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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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(上:望年祈祷会の様子 下:Sao姉と3人の子供達)

去る12月26日、午後6時より毎年恒例の望年祈祷会が持たれました。望年祈祷会は、一年の数々の恵みを主に感謝し、来る年に望む思いを主に祈り求める集会です。まず皆様で、天ぷら、わかめ、お葱、かまぼこをのせた美味しいおそばを頂きました。

今年は、振り返ってみるとアメリカでも色々なことが起こりました。東海岸の台風被害に、コネティカットの射撃事件などが起こり、聖書にも記されている世の終わりが近づいていることを示すような事件が次々に起こったように思います。ラスベガスも不景気の中、やはり失業率が高く、仕事を持ってない方が町に溢れていました。そのような中でギャンブルにまみれたSin City(罪の街)ラスベガスに住む私たちがイエス様の十字架への信仰を持ち、ソドムのように滅ばされていないことは、本当に心強い励みです。

私の2012年は、一言で言うと”辛抱”の年でありました。去年2011年の今頃は、私は教会で年越しそばを食べ、「わたしは教会の礼拝や祈祷会、SGにも参加しているし、奉仕もしてる。悪くないよね?」というような、信仰的にも生温い気持ちでいました。そんな私が2012年には、家庭の事情により、綱渡りのような5ヶ月を辛抱し、その後の7ヶ月は、その後遺症で悩む年になるとは、心にも思いませんでした。

綱渡りの状態から始まった2012年。私は、毎日が不安と悲しみで心が一杯でした。頼るものは何もない、八方塞りの毎日でした。毎日聖書をすがるように読み、一日の半分を祈り心を持って過ごし、夜も寝る間を惜しみ祈りをしたことも多々ありました。

今考えると、毎日が必死でした。”神様に助けてもらう”という軽い感じではなく、本当に”すがらないと生きていけない”状態でした。奉仕も賛美のご奉仕、ブログのご奉仕を続けさせていただき、足らないものではありましたが、今思うと主を思い奉仕をする時だけは、神の平安の中にいれたことを思い出します。そんな中、祈りは聞き届けられ、状態は緩和され、回復の道をたどっていきました。

神様にすがらないと生きていけないほど辛かった前半の2012年とは裏腹に、後遺症としてやってきた2012年後半には、違う課題が浮かび上がりました。負った傷は想像以上に深く、疑心、イライラ、怒り、悲しみ、そんな色々なものが、傷ついた私自身に鋭い刃とともに襲い掛かってきました。

このままでいいのかと疑問を抱いていた時にも、仕事場や教会、家庭でも問題が浮き彫りになりました。私は、きっと場所を変えたらきっと状況も変わるだろうと思いました。そんな時、カルバリーチャペルのキャンドルライトに参加する機会が与えられました。キャンドルライトで悔い改めのお祈りのリードと共に声に出して祈ったことが、とても強く印象に残り、家に帰ってから、インターネットで調べました。今までは悔い改めと言っても具体的にお祈りの仕方がわからなかったので、その日以来、心に思い患いがある時は、決まって声に出し、悔い改めの祈りに励みました。それからです。神様と私の間に詰まっていた栓がすぽん!と抜け、喜びに満ち溢れました。その時に神様が私に教えたかったことがわかりました。“場所によって状況が変わる”のではなく、神はその問題を示し思いを与え、“私自身に変わりなさい”と仰っていたのです。

神は私達に、一人ひとり神様の為に使う賜物と役割を与えて下さいました。しかしながら、私は神様に助けてもらうことばかりであった2012年を通して、神様にひれ伏し、私をお用いくださいとただ願うのであれば、神はそれを乗り越えられる力を与えてくださることを学びました。こうして、私が辛い試練を通されることにより、「弱いときにこそ私は強くなれるんだ」という神の御言葉である聖書箇所を大きなレッスンとして体験できたことを、心から感謝いたします。

『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』(第二コリント12:9-10)

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

2012年もLVJCCブログに沢山の応援をありがとうございました。2013年も皆様の上に沢山の祝福がある事をお祈りいたします。良いお年お迎えくださいませ。最後にクリックで応援をお願いいたします。
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今日は、“生きる”ということについて考えてみました。

ノートルダム清心学園の理事長である渡辺和子先生は、36歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任されたとき、周囲からの風当たりが強く、大変ご苦労をされたそうです。

「こんな筈ではなかった」と苦しんだ末に、二人の神父に相談されたところ、一人の神父は、慰めてくれるわけでもなく、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」と言われたそうです。

当時、渡辺先生は、みんなは何もしてくれないという、「人に求める思い」に囚われていたそうで、その時を境に、自分から与え、挨拶をし、お礼を言い、お詫びをし、人を褒める人間に変わったとき、周りの人も彼女を受け入れてくれるようになったそうです。

また、もう一人のベルギー人の神父は、『神さまがお植えになったところで咲きなさい』という英語の詩を下さったそうですが、後に先生は、「お植えになった」を「置かれた」という言葉に変え、以下のようにその詩を訳しておられます。

神様が置かれたところで咲きなさい

置かれたところで咲きなさい
仕方がないと諦めるのでなく咲くのです
咲くということは、自分が幸せになり
周囲の人を幸せにすることです
咲くと言うことは、私は幸せなんだということを
周囲に示して生きることなのです


