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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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                   イサクの奉献

今日は去る日曜礼拝の説教を皆様とお分かちさせていただきます。聖書箇所は創世記17:1-6になります。

「信仰の父」と呼ばれたアブラハムは今から約4千年前に現在のイラク南部ウルに住んでいました。神がアブラハムを選ばれて、神の民イスラエルの最初の人となり、彼からイスラエル民族(ユダヤ民族)が始まったのです。その当時、ウルはメソポタミア文明の中心地であり、また宗教的には多神教を信じていましたが、アブラハムは唯一の神だけを信じていました。全世界の人々の中から神に選ばれたアブラハムはその信仰によって、ウルを出て、神に命じられた土地に行くように示され神に従ったのです。このアブラハムの信仰は聖書のヘブル人への手紙11章1節「信仰とは望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認する事である」に現されています。アブラハムは神が命じられる土地を知りませんでいたが、ただ神の言葉を信じ、住みなれた土地を出て行きました。まさに信仰の定義を生きた人でした。これらの事を心にとめて今日のメッセージをお話します。

①契約の更新
聖書は神が結ばれた契約にもとずいてその歴史を展開し、神はご自分がなさった契約にもとずいて全てのことを導いていかれるのです。そういう意味において、契約という言葉は聖書の中でとても重要な意味を持ちます。

神はアブラハムと3回契約を結ばれました。契約の内容は、創世記12章、15章、17章に記述されています。何故、3回も契約をする必要があったかと言うと、人間は忍耐がなく神の約束を待つ事が難しかったので、神は契約を更新する必要があったのです。信仰の父アブラハムもまた同じでありました。契約の内容は①「祝福の契約」で大いなる国民の祝福の基なる。②「子孫繁栄の契約」でアブラハムから跡取りが生まれる。③「永遠の土地」の契約。①~③の契約を総して「アブラハム契約」と呼びます。この契約にもとずいて、神の歴史支配が導かれ、人類救済が進んでいきました。

神はアブラハムと妻サラに子孫繁栄の約束をしたのですが、待っても子は与えられずに、神の約束を待ちきれなかった彼らは自分達の考え出した方法で子供を持ってしまいます。それは、サラの女奴隷ハガルによって子供を生ませる方法でした。生まれた子はイシマエルです。しかし、この方法は神の御計画ではなく、人間の方法であった為、イシマエルの誕生が後々まで問題の種となったのです。

神は約束を忘れる方でありません。アブラハムが99歳の時にアブラハムに再び現れ、「あなたはわたしの前に歩み、まったき者であれ」と言われたのです。99歳と言えば、もう隠居生活を送って、生きているだけでいいというような要求しか受けないような年齢です。しかし、「まったき者であれ」というのは「神様に完全に信頼をしないさい」という意味です。人間は自分の手に負えない時に、神の約束を待ちきれずに、自分の方法で解決しようします。。しかし、神はご自分の立てた契約を決して忘れません。アブラハムが99歳の時に神様が再び現れたのは、神がアブラハムに立てた契約を思い出さる為です。同じように私達もかつて神に「私はこうします」と祈った祈りを神は憶えておられ、私達にチャレンジを与えてくださるのです。

②神の実物教育と実践教育
イエス様は新約聖書の中で「空の鳥を見なさい」「野の花の事を考えてみなさい」と言われました。このように実物を通して行う教育を実物教育と言い、イエス様は人々に実物教育を通して信仰をもたらせようとしました。神はアブラハムにも星を数えさせ、星の数のように子孫が増える事を言われました。また、神はアブラハムの信仰の為に、昼は海辺の砂を見る事を言われたのです。夜は星を見て、昼は海辺の砂を見て、子孫繁栄の神の約束をいつも思い出すようにし、アブラハムは神が与えてくださる子供が必ず与えられる事を信じ続ける事ができました。

