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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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2011年10月23日の礼拝後にリリアン森園姉妹のメモリアルサービスが執り行われました。97歳8ヶ月の長寿を全うされたリリアン姉妹のために多くの方々が列席されました。賛美を歌い、祈りと共に花が捧げられ、リリアン姉妹をよく知る方々から思い出の話を分かち合っていただきました。


リリアン森園姉妹の略歴

リリアン姉妹は、1914年1月28日、ロサンゼルスでお生まれになりました。幼少時代、子供時代をリトル東京で過ごされ、明るく活発で積極的な性格でみんなの人気者でいらっしゃいました。

第二次世界大戦中1942年からは強制収用所生活を経験され、大変辛いところを通られました。その後、リリアン姉妹は、まだ人種差別の激しい時代で、日本人女性が白人と肩を並べて仕事をするなど考えられない状況の中で、バンク・オブ・アメリカに入社され、定年までキャリア・ウーマンとして生きていかれました。

また仕事のかたわら、日系社会で色々な社会奉仕活動に貢献され、上院議員や多くの著名人とも交友をお持ちだったようです。

バンク・オブ・アメリカを定年後、ジョー森園さんと結婚され、それからラスベガスに引っ越して来られました。それから7年ほど、旅行会社で秘書として働かれ、その交渉手腕を発揮されたとのことです。またラスベガスでもJACLなどで色々な奉仕をなされ、多くの日本人、日系人の方々のお世話をされました。

晩年は、少し寂しい生活を余儀なくされることもありましたが、召される3年前からラスベガス日本人教会に導かれ、毎週、礼拝に来られるようになり、人生の最後を信仰生活を中心に過ごされ、2011年9月29日、勝利のうちに天国に凱旋されました。


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この日のメモリアルサービスに、リリアン姉妹のご友人や生前ご関係のあった方々が数多くご出席くださいました中で、鶴田先生はこうおっしゃいました。

「今日は、こうして皆さんにお集まりいただき、天国に凱旋されたリリアン姉妹が、この地上に残っておられる皆さんに心から伝えたいと願っておられることを、私が代わりにお伝えしたいと思います。それは『私たちの国籍は天にある』ということです。

天とは神様がおられる世界、神様の愛が支配する永遠の世界、つまり天国のことです。その天国について、ヨハネの黙示録21章3-4節にはこう書かれています。

『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』

天国には死もなく、悲しみもなく、苦しみもありません。そこには神が共におられ、常に喜びと希望と平和がある至福の世界、それが天国です。そして、『天国の国籍』を持つ者だけがそこに入ることができるのです。

私は、この世の事しか頭になかったときは、この世の人生が終ればすべてが終わりだと思っていました。しかし、神の言葉である聖書に触れ、そこに見出した永遠の真理は、死はすべての終わりではなく、死んだ後に永遠の世界があるということでした。

ところが、この永遠の世界には天国と地獄の二つの世界があり、天に国籍を持つ者だけが天国に行くことができるのです。この重要な真理を、リリアン姉妹は天国から皆さんに伝えたいと切に願っておられるのだと思います。

神の子イエス・キリストは、『わたしは道であり、命であり、真理である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』と言われました。つまり、イエス・キリストを救い主と信じることだけが天国の国籍を手に入れる方法だということです。

地上の生活を終えて、帰るべき本当の故郷である天国に行けるというのは、この上なく幸いなことです。それに対して、そういうことに無関心であったために、そこに行けないとしたら、それは永遠を損なうことで、あまりにも代償が大き過ぎます。

20世紀の知恵と呼ばれた、C.S.ルイスは、こんな事を言いました。

『死んだ後に天国があると思ってイエス・キリストを信じた。しかし、死んでみると天国などないことが分かった。そのとき、あなたの信仰は何の意味も持たなかったことになる。でも、あなたは何も失うわけではない。ところが、死んだ後に天国などないと思って、イエス・キリストを信じなかった。しかし、死んでみると天国があるということが分かった。そのとき、あなたが失うものは計り知れなく大きい』

もし、ここに『天国の国籍』をまだ手に入れておられない方がいらっしゃれば、ぜひそれを手に入れて下さい。それがリリアン姉妹の切なる願いだと思います。」


このメッセージを聞いた方々が、天国へ行けるキップを一人でも多く手に入れることができますようお祈り致します。

(ブログ制作チーム: Sao)




