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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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「絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。」

世界の舞台で活躍した日本の代表的な医学者/細菌学者・野口英世の言葉です。英世は黄熱病の研究はのみならず、ヘビ毒の研究、梅毒の研究、トラコーマの研究、小児麻痺の研究、狂犬病の研究などなど・・・彼の残した業績は計り知れないものがあります。

野口英世は1876年福島県・猪苗代町で生まれ、清作と名づけられました。父は、酒と博打が好きであまり働きませんでした。 清作が1歳の時に、母親が目を離したすきに火のある囲炉裏に右手を入れてしまったのです。そのせいで、右手の指が火傷し握った形で全部くっついてしまいました。母親は、清作がこのようになったのは自分のせいだと罪責を感じ、「手が利かないのでこの子には農業は出来ない、この子には学問しかない」と、清作を学校に通わせました。

当時は小学校にも全員が行けるわけではなかった時代です。貧しい家の子で学校に行っていたのは清作一人でした。その為に母親は働き尽くめで、生活を支えました。そのような母親の姿を見て、清作は猛勉強をしました。清作は、やけどでいじめに遭うことがありました。ある時はその様な自分を悲しみ、指をナイフで切り離そうとした事があったといいます。しかし15歳の時でした。学校の先生や級友が集めてくれたお金で、左手の手術を受け成功したのです。成功したと言っても自由に動くようになったわけではありませんでした。しかし、あきらめていた身体の不自由を癒してくれた医学に尊敬の念を抱き、自分の進む道が清作の心の中に与えられました。

1894年、彼の村に牧師が英語塾を開きました。清作もその英語塾に通うようになりました。そして18歳の時にキリストを信じ洗礼を受けました。その教会の二人目の洗礼者として、当時の洗礼帳に野口清作の名が記され、今も残っています。

洗礼から1年後の19歳の時に医師の資格を修得するために上京を決意しました。その時自分の家の柱に「志を得ざれば、再び此地を踏まず」と刻みました。この言葉からも清作の強い決心の程が読み取れます。

東京に来た清作は、いじめに遭いながらも猛烈に勉強し、僅か一年で一回の試験で合格しました。その後、順天堂医院に勤務。さらに北里柴三郎のいる伝染病研究所に勤務しました。その年22歳で英世と改名しました。23歳でアメリカに渡りました。そこで、フィラデルフィアに住んでいた熱心なクリスチャンのモリス夫妻と出会いました。この夫妻は、日本人留学生の面倒を熱心に見ておられる方で、明治のクリスチャン青年達の内村鑑三、新渡戸稲造、津田梅子らも大変お世話になった夫妻です。彼はペンシルベニア大学医学部、ロックフェラー医学研究所研究員、細菌学者として、数々の論文を発表し有名になっていきました。また、ロックフェラー医学研究所に在籍中にアメリカ人女性と結婚をしました。

その後、蚊によってウィルスが体の中に入り、高い熱が発生し体が黄色く変色し、やがて死亡する黄熱病が流行りました。野口英世はその黄熱病研究の為に南米のエクアドルに行き、そこに行ったわずか9日目に、病原体を発見するという偉業を成し遂げました。その後、メキシコ、ペルー、ブラジルへと黄熱病の研究の為に渡りましたが、南米で終息した黄熱病は、次にアフリカで猛威を振るうようになりました。英世はアフリカ行きを決意します。しかし体調を崩していた彼に、多くの友人がアフリカ行きを反対しました。そのとき野口英世は「人間は、どこで死んでも同じです」という言葉を残して、アフリカのガーナへと向かったのです。そして研究のさなかの翌年、彼自身が黄熱病にかかり、53才で召されました。

彼は自分の人生の半ばで振り返って「自分が手の火傷をしなかったら、今の自分はなかっただろう」と言っていたそうです。そして、数々の偉業を成し遂げ、数え切れないほどの人々を病から救った熱心の背後には、神様から受けた愛と使命があったのではないでしょうか。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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2013.03.30 23:22 | 牧師室より
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今日は、“十字架の七言”について考えてみました。

