
今日は、 “赦しの力”について考えてみました。
赦しということは聖書が取り扱う重要なテーマです。聖書は、この赦しという重大なテーマを二つの意味で取り扱っています。一つは、人間の罪に対する神の赦し、そしてもう一つは、人間同士の赦し合いということです。
この赦しが聖書の重大なテーマである理由は、その人の罪に対する神の赦しがなければ、その人が永遠に滅んでしまうからであり、また、この世の人生で、人が人を赦すことができなければ、その人の人生を台無しにしてしまうからです。
誰かを憎み続けるということは、大変なエネルギーのいることです。絶対に赦さないと思うことは、相手を縛り付けることでもありますが、それ以上に自分自身の心を憎しみという感情に縛り付けてしまいます。ですから、どちらが正しいかの問題ではなく、自分の心が苦々しい思いから解放されるために、まず相手を赦すということは非常に大切なことなのです。
赦し合うということは、神の命令です。しかし赦しが神の命令であるということは、神が赦す心を与えて下さるということです。私たちは自分の力で人を赦せるものではありません。赦せない人を赦す力は神から与えられるものです。
神がキリストによって私たちを赦して下さった、その赦しの大きさを味わった者は、赦せなかった人を赦せるようになるのです。またイエス様を信じる信仰によって私たちの内に内住される聖霊の働きによって、人を赦す力が与えられるのです。
朝鮮戦争のころ、韓国のゲドン教会は、七人の長老のうちの四人が殉教されたそうです。その中の、カン・ドクヘという長老は、共産主義者に捕らえられて、木にぶら下げられ、目をえぐり取られて、体中を殴られました。
しかし、カン長老は目から血を流しながらも神様を賛美し神様をほめたたえたので、共産軍は銃でカン長老の顎をなぐり、すべての歯が折れてしまい、顎も砕かれ、その場で殺してしまいました。
やがて、韓国の軍隊が進撃し、共産軍は捕らえられました。カン長老に関する話を聞いた韓国の軍隊が、カン長老の息子を呼んで、「さう、ここにあなたのお父さんを残酷に殺した敵がいますから、あなたの思い通りしなさい」と拳銃を渡しました。
その息子は共産軍の兵士たちを見た瞬間、お父さんが苦しんで死んでいく姿を思い浮かべ、心が怒りで一杯になりました。そこで彼は、祈りが必要だと思い、しばらく祈りました。彼は、怖くて震えている共産軍の兵士たちに近づきました。そして、こう言ったのです。
「あなたは私のお父さんを殺した敵ですが、私のお父さんは、あなたたちを赦して、祝福して、この世を去りました。私は、そのお父さんの志に従い、あなたたちを赦して愛します」
これが神からいただく赦しの力です。彼には敵討ちをするチャンスが与えられたのですが、神様の愛によってその権利を放棄し、敵を赦したのです。このように赦しというのは、自分に害を加えた人に報復する権利を放棄し、その人を愛することです。そうすることで、すべての怒りと、憎しみと、苦々しい思いから解放されるのです。
カマリエル・べイリは「最も多く赦す人が多く赦される」と言いました。アブラハム・リンカーンは「私は毎日赦す心で生きる」と言いました。ですから、私たちは赦すことを身につけて生活すべきです。私たちは毎日赦し、また赦されて暮すべきなのです。
私たちは完全ではありません。完全な人は誰もいません。すべての人が罪を犯し、神の栄光を受けられなくなったのです。ですから、私たちには救い主イエス・キリストによる罪の赦しが必要なのです。そして、その大きな罪が赦される経験をした者は、絶えず、赦しによって新しい出発ができるのです。赦さなければ、憎しみに心が束縛されて、新しい出発ができません。
簡単に赦せる人を赦すのは、本当の赦しではありません。キリストの恵みによって赦された経験をした人だけが、赦せなかった人を赦すことができるのです。普通ならば赦せる筈のない人を、心から赦すことができるのです。それが本当の赦しであり、十字架の恵みです。
今日の一言: 赦しはあなたを自由にする
平安
鶴田健次
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2013年5月25日(土)に、サンデースクールによる遠足が行われました。場所は、ラスベガスの西南に位置するMountain Edge Exploring Parkです。