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2011.10.28 17:13 | その他
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Q1. 田上兄弟は、小さいころはどんな少年でしたか?
― 今と違って、動いていないと気がすまないような元気いっぱいな陽気で活発な子でした。外でよく鬼ごっこや、影踏み鬼などで友人と遊んでいました。
教会は、母がクリスチャンでしたので、物心がついたころには、もうすでに教会に行っていました。7歳までは、板橋区の蓮沼教会に行き、そのあと点々とした後で13歳までは、カベナント教会に通っていました。

Q2.田上兄弟は確か、若いときにアメリカに来たと聞いていますが...
― はい。14歳のときに、母の強いすすめでユタ州に留学をしたのが初めてアメリカに来たきっかけです。母はシングルマザーでしたが、アメリカで看護師になる夢がありました。そんな母は僕に少しでもアメリカの魅力を知ってほしくて先にアメリカに送られました。でも、僕自身は あまり英語を学ぶことにも、アメリカにも興味がなかったので、英語に触れる機会を自分から放棄してたような後ろ向きなユタ生活でした。
そんな生活の中、当時の僕は「○○がほしい」だのと、色々母に要求していましたが、一回里帰りをしたときに、僕の留学資金を稼ぐためげっそりやせ細った母を見て、僕はなんてことをしていたのだと思ったのを覚えています。

Q3.素敵なお話ですね。田上兄弟は、このユタ生活の時には、教会に足を運んでいたのですか?
― はい。ホームステイをしている家にクリスチャンだと言う方が来たので、それをきっかけに教会に行きました。そしたら、実はなんとモルモン教の教会だったのです。今思うと、ユタ州はモルモン教のメッカだと言うことはわかりますが、当時の僕は何も知らず「モルモン教はクリスチャン」という言葉を鵜呑みにしていました。
後に、モルモン教には通うことはなくなるのですが、僕はこのモルモン教の人の「行いによって、救いを勝ち取る」という間違った教えの中にも、信仰の熱心さは心に強く響くものがありました。僕たちクリスチャンは、行いによっては到底支払うことのできない罪を背負っています。その罪により、神との断絶があるのですが、神様からの深い憐れみにより、贈り物としてしか受け入れられない救いの恵みは心から感謝するものです。ですが、「行いにより救われるのではない」ということにより、日ごろの行動や福音を伝える熱心さは人によって様々かもしれませんが、僕は甘えが出たりサボり気味になってしまうことも確かだなと感じました。

Q4.なるほど。クリスチャンだからこそ見えた学びだったわけですね。その後は、どちらに行かれましたか?
― 17歳のときに、母と一緒にハワイに移りました。そのときに、日本人のキリスト教会である「マキキ教会」に通い始めました。そこで洗礼を受けました。

Q5.幼いときから毎週教会に行かれていたのに、それまで洗礼を受けなかったのは、不思議ですねー。
― 実は僕が行っていた蓮沼教会には、当時、礼拝中子供たちはプレイルームで遊んで親を待っていたので、サンデースクールというものはなかったんです。初めて、サンデースクールというものに出会ったのは、カベナント教会に行ったときでした。なので、ラスベガス教会のように、サンデースクールがあるのは、とてもうらやましいことだと思います。サンデースクールがあれば、幼い子供でも、しっかりとした学びの上に立つ信仰が備わるので、本当、子供たちにとっては最高の学びの場ですよ。僕は基本の教えは知っていたのですが、マキキ教会に行き、主の導きにより洗礼を受けたいという思いが与えられ、17歳のときに洗礼の恵みを授かりました。

Q6.その後、ラスベガスに来るわけですね?
― はい、そうです。親の都合でラスベガスに来ることなりました。ラスベガス教会はハワイのマキキ教会の黒田牧師夫婦に紹介され知りました。

Q7.ラスベガス教会に来た感想は?
― 一番最初に教会に行ったのは、カリフォルニアからクワイヤーが来た日でしたが、本格的に行き始めたのは、2年前の12月頃です。松岡さんが送迎の奉仕をしてくださり、毎週毎週行くことができる様になりました。それにより、パワーポイント係り、賛美、スキット、ゴスペルクワイヤーの奉仕、青年会などにも本当に楽しく参加させていただきました。最近は、CD係りのみをさせていただいています。
そういえば、初めて教会のスモールグループに最初に参加させて頂いた時に、とってもびっくりしたことを覚えています。ラスベガス教会のスモールグループの学びは聖書の一行一行の意味や背景などを含めたとても深い学びで、皆さんが勉強熱心だったのには驚きました。鶴田牧師を始め、信徒のみなさんの神様に対する姿勢がとても真面目な教会で、この教会に来ることによって、僕の信仰も強まったので、神様に感謝です。神様のご計画でなかったら、ラスベガスに来ることはなかっただろうし、鶴田先生に出会わせてくださったことにも本当に感謝です。

