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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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(続き)
素敵な景色を見て心は満たされましたが、、お腹の虫はおさまらず、レストランを物色。そこで見つけた"Cookout Night"。大人29ドル、6歳以上11ドル、5歳以下無料だったので、私とみかの分だけ払い、今夜のチケットをゲットしました。その後、キャンプサイトに帰り、日本のカップヌードルで昼御飯をすませ、デザートはとろとろのマシュマロと板チョコを挟んだスモアです。。

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お腹が一杯になった後、キャンプサイトから続くTrailに散策に出掛けました。その途中にあったベンチに腰掛け、キャニオンを上から見下ろします。雲の動き、風の動き、雨の降っている部分が遠くから見えます。。神様のひとつひとつの創造がとても神秘的に見えました。辺りが暗くなり、霧がかかり、風がふいたとき、再臨のときはこんな感じなのかなと想像しました。

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雨がまた降ってきたのでテントに避難し、Cookout Nightが始まる15分前にまたCanyon Lodgeに戻り、汽車(路上を走る)に乗ってCookout Nightの会場に出発!汽車に乗ってる子供たちは大喜び。そんな顔を見れて私も顔がほころびます。会場に着き、バーベキューのバフェを食べながら、ウェスタンミュージックのショーが始まりました。この日はみかの誕生日。彼女はノリノリでショーも夕飯も楽しんでいた。

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キャンプサイトに戻るときに見た、あの満点の星空は忘れられません。24時間眠らない街ラスベガスにいると、星を見ることも忘れ、星の輝きも目にも止めない。ノースリムで見たこの満点の星空よりも多くの光を、神は毎日放ってくださると思うと、神の創造にますます心が熱くなりました。そんな2日目も、最後はみかの懐中電灯芝居で幕を閉じました。

3日目。今度こそカラッとした晴天に恵まれました。ゆっくりと野菜入り明太子パスタのブランチをし。遅めの出発。午後1時からのジュニアレンジャープログラムに参加しました。グランドキャニオンで発見されたものを再現しようと、人工の針金入りの草を使って形を造るというクラスです。

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クラスの途中、大雨が降り、屋根のある場所へ避難。6月から8月にかけては、グランドキャニオンは雨期。雨を想定していつも動かなければならない状況です。しかし、雨の中でもたくさんのものに感謝し、たくさんのことを楽しむことができることを学びました。午後4時、もう一つのジュニアレンジャープログラムに参加しました。グランドキャニオンの歴史を学ぶことができたCondor Talkです。

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レンジャーの方たちが、グランドキャニオンを管理してくれることにより、観光客がグランドキャニオンの景色を楽しむことができ、尚且つ自然の破壊も食い止められています。ましてや、この地球は神が私たちに与えてくださった場所です。この地球を大切にしようという思いになりました。夜は、キャンプサイトに戻り、レトルトカレーとご飯、スープを作って食べました。薪を燃やして、キャンプファイヤーの回りでまたまたスモアにホットチョコレート。子供たちはデラックスのデザートに終始笑顔です。

この4日間で与えられた御言葉は、5箇所ありました。そして、キャンプにいく前も詩篇150の"大空の下で主を賛美しなさい"という御言葉に励まされて、実行した今回の旅です。すべての道は主が備えてくださる。私たちは、ただただ主に委ね従っていけばよい。それが、大雨の時でさえも。たとえ大雨に見舞われても、晴れの日はすでに主が備えてくださっているのだから。

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(レンジャーのバッジを貰って)

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2012.08.29 00:00 | 証し
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8月22日からグランドキャニオンノースリムへ3泊4日の家族旅行に行って参りました。グランドキャニオンは、アリゾナ州北部に位置する国立公園のひとつです。コロラド高原が、コロラド川の浸食作用によって削りだされた渓谷であり、底部標高 2600FT(800m)、長軸全長277マイル(446km)の世界遺産に登録される雄大な国立公園です。ノースリムは、その北部に位置し、標高2500m。ラスベガスからI-15を北に出発。道に少し迷ったけれど、出発から6時間後に無事到着しました!

