
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ人への手紙2:6-8
2011年の12月1日で、鶴田牧師御夫妻がラスベガス伝道を始めて10年を迎えました。こうしたお二人の神への献身的なお働きがあったおかげで、これまで83名の方が洗礼の恵みに与ることができました。感謝なことに更に多くの福音の種が今現在も撒かれ続けています。
記念日の12月1日にはまだ4日ばかり早いですが、12月27日の礼拝後、教会員一同から鶴田牧師御夫妻に感謝を込めて、皆さんの暖かいメッセージが書かれた色紙と花束がお贈呈されました。先生御夫妻を通して、ラスベガスの地に初めての日本人教会・Las Vegas Japanese Community Churchを立て上げてくださった主に心から感謝致します。
教会の始まりを先生は自らこう綴っておられます。
「ラスベガスで日本人のための教会開拓を始めたのは2001年12月1日のことである。家内と私にとって、これは二つ目の教会開拓であった。当時ロサンゼルスの郊外に住んでいた私たちは、毎週、金曜日に車でラスベガスを訪問し、日曜日の午後ロサンゼルスに帰るというかたちで日本人伝道と教会開拓の働きを始めた。長い間、友人の安藤英世牧師が定期的にロサンゼルスからラスベガスを訪れては福音の種を蒔いておられたが、ロサンゼルスでの働きが忙しくなり、ラスベガス訪問を続けることが難しくなっておられたところであった。
そこで安藤牧師に代わって私たちがということになったわけであるが、紹介していただいた何人かの方々の中にどこの教会にも行っておられない夕紀子さんという日本人のクリスチャンがおられた。家内と私は、まずこの人をということで一緒に祈り、将来の夢を語り、聖書の学びを始めることにした。また、韓国人の教会に行っておられた日本語の解かる基江さんという韓国人女性がおられ、その方も時間を都合して聖書の学びに来て下さった。
右も左も分からないラスベガスで、日本人は一体どこに住んでいるのか、色んな手掛かりをたどりながら、とにかく毎週の訪問だけは欠かしてはいけないと思い、片道500キロの道を家内と二人で毎週通い続けた。
長い道のりを運転してラスベガスに着くと、いつも先ほどの二人の女性が待っておられたが、何度か夕紀子さんだけしかおられない時があった。あるとき、彼女と聖書の学びを終えてロサンゼルスに帰る途中、車を運転しながら、ふと私の思いの中に「はるばるロサンゼルスから時間とお金と体を使って、往復1000キロもの距離を運転して来ているのに、たった一人の人とだけ聖書を勉強して帰るんじゃ割に合わないな…」という思いが沸いてきた。
そう思いながら運転をしていると、私の心の中にピリピ人への手紙2章6-8節の御言葉が示された。そして、イエス様が聖霊によって私の心にこう語り掛けられた。「わたしが天にある神の位を捨てて、あなたのためにこの世に来たのと、あなたが一人の人のためにロサンゼルスからラスベガスに来るのと、どちらが割に合わないだろうか……?」そういう問い掛けだった。私は、その問い掛けに、胸を刺される思いがした。私は人の魂の価値を何と思っているのだろうか…と思った。
車を運転しながら、私は、「イエス様、もちろん、あなたが私のためにこの世に来られた事の方が、はるかに割に合わないことです。もうこれからは二度と一人では割に合わないなどと思ったりしませんから、どうぞ私の不信仰を許して下さい」と悔い改めの祈りをした。また「あなたがそこまでの犠牲を払ってまで愛しておられるラスベガスの人々のために、今度は私があなたに代わって犠牲を払いますから、どうぞ家内と私の働きを助けて下さい」。そう祈りながら、目に涙を一杯に溜めて運転したことを昨日の事のように思い出す。」(LVJCCホームページより)