また神は実践教育として、アブラハムに一人子イサクを神に捧げるように言われました。この命令はアブラハムの生涯でもっとも大きな試練であったのですが、アブラハムは神の言葉を額面どうりに受けとめ従いました。なぜ神はアブラハムにイサクを捧げるように言われたのか?これは神のテストであって、この試練は神がアブラハムに対してもっておられる素晴らしい目的と、良い事の為に用いるためでした、神は私達の最善以外は考えない方であります。そして神は気まぐれで、私達をテストしたりはしません。私達はこの大前提を忘れてはいけません。私達は、何かが思いように進まない事があって、それ以外の選択肢がない時に、「神様はこの事を用いて良い事をしようしている、大切な気づきを与えようとしておられる、そして素晴らしい人生へと導く為なのだ」と、この解釈しか当てはまらない事を知るべきです。私達は神に対してそういう信頼を持つ事が重要です。

アブラハムはイサクを捧げる試練を神様から受けました。「神を愛するのか?」それとも「神が与えたものを愛するのか?」とアブラハムは迫りを受けたのです。私達の命を与えたのは神です。ですから、私達の持っているものは全て神が与えてくださったのです。それなのに、私達は与え主である神をないがしろにして、与えられた物を与え主以上に大事にしてしまい、そこから私達の歩みが間違い始めます。これは「利己的な自己愛」の現われで、様々な問題を生み出していく根になります。アブラハムが100歳になって跡継ぎのイサクが与えられ、神の祝福だと思い喜び、感謝をしました。しかし、いつの間にか与えた神ではなく、与えられた子に執着するようになっていました。その時、神は大事な使命を託したアブラハムを取り扱われました。

その方法は「十字架=自己に死ぬ」でした。不純な自己愛に死ななければ、本当に大切な与え主を愛する事ができない事を教えてくれます。神は自己愛を捨てる時に十字架を用いられるのです。アブラハムがイサクを捧げたのも、十字架の方法です。すなわち、自分の最も大切に愛していたイサクを捨てることによって、自分に死んだのです。しかし、神は自分に死んだアブラハムにイサクを聖別し戻されました。私達も十字架によって自分に死ぬ時に、与えられたものが本当の正しい形(聖別)で私達の元に戻ってくる経験をする事ができるのです。

③名前を変えることの意味
アブラハムとサラの元の名前はアブラハム、サライですが、神は彼らに名前を変えるように言われました。神は、彼らにアブラハム=「多くの国民の父」、サラ=「王女、多くの国民の母」の名前を与えました。このような名前を与えられた彼らでありましたが、彼らもまた度々、信仰の弱さを持つ事があったのです。高齢になった自分達に子が与えられると言われた神の約束を彼らは笑ったのです。そのような弱さもありましたが、新しく与えられた名前を互いに呼び合う事によって、素晴らしい信仰者へ変えられたのです。まだ自分達に一人も子がいないうちから、ないものをあるもののように「アブラハム(多くの国民の父)」「サラ(多くの国民の母)」と呼び合う内に、彼らの信仰が増し加わり、精神も身体も変化が与えられ、神の奇跡を受け取る器に備えられました。100歳と90歳から生まれたイサクは神が与えた奇跡でありますが、神の業がその人の上になされるかどうかは、その人の備えも非常に重要な鍵です。

「ないものをあるもののようにお呼びになる方」を新共同訳聖書では、「存在していないものを呼び出して、存在させる神」と言っています。だから私達が創造的な事を口から発する事が、どんなに大切かを教えられます。彼らが神から与えられた新しい名前「アブラハム(多くの国民の父)」「サラ(多くの国民の母)」を信仰を持って呼び合う中で、彼らが信じた事は真実となりました。私達も肉の思いで考えていた事を霊の思いに変え、心に持った霊の思いを口に出すのです。目に見えてから言うのは信仰ではありません。まだ見えていないものを言い表すのが信仰です。そして、神は私達の信仰を通して、大いなる御業をなしてくださるのです。

私達の口からどういう言葉を語るかはとても大事です。破壊的な、批判的な、否定的な言葉を口にしない。肯定的な、建設的な、創造的な、人の徳を高める言葉を口にするのです。イエス様は「あなたの信じる通りになる」と言われました。ですから、私達は目に見える多くの否定的な物に逆らって、もっと創造的な神を信頼した言葉を語らなければなりません。

