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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”モルモン教の間違い”を明らかにしたいと思います。

昔から、キリスト教を装い、人々を惑わす異端と呼ばれる偽りの教えがありますが、その中の一つであるモルモン教は、1830年、アメリカのニューヨーク州で始まったグループで、創始者はジョセフ・スミスという人物です。

彼は、神からの新しい啓示を受けたとして、「モルモン書 (旧名モルモン経)」を出版し、モルモン教会を発足させました。モルモン教会は、正式には末日聖徒イエス・キリスト教会と言われ、本部はアメリカのユタ州ソルトレイクシティーにあります。

まず異端の定義を明らかにしたいと思いますが、異端とは、正統からはずれている思想・信仰・学説のことです。学問の世界では新しい発見や時代と共に正統とされるものが変わっていく可能性はありますが、信仰の世界では時代が移り変わっても真理とされるものは絶対に変わりません。

キリスト教は、天地万物の創造者なる神がご自身を聖書の中に啓示された宗教です。そして聖書に啓示された真理は、時代を越えて不変です。それに対し、聖書に書かれている真理を人間的に解釈し、神が意図されていない教理を導き出したのがキリスト教の異端であり、その一つがモルモン教です。

モルモン教の教理には数多くの問題点がありますが、今回は「モルモン書」の嘘について述べます。この書物はジョゼフ・スミスが天使モロナイ(復活した預言者モルモンの息子)から金版を授かり、彼が特別な石を使って翻訳したことになっています。また11人がその時の証人として「モルモン書」の冒頭に名を連ねています。しかし、11人中8人までがモルモン教を脱退、残った3人はジョセフ・スミスの父親と2人の兄弟だけです。

ところが、もともと「モルモン書」は、ソロモン・スポールディンクというアメリカ人が、「アメリカ人はイスラエル民族の分派である」という幻想をもとに書いた歴史小説(1812年)です。しかし、誰もそれを取り上げてくれない中、ジョセフ・スミスがその原稿を買い取り、それを基にオリヴァ・カウドリとマーティン・ハリスに執筆させ、1830年に出版したものです。この二人の助手は、始めの頃、「自分たちはその金盤を見た」と証言したのですが、あとで、「あれは嘘だった」と前言をくつがえしてモルモン教会より脱会しています。

スミスは、この経典は、421年から827年まで、クモラの丘の土中に秘蔵されていたと主張していますが、モルモン書の中には、ジェームス王(1566-1625年)の命による英国欽定訳聖書(1611年刊行)の訳文そのままを、一千か所も引用していることで、自らのウソを暴露しています。

また一般の書物ならば資料が増えたり、新事実の発見により改訂版が出されるのはめずらしくありませんが、絶対に間違いのない神の言葉ならば、改訂版などは到底考えられないことです。しかし、モルモン書は原版と現在の版には3990カ所以上もの変更があるのがその実体で、「教義と聖約」においては65000カ所以上の変更が見られます。つまりモルモン書は、神の言葉どころか、人を欺く偽証人の作り話であるということです。

それを知らずに多くの善良な市民がその偽証に惑わされているのは実に気の毒な話です。彼らがその事実に気づき、真の救いに導かれることを心から祈ります。もしこの記事を読んで下さったモルモン教徒の方がおられましたら、ぜひご連絡ください。神はあなたを愛しておられます。

今日の一言: 聖書の真理は永遠に変わらない


平安
鶴田健次

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2013.11.29 10:47 | 鶴田健次牧師より
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「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:18 

11月24日(日)に感謝祭礼拝が執り行われました。鶴田牧師が第一テサロニケの手紙5:18節より「感謝は人生を変える」というテーマで神の御言葉を取り次いで下さいました。

①感謝をすることは神の命令である。
旧約聖書の詩篇を開きますと、至るところで「主に感謝せよ」と書かれています。また、新約聖書のパウロの書簡を見ると繰り返し「すべてのことに感謝しなさい」とすすめられています。

「そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、」(エペソ5:20)「そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。」(コロサイ3:17)「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:18 

しかし、なぜパウロは全てのことに感謝しなさいと言うのでしょうか?パウロはただ、全てのことに感謝しなさいと言っているのではなく、イエスキリストの御名によって感謝をしなさいと言っているのです。更に、聖書は「いつも喜んでいなさい」とも命じています。

そんな不可能なことをと思うかもしれませんが、ここで言われている感謝や喜びは感情ではなく、意思的選択であるのです。つまり意思的な選択ならば、問題の只中にあってもその状況を感謝をするということができるということになるのです。では、聖書はなぜ自然な感情に反してそういうものに感謝をすることを命じていあるのでしょうか?つまり、どんな状況の中でもこれが神様のご計画の一部であり、神様が益にしてくださるように働いてくださることを私達が感謝をするのです。そうすると、神様は私たちの上に働いてくださるのです

