
以前にも私には3人の子供がいることを書きましたが、今回は5歳の双子の男の子ジョナの話を通して与えられた思いをシェアさせて頂きます。
双子の女の子ジャズミンと男の子ジョナは、食べることが大好きなやんちゃな5歳です。ある日、二人が通っているプリスクールの先生とこんなやりとりがありました。いつものように私は
"二人は今日はどうでしたか?おりこうさんでしたか?"と、先生に聞くと先生は、"ええ。今日も元気一杯でしたよ。"とは言わず、いつもとは違い少し渋い顔。次の瞬間、ゆっくりと説明されました。
"ジョナは、最近お友だちの物を勝手にとってポケットにいれるんです。"と先生が仰います。
あらら 覚えがないわけでもない。特に食べ物にはめざとい食いしいん坊ジョナのことだ。きっと食べたい要求が抑えられずにやってしまったんだな、とすぐ思い当たる節が頭を横切りました。
"実は...... 平気で嘘もつくんです。"
すかさず、先生が続けます。
"ジョナは、ジーザスのこと大好きっていつもいってるけど、ジーザスが好きならなんでそんなことをするの?って、彼にも聞いたんですけどね。"
私は、ふむふむと話を聞き、先生たちにお礼を言ってその場を立ち去りました。そして、二人を車に乗せ、運転をしながら、私の頭にひとつの疑問が浮かんだ。"クリスチャンとは、実際どういう人のことを言うのだろうか?"
律法を守り、模範のような生活を送っている人?
教会に毎週かかさず来る人?
奉仕をしてる人?
祈祷会や集会にかかさず参加する人?
聖書に詳しい人?
皆様に5歳の子供がいて、「クリスチャンってどんな人」と聞かれたら、なんと答えますか?私たちは、アダムとイブがおこした罪以来、神との断絶状態である霊的に死んだ状態で、この世に生を受けましたが、イエス・キリストを救い主と受け入れ十字架の恵みを頂くことにより、神との関係を回復することができました。しかし、それでも罪の性質を私達は持っていますから、クリスチャンになったと言っても、「赦された罪人」であり、どんなに気をつけても罪をおかしてしまう事があります。友人と喧嘩して口論してしまう。自分の欲しいものを無理矢理、ほかの人から取ってしまう。両親への反発。意地悪。自分に甘く他人に厳しい。やってはいけない事をついやってしまう。心の中で人を裁く。思い当たることはたくさんあり、これらが罪のサンプルです。
そんな逃れたくても逃れられない罪の性質を持った私達ですが、クリスチャンとして幸いなのは、聖書という間違いのないガイドラインが与えられている事により、毎日をどう歩むかがわかり、イエス様を受け入れたときから、それまでの壊れた神との関係が修復され、神が私達と共にいて下さいますので、私達は平安が与えられています。
私たちは、たくさんの失敗を通して大きなものを得るときが多々あります。子育てでも何回も何回も同じことを子供に言うことの繰り返しですが、、同じ失敗をしてるように見えるその中でも、実は子供はきっと毎回違うことを学び、その親も、ある未来に据えられた大切な主の目的の為に鍛練されている大切な期間なのだと思います。神様はとてつもなく大きな愛で、私たちが何万回 またはそれ以上に、私たちが犯す失敗を愛と忍耐をも持って、子育て以上の長い時間をかけて神の道に導いてくださっている事を思います。それが、十字架の救いであり、また救いの後のクリスチャンの成長である聖化の歩みでもあるのです。
そこで私は思う。このような欠けだらけの土の器の私達だけど、神は命がけで私達を救い、今も毎日私達を愛し続けて下さっているのです、この偉大な神様の愛を一人でも多くの人に伝えよう!苦難の中で苦しんでいるあの人に、あなたが苦手なあの人の為に。きっと神の愛を伝えるために、私たちは今いる場所に遣わされたのだから。ジャズミンとジョナは、教会もジーザスも大好きっ子であるが未だ洗礼を授かる時はきていませんが、最近おきたこの小さな出来事を通して、神様から授かった大事な私の愛する子供たちにイエス様の愛を知ってもらい、キリストの愛、そして罪と十字架の意味の理解が彼らなりに深まるようになってもらいたいと祈ります。そして愛と真とを持って主と共に、一歩一歩 彼らと毎日を送っていきたいと強く思いました。
こうして3人の子育てに忙しい私ですが、子供のある行動から私に投げ掛けられたひとつの質問は、また新たにクリスチャンとしての自覚が与えられた良い機会でありました。
「わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもする事ができる」ピリピ4:13
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(前回のブログの続き)
38歳の時に神社参拝反対の罪で投獄され、5年間獄中にいたソン牧師は、終戦により韓国が日本軍からの開放を受け、釈放となりました。その間、7人の家族はバラバラになりました。子供たちは孤児院に預けられたり、山の中で逃亡生活をしてその間をしのぎ暮らしました。貧しく食べる物にも飢えていましたが、神様に信頼し、信仰に固く立ち、それぞれが祈り、置かれた場所で主への礼拝を守っていたのです。父ソン牧師が釈放され、奇跡的に家族がまた一つになる事ができました。一時は「もう生きた父とはこの世では会えないと思いなさい」と、母は子供達に伝えた事もあったのです。死刑を言い渡されていた父の生還は、神が与えてくださった奇跡と祝福だったのです。
しかし、ソン牧師の釈放から3年後、更なる大きな出来事がおきました。長男と次男の殉教です。その日、息子達が住んでいた町に反乱軍による暴動がおき、無差別な殺人がおきていました。反乱軍に対抗するために警察署と国防警察隊は命をかけて戦いましたが、全員戦死をし、息子達の住んでいた町は無法地帯となり、凄惨な血の海になったのです。反乱軍は、人民軍に反対する人をくまなく探し出すのを目的としていましたが、その中にはクリスチャンも含んでいました。ソン牧師の長男はキリスト者学生会の会長をしていた事もあり、彼らが最も捕らえたかったクリスチャンの一人でした。2人の息子は狂気に満ちた反乱軍に捕まえられた時、死刑場まで連れて行かれる時、銃口を向けられ引き金が引かれるその時まで、主を証し、自分達を殺す者たちへ伝道し祈りを捧げて、主の御元に行く事を喜び、殉教を遂げました。長男25歳、次男19歳の若さでした。
4日後、両親、家族の元に殉教の連絡が入りました。家族中が悲しみにつつまれ、母は何度も気絶をするほどの悲しみでした。しかしその時、特別集会の為に来ていた伝道師が父ソン牧師にかけた言葉で世界が変わりました。「ソン牧師しっかりしてください。私達はかつて監獄で殉教することを願いましたが、神様は私達の殉教を許しませんでした。今日若くして美しい二人の息子を殉教のいけにえとして捧げたことがそんなにおしいですか?悲しむ事ではありません。もっと良い天国に行ったのです。むしろ喜ぶべきです」
埋葬式の日、ソン牧師は挨拶の席で「9つの感謝」を読み上げました。その中の一つが、
「わたしの愛する息子を射殺した敵を悔い改めさせ、私の養子として受け入れる愛の心を与えてくださった神に感謝します」
この感謝の言葉が現実となりました。その後、息子2人を射殺した犯人が捕らえられ、死刑が執行される日に、自分の息子として受け入れたのです。その日、特別集会の御用があり、犯人釈放に出向く事ができなかったソン牧師は中学生の娘をその場に送りました。そこで娘が父の代わり述べた言葉は
「父は2人の兄を殺した人が捕まったら、一度でも殴られないように、殺されないようにと言いました。聖書には敵を愛しなさいと書かれているから、彼を救って息子として受け入れると言いました」
その場にいた人々の目からは、敵であろうと、涙が流れ落ちたのです。
ソン牧師はこの青年を息子として受け入れ、信仰を与え、一生涯愛しぬきました。ソン牧師はこの2年後、北と南の戦いの中、共産軍に連行され、そのまま殉教の死を遂げました。ソン牧師のこの世での最後の説教は「死に至るまで忠実でありなさい」でした。まさに殉教を予感させる説教が与えられていたのです。
「・・・・死ぬ日まで忍耐する力も忠実です。毎日様々な試練にあうときに、忍耐、また忍耐しながら一歩前進する生活が、忠実です。同時に、それが殉教生活です。汗を流しながら働き、涙を流しながら祈り、血を流すまで罪と戦うことが忠実であり、殉教です。だから汗も血も尊いものです。今日の1日が自分の1日であり、今この時間が自分の時間であることを知っている人が、日々忠実に歩む事ができ、一瞬一瞬、殉教の覚悟をすることができます。喜びを持ち感謝しながら、死に至るまで忠実でありましょう・・・」
この説教の16日後、ソン牧師は射殺され、殉教されました。最後の最後まで、共に連行されていた隣人に「イエスを信じ、悔い改めれば永遠の命が与えられる」と伝道したのです。連行されてきた人々が次々と射殺される中、ソン牧師が最後に兄弟に残した言葉です。