アブラハムとサラは口で語った事が真実となったのです。それは、彼らが信じた神は、存在していないものを呼び出して、存在させる神だからです。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2013.09.17 21:27 | 礼拝
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松本望師は、音響で有名な株式会社パイオニアの創立者です。彼は、1905年(明治38)松本勇治牧師の次男として神戸で生まれました。

父・松本牧師はは栃木の片柳家に生まれたのですが、本家の松本家に子供がいなかった為に養子となり、松本姓になったのです松本牧師は函館商業卒業後、貿易商を夢みてアメリカに渡りました。そこで熱烈なクリスチャン松岡洋右(後の外務大臣)に会いました。その強い影響を受け、聖書の研究に没入し、クリスチャンとなりました。貿易商になるどころか熱心な牧師になった彼は、アメリカにおいても伝道に命をかけました。その後、養父の家がある栃木に帰ってきましたが、即座に養父から「耶蘇バカ」と反対され勘当されてしまいました。それでも栃木で伝道しました。その時の生活は貧しかったようです。その後、役場の書記をしていた菊池ケイという女性を見染め結婚しました。その新婚旅行でさえ徒歩による伝道旅行だったそうです。そして、松本牧師の次男として、松本望師が生まれました。「私は父の信仰をそのまま受け継いだ」ということを松本望師が自ら書いています。

松本望師が生まれた時 (明治38年5月)には、家族は神戸市三ノ宮に移っていました。神戸に移り住んでからは松本牧師の家はそんなに貧しい状態ではなくなったようです。しかし父勇治は、子供達に「幼いときから勤労の精神を養っておかねばならない」と、小学3年生の頃から新聞配達、夜は床屋の見習い、牛乳配達と仕事をするように申し渡したと言います。しかも家の入口には「牛乳配達所」と看板を掲げて、仕事の責任を教えたそうです。やがて望青年はラジオの製作会社に入社し、10年務めました。彼の趣味は、自分手製のラジオで神戸港に入港している外国船からの無線傍受でした。

ラジオ製作会社に勤めて10年目ぐらいの時なのでしょうか。あるキリスト教関係の団体から「あなたの人柄を見込んで、独立資金を援助しましょう」という話が来ました。彼は独立を決意しました。会社名を「福音電機製作所」と命名し独立しました。昭和12年のことです。福音とは「キリストのよき知らせ」のことであり、私は音を通して世に貢献するという決意が込められていました。さらに昭和14年東京に進出し、音羽に「福音電機製作所」の看板を掲げました。しかし奥さんが機械のコイールを巻くという家内工業的なものでした。昭和22年には、さらに会社は拡大を続け「福音電機製作所」の名前を変え「福音電気会社」となりました。さらに発展を続け、昭和36年に社名を現代の「パイオニア株式会社」と命名しました.

パイオニアの社名のように、松本望師は音の分野の開拓者であることを社訓のひとつとしています。そのことを現すエピソードが残っています。パイオニアがレーザーディスクを世界に先んじて作った時でした。最初その製品は全くと言っていいほど売れなかったそうです。その時の松本望師は、弱気になっていた社長や社員に「全くの新製品なのだから、売れなくて当たり前だ。あわてるな!」と言って励ましたと言うのです。

松本望師は1994年7月15日、83歳の天寿を全うして召天しました。彼は父親のつけてくれた名前がとても気に入っていたようです。「いつも名前の望がどんな時にも一筋の希望を与えた」と言っています。また松本家の墓標には『されど、われわれの国籍は、天にあり』という聖書の御言が刻まれています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2013.09.17 00:00 | 証し
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今日は、”人間の気質”について考えてみました。

人間の気質は、潜在意識によって人の思考・言動・行動に影響する、生まれつきの色々な特徴が結合したものです。遺伝子によって伝えられたこの特徴には色んな要素があります。

