
今日は、‘平和な人間関係’について考えてみました。
平和な人間関係を築き、維持するための重要な要素のひとつは赦し合いということです。あなたもこの問題で苦しんだ経験をお持ちですか?
誰にとっても、人を赦せないのには、それなりの理由があるものです。しかし、どんな理由であれ、人を赦せないとき、その人は赦せない人に心を束縛され、自分を苦しめてしまいます。たとえ自分が100%正しく、相手が100%悪くても(普通、そんな事はありませんが)、たとえ仮にそうだとしても、その赦せない思いは、あなたの心を束縛し、傷つけ、あなたを不幸にしてしまいます。そして、その赦せない思いは’平和な人間関係’を壊してしまうのです。
この事について聖書は、「互いに忍び合い、だれか他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい」と勧めています。そして続けて、「主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたもそうしなさい」と言っています。
つまり、私たちが人を赦さなければならないのは、それが神の命令であり、神がまず先に私たちを赦して下さったからなのです。ですから、神に赦された経験は、人を赦すうえで大きな動機付けと力になります。
以前、南アフリカ共和国は白人と黒人を差別する人種隔離政策を取ったことがあります。この人種隔離政策をアパルトヘイトと言いますが、この政策のために、南アフリカ共和国は32年間オリンピックからも追放されてしまいました。
このアパルトヘイト撤廃へと南アフリカを導いて、後に大統領になったネルソン・マンデラは、新しい国を作るためには何よりも黒人と白人の和解が必要だと考えました。そこで彼は、「真理と和解の委員会」を発足させ、神の愛により真実を明らかにし、互に謝罪し合い、赦し合うという道を歩む政策を執りました。
アパルトヘイトの時代に、多くの罪もない人々が虐殺されましたが、「自分の犯した罪を認め、心から謝罪するなら、たとえその人が100人の人を殺した人であっても、その人を赦します」とマンデラは言いました。このような、普通の政策では考えられない「罪」と「赦し」の問題に、南アフリカの加害者と被害者の両方が向き合い、話し合い、理解しようとしていきました。その中にこんな話があります。
バンデ・ブロイクという警官が他の警官たちと共に起こした事です。彼らは18歳の少年を銃で殺し、その遺体を燃やしました。8年後バンデ・ブロイクは同じ家に行って、今度は少年の父親をつかまえてガソリンを体にかけ、火をつけ、それを奥さんに強制的に見せたそうです。
やがてアパルトヘイト撤廃後、バンデ・ブロイクは捕えられ、「真理と和解の委員会」の審議の場に立たされました。そこで、長男と夫を殺されたその奥さんに発言の機会が与えられ、「バンデ・ブロイク被告にどうしてもらいたいですか」と尋ねられた奥さんがこう答えたそうです。「夫の体を焼いた場所へ行って、灰を集めてほしい。そうすれば夫をきちんと埋葬してやれるから・・・・」 バンデ・ブロイクは頭を垂れたまま、うなずきました。
奥さんはさらに続けました。「私はバンデ・ブロイクさんに家族全員を奪われてしまいました。でも私にはまだ神様の愛がたくさん残っています。私は彼に月に2回ゲットーに来て(ゲットーというのは黒人達の居住地)、私と一日を過ごしてもらいたい。そうすれば私はブロイクさんの母親のようになれますから。そしてブロイクさんが神に赦されていること、そして私も彼を赦していることを知ってほしいのです。ブロイクさんを抱き締めていいでしょうか。そうすれば私の赦しが本物だということがわかるでしょうから」と、そうおっしゃったそうです。
これこそまさに生ける神を信じる者の姿です。そして彼女が法廷の証人台に向かって歩き始めると、誰かが「アメイジング・グレイス」を歌い始め、このとき被告は感極まって気絶してしまったそうです。
今日の一言: 赦しは高貴な生き方の象徴
平安
鶴田健次
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2012年4月18日(水)にイレイナ姉妹の赤ちゃん Zachriah Kanye Ochiai君が誕生しました!
