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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

遊覧船
Saoの日本旅日記第7弾は、佐世保(長崎県)に行ってきました。

前回の岡山から、博多までは新幹線で行き、佐世保へは特急みどり(佐世保行)に乗り換え,
5時間!ついに、佐世保に着きました。街々の丘に家々が建ち並ぶ風景は美しく、まるでジブリの映画に出てきそうなヨーロッパの町並みを思い浮かべました。

電車を降りた瞬間、目の前に海が広がり、私が知っている日本とは全然違った色を持つ佐世保の街に降り立ち、磯の香りがする空気を思いっきり吸い込み「本州の一番西にある海に来たのだ!」と感動に浸りました。

海きらら
佐世保に来てまわったところは、九十九島にある”海きらら”。子供たちがずっと乗りたかった九十九島を見ることができる遊覧船に乗りました。時間は50分。この日も、予報は雨だったのですが、雨は降らず曇りでした。それでも船から見える景色はとても綺麗でした。

九十九島には実際には200あまりの島が集まっているそうです。ライオンが座っている島や、「本州から逃亡した武士が逃げ込んだけれども、もう大丈夫だろうと3年経ったある日
たまたま通りかかった男に見つけられ殺されてしまった」という面白い話が伝わる島や、全く同じ形の”双子島”など、船に解説もついており、それもまた楽しめる一つでした。

長崎県といえば、キリスト教が普及している県の一つだと思いますが、ザビエルが到着した十字架の「クロス」が島の名前の由来とされる黒島の話も聞きましたし、何よりも街の中で何度も十字架を見ました。そのせいかわかりませんが、食前のお祈りをしている時にも、祈りの時を邪魔しないようになど、店員の方の配慮があった感じを受けたので、何だかとても居心地が良かったです。

遊覧船の後には、海きらら水族館に行きました。この水族館がとても大きい。一つ一つの水槽が大きいので、綺麗な水の色に映える海の生き物たちに目を奪われました。大きな亀が、まさに映画に出てくるような亀で子供たちは大はしゃぎ。そして、美しいイワシの群れが大きな水槽のアクセントとなり、素敵な水のアートを創り上げていました。

イルカショー
そして、イルカのショーを子供たちと見ました。イルカのショーでは、アシスタントとして我が子3人が選ばれ(!?)、日本語が怪しかったのでしっかりアシスタントが務まるのか不安でしたが、何とかイルカのシーのお手伝いをすることができました。ショーが終わり、にこにこ顔ででてきた3人はとても満足そうでした。

次に、佐世保から次は博多に向かいました。博多では、古式切りうどんの能古うどん、博多とんこつラーメン、明太子ごはん、担々麺を家族4人で食べました。どれも、最高のお味で、何を食べでも美味しい博多が大好きになりました。

博多
こうしてSaoの七日間の旅は、一日目は京都に始まり二日目は大阪三日目は岡山四日目は香登、五日目は佐世保、六日目は博多をまわり、最後に京都を通り、私の生まれ育った国の今まで見たこともない一面を知ることができました。

特に、岡山ー長崎へ移動した5時間。ゆらゆらと揺られながら車窓から見た外の景色は、圧巻の緑でした。どこもかしこも緑!!長女と共に、「日本の色は、緑(山)と青(海)だね。」と、話していました。水と緑がこんなにも豊かに茂っていて、日本は神様からの贈り物が何とも恵まれている国であることを実感しました。

この7日間の旅を通しての色々な方との交わりや出会いを始め、私自身の気づき、子供たちとの掛け替えのない時間やその時その時の思いなど、すべてを整え、与えてくださった主に心から感謝いたします。


次回の「日本の学校、体験入学編」へ続く-------

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2013.07.30 16:05 | 証し
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               (上:新会堂外観 下:内観)
ラスベガス日本人教会は2013年8月4日(日)から下記で礼拝を行います。ここは主が与えてくださった場所であり、教会発足時から祈り続けてきた祈りが聞き届けられ、教会堂購入の夢が叶えられました。ハレルヤ!