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公園内に入ってから、さっきまで晴れていた天気が崩れ気味。あ~どうにか テントを建てるまで天気よもってくれ~!という期待に反して、大雨どしゃぶりのお天気。子供たちをテントの中に避難させ、私はテントを建て終えましたが、建て終えた時には、すでにどこかのプールに転落したかのようなびしょ濡れ状態に。。。

とりあえず、車の中に避難し、雨が弱まるのを待ちましたが、濡れたスーツケース、泥だらけの荷物を見て私の目は涙ぐみました。この雨の中、身動きも取れない、帰るべきかとさえ思ってしまったほどです。早起きし、長時間ドライブ、その後、このびしょ濡れに泥だらけ騒動。疲れたので、テントになんとか移動し、マットレスに空気を入れ、寝袋を広げ仮眠をとりました。

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(雨が降った後のキャンプサイト)

1時間後、テントの中のジャズミンとジョナの笑い声に起こされました。外は雨が上がったようです。今夜の夕食は、市販のブルーベリーマフィンと鱈と野菜のフォイル焼きを作りました。なんだかアメリカなんだか日本なんだかわからない食卓内容だったけれど、また再びいつ天気が崩れるかわかない状況の中、雨が降ってくる前に、料理し、片付けをしなければならなかったので、やむを得ませんでした。案の定、食事が出来た時、雨が振りだしました。急いで片付けて、テントの中で食事。子供たちは、そんな中でも楽しそうで、私だけ、気分は降下中・・せっかく家族できた旅行、こんな気持ちではいけないと思い、私は祈りました。すると、神様は、おどろくべき祈りの答えをくださいました。

"主が与え、主がとられたのだ。主のみなはほむべきかな。"(ヨブ1:21)

私たちが主の道を歩むとき、快晴の日だけではない。大雨のとき、嵐のときのように、人生には試練がつきもの。そんな時にこそ、主に信頼しなさいという思いが与えられました。

外は雨なので、雨漏りに心は奪われても、子供たちと賛美し、聖書について話しました。長女みかは、懐中電灯を二つ使い天地創造の7日間、アダムとイブの木の実事件、ケインの反逆を面白おかしく語ってくれました。懐中電灯芝居(?)を観覧後、歯をテントの中で磨き、一日目は神の守りの中、無事に終了しました。

2日目、朝起きると昨日の雨はどこへやら、カラッと晴れていました。太陽の光が燦々とテントを照らし、暑さで目が覚めました。さて、今日は何をしよう!昨日は大雨でどこにも行けなかったからまずVisitor Centerに行こうかなと、考えながら朝御飯のシリアルとパッションティーをほおばります。まずは登録だ!と思い、登録所に行き、Check Inを済ませました。

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(Register Center)

そのとき、急に天候が変わり、周り一面 霧に覆われました。ラスベガスでは、霧に覆われると言うことがまずないので、運転にはすごく気をつけながら、Visitor Center 、Canyon Lodgeに向かいました。駐車場に車を止めて、最初のGood View 地点につきますが、辺り一面霧で何も見えません。

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そのまま、遊歩道に沿って歩いていたら、Bright Angle Pt Trailに続く道があり、子供たちを両手にしっかり握り、歩き出します。途中、霧が晴れ 次第に 雄大な景色が私たちの周りを覆っていることに気づきました。

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Trailの道は狭く、柵もしっかりと止められていません。子供たちと行くグランドキャニオンはどきどきして、私の度胸が強められた気がします。それでも、子供たちと一緒に行き着いた先の景色は、圧巻でした。Trailを引き返し、Grand Canyn Lodgeに到着。入り口に入ってすぐレストランがあり、奥には 大画面のパノラマグランドキャニオンが広がっています。

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(つづく。。。)


(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2012.08.28 00:00 | 証し
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エリック・リデル。この方の名前を覚えている方はどれ位おられるでしょうか?映画「炎のランナー」の中で主人公として描かれた人物でもあります。

エリックは1902年1月に中国でスコットラドの宣教師の両親の元に生まれました。6歳の時に学校に通うために、兄と共にスコットランドに渡りましたが、両親は主の働きの為に、幼い子供達と離れ、中国に留まることにしました。その為、エリックと兄は1年に数度しか両親と会う事ができない生活を送りました。しかし、エリックの中にも両親から受けた信仰はしっかりと育っていました。

エリックは大学に進学した後、陸上で才能を開花させました。そして1924年22歳の時にパリ・オリンピックの陸上競技・短距離選手の英国代表選手として選ばれました。エリックは当初100m競技に参加をする事になっていましたが、競技の日が日曜日である事がわかり、100m競技に出場する事よりも、主日に神を礼拝する事を選びました。敬虔なクリスチャンであるとはいえ、国を代表する選手に選ばれた後の選択は、簡単ではなかった事を思います。

