
聖霊の賜物(3)
4.聖霊の賜物シート
いよいよ「聖霊の賜物シート」を使ってご自身の賜物を見出してみてください。シートが終わったら、「聖霊の賜物分析表」によって候補にあがった賜物を、 「賜物の発見の方法」を元に用いてみてください。
・(1)聖霊の賜物シート
・(2)聖霊の賜物シート
・(3)聖霊の賜物シート
・聖霊の賜物分析表
5.聖霊の賜物の定義と聖書引照
預言の賜物:預言の賜物とは、神の語りかけによるその民への直接のメッセージを受け、伝えるべく、神がキリストの体の特定の人達に与えておられる特別な能力。
(第一コリント12:10、エペソ4:11~14、ローマ12:6、使徒15:32)
牧会の賜物:牧会の賜物とは、信徒の群れの霊的福祉のために、長期間に渡って個人的に責任を負うべく、神がキリストの体の特定の人達に与えておられる特別の能力の事である。
(エペソ4:11~14、1テモテ3:1~7、ヨハネ10:1~18、1ペテロ5:1~3)
教える賜物:教える賜物とは、キリストの体の健康と働きに役立つ適切な情報を伝達するために、そして、それによって他のクリスチャンたちが学ぶ事が出来るように、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:28、エペソ4:11~14、ローマ12:7、使徒18:24~28)
知恵の賜物:知恵の賜物とは、キリストの体の中に起こる個々の必要に対して、どの知識をどのように適応することが最善であるかを知る事が出来るように、神がキリストの体の特定の人達に与えておられる、聖霊の御思いを知る特別な能力のことである。
(1コリント2:1~13、12:8、ヤコブ1:5~6、2ペテロ3:15、16)
知識の賜物:知識の賜物とは、キリストに体の成長と健康に役立つ情報やアイデアを発見し、蓄積し、それを明確にしていくために、神がキリストの体の特定の人達に与えておられる特別な能力の事である。
(1コリント2:14、12:8、使徒5:1~11、コロサイ2:2~3、2コリント11:6)
勧めの賜物:勧めの賜物とは、いたわりや、励まし、助言を持って他の教会員たちに仕え、それによって相手の人が助けられ、癒されるように、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(ローマ12:8、1テモテ4:13、ヘブル10:25、使徒14:22)
霊を見分ける賜物:霊を見分ける賜物とは、神によると称されているその行為が、本当に神によるのか、人間によるのか、それともサタンによるのかを、確信をもって見分けることができるように、神がキリストの体の特定の人に与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:10、使徒5:1~11、、16:16~18、1ヨハネ4:1~6)
ささげる賜物:ささげる賜物とは、主の働きのためにいさぎよく、喜んで自分の財産を捧げるように、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(ローマ12:8、2コリント8:1~7、9:2~8、マルコ12:41~44)
助けの賜物:助けの賜物とは、自分の持っているタレントをキリストの体の他の人たちの働きのために与えその人たちの持っている賜物の効果を引き出す手助けをさせるために、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:28、ローマ16:1~2、使徒9:36、ルカ8:2~3、マルコ15:40~41)
慈善の賜物:慈善の賜物とは、クリスチャンであるないに拘わらず、肉体的、精神的、情緒的問題で苦しんでいる人に、純粋な共感と同情の念を持ち、キリストの愛による喜びをもって、その思いを行動に移し、相手の苦しみを和らげることができるように、神がキリストの体の特定の人達に与えておられる特別な能力のことである。
(ローマ12:8、マルコ9:41、使徒16:33~34、ルカ10:33~35、マタイ20:29~34、25:34~40、使徒11:28~30)
宣教師の賜物:宣教師の賜物とは、異文化圏において、聖霊の賜物を用いて福音伝道をするために、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント9:19~23、ローマ10:15、使徒8:4、13:2~3、22:21)