「兄弟、祈ってくれ。どんな瞬間にも祈りを忘れてはいけない。神が力を与えてくださる。さあ、天国で会おう」
(LVJCCブログ制作チーム:薫)
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今日は、‘役に立つ生き方’ということについて考えてみました。
ある雑誌に、子供の生命観についてのアンケートがありました。そのアンケートの中で、「生きているということはどういうことですか?」という質問に対する子供たちの答えの中に、「生きているということは役に立つことだ」というのがありました。何か心を探られる言葉ですね。
私たちはどうでしょう? 誰かのために役に立っているでしょうか。誰かの役に立つよりも、誰かが自分の役に立ってくれることばかりを望んではいないでしょうか。人が自分の思うようにしてくれない、と不満ばかりを言ってはいないでしょうか。
イエス・キリストは「受けるよりは与えるほうが幸いである」と言われました。人に何かを求めてばかりいる生き方ではなく、人に何かを与え、人の役に立つ生き方こそが本当の幸せを味わう道であるということです。
ある年のクリスマスイブのこと、ポールはお兄さんからクリスマスに新車をプレゼントされました。彼がオフィスから出てくると、よく見かける少年が、そのピカピカの新車のまわりを歩き回っていました。よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話し掛けてきました。
「これ、おじさんの車?」
「ああ、兄からのクリスマスプレゼントさ」とポールは答えました。
「えっ? おじさんのお兄さんがくれたの? おじさんは全然お金を払わなくてよかったの? うわあっ、すごいな! ぼく……」と、少年は何かを言いかけたまま、口をつぐんでしまいました。
ポールは、この少年が「ぼくにも、そんなお兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろうと思いました。ところが、少年の口から出た言葉にポールは驚きました。
「ぼくね、おじさんのお兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」
ポールは、じっと少年の顔を見ていると、無意識に、
「この車に乗ってみるかい?」という言葉が出てきました。
少年は、二つ返事で車に乗り、目を輝かせながら言いました。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」
ポールは思わずニヤッとしながら、きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいのだろうと思いました。しかし、その憶測はまたもや違ってました。
「あそこに階段がついている家が見えるでしょう? そこで少し待っててくれる?」
少年はそう言うなり、車を降り、走って家に入っていきました。しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえ、少年が体の不自由な弟を背負って出てきたのです。少年は、弟を階段の一番下に座らせ、弟の体を倒れないように支えながら言いました。
「見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんのお兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。お前も、待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからな。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車で見に行こう」
それを聞いたポールは、何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ、車に乗せ、少年と三人でドライブに出かけました。ポールは、二人の少年のうれしそうな顔を見ながら、久々に、何とも言えない喜びと満足を感じずにはいられませんでした。
またこの少年がクリスチャンであることを知り、ポールは、少年の生き生きした態度、そして輝いている目を見ながら、キリストの愛のゆえに、誰かの役に立とうとする生き方の素晴らしさを、生まれて初めて体験的に知ったそうです。