ラスベガスの西南であるMaintain Edgeは、新しい地域で建物も公園もとても綺麗です。その上、木々が植えてあるので、日陰もたくさんあり、今の時期に絶好の子供たちの遊び場であり、親たちの夕涼みにはとても良い場所です。
5月といえども、日中の日差しが強いラスベガス。今月から、水遊びできる公園が市内にたくさんあります。このMountain Edge Exploring Parkも水で遊べる場所がありました。そして、砂場もあり、芝生もあり、シーソー、西洋の駅のような作りのプレイグランドなど子供たちのわくわく感が最大限に引だされるような大きな公園でした。

公園の端に集いをもてるようなテーブルスペースがあったので、参加者の皆様の有志により、サラダ、チキン、ポテトウェッジ、おにぎり、フルーツなどたくさんの食べ物が集まりました。子供たちも教会の外で、しかも大好きな公園の中でサンデースクールのお友達と集い、一緒にご飯を食べれることは新鮮であり、とても喜んでいました。

ラスベガスは、自然が少なく、砂漠と人工の町の中にある都市ですが、自然が少ない中でも、こうして木々の自然に触れ、親子のコミュニケーション、友人との交わりに、子供も大人も心癒されたひと時でした。毎年、暦がサマータイムに変わった後は、午後7時を過ぎないと日が沈まないので、夕方の遊び時間が延長されて、子供たちもたっぷり外遊びを楽しむことが出来ます。ラスベガスは夏の夜でも、100Fを超す暑さ。今の時期は朝、夕にエアコンをかけることもなく涼しく、一年で一番過ごしやすい季節です。

ラスベガスは6月から学校の夏休みが始まりますが、これから夏休みに向けて、日本やカナダなど各家族でご旅行をなされる前に、こうして皆で集まれる遠足をもてたことは、心から感謝でした。私たちの教会のサンデースクールは決して大きいものではありませんが、今まで、神の家族同士、週の半ばも互いに連絡を取り合い、密に励まし、助け合いの精神で繋がってきました。これも一重に神の恵みであることを感謝いたします。これからも、神様の愛の中で育まれる子供たちの心がしっかりと神様と繋がっていくものでありますのに、そして、サンデースクールに関わる全てのお働きの上に主の豊かな祝福が降り注ぎますようにお祈りしています。
「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。 」コロサイ人への手紙3:16-17
(LVJCCブログ制作チーム:Sao)
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直美姉の証し②をお送りいたします。①はこちらからご欄ください。
4.洗礼を受けてからの私
さて、洗礼に授かった同年同月私は、仕事でロスに移る事になりました。ロスには、特に知り合いもいませんでした。インタビューに行った当日、オファーをいただき、住むところを探すことになり、会社の上司となる方に、「どこで家を探せばいいでしょうか?」と聞きました。 その方が、「会社の近くにあるマルカイの掲示板に何か出てるかも。」と教えてくださいました。 そして、行くとテナント募集の張り紙が貼ってあったので、大家さんに電話をしました。 大家さんは、会社の近くまで迎えに来てくださり、家を見せてくれました。 その方は、家とアパートを持っていました。
家は、Korean townの一角で、仕事場があるLittle Tokyoまでバスで15分くらいのところでした。
私は、まだ、霊的に生まれたばかりのBabyでしたので、「共に祈り、聖書の学びができる相手が与えられますように」と祈っておりました。その大家さんとは、初めてお会いしたのですが、意気投合し、チラシに書いてあったお部屋は、男性を求めていて出したところ。女性が住むアパートは、今、部屋が空いていないので、私の住んでいるアパートの一部屋を貸してあげると言って下さいました。大家さんは、さらに、「チラシもずっと出さなくちゃいけないと思っていたのだけど、やっと昨日出したところだったの。」と。そして、私から今日電話があったと教えてくれました。
そして、ロスからLas Vegasに戻って、鶴田先生にご報告したのですが、その方は、私がロスで生活するならこの教会がいいんじゃないと、紹介して下さろうとしていた教会 ロサンゼルスホーリネス教会に通う熱心なクリスチャンでした。私の共に祈り、聖書の学びができる人を神様は、ご用意してくださっていました。