逆に私たちが嘆いたり不平不満を述べるのであれば、神様が益になるように働こうとするのを邪魔してしまうことになるのです。私達の多くが神様が良き事をしようとされるお働きを邪魔することがどんなに頻繁にあることでしょうか?どんな状況にあってもその状況を神様に感謝をする事を意識的に心がけて生きたいと思います。

②感謝の心がもたらす益
では、なぜ皆さんは感謝する人になることがそんなに重要なことだと思いますか?それは、感謝する事は、私達にとって良いからだと、私は思います。感謝の思いを現す人になるには、多くの方法があります。感謝の思いを現す人になることで、あなたの個人的な幸せを増し加えることができます。私達のほとんどは、幸せというのは状況によって決まると考えています。私達は、幸せというのは、どれだけ物事がうまく言ってるかによるのだと教えられてきました。しかし、実際には幸せというの、私たちの態度で、私たちが物事をどう見るかで決まるのです。

使徒パウロは牢獄のなかでこれらの言葉を書きました。「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」(ピリピ4:4)このように、パウロは牢獄にいるにも関わらず、幸せでした。そして、どのように全てのことで神に感謝するかを学んだのです。それはまさに、人生における彼のものの見方でありました。ですから、幸せとは状況ではなく、ものの見方によって決まります。

感謝の言葉を表す人になるのであれば、私達をより良いキリストの証人とすることができます。「異邦人の中にあって、立派な行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派なわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。」(第一ペテロ2:12)

また、私達が感謝の人生を送れば、失われた人々を引きつけていきます。また、感謝を現す人になることは、皆さんの人間関係を強化していきます。私達が結婚生活についてに気が付くことが一つあります。年月が立ち、しばらくすると私達の多くが配偶者に対して感謝の気持ちを表さなくなる。長く知れば知るほど、互いに感謝をしなくなってしまうものです。もし、あなたがある日、家に帰宅後、あなたの配偶者にどれだけ感謝をしているかを口にされたのであれば、あなたの結婚生活がどれだけ改善されるかを想像してみてください。それから、子供たちに言います。もし、あなたたちがご両親に感謝を口にするのであれば、どれだけ良いことが家庭内で起こるか想像してみてください。あるいは、お互いに感謝を教会内で言い現していくのであれば、どれだけ教会の人間関係が良くなっていくことを想像してみてください。

パウロがどのように聖書の中で彼の手紙を書き始めたかをご存知ですか?ローマの教会、コリントの教会に、エペソの教会に、ピリピの教会に、そして、コロサイの教会に書きました。パウロは教会の人々に感謝をしていたことを書き現そうとしました。

感謝の心を持つことの一番の益は、神との皆さんの関係を固めるということです。「このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。」(へブル書12:28) 私は、私が持っている全てのものを神様に感謝するときに、神様をとても近くに感じます。皆さんはどうでしょうか?私は人生において、感謝を捧げる圧倒的な必要があることがわかりました。

③感謝の心を開発する方法
私達がもっと感謝を現す人になるには、どうしたら良いのでしょうか?第一に、私達が持っている全てのものは、神からのものだということを覚えてください。「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」(詩篇24:1)私たちがこれを認めるのであれば、私たちが神からのものを借りている特権者だということがわかります。「いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。」(第一コリント4:7)「そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。」(ヤコブ1:17)

第二に、不平不満を慎む必要があります。私は、皆さんに今日から4週間、不平不満を口にしないことをチャレンジしたいと思います。不平不満を言うかわりに、神に感謝を捧げるのであれば、皆さんの生活の質がどれだけ改善するかを思います。

不満を口にしても、状況は改善されません。むしろ、欲求不満を増幅し、不満と不一致を広げ、私達の人生に破壊をもたらすサタンの誘惑を誘い込むことになるのです。不平不満という事は、感謝を捧げることへの宿敵です。この二つは、同じ心の中に共存することが出来ません。「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:14-15)

最後の一つは、感謝を捧げる為の日々の訓練をする。年の一度の感謝祭だけではなく、日々の生活の中で感謝を見つける。感謝というのは、毎日の習慣にする必要があるのであります。「そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、」(エペソ5:20)となっています。
ダニエル6章を見ると、毎日3回、神様に感謝の心を捧げたと書いてあります。果たして、私達はそういう毎日を送っているのでしょうか?