エリックは100m競技には出場しませんでしたが、代わりに400m競技に出場する権利を得ました。試合までにはまだ時間があります。エリックは練習に励みました。しかし、いくら400mも得意とは言え、100m競技で発揮できる力に比べると格段に劣ります。彼は今まで100mの選手として活躍していたのです。ですから、400mは金メダルを期待できる種目ではありませんでした。もはや誰も彼に対して、金メダルを願うことはしなくなっていました。

当時の陸上競技で英国の大敵はアメリカチームでした。しかし、400m競技の朝、アメリカチームの一人、ショルツが1枚の紙切れをエリックに渡しました。その紙切れには「わたしを尊ぶものを、わたしは尊ぶ。サムエル記上2:30」の御言葉が記されていました。エリックはその御言葉を握りしめ、400m競技に挑みました。そして彼は誰も予想のしなかった金メダルを獲得したのです。しかも、世界新記録を出す見事な競技でした。その上、数日前には200m競技でも銅メダルを取っていたので、彼にとっては2個目のメダルとなりました。後にエリックは「妥協とは悪魔の言葉」という言葉を残しています。もし彼が、オリンピックの100m競技に出場する為に、礼拝を休んだとしても、誰も彼を責める人はいなかったでしょう。しかし、神の栄光があらわされる事もなかったのではないでしょうか。そして今日、彼の信仰から励ましを受ける事もできなかったでしょう。

輝かしい人生を送っていたエリック青年は翌年、大学を卒業すると、両親が住む中国の天津に渡りました。その後の人生は中国の地で福音宣教のために身を捧げた人生でした。エリックは43歳の若さで天に召されますが、最期の言葉は「Surrender-明け渡す、身をゆだねる」でした。

エリックの人生の土台はまさに、神様を土台とした人生であり、たとえこの世の名誉や名声を失う事がある時にでも、神の国を第一として生きる信仰者の姿を見る事ができます。主がエリックに与えられた御言葉の約束「わたしを尊ぶものを、わたしは尊ぶ」は、神様の方法で成されました。エリックを通して神様は栄光をあらわしてくださり、世界中の多くの人が、生きておられる主を拝した事と思います。私達もこの世と妥協せずに、神様に委ねて歩んでいきたいと願います。主を礼拝する事が私達、被造物の本分であり、人生の土台である事をエリックの信仰を通してまた知る機会となれました事を感謝します。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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2012.08.27 22:20 | 牧師室より
team hoyt

今日は感動的な実話をご紹介します。それは‘世界一強いお父さん’の話です。有名な話なのでご存知の方もおられるかも知れません。彼の名前はディック・ホイト。生まれつき重度の障害を持ち、話すことも体を動かすことも出来ない息子の願いを叶えるために鉄人になった人です。

彼は、障害を持つ息子リックを車椅子で押して、トライアスロン、フルマラソン、クロスカントリースキーなど数々のレースに出場し、世界中の人々に勇気を与え続けてきた人です。トライアスロンでは、ゴムボートに乗せた息子を引いて4kmを泳ぎ、ハンドルバーに息子を座らせ180kmを自転車で走り、最後に42.195kmを車椅子を押しながら走るのです。また、背中に息子を背負って山に登り、自転車でアメリカ大陸横断をやってのけるなど、愛する息子のためにどんな努力も犠牲も惜しまない父親なのです。

この愛の物語は50年前、マサチューセッツ州ウィンチェスターで始まりました。出生時にへその緒が首に巻き付いていたリックは、脳に障害が残り、脳性小児麻痺と診断されます。そのために四肢を動かすことができなくなり、生後9ヶ月の時、担当医は「一生、植物人間の状態だから施設に入れなさい」とディックに勧めました。

ディックと妻のジュディは、「自分たちが諦めてしまったら、この子に明日はない」と自分たちで育てる決心をします。ディックは息子を励まし、チャレンジしようと常に声をかけました。しかし、現実は厳しく、リックは声が出ず、物を掴むことも、歩くこともできず、耳が聞こえているかどうかも分かりませんでした。

ある日のこと、部屋の中を移動する両親を目で追うリックを見て、彼にはちゃんと意志があり、耳も聞こえていることが分かり、希望の光がディックとジュディを照らします。やがてリックは、頭の動きで「YES」「NO」を伝えられるまでなりました。