私たちの多くの親切は、しばしば自分を満足させるためのものである場合があります。しかし、そういう動機の親切は、相手が自分の思い通りに反応をしてくれなければ力尽きてしまい、挙句の果てに不満の思いにすら変わることがあります。その親切が本当の愛に根ざしていないことが明らかになる瞬間です。
ところが、本当の意味で役に立つ生き方を知らなかった私たちがキリストの愛を経験するなら、義理や体裁ではなく、本当の意味で、誰かの役に立つ生き方をする者に変えられるのです。
今日の一言: 誰かの役に立とう
平安
鶴田健次
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6月16日の父の日礼拝では、 アダムとエバが禁断の実を食べてしまう創世記3章1-21節の御言葉から、鶴田牧師により「いちじくの葉と皮の衣」と題してメッセージが取り継がれました。
創世記は、聖書66巻の「入り口」で、いろいろなことの「初め」について書かれており、聖書全体を理解するうえで大変重要な書です。
神は、人類の歴史の初めにアダムとエバを創造され、エデンの園に住まわせられました。「エデン」とは、「喜び」「楽しみ」という意味ですが、アダムとエバは、そこで神との親しい交わりを喜び、悲しみも死もない平和な日々を送っていました。
ところが、創世記3章に入ると、アダムとエバは、禁断の木の実を食べて神に反逆し、罪を犯してしまいました。これが人類のすべての不幸の始まりとなったのです。
罪の結果、彼らから神の栄光の覆いが取り除かれ、彼らは自分たちが裸であることに気づき、「いちじくの葉」で自分たちの腰の覆いを作りました。このいちじくの葉は、太陽が昇ると、その熱でしおれ、夕方になると枯れてしまいました。それは、自らの罪を覆うための人間のあらゆる努力がいかに空しいものかを暗示するものです。
しかし神は、そういう中で、彼らのために「いちじくの葉」ではなく「皮の衣」を用意し、罪に落ちた人間の回復の道を導いていかれるのです。
1.いちじくの葉と皮の衣
人類の始祖アダムとエバが造られたとき、彼らには罪がなく神の似姿に造られていたので、彼らは、いわば神の栄光に覆われ、裸であっても裸ではありませんでした。
ところが、善悪の知識の木の実を取って食べることで彼らが神の戒めに逆らい、罪を犯し、神から遠ざかるやいなや、神の栄光が彼らから離れてしまいました。そして、彼らは自分たちが裸の存在であることに気づくのです。そこで彼らは、「いちじくの葉」をつづり合わせ、腰に覆いを作りました。まさに親密な交わりの中にあった彼らと神との関係が切り離されてしまった瞬間です。
ある日のこと、アダムとエバは園を歩き回られる主の声を聞き、恐れて、園の木の間に身を隠します。これが罪がなせる業です。罪は、神と私たちの間に仕切りとなります。イザヤ書59:2を見ると、「あなたがたの罪が、あなたがたと神との仕切りとなった」と言われています。
そこで主なる神はアダムに、「あなたは、どこにいるのか」と声をかけられるのです。放蕩息子の譬え話にある、親元を飛び出した息子の帰りを待ち続ける父の姿と神の姿が重なります。
その後、神は、ご自分のもとを離れてしまったアダムとエバを哀れに思い、獣を捕らえて血を流し、皮を剥がして「皮の衣」を作り、それを彼らに着せられました。皮の衣は、いちじくの葉のように太陽の熱で枯れてしまう心配もありません。呪われた厳しい環境の中で、体を保護することのできる皮の衣には、実は驚くべき希望と象徴的な意味が含まれていたのです。
2.いちじくの葉が意味すること
人間が神を離れてから身に着けたいちじくの葉は、腰の部分、つまり相手との違いを隠すことに焦点が絞られています。つまり、人間が作った服は神を意識しているのではなく人の眼を意識しているのです。ですから、それがたとえ高価なものであっても、神の目には、いちじくの葉に過ぎないのです。
人間は、倫理や道徳という服を作って着ようと努力します。心の中に、何とかして罪を覆いたいという思いがあり、正しい行いをもってこれを覆おうとします。しかし、人間が作り出した、いかなる宗教も、哲学も、その裸の恥である「罪」を覆うことはできないのです。
また、人間は自分の羞恥心と罪意識を覆い隠そうとして、学歴と教養を身に着け、倫理的にも、道徳的にも努力をしますが、それは所詮、一時的には役立つかのように見える「いちじくの葉」なのです。