気質の特徴を整理すると、四つの基本気質があり、これが混じり合ったものがそれぞれの気質になっています。普通、一つの気質の型が優勢ですが、一つか二つ、他の気質も含まれています。外向性の人は多血質か胆汁質が優勢を占め、内向性の人は憂うつ質か粘液質が圧倒的に多いのが現実です。

多血質・・・・多血質の人は、暖かく、快活、陽気で雄弁です。また精力的で人に好かれやすいタイプです。いろいろ考えるよりも、大抵の事は感情によって決定する傾向があります。

こういう人は、人との交わりを楽しみ、孤独をきらうので、友達に囲まれている時に一番いいところを見せ、その集まりの中心的存在になります。この気質の人は、次から次へと面白い話を語って尽きることがなく、それも劇的に語るので、大人ばかりでなく、子供にも好かれます。たいていは、パーティーや社交的な集まりで一番の人気者になります。

多血質の人は、言葉につまることがなく、考える先に話しているというところがあるため、後になって後悔するような事をつい言ってしまう傾向があります。しかし、その賑やかで、親しみやすい態度に、人はその人の弱点を見ても、つい許してしまうのです。

多血質の短所は、意志が弱く、落ち着きがないこと、規律に欠け、自分本位で、感情が爆発しやすいということです。

胆汁質・・・・胆汁質は、熱烈で敏速、活動的、実際的、意志の強い人に見られます。この気質の人は自信が強く、独立的で果断、独善的で、自分のことも他人のこともすぐに決定を下しやすい性向を持ちます。胆汁質の人は盛んに活動し、活動のために刺激される必要がありません。かえって、その尽きないアイデアと計画と野望によって周囲の人を刺激します。

胆汁質の人は、頑固なまでの決意を持ち、他の人が失敗するところで成功することが多いです。それは、その人の計画が他の人よりも優れているからではなくて、他の人が失望し、止めてしまってからも、まだせっせと働き続けているからです。この気質の人はすばやく機会を認め、その機会を利用する方法を判断するのも速く、組織的な頭の働きを持っています。

胆汁質の欠点は、人と協調するのが難しく、短気で、冷酷で、性急で、自負心が強いことです。

憂うつ質・・・・憂うつ質の人はよく『暗い性格』と言われます。この気質の人は分析家で自己犠牲的、有能な完全主義者で、感情的にきわめて繊細です。憂うつ質の人ほど芸術を楽しめる人はいません。生まれつき、この気質の人は内向性の傾向があり、感情に支配され、気分によっていろいろに変わります。

憂うつ質の人は誠実な友達になりますが、多血質の人と違って、容易に友達を作りません。この気質の人は自分から出て行って人に会おうとするよりも、人のほうから自分のところに来るのを待ちます。この気質の人は信頼のおける人が多いのも一つの特徴です。それは、この気質の完全主義の傾向が怠慢を許さず、また自分に頼っている人を裏切ったり出来ないからです。また、偉大な芸術家、音楽家、発明家、哲学者、教育者などにはこの憂うつ質の人の割合が圧倒的に多いのも特徴の一つです。

憂うつ質の人の弱点は、自己中心、神経質、悲観的、批判的などで、弱さに負けると、被害者意識、罪意識過剰、神経衰弱、憂うつ症などに捕らわれてしまいます。

粘液質・・・・粘液質は穏やかで、冷静、おっとりして、のんきな、安定した性格です。粘液質の人にとって人生は、幸福な、淡々とした、軽い経験で、できるだけ他の人と関わりを持つのを避ける傾向があります。

粘液質の人は、心が乱されるように見えることがほとんどありません。喜怒哀楽の感情を表すこともまれです。この人は堅実で一貫した気質の唯一の型です。落ちついていて、無口で、臆病とも見える性格の底にすぐれた組み合わせを持つ能力を秘めています。表面に現れるよりもずっと感情的で、芸術や、人生のよりよいものを鑑賞する、優れた能力を持っています。また、人との交わりを楽しむので、友達に不足することがありません。

粘液質の人は、人生の傍観者となる傾向があり、他の人の活動にあまりかかわりを持たないように努めます。通常、この気質の人は日常の決まった仕事以外には、どんな活動でも、なかなかやろうとしません。