伝道者の賜物:伝道者の賜物とは、人々に福音を伝えて、キリストの弟子とし、またキリストの体の責任ある会員とするために、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(エペソ4:11、2テモテ4:5、使徒8:5~6、14~21、26~40)
接待の賜物:接待の賜物とは、食事や宿泊の必要な人々に家を開放して、温かく歓迎するようキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1ペテロ4:9、ローマ12:9~13、16:14、15、ヘブル13:1、2)
信仰の賜物:信仰の賜物とは、神ご自身の働きの未来のために、その御旨と目的とを、驚くべき確信をもって知るに至らせる、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:9、使徒11:22~24、27:21~25、ヘブル11章)
リーダーシップの賜物:リーダーシップの賜物とは、未来に対する神のご計画に従って目標を設定し、それを他の信徒達に伝え、彼らをして自発的に、また調和をもって、神の栄光のために、その目標達成を目指して働かしめるよう、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1テモテ5:17、使徒7:10、15:7~11、ローマ12:8、べブル13:17)
運営管理の賜物:運営管理の賜物とは、キリストの体のある特定の群れに短期、長期目標を明確に理解して、それらの目標達成のために計画を立案し、効果的に実行することが出来るように、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:28、使徒6:1~7、27~11、ルカ14:28~30)
奇跡の賜物:奇跡の賜物とは、通常の自然の法則が変えられたとしか、それを見る人々が認めざるを得ないような力ある働きが、神によってなされる為に用いられる器となるよう、神がキリストの体のある特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:10、28、使徒9:36~42、19:11~20、20:7~12)
癒しの賜物:癒しの賜物とは、通常の方法によらないで神が病気を癒し、健康を回復させるための器として用いるために、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:9、28、使徒3:1~10、5:12~16、9:32~35)
異言の賜物:異言の賜物とは(1)今までに学んだこともない言語で神に語るために、また(2)今までに学んだこともない言語で神が語られることにより、神の民へ直接のメッセージを受け、かつ伝えるために、神がキリストの体のある特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:10、28、14:13~19、使徒2:1~13、10:44~46、19:1~7、マルコ16:17)
異言を解き明かす賜物:異言を解き明かす賜物とは、異言で語る人のメッセージを、通常の理解できる言葉になおすよう、神がキリストの体ある特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント12:10、30、14:13、14:26~28)
使徒の賜物:使徒の賜物とは、霊的な事がらについて、特別な権威を持って諸教会に対する責任と指導力を行使することができるように、神がキリストの体ある特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。また、その権威は諸教会によってごく自然に認められ、感謝を持って受け入れられるものである。
(使徒14:14、1テサロニケ2:6)
独身の賜物:独身の賜物とは、独身を守り、楽しみ、結婚をしないでもたいした性的誘惑もうけず、ひとりの時間の多くを神の働きのために用いることができるように、神がキリストの体ある特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(1コリント7:7~8、マタイ19:10~20)
執り成しの祈りの賜物:執り成しの祈りの賜物とは、神がキリストの体ある特定の人たちに与えておられる、規則的に長時間にわたって祈る特別な能力のことであり、普通のクリスチャンでは考えられないほどにその祈りがひんぱんに、しかも具体的に答えられる。
(ヤコブ5:14~16、1テモテ2:1~2、コロサイ1:9~12、4:12~13、使徒12:12、ルカ22:41~44)