今日は、イースター前の金曜日、Good Fridayです。つまり受難週のクライマックス、いや神の人類救済計画のクライマックスとも言える日です。

イエス・キリストはゲッセマネの園でローマ兵によって捕らえられた後、幾つもの場所で取り調べを受けられました。金曜日の夜明け前にはアンナスの家で。夜明け頃には大祭司カヤパの家で。夜明け後はサンヘドリンの議会で。早朝はローマ総督ピラトの官邸とヘロデの宿舎で。そして再度ピラトの官邸で最終判決を受けられました。

イエス様はこの判決の後、直ちに処刑されるゴルゴタの丘へと引かれて行かれました。イエス様は約6時間、十字架の上で苦しみを受けられましたが、そこで七つの言葉を発せられました。その一つ一つは実に驚くべき神の救いと愛の御業を示している言葉です。では、イエス・キリストが十字架上で語られたその七つの言葉を見てみましょう。

1.「父よ。彼らをお赦し下さい。父よ。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34) 

第一の言葉は、とりなしの祈りです。イエス様は手と足を十字架に釘付けられ、裂ける手足の激痛に身もだえしながら、血を吐くような苦しみの中で「父よ。彼らをお赦し下さい。・・・・・」と、とりなしの祈りをささげてくださいました。いったい「彼ら」とは、誰でしょうか? 確かに、それはイエス様を釘付けしたローマ兵やユダヤ教の指導者たちですが、実はその中に、あなたもいたことを忘れてはならないのです。

2.「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

第二の言葉は、約束の言葉です。ゴルゴダの丘に三本の十字架が立てられました。それはイエス様と共に二人の強盗のためでした。二人の強盗は最初はどちらもイエスを罵倒し、嘲っていましたが、途中で強盗の一人に明らかな変化が生じました。十字架上のイエス様のあまりにも崇高なお姿を見て、彼はイエス様を神の子と認め、救い主と信じたのです。その悔い改めた強盗に対するイエス様の約束の言葉がこれです。どんなに罪深い人も、悔い改めてイエス様を救い主と信じるならば、罪の裁きから救われ、永遠の命を受けることができるのです。

3.「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」(ヨハネ19:26)
「そこに、あなたの母がいます。」(ヨハネ19:27)


第三の言葉は、思いやりの言葉です。十字架刑は、世界で最も残酷な処刑の方法で、その苦痛がどれほどのものであったかは想像を絶するものがあります。このような苦しみの中では、人は他人のことを思いやるゆとりなどありません。しかし、イエス様は、その苦しみの中で母マリヤに目を注ぎ、このような声をかけられたのです。イエス様はご自分が十字架で死んだあとの母を気にかけ、ずっと十字架まで従って来た愛弟子ヨハネに母を託されたのです。

4.「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)

第四の言葉は、神に見捨てられた言葉です。まず、この言葉は旧約聖書の詩篇22篇1節と同じ言葉ですが、そこには、やがて来られるメシヤの十字架の場面が預言されています。聖書に、「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされた(第二コリント5:12)」とあるように、罪の無いキリストが私たちの代わりに神に捨てられたのです。神に捨てられるということは、どれほど恐ろしいことだったでしょうか。それは、みな私たちの救いのためだったのです。

5.「わたしは渇く。」(ヨハネ19:28)

第五の言葉は、死の苦しみの言葉です。体から血が流れ出る時はとても喉が渇くそうです。6時間の十字架の苦しみです。傷口からは、血は絶え間なく流れ出ていました。ですから、体液が極度に薄くなっていたことは確かです。その渇きが限界に達したとき、イエス様は「わたしは渇く」と言われたのです。

6.「完了した。」(ヨハネ19:30)

第六の言葉は、救いの完成の言葉です。イエス様は死を迎えられる直前に「完了した」と言われました。この箇所の意味は、旧約聖書で預言され続けてきた人類救済の神の御業がすべて完了したということです。キリストが受肉され、赤ちゃんとして誕生されたのも、多くの迫害や試練を通られたのも、三年半の公生涯も、すべてはこの御業を完成するためでした。十字架上での6時間の苦しみ、特に後半の3時間の闇の中の沈黙の時間も、すべてはこのときのためだったのです。イエス様の生涯の目的は、すべて十字架の死にありました。そして、このキリストが成就された救いの御業は完了したのですから、人間が自らの救いのためにこれに加えるものは何もないのです。