私たち個人の人生は、神の壮大なドラマの中の一幕であるというのが、聖書に基づく人生観だと私は思います。神は永遠の命の世界を用意し、この世に生まれたすべての人をそこに招き入れるために、イエス・キリストという門を設けられました。そして、その門から入ってくるすべての人に天国の国籍をお与えになるのです。

天国には、もはや死もなく、悲しみも、叫びも、苦しみもありません。そして、神ご自身がキリストの門を通って来たすべての人と共におられて、人々の目の涙をことごとく拭い取って下さるのです。

たとえ地上の人生が病との戦いに明け暮れるものであったとしても、キリストの門を選んだがゆえに永遠の天国に入ることができたなら、その人の人生は大勝利です。たとえ地上の人生が20年という短いものであったとしても、それがキリストにある人生であれば、その人は人生の勝利者なのです。なぜなら、彼らには永遠の天国が待っているからです。

ですから、地上の人生で最も大事なことは、キリストの門を選ぶこと、つまりキリストを信じることなのです。またキリストを信じた人にとっては、地上の人生は神の壮大なドラマの一幕であり、その一幕を神の脚本どおりに演じることが生きる究極の目的なのですから、神様が置かれたところで、キリストを信じる者にふさわく咲くこと、それが最も大切な生き方であると言えないでしょうか。

作家の三浦綾子さんは、生涯がさまざまな病気との戦いでしたが、その苦しみであるはずの病床生活を、神様が置かれた場所とわきまえ、喜びと感謝の人生を全うされました。そして、その経験を通して百冊近くの書物を世に出され、多くの人々が永遠の天国を手に入れる手助けをされたのです。

つまり、咲くということは、自分が幸せになり、周囲の人を幸せにすることであり、私は幸せなんだということを周囲に示して生きることなのです。

あなたは如何ですか?
神様が置かれた場所で咲いておられますか?
自分が幸せになり、周囲の人を幸せにしておられますか?
このことを自分自身に問いかけてみましょう。

今日の一言: 神様が置かれたところで咲こう!

平安
鶴田健次

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2012.12.28 04:40 | 鶴田健次牧師より
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今まで誰よりも多くの人に福音を語ったと言われているアメリカの伝道者ビリー・グラハム。
ビリーはノースカロライナ州の近くにあるシャロン高等学校で、バスケットと野球選手としてヒーロー的存在だった。ゆくゆくは大リーグの一塁手になりたいと彼は願っていた。もしなれなかったら、父親のように農業でもしていればいいと思っていた。

ビリーが17歳の時、元拳闘選手だった伝道者がシャーロットにやってきた。伝道者モーディカイ・ハムは、聴衆を指差して地獄について語るような昔ながらのやりかたをする伝道者であった。罪を真っ向から攻撃したのである。シャーロットの教会の指導者たちは、ハム師が騒ぎすぎると思ったので、集会のためのテントを張る許可を与えなかった。しかし、ハム師は信徒たちの助けをかりて、市の境界線のすぐ外にテントを張った。

ビリーが初めて出席したときは、その集会はすでに数週重ねていた。しかし、ビリーは積極的にこの集会に参加したわけではなかった。彼は日曜日はいつも敬虔な両親と一緒に教会に行っていたのである。そして、お酒もたばこものまなかった。ただ、日曜日には他にいろいろとしたい事があったので、いくら父親が熱烈なハム師の支持者であっても、集会にわざわざ行く気はならなかったのである。この集会には5千人というその街にとっては例外な数の大観衆が集まっていた。ハム師の話はビリーに何の感動も与えなかった。しかし突然、ビリーのいる方向を指差して、「あんたは罪びとだ」と叫んだ。その瞬間、ビリーは前列の婦人の帽子の影に隠れたのです。

それでも二日後の夜、ビリーはまた、友人のアルバートを連れて集会に行った。そして数夜にわたって、一緒にその集会に参加した。火のようなその伝道者は、くり返しくり返しビリーに向かって、天国か地獄かの選択をせよと迫った。

ある夜、ビリーはもう一人の友人グラディを集会に連れて行った。「聖歌隊の席に座ろうよ」とビリーは提案した。伝道者から見えない背後の席に座りたかったのである。その夜、伝道者はビリーを指差しはしなかった。それでも、ビリーは彼が「今夜、ここに極悪な罪びとがいる」と言ったとき、ショックを受けた。「彼は僕のことを言っているのだ。だれかが僕がここにいる事を、あの人に告げたに違いない」とビリーは思った。

伝道者は話を終わり、罪を悔いている者は前に出てくるようにという招きをした。聖歌隊が歌い出したとき、ビリーはけんめいに何かをこらえてた。歌はなおもつづいている。彼はもうこらえ切れなくなった。「グラディ行こうよ。」と言った。二人は聖歌隊の中から抜け出して、前に立った。ビリーはこの決心をした時の事を回想して、こう言っている。
「まるで薄暗い日に、太陽が急に輝き出したかのようであった。すべてが異なって見えた。私は初めて新生の喜びを知ったのである」

1936年のその記念すべき夜以来、ビリー・グラハムは歴史上のどんな説教者が語ったより以上の人々、2千万人という人々に直接語っている。そして、何万人という人々がキリストに導かれたのである。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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2012.12.24 22:52 | 信仰者シリーズ

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