旧約聖書に出てくるバベルの塔の話は、まさに人間がいちじくの葉で身を覆おうとした行為です。昔、ノアの子孫たちは、シヌアルの地でレンガを作ってそれを積み、頂が天に届く塔を建てて自分たちの名をあげ、神様なしの人生を楽しもうとしたのです。
しかし彼らの動機が神への反逆だったので、神は彼らの言葉を乱されました。そこで彼らは意思の疎通ができず、バベルの塔を建てることができなかったのです。人々は神なしに安全な居場所を造り、神なしの人生を築いていこうとしましたが、そういうもので身を覆う努力をしても、それは必ずしおれてしまう、いちじくの葉なのです。
3.皮の衣が意味すること
神は、アダムとエバのために皮の衣を作り、彼らに着せられましたが、この皮の衣には大変重要な象徴的意味が隠されています。
神は、罪の体を持つ彼らをエデンの園に置くことはできず、彼らをエデンから追放し、ご自分の住む世界を人間の住む罪の世界から分離されました。しかし、神は将来人間のためにお与えになる「義の衣」の象徴としてアダムとエバに「皮の衣」をお着せになったのです。
神が与えられたこの衣は特別な衣で、それは動物の皮でできていました。つまり、それが彼らに与えられるために動物の血が流されたのです。この血は、そののちキリストによって私たちのために流される十字架の血潮の象徴です。また、神が人に与えられた皮の衣は、血を流すことによって得た皮の衣でしたが、これはキリストの十字架の贖いの血を信じるすべての者に与えられるキリストの「義の衣」を表しています。
あの放蕩息子の父親は、放蕩に身を持ち崩して、全ての財産を使い果たした息子が悔い改めて帰って来たとき、まだ遠く離れていた息子に走り寄ったと記されています。きっと嬉しくて、待ちきれなかったのでしょう。
しかし、ある聖書学者によれば、昔、両親に逆らって出て行った息子は石打にして殺されなければならなかったそうです。つまり、この放蕩息子は、父親に逆らって家を出た親不孝な息子なので、村人たちが見つけたら、彼を石打ちにして殺すことができたのです。だから、この父親は、仕事もそっちのけで、来る日も来る日も、遠くを見渡しながら、もし息子が帰って来るようなことがあったら、村人たちに見つけられる前に見つけて、見つけたならば、一目散に走り寄って、何としてでも息子を守らなければならないと考えていたのだというのです。
感動的な父親の愛です。イエス様は、そういう当時のしきたりを念頭に置いて、このたとえ話を語られ、神のあなたに対する愛はそういうものなのだと教えられたのです。
放蕩息子が帰って来た時、父親はしもべに命じて、一番良い着物を持って来て着せなさいと言いました。この放蕩息子の父親のように、愛に満ち給う神は、「キリストの義の衣」という「一番良い着物」を用意して、あなたが、罪を悔い改めて神に立ち返るのを待ち望んでおられるのです。
(ブログ製作チーム:Sao)
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皆様は「愛の原子爆弾」という言葉をご存知ですか?今から62年前に韓国で殉教をされた「孫 良源ソン ヤンウォン」牧師の事を表す言葉です。ソン牧師は48歳の若さで天に召されましたが、その信仰の道は神と人々の為に生き抜いた48年でした。2回シリーズでソン牧師をご紹介させていただきます。
ソン牧師の信仰はその父宗一から受け継がれたものでした。ソン牧師の父は韓国の貧しい農村で暮らしていましたが、近所に住む隣人から主イエスの福音を受け、その日からイエス様に心を捉えられました。初めて出席した礼拝でイエス様を受け入れて、祝福の祈りを受けたのです。「父なる神様、あなたの愛する息子が来ました。今までこの世で迷っていた者が、正しい道に戻ってきたのです。茨の道を歩み、深い淵に陥っていた傷だらけの息子が、父なる神を信じるために来ました。ありのままで受け入れてくださり、家庭にも祝福を与えてください。たとい倒れたとしても、立ち上がることのできる力と勇気を与えてください。暗闇の中にあるこの国のともしびとなりますように。荒野のようなこの国、この地に福音を宣べ伝える尊い一粒の種となりますように・・・」