South Westスモールグループの代表で、私(早織)がイレイナ姉妹の出産訪問に行ってきました。
姉妹の出産予定日は5月で、3週間近く早かったにもかかわらず、当日、自宅で破水。その後、病院に到着しましたが、その日は出産ラッシュ(?)があったそうで、病院中が混み合いEpidural Anesthesia(硬膜外麻酔医)が来たときにはすでに姉妹が病院に入ってから6時間が経過していたそうです。
しかし、その時にはまだ姉妹の子宮口が4cmと分娩準備を満たしていませんでしたが、Epidural(硬膜外麻酔)を投入後、4時間少しあまりで、普通分娩で無事男の子を出産しました。
出産直後は、イレイナ姉妹は出血多量で輸血寸前まで行ったそうです。しかし輸血には至らず、3日間を病院で過ごした後、無事べイビーと共に帰宅となりました。
こうして、たくさんの兄弟姉妹がイレイナ姉妹とベイビーのために祈り、主の御業と導きによって新しい命が与えられたことを心から主に感謝いたします。
イレイナ姉妹から一言
I have the cutest baby boy in the universe !!! ^o^
Zachariah Kanye Ochiai was born on April 18, 2012. He had 7 lb 9 oz & 19 inches long. Kanye means 'freedom' in Hawaiian. He already smiles at Mommy and gives me a lot of joy ! Thank you Jesus !! He truly is a miracle baby from God above !!!
私は、宇宙一可愛い男の子を授かりました!! ^O^
ザカリヤ・カニエ・落合は、2012年4月18日に誕生しました。体重は7ポンド9オウンス、身長は19インチでした。カニエの意味は、ハワイ語で“自由”という意味です。彼は、既にマミーに対して笑いかけており、私に毎日幸せを運んでくれます。イエス様、心から感謝いたします。彼は、主にある奇跡の子であると、心から思います。

(ブログチーム: Sao)
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4月22日の礼拝はサンタクララ教会の中尾先生をお招きし、メッセージを取り継いで頂きました。
聖書箇所:ヨハネの福音書21:1-14
説教題:「百五十三匹の魚」
まずはイースターの挨拶からから始めてくださいましたが、その挨拶は「主は蘇られた」と声をかけられたら「実に主は蘇られた。ハレルヤ!」と答える挨拶で、元気の出る主にある挨拶です。
メッセージは3つのポイントで語ってくださいました。
①イエス様は私達を回復させる為に祈っておられる。
主がローマ兵に捕らえられる時に、弟子達はみなイエス様を置いて逃げてしまいました。その中には「自分はどこまででも主に従います」と言っていたペテロもいました。しかし、弟子達は一様に主を裏切ってしまったのです。その事で沈んだ心を抱えて、弟子達は故郷ガリラヤに戻りました。もう自分達は主の弟子ではないと思った彼らは元の漁師に戻ろうとして漁に出ましたが、1匹も魚は取れなかったです。この時、彼らの網は空っぽでした。
ここでの霊的メッセージは「空っぽの心」です。弟子達は主と3年間寝食を共にして過ごしました。その日々は忙しいものでしたが、充実した日々でした。でも今の弟子達には何もありませんでした。主を裏切ったあとの彼らは何もかも失っていたようでした。しかし実際は主は復活しておられたのですが、彼らはまだその復活の命に預かっていなかったので、力も失い、心も空っぽでした。それをご存知だった主は弟子達を立ち直らせ、復活の命に預からせる為に彼らをガリラヤに導かれたのです。
「しかし、私はあなたがたの信仰がなくならないように祈りました」と言う主の御言葉は、主は私達が倒されても立ち直らせ、立ち上がるのを待っていてくださる為の主の祈りです。ガリラヤで弟子達を回復させた主は、今もこの祈りのゆえに必ず私達は回復させて下さるのです。
②エス様は私達を回復させる為に、悔い改めの原点に導いてくださる。
「あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、はじめの行いをしなさい」この御言葉から、私達が何か失敗をした時には原点に帰ればよい、それが悔い改めである事を教えられます。だから、弟子達を主はガリラヤに導かれたのです。そして彼らが漁をしても1匹も取れない時に主は声をかけられ、弟子達が主の言われるとおりにしたところ沢山の魚を獲ることができたのです。
また、これと同じでき事が3年前にもありました。それは主がペテロを召命した時の出来事でした。その時、主はこのような言葉をかけられた。「私について来なさい。あなたがたを人間を取る漁師にしてあげよう」同じ出来事を通して、主は命がけで主に従った3年前の召命の原点に弟子達を戻し、悔い改めに導かれたのです。