ラスベガス日本人教会 Las Vegas Japanese Community church

1800 E.Desert Inn Road Las Vegas, NV89169 (MAP)
(Desert Inn & EasternとMarylandの間)


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                (旧会堂:感謝を込めて最後の清掃)

当教会は2002年3月Haword Johnson Hotelの会議室から始まり、2002年12月にサハラにあるコマーシャルセンターに移り、2005年5月にデザートインに移り、2008年にラスベガス大通の会堂に移りました。そして、昨日7月28日は礼拝後、教会全体で新会堂への引越しを行いました。旧会堂で2008年11月16日に最初の礼拝が守られ、約4年8ヶ月を過ごしてきましたが、その間も会堂購入の夢を持ちながら、会堂探しを続けてきました。

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             (講壇の土台の移動:最も大きな作業でした)               

そして、今月7月に購入に必要なプロセスを終わらせる事ができました。会堂購入に特に重荷を持った兄弟姉妹の影の働きを、主が導いてくださった事を感謝いたします。昨日の旧会堂での最後の礼拝もお一人お一人の中に、主への深い感謝と感慨深いものがあった事と思います。主に捧げる賛美にも溢れる思いがありました。

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                 (新会堂への搬入)

新会堂は敷地面積0.52 acres 、床面積が7000 square feet。旧会堂の床面積が3000 square feetでしたので、、約2倍以上の広さの会堂が与えられました。主がラスベガスの地に建てて下さった教会が、更に主の御心のうちで成長し用いられる事を心から願っております。

尚、来週8月4日の礼拝は日英合同礼拝となりますので、英語を話される皆様も共に主を礼拝して頂けます。どうぞ皆様でご出席ください。

(LVJCCブログ制作チーム:kao)

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2013.07.29 10:36 | お知らせ
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今日は、”死に打ち勝つ道”について考えてみました。

人間は必ず死ぬ者です。これは、非常に厳粛な事実です。人間は、いつか必ず死ななければならない存在です。これには、いかなる差別もありません。老人だけでなく、若い人も必ず死ぬ時が来ます。病気の人だけでなく健康な人も、貧しい人だけでなく金持ちも、また、いかなる身分にも関係なく、すべての人にやがて必ず死ぬ時が来るのです。

人間が一番忌み嫌う言葉は「死」です。死が怖いので、できるだけ死について考えないようにします。日本では、ほとんどの病院やホテルに4号室の部屋がありません。「4」は「死」を連想させるからです。しかし、人がどんなに「死」について考えないようにしても、死を考えざるを得ないのです。どんなに死を避けようとしても、誰も死を避けることはできません。人間は、この世に生を受けて、誕生した瞬間から、一刻一刻と死に向かって歩んでいるのです。ですから、この死の問題は人生の最重要課題なのです。

ぜひ、あなたもこの「死」の厳粛な事実をご自分の問題として真剣に考えてみて下さい。人は、人生の重要なことのために色んな準備をします。出産、入学、進学、就職、結婚、マイホームの建築、老後などのために準備をします。しかし、なぜ、人は、万人に必ず訪れる死のために備えをしないのでしょうか。

世界の指導者たちは核戦争を避けるために、懸命に努力をします。なぜでしょうか。それは、「死」が恐ろしいからです。しかし、冷静になって考えてみてください。核戦争が起こっても、死者の数は、起こらなかった時よりも多くなるわけではありません。なぜなら、人間の死亡率は100%だからです。核戦争やテロが起こらなくても、人は必ず死ぬ時が来るのです。