7.「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)

第七の言葉は、父なる神に委ねる言葉です。イエス様はなすべきすべてが完了して、ご自分の肉体の死が間もなくやって来ることをご存じでした。そのわずかの間、イエス様は目を天に向けて父なる神をご覧になりました。おそらく、この時には暗闇が晴れ、光が射していたかも知れません。この時のイエス様の心は安らぎに満ちていたことでしょう。

その時の神は、「わが神。わが神。」と叫んだ時のものではなく、昔と変わらぬ慈愛に満ちた御父の御顔であったことでしょう。イエス様は、一切のことを御父にゆだね、「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られたのです。私たちも、最後に息を引き取るとき、愛の神にすべてを委ねることが出来る者でありたいと思います。

今日の一言: キリストは私の罪のために死んで下さった

平安
鶴田健次

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2013.03.29 15:00 | 牧師室より
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私は1997年に日本で勤めていた仕事の関係で夫と出会い、結婚し、アメリカに来て14年が経ちます。夫はがっちりとした体格で、きついイメージがあるかもしれませんが、実は話すと優しくて、相手にいつも気を遣って、また場を楽しくする天才だなといつも感心します。そんなタイプなので、社交場に行くと、よくもてるんです。見ず知らずの女の人が夫を奪いダンスをし始めたりなど、アグレッシブすぎる女性に対して嫉妬する必要もないのに嫉妬し、悪くない夫に当たりまくって、ひどい喧嘩になったこともよくありました。そしてこんな嫉妬深い性格が自分自身とても嫌でしたが、その思いは抑えようと思っても抑えきれませんでした。

また、神様を知りませんでしたから、自分の力で一生懸命生きていた所がありました。日本では、バスガイドとして働き、アメリカに移って来てからは、ウェディングコーディネーターを経て、Wynnホテルのフラワー部門で働き、自分で一つ一つ壁を乗り越えているように思えましたが、何か満足しないものがありました。実はそれは、心の中に埋められない空洞があるために、仕事を頑張ったり、色々な欲しかったものを手に入れたとしても、また理想的な結婚相手を見つけたとしても、人には埋めることのできない心の空洞があるということを教会に行くようになってから知りました。それを埋められるのは、神様しかいない。自分自身も後々、神様を知り、受け入れてから心の空洞が埋められるという体験によって分かりました。

私がラスベガスに来て出会ったけい姉妹と3年ぶりの再会をはたしました。その時のけい姉は「私クリスチャンになったの、今度教会に遊びに来て!」ととても嬉しそうにお話ししてくださり、喜びに満たされていました。そんなけい姉が証をされるというので、初めてこの教会に来ることとなりました。教会の皆様はとても優しく、先生のお話や賛美にジーンときました。

また、神様が送ってくださったもう一人の教会への導き手は、私の双子の直美です。彼女がミネソタで学生をしていた頃、ホストファミリーからイエス様の話を聞いたり、教会に行く機会があったそうです。その後、ちょうど仕事でラスベガスに住むことになり、こちらの教会にも行き始め、洗礼を受けました。神様を知ってからの直美は、御言葉に耳を傾け、お祈りし、賛美するという、新しい直美が生まれていました。

また、私を教会に導いてくださったもう一人の方は、薫姉です。薫姉のクリスチャンになってからの聖化の歩みを目の当たりにし、喜びに満たされ、神の愛を受けて輝いていました。その頃ちょうど薫姉はよく神様のことを家に来て話してくださり、聖書の入門クラスを何度も誘ってくださっていました。ある日「聖書の勉強を始めたらいいのにね。」と薫姉に言われた時、当時5ヶ月だった我が子が思いっきり笑って、喃語をいっぱい話し始めました。まるで私に聖書の勉強をして、と言っているかのように思えました。不思議な事に、その時初めて、自然と「このクラスを受けてみたい」と思いました。

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(左:双子の直美姉、中央:薫姉、右:香織姉と息子さん)

