、彼女は聖フランシスの説教を聞くことができました。そのとき、自分の本当の求めていたものを見出し、フランシスの弟子となって、彼と同じように清貧の生活をして、イエス・キリストに仕えていきたいという思いになりました。彼女はフランシスに自分の願いを話し、その年の受難週の最初の日曜日に修道院に入る決心をしました。いよいよ当日、彼女は最上の美しい衣装で家族と一緒に教会にでかけました。自分がその夜に決行しようとしている事を思いめぐらすと、様々な感慨が胸をかすめていきました。家族の誰も知りません。夜が来ました。ひそかに家を抜け出した彼女は、フランシスの待つ修道院に行きました。そこであの見事な髪を切り落とし、美しい衣服を脱いで、荒々しい毛衣に着替え、宝石入りの帯から荒縄に、刺繍をほどこしたやわらかい靴から不恰好な木靴にはきかえたのでした。この時クララは18歳でした。

家のほうではこれを聞きつけて、大騒動です。父はもちろん、召使たちもやってきて、何とか決心をひるがえさせようとやっきになりました。手を変え品を変えてもそれでもだめで、ついにはひどい目にあわせましたが、クララは祭壇にしっかりとすがりついて、「私は決して帰りません」と決心を貫き通しました。家の者たちはどうすることもできず、あきらめて帰ってしまいました。それから16日目には、今度は妹のアグネスもクララの後を追って修道院に入ってしまいました。その後、父が亡くなったとき、母と末娘も手をとって修道院に入って、クララと共に一生を捧げることになりました。

こうして女性の修道者が増えるに及んで、フランシスは女子修道院をつくる必要に迫られ、クララはその院長となって尽くすことになりました。これが最初の女子修道院でした。ある時のこと、サルザランと呼ばれたイスラム教徒の軍隊がイタリアに乱入し、アッシジにもその手がのびました。彼らは修道院にもやってきました。荒れ狂う兵隊に女子が立ち向かうことはできません。そのとき、クララは病気で臥していましたが、力をふりしぼって修道院の入口で神に祈りを捧げました。そこへ兵隊たちは乱入しようと押し寄せてきましたが、突然何かに恐れたのか慌てふためいて退散してしまいました。神はこのように彼女の祈りに答えてくださったのでした。

フランシスはクララの励ましや慰めを受ける事しばしばでした。またクララもフランシスの指導を受け、二人は互いに良き理解者、協力者となりました。そして、フランシスが天に召されたときは、あまりにも深い悲しみで、彼女のほうも危篤状態にさえ陥りました。
当時のイタリアで、贅沢におごり暮らす人々の中にあって、貴族の身分も、豊かな環境も、この世の幸いを捨てて、ひたすら清貧に生き、人々に仕える信仰を通した彼女は、60歳でついに天に召され、愛する主イエスのみもとに行きました。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.03.23 22:10 | 証し
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今日は、”自分を変える”ということについて考えてみました。

エペソ人への手紙4章22-24節に以下のような言葉があります。

「すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、 心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。」(エペソ4:22-24)

神は、私たちを即座に変える事もお出来になりますが、ゆっくり私たちを開発する方法を選んでおられます。主イエスは、ちょうど神がイスラエルの民に『約束の地』を“少しずつ”占領させていかれた(申命記7:22)ように、弟子たちの訓練においても慎重でした。神は私たちの人生にも段階を追って働かれることを好まれるのです。

では、なぜ私たちが変わり、成長するのに、そんなに時間が掛かるのでしょうか?

私たちはゆっくりとしか学べない者だからです。
私たちは、問題の原因をすぐに他人のせい、また状況のせいにしてしまうので、同じ問題を繰り返すことになります。私たちは、何かをちゃんと身につけるには、何十回も一つのレッスンを学び直さなければなりません。その中で、本当の問題が何であるかを学ぶのです。イスラエルの歴史は、私たちが如何に神からのレッスンを忘れてしまい、すぐにまた古い行動パターンに逆戻りしてしまうかを例証するものです。私たちは何度も同じ経験をしなければ学べない者なのです。

私たちには、捨て去るべきものがたくさんあるからです。
多くの人がカウンセラーのもとに行き、長年に渡って生じた内面の問題をすぐに直してもらおうと期待しますが、実際には、それが直るには時間がかかります。私たちの問題のほとんどは、また悪い習慣のすべては、一夜にして身に付いたわけではないので、即座に改善されるものではないのです。悪い習慣を取り除き、良い習慣と入れ替えるためには骨の折れる取り組みが必要になります。聖書はこれを、「古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分を着ること」と呼びます。たとえ私たちが信仰によって新しくされても、取り除かれ、入れ替えられるべき古い習慣や行動パターンが私たちの中にまだ残っているのです。

成長は、しばしば痛みと恐れが伴うものだからです。
変化のない成長などありませんし、恐れと損失のない変化もありません。また、痛みのない損失もありません。すべての変化は、ある種の損失を伴うものです。私たちは、新しいものを経験するために古いものを手放さなければなりません。しかし、私たちはこれらの損失を恐れるのです。たとえ私たちの古い習慣が自分に害をもたらすものであっても、それらはすり減った靴のように、少なくとも馴染み深い快適さがあるので替え難いのです。

良い習慣は、身に付けるのに時間がかかるからです。
私たちの性格は、すべての習慣の総和であることを知る必要があります。私たちは習慣的に親切でなければ、自分を親切だとは言えません。私たちはいつも正直でなければ、自分を誠実とは呼べません。私たちの習慣は、私たちの性格を定義するのです。
キリストのような性質の習慣を身に付けるには一つの方法しかありません。それは、その習慣を実践し続けることです。それには時間がかかります。即座に身に付く習慣はありません。その事で、パウロは弟子のテモテにこう言っています。

「すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい」(1テモテ4:15)

今日の一言: 良い習慣を自分のものにしよう。

平安
鶴田健次

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2014.03.21 08:05 | 牧師室より

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