その方は、いつも祈る方でした。また、聖書の事を教えてくれました。彼女を通して、建物を購入するにあたって神様が働いて下さった事を教えてくれました。その方は、イエス様に救われ、日本から、宣教師としてアメリカにこられ、日本人伝動を熱心にされていた方でした。
仕事は、毎日忙しかったですが、とても充実していました。一緒に働いていた方や上司もみな優しく、新しい仕事を覚える事が楽しかったです。ミネソタからこちらに移ってきた時、車も手放しましたので、車はありませんでした。 毎日バスで通っていましたが、ときどき夜9時にLittle tokyoのバス停に立ち帰路についていました。真っ暗でした。 でも、毎日神様が守ってくださいました。
そのお仕事を通して、その後Torrance, 日本、San Diego、そして最後は、またTorranceへ戻ってきました。救われてからLas Vegasの地を離れ、勤務中の6年半色々な事がありました。ただ楽しいと過ごす時期だけではありませんでした。特に最後の2年半Torranceでは、朝9時から夜9時まで週末も無く働きました。仕事が大変なときもありましたが、神様が、最善を尽くしてくださると信じ、悲しい時こそ 賛美によって救われ、祈り、そのところを通してくださいました。問題や状況に目を向けてしまうサタンの策略に陥ってしまい身内の人達に、弱音を吐いてしまったこともありました。しかし、神様に祈り求めるとき、また、御言葉に耳を傾ける時、平安が与えられました。また、Devotionを通して、神は、いつも私とともにいてくださり、小さな御声で語り掛けてくださることを知りました。毎日、Devotionを繰り返すことで、少しずつ神様の語られている事が私の心に積み重なっていきました。 神様の言葉を繰り返し、自分の遣わされている生活の中で、神の恵みに目が向けられていくようになり、感謝することができるようになりました。
同僚の人が私に言いました。 「どうして、この会社に戻ってきたの。あなたなら、きっとあなたを大切にしてくれる会社がほかにもっとあると思うけど、」と。 私はもし、神様がこの会社に導いたのであれば、きっと戻されるという鶴田先生の言葉が心からはなれませんでした。日本支部で働いていた2009年、その年のH1 VisaがまだCapに達していないという記事を新聞で見たとき、アメリカのPartnerに電話して、「もう一度アメリカで働きたい、Visaにアプライできませんか。」と聞きました。そして、即効またお返事をいただき、2010年の1月タックスシーズンの真っただ中に、San Diego事務所からの再出発となりました。その後、父が天に召され、日本帰国を決意する2012年4月までに、Torrance事務所に移動することになり、同時に、Southbay Japanese Churchの鍵和田先生にも大変お世話になりました。また、教会員の方々のまっすぐな信仰に勇気づけられました。そちらで受けた聖書クラスを通して、毎週1回夜2時間超キリストによる兄弟姉妹と勉強しました。クラス外では、御言葉暗誦や聖書朗読、Devotionと毎日、課題も与えられました。全ての課題は、数値化され、ある点数を超えないと罰金、いえ、献金が待っていました。かなり密度の濃いクラスでしたので、クラスは約3か月と限られその後、3か月程休んで、次のクラスに進んで行きます。私は、1つ目のクラス最後の一コマを残して、日本帰国となってしまいましたが、このクラスを通して、神様の事がもっと知りたい、クリスチャンとして成長することを神様がのぞんでいらっしゃるという事を教えて頂きました。
神様は、コロサイ3:15-17を通して、私に指針を与えてくれました。
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」
「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」
また、これらの御言葉も私を勇気づけ、信仰の道を進ませてくださいます。
テサロニケI 5:16 「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられることです」
ヘブル 11:1 「信仰は、望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
ヘブル 11:6 「信仰がなくては、神によろこばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」