同じ日に、あや姉妹のベイビーシャワーがもたれました。あや姉妹は2003年に洗礼を受けられ、12月26日に出産予定の2人目の赤ちゃんが無事に生まれることを願い、教会員からお祝いをお渡しました。ブランケットやダイパーケーキなどの神の家族である兄弟姉妹の思いが詰まった贈り物に囲まれ、あや姉妹からたくさんの笑みが零れ落ちていました。
ベイビーシャワー後に、あや姉妹からメッセージをいただきました。
「最初の妊娠の時は、まだ神様にも出会ってなかったので、行き詰まりや葛藤の中で辛い思いをしましたが、出産後この教会でイエス様を知り晴れてクリスチャンとなることができました。それから病気を乗り越え、無理だと思っていた2度目の妊娠をすることができました。そんな喜びに包まれた10年ぶりの妊娠は、祈りと御言葉に支え続けられてきたものでした。
また最初の妊娠と比べ、なにかと身体的に辛い部分があり、クリスチャンの兄弟姉妹に励まされることがたくさんありました。子供が生まれるタイミングは、神のご計画の中にあることですが、生まれてくる娘(お腹の赤ちゃんは女の子の予定)が人々の役に立つ人間に成長してくれることを心から期待しています。
この度は、教会の皆さんがこのようにベイビーシャワーをお祝いしてくださったこと、お一人お一人にお礼を言いたい気持ちです。また私を救ってくださり、二人目の子供も授けてくださり、平安と喜びの中で出産を迎えられることを主に感謝致します。」
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ人への手紙 4:13

(ブログ制作チーム: Sao)

今日は、‘可能性’ということについて考えてみました。
イタリアの美しい都市、ヴェニスが見渡せる高い丘の上に、天才的な老人が住んでいました。彼は尋ねられたことには何でも答えられると言われていました。
ある日、この老人をだまそうと考えた少年たちが、小鳥を捕まえて彼の家に向かいました。少年の一人が小鳥を手にして、それが生きているか死んでいるかを老人に尋ねました。すると老人は、「私が、もし生きていると答えれば、君は指に力を入れて殺してしまうだろう。反対に、死んでいると言えば、君は手を広げ、鳥は飛んでいってしまうだろう。君の手の中には、生と死の力が備わっているのだ」と少年に答えました。
この老人の言うように、少年の手の中の小鳥が生きるも死ぬも、それは少年次第でした。少年はスペードのエースは自分の手の中にあると思い、この天才老人をだませるという確信を持ってやって来たのですが、見事にその魂胆を見抜かれて
しまいました。
それどころか、この天才老人は、この愚かな少年の将来を左右する大切なメッセージを少年に伝えるのです。それは、「君の手の中には、生と死の力が備わっているのだ」というものでした。つまり、小鳥を殺すのも生かすのも少年次第であるように、少年の手の中には、小鳥という‘与えられたもの’を殺すことも生かすこともできる力があるということ。さすがに天才老人ですね。
失敗の可能性も、成功の可能性も、すべて自分の手の中にある。これは、すべての人にとって真理ではないでしょうか。多くの人が、成功や幸せの条件を、与えられた能力、機会、環境、人などによると考えています。果たしてそうでしょうか。もし、そうであれば、なぜ多くの優秀な人が努力もせず、不幸な人生を送るのでしょうか。な
ぜ多くの人が与えられた機会を物にできず、素晴らしい人との出会いを壊してしまうのでしょうか。それは、与えられているものを使っていないか、使っても正しく使っていないからです。
与えられている能力、機会、環境、人などは、いわば‘手の中の小鳥’です。この‘小鳥’が生きるか死ぬかは小鳥にかかっているのではなく、それを手にしているあなた自身にかかっています。それは、人生においても同様で、与えられているものを活かすか、殺すかは、あなた次第であって、決して与えられているもの次第ではないのです。
そこで、この与えられているものの使い方がなぜ人によってこんなにも違い、その人生の明暗を分けるのでしょうか。その答えは自分自身の中にあります。
‘人は誰でも自分の中に人生の脚本を持っており、誰もがその脚本を演じながら生きている’とは、アメリカの心理学者エリック・バーンの言葉です。この人生脚本とは、自分自身のセルフイメージ、つまり潜在意識の自分が見ている自分のイメージで、人は無意識のうちに、このイメージ通りの自分を演じながら生きています。またこのイメージはその人の思考・言動・行動に圧倒的な支配力を持ち、人は潜在意識の自分が見ている自分のようにしか行動できないのです。
たとえば、床の上に置かれた30センチ幅の板の上を渡るのは簡単ですが、同じ板を20階建てのビルの間に渡して歩くとしたらどうでしょう。床の上の板なら、簡単に渡る自分が見えるので、平気でその行動を取りますが、ビルの間に渡された板からは落ちる自分が見えるので、その行動を取ろうとしません。しかし、とび職人なら、ビルの間に渡された板でも簡単に渡る自分が見えるので、平気でその板の上を歩いていくのです。
このように、人は自分が見ている自分のようにしか行動しないものなので、自分を価値ある人間と見ていれば、価値ある人間のように、すべてを肯定的に考え、与えられているものを有効に用いて行動を起こし、それにふさわしい結果を手に入れます。ところが、自分を価値のない人間と見ていれば、価値のない人間のように、すべてを否定的に考え、与えられているものを失敗規制に基づいて用いてしまい、惨めな結果を手に入れるのです。
あなたは、神が造られた無限の価値と可能性に満ちた人であることをご存知ですか?もしかしたら、この世の間違った価値基準の量りで量られ、価値も可能性もない嘘の自分を見ながら生きてはいませんか? 本当のあなたは、価値ある、可能性に満ち溢れた人なのです。
今日の一言: 失敗の可能性も、成功の可能性も、すべて自分の手の中にある
平安
鶴田健次
今年の感謝祭礼拝は日英合同礼拝でした。賛美は英語を主体とするユースチームによる英語の賛美と、日本語の賛美で心から、それぞれが主を褒め称えました。私達の口びるが神様を賛美する口として与えられている事を感謝します。