殉教の賜物:殉教の賜物とは、神がキリストの体のある特定の人たちに与えられる、神に栄光を帰する喜びと勝利の態度を常に表しつつ、信仰のためには死の苦しみをも厭わないという特別な能力のことである。
(1コリント13:3、使徒5:27~41、7:54~60、12:1~5、2コリント11:21~30、12:9、10)
奉仕の賜物:奉仕の賜物とは、神の働きの中で、まだ満たされていない必要を見出し、その必要を満たすために現存するリソースを用いて、求められている目標を達成するために、神がキリストの体の特定の人たちに与えておられる特別な能力のことである。
(2ガラテヤ1:16~18、ローマ12:7、使徒6:1~7、テトス3:14、ガラテヤ6:2、10)
参照:「聖霊の賜物の学び」鶴田健次牧師
皆様の聖霊の賜物を用いた信仰生活が豊かに祝されますように、お祈りいたします。
(LVJCCブログ制作チーム:薫)
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私が、礼拝賛美のためのピアノの奉仕を始めたのは、2006年6月からでした。きっかけは、それまで教会で賛美の奏楽の奉仕をされていた御夫婦が日本へ転勤になるので、その後、誰が演奏するんだろう?と思っていたのですが、しばらくして「あなたがその奏楽の奉仕をしなさい」という天からの声を聞いたような思いが与えられ、私はその声に聞き従いピアノの奉仕を始めました。
私がピアノの奉仕を始めようと決断した後、すぐにもう一人のピアノを弾いてくださる姉妹が与えられたと同時に多くの奉仕者が賛美のシンガーとして与えられ、礼拝賛美の奉仕をスタートする事ができました。
当時の思い出としては、私はピアノを習い始めて間もない時でしたから、
(参照ブログ記事)礼拝中の賛美の前には手は振るえ、冷たくなり、心臓の鼓動は鳴り響き、とても緊張してしまい、本番中でも本当によく間違えました。そのたびに落ち込み、家に帰りまたピアノを猛練習しました。今まで、それほど指を使った事がないので1日に5~8時間ピアノを練習する時には、指の関節から神経が出てきて痛みを覚え夜も眠れない程でした。あの時は本当によく練習しました。
その時々において沢山の奉仕者がシンガーとして賛美チームに与えられ、必要な時には賛美の演奏者も与えられました。約6年間の賛美の奉仕をしてきた中で感じる事は、この賛美の奉仕をする中にいつも神様が臨在してくださり、必要に応じて必要を与えて下さっているということです。奉仕に人が足らない時には、人を送ってくださいました。時には、その人々がどんどん去って行き、これからどうしよう?と悩んだ時もありました。また、人と上手くやっていく事の難しさを知り、人との接触を通して忍耐を学び、時には励まし、時には励まされ、私の信仰も賛美の奉仕を通して成長したといっても過言ではありません。
しかし、この奉仕を通して一番私が学んだ事は、神様への信頼でした。そして、この賛美の働きを自分がしているのでなく、背後におられる神様の助けによってさせていただいていることを知りました。これは神様の働きであるので私は、ただ聞き従い忠実にこの働きをおこなうだけです。必要なものは、すべて神様が備え与えてくださるということを学びました。
ラスベガス・ジャパニーズ・コミュニティー・チャーチに2006年6月以降、新しい賛美チームが教会に誕生して、その時から現在にかけての賛美の奉仕に関わって下さった方々は、21名。そして今、現在の賛美チームのシンガーは、ユース・チルドレン「3名」、石原兄弟、治美・ウォルター姉妹、さおり・スティンソン姉妹、演奏者はケイ・ソレンティーノ(私)となっています。これからも、神様を信頼し、心からの賛美を主にお捧げしていきたい。それだけです。
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:4-5)
(賛美・礼拝委員会:ケイ・ソレンティーノ)
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今日は、‘逆境’ということについて考えてみました。
木の切り株を見ると、年輪がその木の樹齢を刻んでいますが、人間も歳を取ることを‘年輪を加える’などと形容します。これは木の年輪から来ています。
ところで、山にある木の切り株の年輪の中心は、真ん中でなく、北側に片寄っているのをご存知ですか。それは、日光と南風を十分に受けて育つ南側は年輪の目が幅広くなり、それだけ肉付きがよく成長するからです。反対に北側は、寒さから身を守るために、厚い皮をつけて戦います。したがって、年輪の目が幅狭く、中心がそちらに片寄るのです。