Q8.まさにそうですね。素晴らしいお証ありがとうございます。最後に、皆様にお伝えしたいことはありますか?
― 今現在、青年会に集う方がいません。青年会ができない今とても寂しいです。ラスベガスにいる学生のみなさん、ぜひラスベガス日本人教会に来てみませんか?悩みを持っている方、聖書や賛美歌に興味を持っている方、人生について熱く語りたい方、誰でも大歓迎です。一緒に青年会に集える方を募集しています。


インタビュー後記:
田上兄弟、 インタビューに答えてくださってありがとうございました。
主の恵みにより、ラスベガス日本人教会で神と出会い救われる方がたくさん与えられていますことは大変感謝なことですが、こうして田上兄弟のようにラスベガスに来る前にすでに救われた兄弟のお証しも、私にとってはとても新鮮でありました。
インタビューをしながら、一人一人神のご計画により召されている者が集まる教会は、生まれや育ち、性格やものの考え方、それぞれの生き方など全てを主が用いてくださり、教会として建て上げられていくものなのだと改めて感じました。


(ブログ制作チーム: Sao)



2011.10.26 12:38 | 証し
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今日は、‘美しき人々’について考えてみました。

本物の‘美しき人々’とは、人生においてさまざまな苦しみを味わった人々でありながら、俗に言う‘敗者の仮病’を演じることを拒み、自分にできる精一杯の努力をしながら成功をおさめ、幸せを手に入れることができた人々であると言えるでしょうか。

周りを見渡すと、あらゆる人種、あらゆる宗教、あらゆる皮膚の色の人々の中に、このような人が存在します。教育程度もさまざまで、中には信じられないほどのハンディキャップがあったにもかかわらず、彼らの多くは、それを踏み台にして成功したのです。

20世紀の初め、ニュー・イングランドの精神病院に、リトル・アーニーと呼ばれていた女の子がいました。彼女は、何にも反応を示さない緊張型分裂症患者でベッドにうずくまり、一言も話さず、胎児のように丸まったまま動こうとはしませんでした。職員はあらゆることをして彼女を助けようとしましたが、ついに回復の見込み無しとされ、施設の地下にある独房に監禁されてしまいます。

毎日、掃除婦がアーニーの独房の周辺を掃除するためにやってきました。その掃除婦は、神に創られたすべての者は愛と気配りと優しさが必要であると信じるクリスチャンでした。彼女は昼の時間をアーニーの部屋の前で過ごすことに決め、彼女のために聖書を読み、神が彼女を救ってくれるように祈りました。しかし、アーニーは何の反応も示しませんでした。彼女はまた、愛情のしるしとして、いつも何か食べる物を持って行き、その独房の扉の前に置くのですが、アーニーは決してそれを受け取ることはありませんでした。

そんな事が長いあいだ続いたある日のことです。彼女が回収したお皿の中から一つのチョコレートケーキがなくなっていました。そして、その日からだんだんアーニーは自分の殻から抜け出し始め、その掃除婦と少しずつ話をするようにまでなったのです。こうして、アーニーは見放された地下室から連れて出され、もう一度治療を受けることができるようになりました。

それから二年後、アーニーはまったく普通の生活が送れるまでに回復をしました。しかし、彼女はその精神病院を離れずに、そこにずっと残り続ける決心をします。その施設にとどまり、自分が受けた愛をもって、自分と同じ苦しみの中にいる人々を愛していくことにしたのです。

それから時を経て、その精神病院の院長は、目も見えず、耳も聞こえず、口もきけないという、まったく見放された子供の世話してくれる人を紹介して欲しいという依頼を受けました。院長はこの施設で奇跡的に回復したアーニーを紹介することにしました。このアーニーこそ、ヘレン・ケラーを救ったあのアン・サリバンでした。