しかしながら、イエス様の十字架によって罪を取り去ってくださった後も、自分の現実を見て神様に感謝できない時、御言葉に心を閉ざしてしまいそうになる時、私は、何度も人をせめ、傷つけてしまいました。でも、これは、神の御心ではありません。頭でそうわかっていても、気持ちが抑えられない時がありました。これは、私の心に住む聖霊様をはじっこに追いやらせている状態の時でした。なぜこんな風になってしまうのか、もうこんな風になりたくないと思いました。 こんな私を助けて下さいと祈りました。そして神は、いつでも感謝する心は、イエス様の十字架と復活の約束に目を向けることにより、ただただ、神の恵みと憐れみによるのであって、私の頑張りの結果ではないという事に気付いかせてくださった時、心の糸がはじけて、感謝の思いと共に、涙によって心が洗われたのを覚えています。
詩編 50:23 「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」
神様は、与えられたご計画を中途半端にさせる方ではありません。主は私に思いを与えて、今までも仕事をしながら挑戦していたUSCPA米国公認会計士の試験に改めて挑戦しています。全4科目で14時間の試験です。会計、監査の世界は今、国際化の流れの影響を大きく受けて、アメリカの会計基準を国際会計基準に近づける事をしており、試験にも多くの変化をもたらしています。今まで覚えていた内容が変更されたり、変更がすべて終わっていないため、米国基準と国際基準の両方をテストされます。また、試験制度も独特で、一度受かった科目もある期間までに全4科目を取り終えないとExpireしてしまう試験です。一度受かった試験が、Expireによって落ちるという経験は、かなり精神的にはショックなことですが、神様は、今も生きて私の人生においても働いている方、命を与える方、無から有を生み出す方です。私は、神様との経験を通して、神様も100%働いていらっしゃいますが、私も100%やるべき事をすることを神様は、求めていらっしゃる事を痛感しています。
主は、憐れみ深く、耐えられない試練は与えられません。 コリントI10:13 に書かれてているように、いつも逃れの道を用意してくださっています。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
教会の皆さんのお祈りのおかげで、最後まで受からなかった科目が今回の滞在中最初にPassしました。
5.これからの信仰生活において
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。とヘブル12:2であるように私も生かしていただきき、今まで受けた恵みをお返しできるように、人と神の前に正しく生きる事ができるようになりたいです。
エペソ2:8-10
「あなた方は、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 それは、自分自身から出た事ではなく、神からのたまものです。 行いによるのではありません。誰も誇る事のないためです。私たちは神の作品であって、よい行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちがよい行いに歩むように、そのよい行いをもあらかじめ備えて下さったのです。」
コリントI 15:57、58「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えて下さいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの苦労が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」
(LVJCC:直美)
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今日は、“神の国の数学”について考えてみました。
普通は、自分の持っている物を誰かに与えると、その分が自分の持ち物から減るものですが、与えれば与えるだけ増えていくものがあります。その事について聖書はこのように教えています。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカの福音書6:38)