ディックとジュディは、ヘッドギアをつけた頭を上下左右に動かすことで文字を入力できる装置の開発をタフト大学で研究していると知り、これが完成すればリックとコミュニケーションが取れると思い、この研究に5000ドルを寄付し、完成を待ち望みました。そしてリックが11歳の時、試作品が完成します。

リックは中学に編入し、この装置を使って毎日猛勉強することで他の生徒と同じレベルであることを学校側に認めさせることができました。学校ではクラスメートに支えられ、彼らと同じように学ぶことができましたが、その一方で、自分には何ができるのかを考えるようになります。

そんな中、彼の人生を変える出来事が起こりました。地元の大学のラクロスの選手が交通事故で全身麻痺になったことで、その選手を応援するための8kmチャリティマラソンが開催されることになり、それを聞いたリックが言ったのです。 「父さん、僕もやりたい!」 車椅子を動かすこともできないリックがどうやって参加できるのか、ディックは悩みました。しかし、人のために何かをしたいという強い気持ちを持っているリックのために、ディックはリックを車椅子に乗せて走ることを決心しました。

リックのために仕事を辞めたディックは、翌日からトレーニングを開始しました。今まで運動など、ほとんどしていなかった38歳のディックが、愛する息子のために肉体を鍛え始めたのです。そしてリックと共にチャリティマラソンに出場したディックは、リックを乗せた60kgの車椅子を押してひた走り、無事ゴールするのです。 

「父さん」、息子がひまわりのような笑顔で言いました。「一緒に走っている時、僕、生まれて始めて自分が障害者じゃなくなったような気分になったよ!」

その一言が、ディックの人生を変えます。ディックは、息子のひまわりのような笑顔に取り付かれ、「今度はフルマラソンに出よう。できるよね?」とチャレンジするリックの希望を叶えるために2年間かけて車椅子を改造し、毎週末に様々なレースに出場しました。そして、父のチャレンジする姿を見たリックも、努力の末、名門ボストン大学に入学するのです。

その後、ディックとリック親子は、1984年のボストンマラソンの一般の部で2時間53分20秒という驚くべき記録で完走し、全米の人々に注目されるようになりました。しかしこれらは、まだまだディックとリック親子の奇跡の序章にしか過ぎませんでした。

リックは自らの力でボストン大学を9年かけて卒業し、全身麻痺を抱えた学生として初めて学位を取得しました。ディックの体もますます進化を続け、アスリートとしての評価が高まり勲章が与えられました。

さらには、水泳・自転車・マラソンの過酷なレース、トライアスロンの招待選手に選ばれたディックは、一度は出場を断るのですが、「僕トライアスロンに出たい。きっとできるよ!」というリックの言葉に励まされ、5年間、その準備に取りかかります。そして、1989年のハワイ島アイアンマン世界選手権にリックを連れて出場し、屈強な若者が単独でも完走が難しい世界一過酷なレースを14時間26分4秒で完走したのです。

一人で走れば世界記録が出るかも知れないという周囲に、それはあり得ない、とディックは即答します。彼が走る理由はひとつ。共に走り、泳ぐ中で息子の、ひまわりのような笑顔が見たい。ただ、それだけなのです。

車椅子を押しながらのマラソンの自己ベストは1992年の2時間40分。正式なマラソンの世界記録から35分しか離れていません。もちろん、この世界記録は、車椅子の男性を押しながら走ったのではありません。「疑う余地も無く、僕の父さんは世界一強い父親だよ」とリックは言います。

年齢を感じさせない体で1042回(2011年現在、70歳)のレースに出場したディックは、親子の絆がある限り不可能なことはないと、今なおリックと共にレースに参加し続けています。一方、50歳(2011年現在)のリックは、ホームケアを受けながらもアパートで一人で暮らし、ボストン大学のコンピュータ研究所で障害者用補助器具の開発をして働いています。

リックは、お父さんがいなければ一緒に走ることはできなかったと言い、ディックは、息子がいなければ走ることはなかったと言います。いわばディックが体でリックが心のような関係なのです。彼らはいつも一緒に走るのです。一緒というのは力があります。一人ではないからです。

人生には誰にでも困難な時があります。諦めたいと思う時があり、希望を失いそうになる時が誰にでもあります。しかし、人生の旅路において忘れてはならないことは、あなたは決して一人ではないということです。もしあなたが本当に望むなら、天の父は困難の中で歩けなくなっているあなたを運んで下さるのです。