ところが木が伐採され、用材として製材されるとき、太陽の光を受けて育った南側の部分は板になり、北風を受けて育った部分は柱になります。柱は家を建てる際に、最も重荷がかかり、大切な部分となります。材木でも、逆境で苦労して鍛えられてこそ、柱という大切な部分に用いられるものになるのです。
人生には、浮き沈みが付きものであり、順境もあれば逆境もあります。人は、誰も逆境や試練の中を通ることを望みません。しかし、人生は長い目で見れば、むしろ順境よりも逆境の苦しみの方が、私たちに益をもたらすことが多いのではないでしょうか。
かつてイスラエル王国に黄金時代をもたらしたソロモン王は、イエス・キリストをして‘栄華を極めた’と呼ばれた人ですが、その人生の晩年に、聖書の中に次のような言葉を記しました。
「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。 」(伝道者の書7:14)
人生の逆境は、その逆境の中で今までの自分の歩みを反省させ、人生を深く考えさせるための大切な機会であり、愛なる神からの贈り物なのであるという意味の言葉です。人は、繁栄や順境の中では、自らを誇ったり、傲慢になって、他者を思いやる心を失いがちです。そういう人は、人の言葉に注意を払わず、道を踏み外して暴走し、やがて人生の行き詰まりを経験することになるのです。そして、ようやく、そこで初めて、自分自身を省み、人生の建て直しをすることができるのです。
「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)
この詩篇119篇の作者と同じように、あなたも「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした」と言い得る日が来ることを信じて、今の試練を乗り越え、逆境を意味のあるものとして生かしてください。
真摯な心で聖書を開き、そこで示された神の言葉に従順に従うなら、どのような絶望的な人生を送っている人でも、真の希望を見出すことができます。そして、今の試練は、これからの人生に決して無駄になることはないのです。
今日の一言: 逆境は人生の宝
平安
鶴田健次
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聖霊の賜物(2)
2.聖霊の賜物を見出す事の得点
1)教会全体の益になる(Ⅰコリント12:7)
2)各自がより健全なクリスチャンになり、教会全体が成長する(エペソ4:11-15)
成長とは質的成長、量的成長、組織的成長
3)神が願っておられる教会形成
4)神が計画されてた最高の人生を築くことができる。人生の目標を知る事が出来る。
3.聖霊の賜物の発見
A)四つの基本条件
自分の賜物の発見に取り組む前に、自分自身の生活の中で四つの必要条件を満たさなければならない。この条件のうち一つでも満たされないものがあるなら、自分の賜物を発見するのが不可能ないし非常に難しいものになる。
第一の条件=クリスチャンでなければならない。聖霊の賜物はキリストの体の一員となっている人にのみ与えられるもの。キリストの体につながっていなければ、聖霊の賜物は与えられない。
第二の条件=聖霊の賜物を信じなければならない。これは実に信仰の問題であって、聖霊の賜物の発見ということを始める前に、まず、神が自分に聖霊の賜物を与えておられることを信じなければならない。
第三の条件=喜びをもってする態度が必要とされる。神は目的をもって、私たちに賜物を与えておられる。私たちが、キリストの体の中にあって、それらを用いることを神は願っておられる。そしてそれは、おもしろ半分や義務感でなされるべきものではなく、真実と喜びをもってなされなければ、神からの助けを期待することは出来ない。
第四の条件=祈りが必要とされる。賜物の発見の段階において、常に祈りがなければならない。神は私たちが賜物を発見することを望んでおられるのであるから、必要とされる助けは神が必ず与えて下さる。従って、神が必ずそうして下さる事を、ただひたすら祈り、また信じることが大切である。
B)賜物の発見の五段階
第一段階=可能性の探求
1)聖書を学ぶ。
2)賜物について自分の教会の立場から知る。
3)賜物をすでに見出している人から聞く。
4)賜物を話題にのせる。
第二段階=できるだけ多くの実験をする