ところで、そもそも人はなぜ死ぬのでしょうか。人類は最初から死ぬべき者として創造されたのではありません。神は、最初の人アダムを罪のない死なない存在として創造されました。ところが、アダムは悪魔の誘惑に陥り、誘われるままに、妻のエバと共に神の掟を破ってしまい、その結果、罪が彼らの中に入り、彼らは死ぬべき者となったのです。それ以来、人間はその誕生の時から同じ罪の性質を持って生まれる者となり、今日に至るまで、神に背を向け自分勝手な罪の道を歩み、死と永遠の滅びへの道を突き進んでいるのです。(もしあなたが人間が死ぬ理由をご存じでないなら、聖書が明らかにしている死の原因を一笑に付さないで下さい。やがて必ず分る時がやってくるはずです)

ですから、どんなに科学や医学が進歩しても、人間の「死」の問題を解決することは不可能なのです。医学によって病気を一時的に治癒することができたとしても、それは僅かな延命には役立ちますが、「死」の問題の解決にはなりません。科学の力も、権力も、富の力も、人類の「死」の問題を解決することはできません。私たちが死を考えないことで死から逃げようとしても、「死」の問題は解決しません。

神は、神に敵対して罪を犯し、霊的に死んだ者となり、肉体的にも死ぬべき者となり、死後には「第二の死」と呼ばれる永遠の滅びを受けるべき者となってしまった人類を顧みてくださり、救いの道を備えられました。それは、神の子イエス・キリストをこの世に遣わし、私たちの身代わりとして十字架につけることで私たちの罪を精算し、この方を信じるすべての者に永遠の命を与えて下さることでした。

あなたのために十字架上で死なれたイエス・キリストは、墓に葬られて三日目によみがえり、今も生きておられ、あなたの救い主になることを切に願っておられます。どうか、神のこの絶大な愛の招きを拒否することなく、イエス・キリストを信じて救われて下さい。どうぞ、神の恵みを無になさいませんように。

今日の一言: キリストだけが死に打ち勝つ唯一の道

平安
鶴田健次

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2013.07.26 15:09 | 鶴田健次牧師より
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Saoの日本旅日記の第6弾、この日は日曜日でしたので、香登教会の礼拝へ参加しました。

香登教会は、1875年にテイラー宣教師の岡山での宣教を開始した5年後の1895年の教会創立以来、キリストの光と共に歩んでこられた歴史ある教会です。

そして、この香登教会で、神への尊い御用をされている工藤弘雄牧師は、ラスベガス日本人教会に通う治美姉妹のお父様でもあります。

香登駅では、治美姉妹のお母様である須美子先生が迎えてくださいました。教会に着くと、旧館と新館があり、主に新館を見学させていただきました。ゴスペルルームや、備前焼き壁面レリーフ、そして、3階には、子供たちの待機部屋がありました。待機部屋からは、ガラス窓を通じて礼拝堂も見下ろすことができ、説教もスピーカーで聞くことができるそうです。普段は子供たちの待機部屋に使われているそうですが、修養会に使用したりと、色々な必要に応じて満たすスペースだそうです。

教会を回った後、子供たちの教会学校に参加しました。私たちの教会は、礼拝賛美を会衆皆で捧げた後、分級して、それぞれサンデースクールに入りますが、香登教会は礼拝の前に教会学校があり、私たちは途中から参加したので、普段の香登教会の教会学校がどのようになっているかわかりませんでしたが、私は教会学校というより、子供用の説教で行う”子供礼拝”のような印象を受けました。確かに、礼拝堂で大人が通常説教メッセージを聞くように、子供たち全員が礼拝堂にいたので、そのような感じを受けたのかもしれません。

日本に来て教会学校に出て、びっくりしたことがありました。以前までは日本の教会学校の子供たちと交わることが少なかったのできずかなかったのですが、日本には子供用の聖書がないのです。アメリカでは、幼児用からユース用の聖書が売っています。ですので、子供たちが大人用の聖書よりもわかりやすく理解できるのです。しかし、私の印象では日本の聖書の方が難しい言葉を使っていると思うので、その中で子供たちの理解力をより促すにも、子供たちの礼拝への意識を高めるためにも、子供礼拝のようなあの教会学校の時間が必要不可欠なんだと思いました。