この日、きみえゴースキー姉妹が洗礼の恵みを受けられました。きみえ姉妹は幼い時に教会のサンデースクールで神様と出会い、その後長い間、唯一の神様が誰なのかをはっきりと見出す事ができませんでしたが、いつも神様の存在は感じていたそうです。そして、今年の8月に教会で開かれた「夏祭り」に足を運ばれて、その後、教会に繋がり、礼拝や御言葉の養いを通して神様が働かれ、救い主イエス・キリストを個人的に受け入れ、救われ、永遠の命を得る事ができました。ハレルヤ!きみえ姉妹の魂を主が救い、私達の群れに加えて下さった事を感謝します。


聖書朗読も英語と日本語で朗読です。礼拝において、皆の者が母国語で御言葉を聞ける事を感謝します。


説教は鶴田先生が日本語と英語でメッセージを取次いでくださいました。ご用意をされた先生は大変なご準備だったと思いますが、言語の違う一同の者が、同じ神様のメッセージを受け取る事ができるのは、とても大きな感謝です。この日のメッセージは「神の心The Heart Of God」 。永遠の命を受け取った感謝。その感謝の最も大きな現われは、私達が福音宣教の使命に生きる事であることを語ってくださいました。神様が戻ってきてほしいと願っている「失われた人々」を私達も神様と同じ心で見つかるまで探し、神様の元へ導く事の使命を教えてくださいました。神様が救われていない一人の魂をどれほど大きな価値として見ておられるのかを思い、『あなたがたも同じ心で生きて欲しい』と、神様の語りかけを聞く恵みの礼拝でした。

礼拝後は、恒例の感謝祭ポットラックです。おいしい食べ物がたくさん、テーブルに並べられました。こうしておいしい食事を、良き交わりの中で食する事のできる恵みに感謝しました。何よりも創造主、救い主なる神様を礼拝できる事を心から感謝します。すべて神様が成してくださった十字架の贖いのゆえです。今日も一人でも多くの方が、主イエス・キリストを信じる信仰によって救われますように、お祈りいたします。救いに感謝して。アーメン。
(ブログ制作チーム: 薫)