粘液質の人はたいてい心が温かく、同情的ですが、自分の本当の気持ちをなかなか表しません。自分から指導的な立場を取ろうとしませんが、そういう立場に置かれると、人の間に一致をもたらし、天性の平和を作り出してすぐれた指導者ぶりを発揮します。

この気質の人は、外交官、会計士、教師、科学者や、細かい事に気を使う仕事に向いています。

粘液質の弱点は、動機に欠けること、怠惰、傍観者的、自己防衛、頑固、優柔不断、恐れやすいなどです。

大ざっぱに書きましたが、誤解してはいけないのは、どの気質が他より良いというわけではなく、どの気質も神がその人に与えられた特徴だということです。そして気質には、その気質ゆえの長所と弱点があり、その傾向を知ることによって長所を伸ばし、弱点を補う心掛けができるのです。

今日の一言:人の弱点はその人の欠点ではなく特徴だと考えよう

平安
鶴田健次

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2013.09.13 12:05 | 牧師室より
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私Saoは、週末にかけての4連休を利用し、サンディエゴに行ってまいりました。
今回からサンディエゴを紹介したいと思います。

私は、以前サンディエゴに住んでいましたが、クリスチャンになったのはラスベガスだったので、サンディエゴにある教会の事は何も知りませんでした。ですので、私がサンディエゴに行くと知った義弟が日本人教会を調べてくれて、この度ノースカウンティ日本人教会を訪れる事となりました。

この教会は、約20年前にラコスタで創立され、10年前にサンディエゴのビスタへ移ってきたそうです。教会員の中には、鶴田先生がサウスベイでお働きをしていた頃からご存知だという方もいらっしゃいました。私は義弟にこの教会を紹介され、ただ家族で出向いたわけですが、まさか鶴田先生のことをご存知の方がいるとは夢にも思わず、神の摂理にまたまた驚きました。

牧会をしておられる中島牧師ご夫妻も教会の皆様もとてもフレンドリーで手厚い歓迎をしてくださいました。この礼拝時に聞いた説教メッセージがとても心に響いたので、シェアさせていただきます。

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      (鶴田先生との思い出を語る光岡ご夫妻と靖子姉妹)

メッセージは、使徒行伝1:12-14の箇所からでした。

ここの箇所は、イエス様が昇天され、使徒たちが聖霊降臨を待っているときの場面です。この場面から、「約束を待つ態度」と題して、中島光成牧師よりメッセージを取り継いで頂きました。

イエス様の突然の昇天が起こり、使徒たちは、どのようにして聖霊降臨を待っていたのでしょうか? 聖霊さま、お降りください、とでも祈ったのでしょか。いいえ、おそらく弟子たちは、悔い改めの祈りをして待っていたのでしょう。

本当の悔い改めとは、一致と平安をもたらします。しかし、本当でない悔い改めは、口論、裁き、高慢、不一致をもたらします。言い換えると、悔い改めとは自分の罪深さを認め、その弱い自分をも神様に愛されているということを知り、自分の傷が癒されていくものであり、その結果 本当の自分と向き合うという尊い作業なのです。

使徒たちは、一人の大切な仲間弟子のユダを失いました。それは大きな大きな痛手でありました。それでも、弟子たちはその事実から目をそらさず、事実を受け止め、祈りにより神様のみこころを探るという祈りをしていました。11人の弟子たちは、一人ひとりが悔い改めの祈りに導かれ、祈りを持ってイエス様との約束を待った結果、見事にイエスの身体としての体制が建て直され、聖霊降臨が成されたというわけです。

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このメッセージを聞いて、ふと私の仕事場の上司の言葉を思い出しました。「チームワークは、他人を助けることじゃない。自分が未熟なうちは、他人のことはまず忘れ、自分を精一杯伸ばすことに集中しろ。そういう奴らが束になれば、本当の意味での強いチームになる。」