それから、リンカーンの母の言葉やリンカーンの聖書観を通して、聖書への興味がまた更に深まり、毎週の勉強の日が来るのが楽しみで、もっと知りたいという気持ちでいっぱいでした。ただ、“主イエス・キリストが私の救い主であり神様である“という確信がありませんでしたので、そのことを鶴田先生に話した時、「クリスチャンになるのは確信や納得をしてなるものじゃなくて、信じるか信じないかでなる。確信はクリスチャンになってから色々な経験を通して与えられるものです。」とおっしゃられ、とても心が晴れやかになりました。

2006年5月8日は私にとって運命の日となりました。この日、『十字架の意味』を入門者クラスで教えてもらい、主イエス・キリストが私の救い主で神様であると受け入れ、信じました。完全な愛と義の神様が、子なる神を十字架に架け、私のすべての罪が許されたのだ、ということを知り、ただただひれ伏す思いでした。そして7月2日に洗礼式を受け、古いものは過ぎ去って、すべてが新しくされました。

信仰を持つようになってからの私ですが、最初にお話していた抑えたくても抑えられなかった嫉妬心は、今でも嫉妬はありますが、その大部分が不思議と穏やかなものになりました。もうこれ以上私の罪のためにイエス様を十字架につけてはいけないと悔い改め、御霊の実(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)を私の内に与えてくださるよう聖霊様の助けを祈りました。

また、信仰を持つようになって気づかされた事が沢山ありますが、そのうちの一つは、『正しい土台の上に子どもを育てる』という聖書が教える夫婦の関係と子育てを学んだときです。その土台とは、イエス・キリスト。神様はひとり子イエスによって両親チーム(夫婦)を組織し、導いてくださっていること、親としての務めを全うすることは、神によってのみ可能だということを知りました。

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(香織姉とご家族)

また、エペソ書5:22「妻たる者よ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」、エペソ書5:25「夫たる者よ、キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」の御言葉も常に心にとめてあります。

最後になりますが、自己中心で罪深い者が、神様の恵みにより救いにあずかり、神の子とさせていただいたものにふさわしく、これからどういう信仰生活をしていきたいか。それは、神様に与えられた妻や色々な役割を神様によってまっとうしていけるよう祈り求めます。また、本当の神の声、キリストの御声を聞き取れる器となれるよう、神に用いられやすい器となれるように祈り求めます。そして色々な状況の中で、イエス様は私にこういう時どうしなさいとおっしゃるか、意識して主に喜ばれる歩みをしていくことができますように。そのような信仰生活をしていきたいです。

(LVJCC:香織姉)

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2013.03.26 21:10 | 証し
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「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から艱難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」第二コリント4:7-10

速水氏は大正生まれで、両親、兄二人の5人家族。お母様と長兄がクリスチャンで、速水氏を信仰に導きました。特に短い生涯ながら、立派な死に方をされた長兄を見て自分も考えるものがあり、大学に復学した終戦のクリスマスに洗礼を受けられたそうです。それから、同じ教会に籍を置き、日曜日には教会の礼拝の出席をする事を慣習化してこられました。

冒頭の御言葉はコリント人への手紙第4章からの御言葉ですが、キリスト生誕2千年以上たっても、日々、生きて自分の生活を支えてくださっている御言葉であると語っておられました。もし、自分が並外れた偉大な力を発揮する事ができたとしても、それは自分の力ではなくて神のものであって、自分のものではない。自分が非常に大きな仕事ができたとしても、力強く動いていたとしても、それは神が力を与えて動かしてくださっているから。だから、四方から艱難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。とパウロは語っている事がわかると解説されていました。

以下は速水氏が信仰について語っておられた事です。

私は何をおいてもできる限り日曜日には礼拝に出席しています。それは、総裁の時にもそうでしたし、今でも大事にしています。毎回、どの教会でも、講壇の後ろに十字架がついているので、その十字架に1対1で対面し、十字架を見上げて、過ぎた1週間の自分のした事がどうだったかを神様と語り合います。そうして、神様と1対1に話し合う事が、次の1週間へのリフレッシュメントになり、慣習として続けた事です。それはクリスチャンになったことで、非常に幸せであったと思っています。