今回は日本から旅行でおいでになった鶴田先生のお母様・鶴田美代子姉妹にショートインタビューをいたしました。
Q1. 美代子姉妹の幼少の頃はどんな少女でしたか?
とっても活発な子でわんぱくでした。
Q2. 着物で走ってる様なイメージでしょうかね...
いえ、私は洋服で育ったんですよ。1926年、大正15年生まれで今年で85才になりましたが、実は生まれは日本ですが、育ちは大連なんです。なので、大陸育ちなんです。
Q3.日本に帰国されたのはいつですか?
中国で結婚しまして、長女が1歳の時に、私の父の故郷の四国・松山に移りました。そして1年後、主人の出生地である長崎に引っ越しました。そこで、長男、次女、昭和28年の2月に次男(鶴田先生)が生まれました。
Q4. ご主人はどんな方でしたか?
スポーツマンで体格が良く、叩いてもちょっとやそっとじゃ死なないだろうってくらい元気な人でした。でも、息子(鶴田先生)が高校3年の時に仕事の検診で肺癌が発見され、すぐ亡くなってしまいました。だから、主人はアメリカのことなんて全く知らないんです。息子がアメリカに来る前のことでしたからね。
Q5. 母一人となって、息子さんがアメリカに来ることには、反対はされなかったのですか?
息子が最初大学院のためにアメリカに行きたいと私の妹に言ったとき、妹は「健次がものすごいことをしようとしているよ。止めなきゃ。」と心配をしてくれたんだけれど、私は息子のやりたいように、進みたいようにさせてあげたかったの。
Q6. お母様のご理解もある中でアメリカに来て、息子さん(鶴田先生)がクリスチャンとなり、こうして牧師の道を進み始めるのですね。美代子姉妹は息子さんがクリスチャンになる以前から長い間別の宗教を信じていたとお聞きしましたが、何が美代子姉妹の心に変化を与えたのでしょうか?
息子が1994年からカリフォルニアのトーランスで教会開拓を始め、それ以降は、アメリカに来るとその教会に行くようになりましたが、その時はまだ以前の信仰を捨ててクリスチャンになるという気持ちにはなれませんでした。
ところが2002年と2003年は、アメリカに来ると息子夫婦は新しい教会開拓のために毎週ラスベガスに車で行っていたので、アメリカに来た時(一年の半分)は私も一緒に行くことになり、車の中では毎回5、6本の色んな先生方の説教のテープをかけるので私も一緒に聞きました。その中で特に金藤晃一青年(現在は牧師)の証しが私の心を捉えました。
そして、ある日、滞在先のアパートで開かれていた入門クラスをそばで聞いていた時、イエス様の復活について語られていた説明を聞いていて(それまでにも何度も聞いていた話ですが)、突然、イエス様は本当に神様なのだと直感的に受け入れることができたんです。そして、これからは息子が教えてくれたイエス様を私の救い主また主として生きていこうと心が決まったんです。
Q7. こうしてご自分もクリスチャンとなられたことをどうお感じでしょうか?
最高に幸せですね。神様を信じる私にしてくれたのだから、本当に感謝です!
Q8. これからの抱負はありますか?
3年前に足を手術し、身体障害者となった私を神が支えてくださっていることを感謝して祈って毎日を生きていきたいです。

鶴田美代子姉妹、ありがとうございました。
短いインタビューでしたが、インタビューの中で美代子姉妹の強さ、そして優しさを感じました。短い旅の間で急なインタビューを快く引き受けてくださり、また、神様をたたえる姿がとても印象的でした。
美代子姉妹の毎日が主と共に歩まれ、祝福されたものでありますように、日本へ帰国された後も主の御恵みが豊にありますように、教会員一同心よりお祈りしております。
(ブログ制作チーム: Sao)