この日は、工藤牧師が特伝の御用で不在でしたので、藤井正子先生が第一コリント人への手紙3:5-9の聖書箇所から、メッセージを取り次いで頂きました。私は子供たちと隣り合わせての礼拝説教の時間でしたが、廣石まもる兄弟や他の教会員の方が子供たちに気を配ってくださり、このような温かい心遣いを頂きながら、最後までメッセージを聞けることができ、感謝でした。そして礼拝の最後の祝祷時には、子供たちが前に出て、一人ひとり子供たちの頭に手を当てて、須美子先生に祈っていただきました。これは、香登教会では通常のことなのでしょうか。子供たちは嬉しかったようでした。

子供たちの隣に座っていた廣石まもる兄弟とは、以前からインターネットを通じての交わりでお世話になっていました。クリスチャンとして証しの生活を長らくされてきた兄弟ではありましたが、奥様がご病気で倒れて以来、奥様の手となり足となり、奥様を支えられた兄弟のお証しの中で力強く励まされるものがありました。今回の旅が決まった時も、とても会いたい方のおひとりでしたので、お会いできて大変うれしかったです。

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礼拝後、須美子先生と治美姉の妹さんである真史姉妹、まもる兄弟との交わりの時をご用意してくださいました。テーブルには、まもる兄弟の汗の結晶でもある畑から採れた新鮮な野菜たちが並び、輝いていました。須美子先生と真史姉妹の手料理も色とりどりで素敵なテーブルを演出していました。カラフルなテーブルを和気あいあいと囲んで短い時間ではありましたが、子供たちや治美姉妹、ラスベガス教会のことや私の日本での旅の話など、色々と話すことができました。笑いもあり涙もあり(?)のとても楽しい食事の時間を過ごすことができました。

私が訪ねた時は、真史姉妹は療養中でしたが、顔色もよく、とても元気だったので、逆にこちらが元気を頂き、幸いでした。神様のみわざは素晴らしい!

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今回は、工藤弘雄先生とはお会いできませんでしたが、治美姉妹、その背後におられる神さまを通しての新しい出会いに心から感謝した岡山県香登の旅でした。


次回へ続く----

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2013.07.23 22:51 | 証し
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おはようございます!いかがお過ごしですか?皆さんが、すばらしい日をお過ごしであることを願います。それは、今朝おいしい朝食を頂いたからではなく、また今朝渋滞なく教会まで来る事ができたからでもなく、神様が、今日という新しい日を与えてくださり、私たちを生かしてくださっているからです。これは、私にとって、当たり前だと思ってしまうことのうちの一つにすぎません。少なくとも、私たち若者にとってはそう考えがちです。

皆さんにとっても、日常生活の中で、その日に何をするかを明確にしながら、スケジュールをこなし、日々を過ごしておられることだと思います。でも、それは、神様を崇める最高の生き方でしょうか?私たちが日常生活で行うすべてのことは、神様のためにしているのでしょうか?それとも自分のためでしょうか?これは、今回のキャンプでたくさん学んだレッスンのうちの一つです。

まずお証を始める前に、皆さんが私がキャンプに参加している間、私のために祈ってくださっていたことを心から感謝します。毎年、キャンプ後は、御霊に満たされて霊的にも高まった状態なのですが、やはり、学校が始まるとキャンプで学んだことも、残念ながら忘れてしまいます。課された責任や、友達や家族との関係でとても忙しい日々を送っていると、いつの間にか、神様が私の心の端のほうに追いやられてしまうのです。

私が神様を必要とするときにだけ、神様を引っ張り出すのです。もちろん、教会には来ています。祈っていますし、聖書も時々読んでいます。でも、それは、本当に神を崇める生き方だったのでしょうか?そうではありません。このキャンプには、2人の講師が、与えられました。2人とも、牧師先生で、男性で、アジア人でした。でも、全く違ったメッセージを取り次いでくださいました。