私は、皆さんが感謝をする人手あるかをテストする質問のリストを見つけました。自分自身で答えてみてください。
#1.あなたは恵まれている事と期待はずれな事と、どちらをもっと話す傾向にありますか?
#2.あなたはいつもぶつぶつ言い自分の状況に不平不満を言う人ですか?
#3.あなたは自分が持っているものを満足していますか?それとも、いつも不満足でもっとほしいと思いますか?
#4.あなたは祝福を数えるのが簡単ですか?それとも苦悩を数えるのが簡単ですか?
#5.あなたは誰かに助けてもらったときに、感謝をしますか?それとも、与えられるべきものとして受けますか?
#6.他の人はあなたを感謝する人だといいますか?

主の御名を賛美いたします。皆様、良い感謝祭をお過ごしください。

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2013.11.26 20:53 | 礼拝
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日本のキリスト教の草創期に輝くクリスチャンの一人に、高山右近を挙げなければならないでしょう。彼は戦国の世にその生を受け、クリスチャン高山右近としてその人生を駆け抜けました。その壮絶な人生を知ることは、現代に生きる私達クリスチャンにとっても大きなチャレンジとなるでしょう。高山右近は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国の世に生きたクリスチャン武将です。 (天文21年(1552年)~慶長20年(1614年)享年63才)

右近の父、高山友照はキリスト教が大嫌いでした。しかし友照は宣教師と論争しているうちに、キリストの教えに感動しクリスチャンとなりました。その高山友照の子が高山右近でした。右近も父の信仰にならって、12歳で洗礼を受けてクリスチャンになりました。その後、高槻城の城主であった父が隠居し、そのあとを継いで高山右近が城主となりました。1573年右近が21歳の時でした。父の友照は、その後キリスト教伝道に専念するようになりました。

時は織田信長の時代でした。織田信長の支配下にいた摂津守護・荒木村重が、寝返って毛利方につきました。その間に立って和解させようとしたのが高山右近でした。しかしそれが織田信長の不信をかうことになり、高山右近の高槻城は信長軍に包囲されてしまいました。そして信長が城の明け渡しを要求し「開城しなければキリシタンを皆殺しにし、教会を焼き討ちする」と告げてきました。右近は信長にキリシタン保護の約束をとりつけて高槻城を開渡しました。その結果、信長は彼を信頼するようになり、引き続いて右近が高槻城に住むことを認めました。またキリスト教に対しても好意政策をとるようになりました。この間に右近は伝道を活発化しました。右近は領内には20にも及ぶ教会を建て、神学校も作りました。

右近は、キリスト教精神にのっとり国造りに全力を注ぎました。また領主とは思えない程の謙遜を示しました。ある時、領内の貧しい民が死んだ時のことです。その棺を担ぎ、そのお墓を自ら掘ったと言われています。このような死者の葬りの準備などは、当時差別された人々の仕事でした。領主がそれをすることなど考えられないことでした。それを見た家臣たちも感激し、率先して一緒に墓を掘ったと言われています。このようにして、彼の領土内のクリスチャン人口は8割にも達しました。右近はこの頃、茶の湯においても千利休に師事し、利休の7哲と言われ、利休高弟の一人となったと言われています。

時は豊臣秀吉が支配する世になりました。秀吉は、高山右近に明石への領地替えを命じます。1585年のことでした。明石においても、右近はキリスト教の布教に力を入れました。しかしその2年後の1587年、秀吉はバテレン(宣教師)追放令を出しました。右近にも使者を送り「キリスト教を捨てるように」と迫りました。しかし右近は「予はキリシタン宗門と己が霊魂の救いを捨てる意志はない。どうしても捨てよとの仰せならば、領地、並びに明石の所領を関白殿下(秀吉)に返上する。」と返上してしまいました。その後は加賀の前田家に匿われることになりました。秀吉も、高山右近が領地を信仰の為に返上してくるとは思いもよらなかったと言われています。      

時は移り変わり、徳川家康の時代になりました。徳川幕府になってからキリスト教への迫害は厳しさを増して来ました。右近を匿っていた前田家も、彼を思って「形だけでいいから棄教せよ」と棄教を迫りました。しかし、右近は棄教することはありませんでした。彼は既に殉教を覚悟していたのです。徳川幕府は彼を捕らえて、フィリピンのマニラへ追放を決定しました。その船には追放された宣教師たち約100人も乗っていました。約一ヶ月にわたるその船旅は、死者も出る程の過酷な旅だったそうです。

マニラに着くと、高山右近は体調を崩し天に召されて行きました。63才の生涯でした。彼はクリスチャン大名として激動する戦国の世に生まれ、クリスチャンとして生きた壮絶な人生でした。一夫一婦制を守り、生涯側室を置くことはありませんでした。また人間はみな神様の前に平等なのだと、死者を葬る準備まで自ら率先して行ないました。彼は信仰を守る為ならば、領土さえも返上してしまいました。彼の心はどこにあったのでしょう。彼の生涯を通して聞こえてくる聖書の言葉があります。

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ3:20)

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2013.11.25 16:37 | 信仰者シリーズ

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