人は実際にやってみなければ自分のタラントを知ることはできない。そこで、まず手始めとして考えられることは、自分のまわり(特に教会の中において)を見回して、どのような必要があるかを知り、その必要を満たそうとすることである。そして、その実験を通して、その分野に自分の聖霊の賜物があるかどうか、神に示して下さるように祈り求める。また、たとえ少々むずかしいことがあっても、一生懸命やってみることが大切である。
第三段階=自分の感情の点検
聖霊の賜物についての正しい理解は、賜物を用いて神に仕えることは楽しく喜びのあることであることを私たちに教えてくれる。神は私たちの感情をよく理解しておられ、私たちが喜んで働くとき、よりよい働きをすることが出来ることをご存知である。したがって、もし聖霊の賜物が与えられているなら、その賜物を用いて奉仕をし、私達が喜びと楽しさを感じることが神の御旨である。もし私たちが、神に仕えたいと願いつつも、ある奉仕にまったく喜びを感じないとすればその働きの賜物があるという可能性はない。
第四段階=有効性の評価
聖霊の賜物は主の働きのために与えられており、それだけの効果が期待されている。神が賜物を与えておられるのは、キリストの体の中にあって、神が私たちに、それを達成することを願っておられるからである。だから、賜物を与えられている人は結果を得ることが出来る。もし、その人に伝道の賜物があれば、その人の働きによって、キリストに導かれる人が起こされる。勧めをする賜物があれば、それによって問題の解決に導かれる人が起こされる。いやしの賜物があれば、病人はいやされる。運営・管理の賜物があれば、組織は円滑に動く。というわけで、本当の意味での賜物が働くなら、起こるべきことが起こるのである。
第五段階=キリストの体による確認
自分では賜物が与えられていると思い込んで、それを用いようとしても、教会の人々がだれもそう思っていなかったとしたら、おそらくその人には、その賜物は与えられていないに違いない。感情の点検も有効性の評価も、個人的には、しばしば間違う場合もある。そこで、そのような間違いを防ぐために、教会のほかの人々によって、確認される必要があるのである。
参照:「聖霊の賜物の学び」鶴田健次牧師
次回はいよいよ、賜物発見シートをご紹介します。
(LVJCCブログ制作チーム:薫)
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花のつぼみも膨らみ、桃の花が咲き始めた2012年3月17日(土)、South West Small Groupは、時々私たちのSGに集っておられるIleina姉妹のベイビーシャワーに参加しました。
Ileina姉妹は5月に男の子を出産予定で、ただいま33週目の妊婦生活をおくっておられます。お腹のベイビーも4パウンド13オンスとすくすく元気に育っており、毎日を恵みの中で過ごされているようです。
お祝いに訪れたのは、Ileina姉妹が通っているスパニッシュの教会からの姉妹たちと、以前通っていた教会の姉妹たちと、私達日本人教会からと合計26人+子供19人+赤ちゃん2人(!!)が集われました。
予想外にもこの日は、連日のポカポカ陽気とは打って変わり、3月も半ばにもかかわらず肌寒く大雨にも見舞われましたが、主にあり神の家族の新しい息吹を祝おうと、この日のベイビーシャワーにはたくさんの方々が次々とギフトを持ってやって来ました。数々の料理も食卓に並び、メキシコ料理に始まり、中華料理、日本料理、フィリピン料理、ブラジル料理とインターナショナルな料理を、インターナショナルな姉妹たちと共に楽しくテーブルを囲みました。
神の家族の愛はなんと素晴らしいものでしょう。これも、主の恵み深い愛によるものです。私達の生まれるずっと以前から私達を愛し、神の愛を現すものとして主が造られた私達。そしてIleina姉妹を通して、主はまたここに新しい命をお与えになりました。ハレルヤ!主の御名を賛美します! 今日こうして主の愛の一端に触れることが出来たことは大いなる喜びです。感謝いたします。
Ileina姉妹から一言。
私と私のベイビーのために天気の悪い中、こうしてベイビーシャワーにおいで下さってありがとうございました。皆様からの祝福にベイビーもお腹の中でとても喜んでいます。皆様のお祈りを心から感謝します。また神様の御手の中で、健やかな出産を迎えることができるよう引き続きお祈りくださると嬉しいです。この子が将来、教会に集い、神の言葉を伝える素晴らしい青年になってくれることを心から願ってやみません。
(ブログ制作チーム: Sao)
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