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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、‘神への従順’ということについて考えてみました。


「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」(創世記6:22)

もし神があなたに巨大な船を造るように言われたら、あなたは質問や異議や条件を神に言われるかも知れませんね。しかし、どうでしょう。ノアはそういうものは何も言いませんでした。たとえ世界が大雨を経験したことがなくても、彼は無条件に神に従い、山の上で巨大な船を造ることをしたのです。

従順とは、神が言われることは何でも、無条件に、躊躇せず、行なうことを意味します。先延ばしをして、「祈って考えます」などと言わず、すぐにするのです。親であれば誰でも、‘あとでするから’という従順は不従順であることを知っていますね。

私たちは、しばしば神に対して、部分的に従順であろうとします。私たちは従うべき神の言葉を選り好みします。私たちは、不合理で、難しく、犠牲の伴う、世的に人気のない神の命令を無視しながら、自分の好きな神の言葉を掲げて、それに従おうとします。「私は教会には行きますが、十一献金はしません」、「私は聖書を読み、祈りますが、あの人を赦しません」、「私にも問題はありますが、あの人の問題は本当に問題です」などと考えたりします。しかし、そのように自分の都合に合わせた従順は、神に対しては不従順なのです。

本当の従順は、心から喜びを持って神の言葉を行なうことです。リビングバイブルの詩篇100篇2節を見ると、「喜びをもってお仕えしなさい」とあります。これはダビデの態度です。またリビングバイブルの詩篇119篇33節には、「神様、実際にどうしたらいいかを教えてください。そのとおりにしたいと思います。いのちある限り、心を尽くしてお従いします」とあります。

ヤコブはクリスチャンたちに、「これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない(ヤコブ2:24)」と言いました。神の言葉は、人が自分の行いで救いを手に入れることはできないことを明らかにしています。救いは、確かに人の努力によるのではなく、ただ恵みによるのです。しかし、人は神への従順を通して神を喜ばせ、神に近づき、神の栄光を現わすことができるのです。

今日の一言: 自分の思いを乗り越えて神に従順であろう

平安
鶴田健次



2011.05.30 23:09 | 鶴田健次牧師より
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5月22日(日)、ラスベガス教会にて今回二度目となるホセ田中・裕子ご夫妻の「ギターコンサート」が開かれました。   

優しくユーモアのあるホセ兄弟と、気さくで明るい裕子姉妹は、神の愛をたっぷり受けたとても仲睦まじいご夫婦です。朗らかな雰囲気の中、お二人の笑顔で始まったコンサートは下記の順番で演奏されました。

1、シェ マ イスラエル
2、黄金のイスラエム
3、Encourage
4、ギターソロ
5、We pray for Jesus
6、この手を組んで
7、空
8、チロリン
9、ビアドロローサ

ホセ兄弟の素晴らしいギター演奏は、やはり神様が与えてくださった素晴らしい賜物なのでしょう。客席は静まり返って、ただただホセ兄弟の世界に引き込まれていました。また、裕子姉妹の透き通るような美しい声は、まるで天に溶けていくような心地良さでした。私は、『この手を組んで』という裕子姉妹の歌の中で、“小さきこの手が祈る・・・”という歌詞がとても心に響きました。

お二人は10月に予定されている日本での東日本大震災のチャリティーコンサートに出演予定ということをお聞きしましたが、出演を決めた時のお証しをコンサートの中で話してくださいました。

ホセ兄弟はその日、テレビに映る地震と津波の信じられない映像に強いショックを受け、『こんな大変な時に、なぜ自分はギターを弾いているのだろう!』という思いに駆られ、ギターを弾くことに戸惑いを覚えたそうです。そんな中、日本の被災者の若者達が、流されず、壊れていない楽器をかき集め、同じように被災した人々のためにコンサートを開いた、というニュースを耳にしたのです。『津波で家も身の回りの物も流され、何も無い中での希望、それは神様しか与えることができない。お金があっても心の代償は払えない。』との思いが湧き上がり、日本の地に神という大きな希望を植えに立上がろう、と決心されたのです。

主のご計画により、ラスベガスの地にお二人を送ってくださった事を主に感謝いたします。
これからのお二人の信仰生活、そして主にある音楽活動に主からの力強いお導きと祝福がありますよう、教会員一同お祈りしています。

『愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。』第一ヨハネの手紙4:11-12
 

(ブログ制作チーム: Sao)



2011.05.27 00:00 | 特別礼拝 / 集会
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今日は、‘聖霊の賜物’について考えてみました。

‘好きこそものの上手なれ’という言葉がありますが、一般的には、器用であること、稽古をすること、好きであることのうち、やはり好きであることが上達のもっとも近道であるという意味です。自分の好きなことは、誰から言われなくても、熱心に工夫しながら稽古をし、苦しい修行にも耐えて努力をするので、やがて必ず上手になるものです。

‘好きな道に苦労なし’、‘好きは上手のもと’、‘好きに身をやつす’という言葉もあります。好きだからこそ、一生懸命に勉強し、熱心に上を求めていきます。このように、強いられてではなく自分からすすんでやる勉強や研究や努力は実を結ぶのが早いものです。

聖書の中に‘聖霊の賜物’についての教えがありますが、これはクリスチャンとしての自分を最も輝かせるための奥義、あるいは神が計画して下さった信仰生涯を最良のかたちで生きるための大切な教えです。つまり、神はあなたの人生に素晴らしい計画を持っておられ、あなたが神の計画にしたがってその働きを全うできるようにと、その働きをなすための能力を与えておられるのです。その能力を‘聖霊の賜物’(Gift of the Holy Spirit)と言います。

通常、この神の奉仕をする能力(聖霊の賜物)は、教会全体の益のために(Iコリント12:7)用いられるものですが、その際、私たちは自分の賜物の分野での奉仕に特別な関心や興味を持ちやすいという特徴があります。つまり、特に気になる分野の働きに自分の賜物を発見する手がかりがあるということです。

また自分の賜物の分野の奉仕は、他の分野の奉仕よりも楽しく、喜んでできるので、自然と自発的にその奉仕に打ち込むようになります。また、この働きのために神から特別な能力(聖霊の賜物)が与えられているわけなので、その能力は使えば使うほどどんどん上達し、多くの人々に祝福をもたらすのです。要するに、‘好きこそ賜物のゆえなり’ということです。

あなたは、ご自分の聖霊の賜物をご存知ですか?まだそれを発見していない人はぜひ早く発見してください。そして、その聖霊の賜物を活用して、あなたが最も輝く人生を生きましょう。

今日の一言: 好きこそ賜物のゆえなり


平安
鶴田健次



2011.05.23 21:27 | 鶴田健次牧師より

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