このような話はどんな話よりも美しく感動的です。こういう人たちは例外なく、「人は目標を達成できるように設計され、成功するように創造されていて、そのための偉大な可能性を備えている」ということを信じている人々です。つまり神は人をそのように造っておられるということです。この事実を信じることができれば、どんな問題があっても、それを他人や状況のせいにするという考えは起きないのです。言い換えれば、自分自身の中に自分を手伝ってくれる最高の助け人を見出すのです。

あなたの未来は、あなたが最も信頼すべき相手、いや最も信頼できる相手、つまりあなた自身に託されていることを心に刻みましょう。

今日の一言: 最も信頼すべき相手は自分自身である

平安
鶴田健次



2011.10.24 21:01 | 鶴田健次牧師より
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10月16日の礼拝後にNCM2の特別コンサートの時が持たれました。最初にNCM2のご紹介をさせていただきます。

NCM2(New Christian Music Ministry 代表:牧良夫)は結成以来、ロサンゼルスを中心に諸教会での礼拝賛美、定期コンサート、チャリティコンサートなどの活動を続けているクリスチャンのゴスペルコーラスグループです。2004年にハワイコンサートツアー、2005年、07年、09年に日本コンサートツアーを行ない、2008、09年には90年の歴史を持つハリウッドボウル・イースターサンライズ・コンサートに日系クワイヤとして初めて出演されました。

NCM2はこれまで5枚のCDをリリースしていますが、2008年11月、日本国内の一般レコード会社からデビューアルバム「I'll Be Here For You - 君のそばに」をリリース2009年は久米小百合(元久保田早紀)の13年ぶりのCD「天使のパン」にもコーラスで参加。2011年5月にNCM2・日本のうたプロジェクト「My Japanese Heart」が日本国内でリリースされました。今年は7月に東北地方を中心に日本コンサートツアーを行い、11月にも日本コンサートツアーを予定しておられます。

当教会でのコンサートでは13曲のすばらしい賛美を披露してくださいました。その中には懐かしい日本の音楽「小さい秋みつけた」「故郷」などもあり、アメリカに住む私達は、遠い日本を心に思う時となりました。また、賛美の間にNCM2の松尾ユリ姉がお証をしてくださいました。とても感動的なお証でしたので、お分かちいたします。

「私(松尾ユリ姉)の母の話をさせて頂きます。母は2年前、84歳で亡くなりました。とても元気な母でしたが、69歳から大きな病気を立て続けにし始めました。腎臓癌、副甲状腺機能後進症、胃潰瘍、肺炎、網膜剥離、心臓弁膜症、腸捻転、骨粗鬆症による骨折、最後は骨髄腫と、次から次へと、それは大変な病気を煩いました。
母は日本に住んでいますので、入院、手術がある度に、アメリカにいる娘の私は、日本へ飛んで行きました。私は一人っ子ですので、母の世話をするものは私だけでした。
あまりに度々あるので、ある時は飛行機がどちらに飛んでいるのか分からなくなるような、そんな日々を過ごしました。母はとっても気丈な人でしたので、めったに娘に弱音をはきませんでしたが、さすがにこれだけ病気をすると、落ち込んだらしく、ある日、珍しく病室にいる私に弱音をはきました。
“なんで、わたしばかりこんなに病気をするのかしら?私の友達はみんな元気なのに。どうして、わたしばかりなのかしら?”そんな質問とも愚痴ともしれない言葉を聞いて、私は母に何を言ったらいいのかしら?と思いました。
その時、数十年前に日本から北米ホーリネス教団の夏期修養会にこられた福澤 満雄牧師先生のお話を思い出し、その話を母にしてみようと思いました。

その話は、人生をオリンピックのマラソン競争に例えた話でした。
マラソンの競技は長くてきつい競技です。スタート時は、選手達も軽々と走り始めますが、だんだん、苦しくなってきます。体や足も痛くなり、ふらふらになっている選手を見かけます。
ある選手の話では、苦しい競技の途中、『自分はなんでこんな苦しい事をしているのだろう?』『もうやめたい。やめてしまえば楽になる』っと言うような事を考えたりもするそうです。
でも必死に走り抜けていくと、ゴールの競技場が見えてきます。ふらふらの体を振り絞って競技場に入っていきます。競技場の入り口は暗いトンネルのようなところをとおりますね。ここが人生の終着のトンネルです。

でもその暗いトンネルを抜けると、“わ!ぁ〜”と言う歓声と共に、多くの人々が競技場で自分の為に大きな拍手をして迎えてくれます。最後のゴールにたどり着くと、そこへ神様がやって来て、義の冠を頭にのせて下さり、『よく頑張ったね、本当によく来たね』と言って迎えて下さるんだって、おかあさん!