③イエス様は回復の為に153匹のしるしを与えてくださった。
主は弟子達に回復のしるしとして153匹の魚を与えられました。153匹の意味は、古代の魚の種類が153匹だったわけですが、153匹にはありとあらゆる種類の魚がありました。そのように、153匹の魚から、弟子達がこれからありとあらゆる人種・国語の人に主の証しをしていく事を表しています。回復の前の弟子達はイスラエルの人達にだけ証しをしていましたが、回復した時に主は以前よりももっと大きな使命を弟子達に与えられたのです。
「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらには地の果てまでわたしの証人となるであろう」
伝道とは回復のメッセージを人々に伝えることです。人は誰でも失敗があります。しかし、主はそこから回復させて下さるのです。主は失敗があっても悔い改めて、立ち上がろうとする人を愛してくださいます。そして、主は伝道の使者として、罪人の私達に福音をゆだね、用いてくださるのです。天使のように失敗もなく、罪もない完全な主のしもべではなく、なぜ私達に福音をゆだねたのでしょうか?それは、罪を犯したことのない天使は罪が赦された経験がなく、その喜びがなかったからです。伝道は自分が体験した恵みを分かち合うことにより、赦され、救われた喜びを伝えることができるのです。主は私達を回復させ、主の福音の使者として、用いてくださいます。
聖書の御言葉を忠実に解き明かして下さる中尾先生の説教によって、私達は大変恵まれました。
私達の失敗をも愛してくださり、祈り、悔い改めに導き、赦し、回復させてくださる主を思い、主に感謝する聖日となりました。
(LVJCCブログ制作チーム:薫)
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今日は、‘心の養い’ ということについて考えてみました。
人間の思考、言動、行動は、すべて心の中から湧いてくるものです。人は、心の中にないことを考えたり、口にしたり、行動に移したりすることはしません。すべて心の中にあるものが考えとなり、言葉となり、行動となって表に現わされていくのです。したがって、心を育て、心を守るということは、幸せな人生を送るための鍵であると言えるでしょう。
旧約聖書の箴言4章23節に、「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」という言葉がありますが、まさにここで言われていることは、あらゆる人生訓の基となる重要な思想です。
旧約聖書においてこの「心」(レーブ)という言葉が使われる時、それは知性、感情、意志を含めた全人格を表し、それは「命の泉」であり、その命は心から湧いてくるものであると言われているのです。したがって、「心」はすべての守るべきものに先立って守るべき大切なもので、それによって、その人の人生が決まるのです。
マザーテレサが、このようなことを言っています。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
つまり、どんな言葉を口にし、どんな行動を取り、どんな習慣を身に付けていくか、それがその人を作り、その人の人生を決めていくわけで、そのすべての源となる思考は、「心」の中から生み出されるのです。
ですから、良い思考を生み出し、良い言葉、良い行動、良い習慣、良い性格、そして幸せな人生をもたらすために健全な心を育て、守ることを心がけましょう。
健全な心は、心の糧である聖書の言葉を学び、それを行うことによって養われます。学ぶだけでは心は育ちません。それを行うことが大切です。どんな状況の中でも、神の言葉に心を向け、油断することなく心を守りながら、神の言葉を瞑想し、それに基づく言葉を口にし、また行うのです。
そうすれば、やがて健全で豊かな心が育てられ、その心から健全な思考が湧き上がり、良い言葉、良い行動、良い習慣、良い性格がもたらされ、素晴らしい人生を生きることができるのです。
今日の一言: 健全な心を育てよう
平安
鶴田健次
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2012年4月22日(日)の礼拝に、北カリフォルニアのサンタクララ教会から中尾邦三牧師をお迎えして聖書のメッセージを取り継いでいただく予定です。それに先だち、中尾先生のプロフィールとインタビューをご紹介いたします。
中尾邦三牧師プロフィール
大阪府に生まれる。こどものころ病気をしたため運動は苦手だったが、図画工作、作文などは得意だった。小学生のころはまんが家になりたいと思っていた。中学生のころエレクトロニクス工作をはじめた。そのころ、まだパーソナル・コンピュータはなかったが、それがコンピュータへの興味につながったと思う。