クリスチャンになって感謝しているもう一つの事は職業観の持ち方です。私は大学を卒業してから日銀から民間の企業、それから財界の責任者になれと頼まれて、また新たに総裁になれと、いう事がありました。非常に経済的に難しい時代で私も色々と迷いました。とても自分の力ではできない。そうかと言って、新しい法律ができて、外からきた人がやるのは大変ではないかとも思いました。その時、73歳でしたが、受けてみようと決断できたのは、神様からのcallingコーリングがあったからです。

そして、困った時には3つの事を自分に言い聞かせていました。①主われと共にいます。②主われを愛す。③主すべてを知りたもう。この3つの事をいつも繰り返し、イエスかノーをはっきり言うように努めたつもりです。なるべく上を向いて、神様へ祈りながら、自分のしたことをかえりみながら、教会に行き礼拝を守り、上を向いて仕事をしてきました。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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2013.03.24 00:33 | 牧師室より
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今日は、“心のゆとり”ということを考えてみました。

ノートルダム清心学園の理事長である渡辺和子先生の著書には、心に残る数多くのエッセーがありますが、その中の一つに「2%の余地」というエッセーがあります。そして、そこにこのような示唆に富んだ言葉が記されています。

「信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる。」

渡辺先生はあるとき、学生に、「お父様を亡くした友だちに何と声をかけてやったらいいでしょうか。シスターだったら何と言われますか」と聞かれたそうです。

そこで先生は、「ただ傍にいて手を握ってあげていたらいいと思う。何をいったら相手が慰められるだろうかじゃなくて、あなたの、本当に相手を想う気持ちが大事なんだから。手を握らないでも傍にいてあげるだけでいい。私も父親を亡くしたのよ。だからあなたの悲しさはよくわかるわ、なんていうことはあまり安易にいわないようにしなさい」と言われたそうです。

たとえ自分にも父親を亡くしたという経験があったとしても、その自分が経験した悲しみと、他の人が父親を亡くした悲しみとは、決して同じではない。お互い別個の人間なので、共通するところもある反面、解かり得ないところもあるということなのでしょう。

人間は決して完全に解かり合えることはできません。だから、どれだけ相手を信頼していても、100%信頼するべきではなく、98%にしておいて、あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。それが「2%の余地」の言わんとするところなのでしょう。

人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなるのです。100%信頼していたいと願う人間関係は、一見理想の関係に見えるものの、実は最も壊れやすい人間関係であり、すべての人間に自己中心という罪の性質があることを忘れている人が犯す間違いなのです。

「あなたは私を信頼してくれているけれども、私は神様じゃないから間違う余地があることを忘れないでね」ということと、「私もあなたを他の人よりも信頼するけど、あなたは神様じゃないと私は知っているから、間違ってもいいのよ」という心、これが「2%の余地」であり、自分にも相手にも罪の性質があり、しかし互いに神に愛されている尊い存在であることをわきまえた人の“心のゆとり”ではないでしょうか。

私も、100%信頼されたら困ります。私にも間違う余地を残しておいて欲しいと思います。その人のためにと真剣に思っていても、説明の言葉の不完全さ、不十分さのために思いもよらない誤解を受けることがあります。あるいは、正しく誠実に生きようとしても、間違うこともあれば、約束を忘れることもあります。そういう時に私も許してほしいと思います。

「信頼は98%にしておく」というのは、「人を常に疑ってかかる」ということではありません。むしろ信頼するという点では、相手を100%、いや120%信頼するのです。しかし同時に、相手は、自分と同じように、間違いを犯しやすい人間である。一生懸命努めても、失敗することもある人間である。そういう人間であることを踏まえた上で、その人を信頼する、ということです。

教会においても、いろんな事がよく出来る人に過度の信頼を寄せて、いつもそういうものを期待する、ということが起こります。そして結果が期待に沿わなかったとき、信頼関係まで崩れてしまうという危険性があります。教会においても2%のゆとりを持つことは大切なことです。

間違うことを許すという「ゆとり」、それはすべての人間関係において忘れてはならないことだと思います。

今日の一言: 2%の心のゆとりを持とう

平安
鶴田健次
2013.03.22 14:54 | 牧師室より

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