この法則はこの世の現実の至る所で確認できることですが、本来これは神が私たち人間に与えられた祝福を得るための原理なのです。つまり、この世の数学は加減乗除のルールに基づいており、引けば引くほど元の数字は減っていきますが、“神の国の数学”では、与えれば与えるほど自分の持っているものが増えていくのです。
たとえば、幸福は人に与えることによって増大する財産です。幸福は他者に与えた分だけ自分に返ってきます。またそればかりでなく、「幸福は伝染する」とマザー・テレサは言いましたが、まさに幸福を人に与えると、その幸福はさらに周りの人々に幸福をもたらします。なんという素晴らしい法則でしょうか。
また、お金もそうです。神のため、世のため、人のために使うお金は、やがて何倍にもなって自分のところに戻ってきます。ささげる事に熱心な人々の多くが富める人たちであるという現実は、この法則を証明するものと言えるかも知れません。
また仕事においても同様で、時間、能力、経験など、まず自分の持っているものを最大限に捧げるなら、やがて必ず大きな報酬を得るようになります。もちろん人生で最も素晴らしい報酬は金銭的なものからではなく、人の幸福に役立てたという精神的な満足感から得られるものです。「あなたと取引することに決めてよかった」とお客に喜んでもらえるよう仕事に取り組めば、必ず大きな報いが付いて来るのです。
さらには、与えることで最高の見本を見せて下さったのはイエス・キリストです。キリストは神の御子であられましたが、あなたのためにご自分の命を与えて下さり、それによってあなたの罪を赦し、永遠の命という祝福を与えて下さいました。
ところが更に、神は十字架の死に至るまで神の御心に忠実であられたキリストを死者の中からよみがえらせ、その後、生きたまま天にまで引き上げ、この世のあらゆるものの上に置かれたのです。
このように、与えるものが大きければ大きいほど、得るものも大きいのです。あなたも、この“神の国の数学”を心に留め、与えることにチャレンジをしてみてはいかがでしょう。
今日の一言: 幸福は人に与えることによって増大する財産
平安
鶴田健次
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1.イエス様を受け入れるまでの私
イエス様に出会うきっかけは、日本にいるころはほとんどありませんでした。しかし、私にとっての理想の父親像を描いていた「大草原の小さな家」は、とても好きで毎週見ていました。そして、そこで教会という存在を知りました。また、イエス様についての漫画が私の居たところでは放映されており、ときどき見て、そういう人がいるのかなー、いったい誰なんだろうと思っていた事を覚えています。私は、父親の仕事の関係で、生まれは、母の田舎の鹿児島、その後横浜に戻り、幼稚園時代は、熊本、小学校時代は、大阪、中学校は、宮崎と千葉県松戸市、高校時代は、千葉県柏市から都内の高校に通い、大学も千葉にある学校に通いました。 沢山の地域に転居し、色々なところで、双子である私を珍しく思ってくれる方々に恵まれ、沢山の人とすぐ友達になれる事を嬉しく思いながら、沢山引っ越しをするから、きっと私は、双子に生まれたのだといつしか思うようになりました。
外から見ると、いつもにこにこしていて、また、弱い人をみると、ほっておけない性分で人のために何かしたいと行動していました。しかし、 私の中で、なぜか埋められない空洞が心の中にあるのを感じ、その穴を人に埋めてもらおうとした事もありました。 沢山のところに引っ越す中で、いい子の自分を演じて、本当の自分や、思いを表現することをいつのまにか抑えるようになっていました。
そんな中、湾曲的な表現を好む日本語と違い、思いをストレートに表現する英語という言語とその言葉を話すイギリスやアメリカに興味を抱くようになり、日本の大学では、英語英文学科を卒業しました。 聖書を開く機会が、その大学で与えられました。「キリスト教概論」というクラスを受講しました。 その時は、カソリック教会の神父さんが、新共同訳を使って授業をしてくれました。その時に習った御言葉は、あまり覚えていませんが、聖書に線が引いてありましたから、ちゃんとクラスを受けていたのでしょう。 何にでももともと好奇心旺盛で、勉強は、嫌いではありませんでした。 その神父さんは、聖書のほか、「北の国から」というTVドラマのビデオを見せてくれ、神の愛は、このようなものですと、説明してくれた事を今も覚えています。 しかし、教会に行く機会などは、与えられませんでした。