高校二年生の時に聖書を学びはじめ、イエス・キリストを信じた。翌年イースターに浜寺聖書教会で岩佐祐二牧師より洗礼を受けた。そのころより、牧師への召命を感じはじめていた。
1973年聖書神学舎を卒業、結婚して、新潟県長岡市で伝道牧会、新潟聖書学院でも教えた。その間、会堂建設、伝道所建設を手がけ、TEAM、アンテオケ宣教会、いのちのことば社、太平洋放送協会、総動員伝道などと関わりを持った。娘二人は、新潟県で生まれた。
1989年、テキサス州ダラスに留学。翌年クリスウェル大学大学院を卒業し、帰日。東京都練馬区にある小竹町聖書教会で臨時牧師をした後、1991年、カリフォルニア州サンディエゴにある日系キリスト教会に赴任。2000年夏までの間、クリスチャンのサポート・グループを指導し、人間理解について洞察を得た。
2000年9月、カリフオルニア州サンホゼにある日系キリスト教会に転任。「真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(テモテ第二2:15)とのことばに励まされ、時代を経てもかわらない聖書の真理を教える教師でありたいと願っている。神学の分野では「教会論」に興味を持っている。将来、テゼ・スタイルの礼拝やリトリートを導きたい。そのためにリトリート・マスターとしての研鑚を積みたい。

次に、中尾牧師へのインタビュー
―まず始めに、先生がアメリカにおいでになったきっかけからお聞きしていいですか。
<中尾牧師>それは、1989年にダラスに留学に来た時からはじまります。日本での牧会も、伝道所を建てるところまで祝福され、一段落したところで、将来のため、アメリカで学びたいと、家族と一緒に来ました。その時はダラスに日本語教会があることすら知らないでいました。ここに来たら、アメリカの教会に行くものと思っていました。ところが、私たちを空港に迎えに来てくださったのが、日本語教会の牧師だったのです。それで、日本語教会に行くことになりました。
―そこでのクリスチャンの交わりはどうでしたか。
<中尾牧師>日本の教会で訓練を受けたご夫妻がいて、他にもこちらで信仰に導かれた家族が2、3あって、お互いに家族同士の交わりをして、助けあっていました。私たちもその仲間に入れていただき、多くの面で励まされ、助けられました。やはり、教会の鍵はクリスチャン・ホームにあるように思います。
―ダラス、あるいはテキサスの教会はどんなふうでしたか。
<中尾牧師>私は、日本で教会成長の学びをしていて、書物に書かれていることが、実際にはどうなんだろうと確かめたくて、アメリカに学びにきました。ダラス、テキサスを選んだのは、この地方がアメリカのバイブル・ベルトと言われる地域で、教会のさかんなところだと聞いていたからです。
―実際にはどうでしたか。
<中尾牧師>期待は裏切られませんでした。日本語教会の先生の許可を得て、月に1、2度はいろいろな教会の礼拝、夕拝に出席しました。どこも、すこし遅れていくと車をとめるのが大変なほど、多くの人が集まっていました。どこでも、グリーターが気持ちよく歓迎してくださり、子供たちをサンデースクールのクラス・ルームまで案内してくれます。礼拝では、みんなが声をそろえて賛美し、どのメッセージもキリストの恵みを明確に語り、日々の生活にチャレンジを与えるものでした。
―先生の、説教についての考え方について、お話ししていただけませんか。
<中尾牧師>説教とは、説教者個人の意見発表の場ではなく、聖書を「解き明かす」ことにあると信じています。説教者は、みことばのしもべなんです。牧師の黒いローブは、人と違った格好をして目立つため身につけるんじゃないんですよ。それには、みことばの僕として、「黒子(くろこ)」になるという意味があるのです。
―説教を聞くうえで大切なことは何ですか。
<中尾牧師>説教は、単なる聖書の説明ではありません。例話や体験談、そしてチャレンジがあります。けれども一番大切なのは、知的に理解できた説明でも、おもしろい例話でも、心あたたまるお話しでもなく、最終的にはそこで神様と出会うことです。神の愛のもとに思い煩いをゆだねること、キリストの恵みを知って自分をささげること、聖霊に心照らされて真実な悔い改めに導かれることなのです。
― Pastor Nakao's Homepage、 penguinclub.netより
このように主の僕として主に尊く用いられておられる中尾先生を私達の教会にお迎えできることを主に感謝いたします。
4月22日の礼拝メッセージは『百五十三匹の魚』というタイトルでメッセージを取り継いでいただく予定です。期待をもってお迎えしたいと思います。ぜひお友達を誘って、ご参加ください。
(ブログ制作チーム: Sao)
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