殺人の罪を犯して終身刑の判決を受けるとしたら、それは一生を棒に振る絶望的なことです。しかし、すべての人が原罪という罪のために永遠の滅びが定められているということは、実は終身刑どころの絶望ではないのです。そんな私たちが救い主キリストを信じるだけで罪が赦され、永遠の命を頂けるとしたら、それはあまりにも分の良い話です。しかし、この分の良い話がどんなに有難いものであるかは、そのために払われた犠牲を抜きには語れません。
病院の待合室に二組の家族の姿がありました。片方の家族は二十歳前後の若者たち4、5人とその母親で、その若者たちは革ジャンを着て、髪の毛を染め、どことなく荒々しい雰囲気がありました。部屋の反対側には、品の良い男性が白衣を着て妻と娘と一緒に座っていました。彼らの顔は暗く沈み、深い悲しみの中にあるようでした。そこに一人の女性新聞記者がいて、何やら特ダネになりそうなことをその男性から聞きながらメモを取っていました。
一組目の家族の若者たちは、「ゲシュタポ」と呼ばれるギャングの一味でした。彼らの中には一つの慣わしがあり、新しいメンバーになるには、走る車の中から誰かをピストルで撃って殺し、“男”であることを証明しなければなりません。その「ゲシュタポ」のメンバーである兄弟たちには、リックという心臓病を患っている弟がおり、心臓移植だけが助かる道でした。しかし彼らには、お金もなく、保険もありません。それに心臓の提供者もなく、リックが助かる見込みはありません。ところが、夕方になって突然、心臓の提供が可能になったということで病院に呼び出されたのです。
もう一方の男性は有名な心臓病の専門医でした。彼は緊急の心臓移植のために病院に呼ばれ、病院に駆け込んで来て初めて、死んだばかりの心臓提供者が自分の息子であることを知ったのです。しかも、これが新聞記者にとって特ダネとしての価値があったのは、心臓を提供する相手がこの男性医師の息子を殺したギャングの弟だったからです。
そこで問題は、この一部始終が分かった今、果たしてこの男性医師が自分の息子の心臓を息子を殺した犯人の弟に提供するかどうかということでした。この医師と彼の家族はクリスチャンで、このいきさつが分かってしばらく病院のチャペルで祈っていました。もし彼が息子の心臓をこのギャングに与えるとしても、手術はどうするのかがもう一つの問題でした。一体どこに自分の息子の心臓を息子を殺した犯人の兄弟に与える者がいるでしょうか。また誰がその父親にその移植手術を頼めるでしょうか。待合室の緊張はどんどん高まってきました。たとえその医師が息子の心臓をそのギャングに与え、手術をするにしても、彼らには高額の医者代を払うことなど出来ないのです。
待合室の緊張が頂点に達した時、その男性医師はリックの母親を自分の方に呼び、こう言いました。「私が手術をしましょう。息子の心臓をあなたの息子さんに提供します。医者代は要りません。なぜなら、神様も私に同じ事をして下さったからです」。
待合室に歓声がわきあがり、彼らは大声で、「リックに新しい心臓が与えられた!しかもタダだ!おい信じられるか!タダだぜ!」と叫びました。その医師は、そこにかがみ込み、体を震わせながら泣きました。警察官は大喜びをしているギャング達に向かって、「確かに君たちにはタダだが、この人にはタダではない」と言いました。彼は、息子の命という大きな代価を払ったのです。そして、その息子の心臓を息子の命を奪った者に与えたのです。
神の恵みとは、こういう事です。神の恵みの本当の意味を理解するには、恵みは確かにタダでも、そのために神がどれだけ大きな犠牲を払われたかを知らなければなりません。神は、無情な群集たちに大切な独り子イエス・キリストの命を取らせ、いわば罪も汚れもないキリストの心臓を、キリストを殺した者たちの魂に移植をされたのです。だから、この偉大な医師である神が、この移植を可能にするために、どれ程までの犠牲を払われたのかが分からなければ、神の恵みの大きさを理解することはできないのです。あなたはこの‘贖罪の原理’が解りますか?
今日の一言: あなたのために神の子の命が犠牲になった
平安
鶴田健次