最初のスピーカーは、本当のクリスチャンの印について第一ヨハネから語ってくださいました。最初の印は、神との交わりを持っていることです。つまり、毎日神と語り合い、祈ることです。

2つ目の本当のクリスチャンの印は、心で罪の告白をしていることです。スピーカーは、このようにおっしゃられました。「もし罪の告白をしないなら、自分が罪のないものと見ており、それは、神を偽り者とすることになるので、最終的には、神を信じていないことになる。」皆さんが神に祈られるときに、このことを思い出してください。

3つ目の本当のクリスチャンの印は、聖さです。私たちが聖いのではなく、聖い神が、私たちをこの世から分けてくださった故に私たちも聖い存在となることができたのです。

4つ目の本物のクリスチャンの印は、私たちが人々を愛するということです。それは、神様が、私たちを愛さないとは絶対にお考えにならず、神様の愛は、尽きることがありません。だからこそ、私たちも人々やすべてのことを、愛することは当然なのです。

5つ目の本当のクリスチャンの印は、本当のクリスチャンは、神を追い求め続けるということです。神の御言葉に、全信頼を置き続け、信じ続けます。

これらの印を学んだ後、私は、自分が、本当のクリスチャンとはかけ離れた存在であることを知りました。しかし、神様は、もし私が神様の邪魔をしなければ、私の人生をも、ご自分の栄光のためにお用いになることができるということを、私に気づいてほしいと願っておられることも知りました。

2人目のスピーカーのメッセージは、父なる神の偉大さについてでした。先生は、「神は、すべてをお造りになられたすばらしい神様であると同時に、私たちを完全に滅ぼすことがお出来になるお方であるにもかかわらず、そうは絶対されない。」ということを語ってくださいました。

私たちは、頭から足のつま先まで、罪に覆われている存在であるにもかかわらず、神様は、私たちを愛さないという選択肢を持っておられません。私たちは罪を犯すことによって、父なる神をいつも傷つけてしまいますが、そんな時も神様は、私たちを気遣ってくださいます。

そのとき、生まれてはじめて、本当の自分を見ました。それは、罪に染まった穢れた人間。それがはっきりと自分で分かったとき、涙があふれ、自分の無知のために神の赦しを神に祈り求めたのです。涙が止まりませんでした。自分が、砕かれるのを感じました。

神様を心に迎え入れてもう10年近くも経つのに、まだ、神の御心である、御霊の導きに自分をゆだねていなかったことに気づかされました。スピーカーが、「今、絶望と自分の醜さを感じてほしい、それが現実なのだから。私たちは、罪で覆われいる存在で、神様の愛を受けるには、全く値しないんだ。」と言われたことを覚えています。

その後、彼はこのように語ってくれました。「でも、良い知らせは、神はそれでも私たちを愛しておられるということ、私たちは、神の子供であるが故に、神はそれでも私たちを守ってくださり、気にかけてくださるということ。だから、このことを喜ぼう。この物質的な世界にどっぷりつかるのではなく、神様に私たちの全存在を支配していただき、永遠なる世界へと神に導いてもらおう。」

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このマウントハーモンのキャンプで、私は、自分の体が本当は自分のものではないことを学びました。何一つ私のものではありません。神に用いて頂くために、自分を完全に神に明け渡さなければなりません。私の人生でなすことすべてが、神に用いられるためであるべきです。私は、この世的に生きるのではなく、まだ神を知らない人を神の御腕に導く手助けをできればと思います。

マタイ5:13-16には、「私たちは、地の塩、世の光です。」と書いてあります。海の塩は塩けがあるように、塩のきいた、また太陽の光のように光り輝くクリスチャンであろうではありませんか?もし私たちがそうでなかったとしたら、神様は、私たちをどのようにお用いになることができるでしょうか?
最後に、改めて、教会の皆さんのお祈りとサポートを心から感謝いたします。

(LVJCCユース:Marina)

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2013.07.22 08:31 | 証し

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