今日の一言: 諦めなければ何でもできる


平安
鶴田健次

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2012.08.24 15:20 | 牧師室より
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2012年8月22日は当教会がラスベガスの地に設立されて10年目を迎える日となります。この日を記念して去る聖日に「ラスベガス教会設立10周年記念礼拝」を主にお捧げいたしました。この日の礼拝ではサンディエゴより大倉先生をお招きし、「我ら、この街にて」と題して、メッセージを取りついで頂きました。

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また各地から兄弟姉妹が記念礼拝に出席してくださり、10年の時間を共に振り返りながら、感謝の時を過ごす事ができました。礼拝後は、姉妹達によって準備されたおいしいポットラックを頂きながら、祝賀会の時を持ちました。祝賀会では、代表者のお祝いの言葉、日本舞踊、沖縄舞踊、子供達のピニャータ割り、10年の歩みスライドショーなど、盛りだくさんの内容で、礼拝に続き素晴らしい記念の日を私達は主と共に過ごさせて頂きました。
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                (池原長老、呉服兄、ビビアン姉)

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           (サリー姉、りえこ姉、とよ姉&なな姉、みかちゃん)

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                (鶴田先生、栄子姉、みき姉)

また、10周年記念を祝い、「10周年記念誌」が発刊されました。この記念誌に鶴田先生が寄せた言葉をここに掲載させていただきます。


                   すべてが神の恵み

 ラスベガス日本人教会は、2012年8月22日に教会設立10周年を迎えました。思い起こせば911同時多発テロが世界中を震撼させ、その余韻が漂う2001年12月1日、ラスベガスでの日本人伝道と教会開拓が始まりました。いつも大勢の観光客で賑わうラスベガス・ストリップが閑散としていたときでした。

 2002年3月10日、呉服豊兄弟がジェネラル・マネージャーをしておられたハワードジョンソン・ホテルの会議室で第一回目の礼拝が持たれ、その年の8月22日に教会の登録が完了し、正式に教会が発足しました。そして、この度の10周年記念礼拝が547回目の礼拝になりますが、まさに‘光陰矢の如し’です。

 ここに感謝の教会設立10周年記念誌を発行するに当たり、これまでの10年の歩みを振り返るときに、それは主の恵みとその恵みに応答した教会員たちの歩みであったことを思います。この10年の間、呉服静子姉妹の受洗に始まり86名の方々が洗礼の恵みにあずかられましたが、その中の46名の方々の証しを掲載し、主がどのように福音の恵みを語られ、人々がそれにどのように応えて来たかをお伝えできればと思います。また、役員の兄弟姉妹方の10周年の証しを読んでいただければ、ラスベガス教会がどこに向かって前進して行こうとしているかをお分かりいただけるものと思います。それからまた、この10年の間に58回も素晴らしい神の器をお招きして主からのメッセージを伺えたことも大きな恵みでした。

 主はラスベガス教会の開拓当初から、“魂を勝ち取る教会”という標語を教会の生涯標語として与えて下さり、その働きを“オイコス伝道”と名付け、スモールグループを母体としてなすように導いて下さいました。そのためにスモールグループのリーダーたちが毎週の集会を導いて下さり、聖書の学び、信徒の交わり、信徒のケアーをしながら、信徒による信徒訓練がなされてきました。これもまたラスベガス教会の特色です。また求道者の方々のための入門クラスは牧師である私の大切な仕事で、11のレッスンをマンツーマンで持ちながら、明確な信仰告白へと導くことを洗礼準備の原則としてきました。さらにリーダー訓練会や聖書クラスを通して、聖書の御言葉による養いを心がけてきました。

 教会の究極の目的は、救霊の実を結ぶことです。一人でも多くの魂が救われることが主なる神の切なる願いです。そのために主はラスベガス教会をこの地に備え、その目的にしたがって私たちを訓練し、ここまで導いて来られました。そして、これからも同じ目的のために導いていかれることと信じます。教会設立10周年を迎えるに当たり、教会存在の本来の目的を再確認しながら、これからも世界中の同胞の救いのために前進する教会を皆さんと一緒に目指していきたいと思います。

ラスベガス日本人教会牧師
鶴田健次

(ブログ制作チーム:薫)

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2012.08.21 21:43 | 特別礼拝・集会

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