この祈りの通り、ソン牧師の父はこの日を境に生まれかわり、お酒、タバコをやめただけでなく、寝る間も惜しみ聖書を読み、誰かに会う度にイエス様を伝えたのです。しかし、この当時は信仰を守る事が簡単ではありませんでした。しかし、父はどこまでも信仰の姿勢を変えず「神は唯一の神、イエス様です」と、家族や隣人の迫害の前にも証しを立てました。父宗一は特に偶像礼拝(唯一の神以外を神として崇め、拝む事)には屈せずに、先祖を拝む事を一族の中から取り去ろうとして怒りを買い、時には暴力を受ける事もあったのです。しかし、神が一族に働いてくださり、後に、迫害をしていた親族、そして家族達が次々に救われていったのです。
ソン牧師は父宗一の長男として生まれ、3歳の時に父が信仰を持ち、キリスト的教育を受け、神の働き人となる為の訓練を受けました。ソン牧師が11歳の時、当時韓国は日本の植民地となっていましたので、学校でも天皇が住んでいる東に向かって拝む「東方遥拝」を強制していました。ソン牧師の通う学校の校長先生は日本人だった事もあり、この事を守る事を特に厳しく徹底していたのです。11歳の子供達は「東方遥拝」に違和感を感じても、監視の目を恐れ、従っていました。しかし幼い頃から偶像礼拝は神の教えを破る事であると教えられてきたソン牧師は、決して頭を下げる事はせず、真の神への祈りを捧げていました。この行為は校長先生の怒りを買い、何度も忠告を受ける結果となりましたが、幼子ソン牧師は信仰に立ち、真の神以外のものを決して拝む事をしませんでした。校長先生はひどい体罰をソン牧師に与え、退学も言い渡したのですが、不思議な神の守りにより、その後、校長先生は転任になり、ソン牧師の退学処分も消され、無事に卒業を迎えました。
その後、ソウルの中学に進んだのですが、貧しい農夫の家庭だった故に、昼は学校で学び、夜は働く生活が始まりました。仕事は聖日(日曜日)に及ぶ事もあり、働かなければ学校に通う事ができないソン牧師にとっては苦渋の選択でした。しかし、学べなくなったとしても、主日には教会に行って礼拝を捧げるのが当然と考えていたので、聖日に仕事をしなければならない職場は辞める事となり、その為に、職場を転々とする事になりました。貧しさとキリスト教への迫害の中で、ソン牧師は耐え忍び学びを続けました。
苦学を続けてたある日、父宗一が独立運動の首謀者の一人として捕まった事で、ソン牧師は退学を言い渡され、家に戻り家の仕事を手伝うようになったのです。その一年後、今度は日本に渡り、中学の夜間部に入ったのですが、そこでも昼間は働き、夜に勉強をするソウル時代よりも厳しい日々が続きました。家族から離れ、寂しく厳しい日々を支えたのは、聖書と祈り、家族への手紙でした。中学生だったソン牧師の願いは、一日も早く祖国に戻り、福音の為に働く事でした。中学を卒業したソン牧師は進学を放棄し、伝道者になるために帰国し、父に胸の内を打ち明けました。
「私は牧師になります。牧師になって、暗いこの地を明るく照らすともしびになります。これこそ最高に価値のある仕事です」
父宗一は涙を流して喜びこう言われました。
「それは素晴らしい。以前から祈ってきたことを、おまえの口から直接聞くことができて本当にうれしい。私は死ぬまでおまえのために祈ろう。」
こうしてソン牧師は聖書学校に入学し、聖書を本格的に学びはじめたが、やはり苦学でした。父宗一はソン牧師の忠実な支援者となり、愛する息子を神のしもべにするために、労苦を惜しまなかったのです。
ソン牧師が38歳の時、どこの集会の説教でも、神社参拝が偶像礼拝の罪である事を話していた為、警察が目をつけ、ソン牧師は警察に連行されました。国の思想に対する反対思想の罪は重く、拷問により思想を覆される時勢でした。ソン牧師はその日から5年間牢獄に服する事になったのですが、、警察に連行されていく中、父宗一は勇敢にも息子ソン牧師に言葉をかけたのです。
「良源(ヤンオェン)牧師、ルカ9章62節、マタイ10章37節~39節を心に留めてくれ」
これが父宗一から息子ソン牧師への最後の言葉、壮厳な「遺言」となりました。
「するとイエスは彼に言われた。「誰でも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」ルカ9章62節
「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについてこない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」マタイ10章37節~39節
続く
(LVJCCブログ制作チーム:薫)
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