その話をじーっと病室のベットで聞いていた母は、しばらくすると『いい話だね〜。じゃ、私が先に言って、競技場の一番良い席をあんたの為にとっておいてあげるわね』と言ってくれました。母はこの後しばらくしてから病床洗礼を受け、天国へ旅立ちました。
こんな母の為に何か残したいと思い、牧隊長に相談して出来たのが、母の大好きだった映画や、クラシックの音楽や賛美歌を集めたトリビュートアルバム「MIYAKO」です。このアルバムの中に、アメリカのトラディショナルフォークソングを、牧隊長の奥様でわたしの友人の牧昭子さんが、母の事を思いながら、すてきな詩を書いてくれました。次に歌うのはその曲で 「永遠の絆 -Will the Circle Be Unbroken」 と言う曲です。」


お証の後に「永遠の絆」を披露してくださいました。曲のフレーズにこのような歌詞がありました。
「見送る寂しさに 瞳は濡れても 安らぎ歌のように 胸の奥包むもう一度逢う日を 遙か夢見て 開く窓暖める 新しい朝」

人間は誰しも生きている間に、人の死を経験し、また自分もいつか死を迎えますが、イエス・キリストによって、死が終わりではなく永遠に生きる絆になるのです。NCM2の賛美から、永遠にある希望と喜びが満ち溢れていました。共に時間を過ごした私達にも主の豊かな祝福があった事を感謝いたします。

これからもNCM2のお働きによって、多くの方が励まされ、感動し、イエス様に繋がる事ができますようにお祈りいたいます。

(ブログ制作チーム:薫)


2011.10.20 22:30 | 特別礼拝 / 集会
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私たちの愛する則子姉妹が、今年の8月15日に腰の手術を受けられました。

最初の痛みに気づいたのは、3年前だったそうです。ドクターのもとに行き、背骨が骨粗しょう症気味のために細くなっている部分からくる痛みと診断され、その細く弱くなっている部分の回りの筋肉を強化するためにステロイドが投入されました。通常 1回でかなりの効果をもたらすこの手法ですが、姉妹の痛みは一向にひかず、このステロイドがもう2回 投入されました。それでも全く痛みは引きませんでした。このステロイド手法は、1回の投入に1日がかりだったそうなので、時間と体力だけが消耗され、痛みはどんどん強くなっていき、毎日がいてもたってもいられない痛みとの闘いだったそうです。

最初の痛みから3年が経った今年の8月、3度のステロイド手法にもかかわらず効果がないと見たドクターは腰のMRIを撮影し、やっと判明した病名が骨粗しょう症からくるHip Arthritis(変形性股関節症)でした。腰全体の骨が弱り形がかなり崩れて、腰全体が変形していました。その変形し溶けた骨からは神経がむき出しになっていたので、かなりの痛みがあったとのことでした。

ドクターは、すぐ手術を予定し、則子姉妹は8月15日にRIGHT SIDE TOTAL HIP REPLACEMENTの手術を受けられました。手術はジョイント(股関節)の部分を全て取り替え骨のサイドに小さいボールを組み込み、骨と繋げるものでした。

この手術は無事成功し、以前の痛みはすっかり無くなったとのことで、則子姉妹はとても喜んでおられました。この後、何事もなくリハビリのトレーニングを終えれば、3か月後には元のように歩くことができるようになるそうです。

それでも、手術後は思うように動けず、通常の生活や家事も不自由が多く毎日大変な中で過ごされています。手術の為メスが入ったヒップの部分は、まだかなりの痛みがあるそうです。

このような大変な経験をされた則子姉妹は、将来病気や手術をされる兄弟姉妹を助けていきたいと神様からの思いが与えられ、今回のことを活かすようご自分が用いられるためにこのことを経験させていただいたのだと熱く語っておられました。

痛みと手術に立ち向かった則子姉妹を支え、また姉妹のために捧げられた多くの有志たちの祈りを聞いて教会に戻れるまでに回復させて下さった主に心から感謝します。どうぞ引き続き則子姉妹の全快を願いつつ祈りに励んで参りましょう。


(ブログ制作チーム: Sao)



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2011.10.19 12:28 | その他

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