彼は、クリスチャンでもなければ、聖書の事を話していたのでもありません。ただ仕事の話で良きアドバイスをくれただけだったのですが、その言葉が 妙にリンクして、神様もきっと私に同じことを望んでいるに違いないと思いました。

そこで、私ははっとしました。子供達や人に対しては、悔い改めはどんなに大切なものなのか話してきましたが、果たして自分はどうなのだろうか?人と口論してはいないだろうか?人を裁いてはいないだろうか?恥ずかしながら、自分の罪は放っておいて人の罪ばかり言い訳をしながら、指摘していたのです。自分の罪から目をそらすために。なぜなら自らを神の前に罪深いものと認めた者は、まず人と口論をしたりしないし、裁かないと思うからです。

更に、「本当に私は救われてるのだろうか」、と考えるようになりました。神様に救われてるかなんて誰にも何もわかりません。自分は大丈夫だという保証もどこにもありません。

神様が私に願っていることは、福音という基本に戻り、日々悔い改めをし、精一杯自分が御言葉で成長していくことだと改めて感じました。そして、初めて教会のイエスの身体として十分に用いられる事ができるためです。

神様は、私に実に素晴らしい学びの場をくださいました。そして、今日からの悔い改めが少しずつ変わっていく期待を大きく感じました。感謝。

次回に続く。

(ブログ制作チーム: Sao)


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2013.09.11 08:19 | 礼拝
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豊臣秀吉が朝鮮侵略を行ったときに、現在の北朝鮮の平壌近郊で、両親が殺され、身寄りをなくした朝鮮の少女を見つけました。キリシタン大名の小西行長が不憫に思い連れ帰り、養女として育てました。連れて来られた時はわずか5歳だったと言われています。この幼女は後に洗礼を受け「おたあ・ジュリア」と呼ばれるようになりました。「ジュリア」は洗礼名です。

やがて豊臣の世が終わり、徳川の世となる頃、ジュリアはとても美しい女性に成長していました。この頃、ジュリアは徳川の大奥の侍女として家康に仕えていました。家康はどこに行くにもジュリアを同伴させました。そして家康から何度も側室になるよう求められますが、彼女は断り続けたそうです。 このように徳川の時代も、最初の頃はキリスト教に対して寛容であったようです。その中でジュリアは一日の仕事を終えると祈り、聖書を読んでは同じ仲間達を信仰に導いていたと言います。

しかし1612年(慶長17年)のこと突然、家康はキリシタン禁教令を出し、ジュリアも投獄されてしまうのです。投獄中にジュリアは信仰を捨てるよう迫られました。しかし「信仰を捨てるよりも死を選ぶ」と宣教師に手紙を書いています。家康は、改宗に応じないジュリアを1612年に伊豆大島に流刑としました。その一ヶ月後、南方の新島に異動させ、さらには神津島へと島流しにしました。そのような度重なる島流しは、家康が赦免の変わりに、信仰を捨て、側近になる事を迫っていた事を伺わせます。

ジュリアは3つの島に流されました。しかし、どの島においても不平を言わず、その島の人々や同じ流刑にあった人々に徹底して仕えました。小西行長は、和泉国堺で薬を扱う商家の次男として生まれた、キリシタン大名でした。ジュリアは行長の影響で、薬草の知識を深めたと言われています。ジュリアはその薬草の知識を用いて病気の人々に献身的に奉仕したと言われています。その結果、禁教時における島にもかかわらず、多くの人々がジュリアを通してクリスチャンになったのです。

両親を殺され、日本に五歳で連れて来られ、挙句の果てには島流しにされたのです。信仰さえ捨てれば、家康の側室になることさえ出来たのです。家康は何度もそのチャンスを彼女に与えたようです。しかし彼女は信仰の道を選択したのです。そればかりか不平ひとつ言わず、流されて行った島々で人々に仕えたのです。そして、神は全ての事を相い働かせ、神様の御心である人々の救いを日本の小さな諸島に起こさせたのです。

ここにも一粒の麦として死んだ信仰者による、多くの救いの実が結ばれています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2013.09.09 12:00 | 証し

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