イエス様のことは、当時全く分かりませんでしたが、大学卒業後、社長秘書をして、英語プラスビジネスの事を学びたい、アメリカの大学に行こう、日本人の少ないところに行こう、そう想うようになりました。 ミネソタ州にある小さな大学町Winonaというところにある州立大学で会計学を学びました。2002年1月の事です。 それから、大学を卒業する3年間をミネソタで過ごしました。朝も夜も夜中もずーと勉強しました。 私の思いは、やっと、アメリカで勉強ができる。これから、勉強をして、いい成績を残し、よい仕事をしよう。ということでした。 そこで、神様は、私がイエス様を受け入れる機会を与えて下さっていたことは、その時はわかりませんでした。
2.イエス様と出会うきっかけ
イエス様に出会うきっかけとなり、私に具体的にイエス様の事を教えて下さった方、教会に導いてくれた方は、4人います。 最初にミネソタ州で出会うAlとJoyceというご夫妻、次にラスベガスで出会う、薫姉妹と鶴田先生です。 最初のお二人は、当時留学生にイエス様の事を伝えたいと、活動されていた敬虔なクリスチャンご夫妻でした。 月に2回ほど、私ともう一人の日本人留学生と共にお宅に歓迎してくださいました。 異文化にも興味を持っていてくださり、食事をごちそうしてくださり、家族のように受け入れてくださり色々な話しをしました。 お二人とお話しさせていただく中で、今まで出会った人とは違う芳しいキリストの香りを放っていらっしゃり一人の人間としてとても魅力的でした。でも、その魅力は、その人から出ているのではなく、その人の信じているイエス・キリストから来ているという事が、イエス・キリストを信じる者として変えられた今はっきりとわかります。 でも、その当時は、何かが違う、なんなんだろう、と、よくわかりませんでしたが。 私自身は、勉強に必死で、神様を受け入れることは、何か自分の弱いところを認めるようで怖かったし、絶対にできないと思っていました。
卒業と同時に、西海岸あるいは、妹の居るラスベガスでお仕事をしたかったので、こちらのラスベガスに移ってきました。 最初ここでお仕事を探しましたが、OPT Statusで仕事をさせてくれるところは、なかなかありませんでした。 3か月ほど、ラスベガスにある旅行会社に勤務しましたが、会計のポジションではありませんでしたので、新たに仕事場を探していました。 そんな時、すでにクリスチャンになっていた薫姉妹に、何度かこちらの教会に誘われ、「鶴田先生の聖書クラスを受ければいいのに」とお誘いを受けました。 何度かお誘いを受けたかもしれませんが、受けてみたいという心がいつの時か与えられました。 後から振り返るとその思いは、聖霊様の働きによるものだとわかります。
コリント I12:3「ですから、私は、あなた方に次の事を教えておきます。 神の御霊によってかたるものはだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」ということはできません。」
3.イエス様に出会って、洗礼を受けるまで
聖霊様が私に聖書クラスを受けるように気持ちを変えてくださってのち、クラスを受けるたびに平安を与えてくださいました。 聖書クラスが終わり帰路に就いていた私は、神様が目的をもって、私たち一人一人をこの世に造られたことを知り、喜びの思いを与えられとてもうれしくなったことを覚えています。
ピリピ4:6,7 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えに勝る神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
教会の方々が、救いの事、お仕事の事を私のためにお祈りしてくださっていました。 2005年11月、この日は、優子姉妹とご一緒に洗礼の恵みに授かりました。私は、肉的にも双子ですが、霊的にも双子でいれて嬉しかったです
。

(上:2005年洗礼式。左から優子姉(お腹の中にいるのは善君)、鶴田先生、直美姉、下:2013年5月)
ヨハネの黙示録4:20 見よ。私は、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼も私とともに食事をする。
ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
※来週に続く
(LVJCC:直美)
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