
サンデースクールでは、ルール6か条が作られました。
これらのルールの大元になるテーマは『神様、教会、先生・大人の人・お友達を尊敬する』です。これを実行していくために6つのルールが決められました。
1)お友達と仲良くします。(かまない、叩かない、蹴らない、押さない、引っ張らない、 つねらない、いじわるを言わない)
2)先生のお話を聞きます。
3)教会の中は走りません。歩きます。
4)ドアは静かに開け閉めします。ドアは勝手に開けません。
5)食べる時は決まった部屋で座って食べます。
6)教会の物は勝手に触りません。
このルールをどうして守らないといけないのか、子供たちに分かりやすく教えるために、2回に分けてス
キットが行なわれました。
1日目のサンデースクールでは『お友達と仲良くします』と『先生のお話を聞きます』のルールに絞ってスキットが行なわれ、サンデースクールの先生方が「悪たれ」と「良い生徒役」を演じました。
乱暴な振る舞いをし、お友達のいすをとったり、先生の話を聞かず、いじわるを言い合う悪たれ生徒たちがまず出てきました。その行動に見ている子供たちは大笑い。そこで、すかさずナーレーター役の先生が、「この行動は神様に喜ばれるかしら?皆はどう思う?どうやったら皆で仲良く、楽しいサンデースクールができるかな?」と問いかけ、子供たちの意見を引き出しました。
幼稚園の子供たちも、小学生の子供たちも率先して手を上げ、的を得た答えをしていました。そして、最後に悪ガキ生徒たちが、お友達と仲良くでき、先生のお話をちゃんと聞ける子供に変身してサンデースクールに望む所が再現されました。
2日目のサンデースクールでは、残りの4つのルールのマナーに的を絞って、ユースグループが役者を演じました。
まず、熱い飲み物を持ったおばあちゃん役が一歩一歩ゆっくり入ってきました。そこに後ろから勢いを
つけて部屋に入って来た生徒が、おばあちゃんにぶつかり、おばあちゃんは倒れてしまいます。
次のシーンでは、乱暴にドアを開け閉めする生徒、そしてもう一人の生徒が、そのドアに手が挟まってしまうという場面が演じられました。
三つ目のシーンでは、好き勝手にスナックを食べて、教室を汚してしまう生徒たちが演じられ、四つ目に、教会のポットを触ってやけどをしてしまう生徒が演じられました。
それぞれのシーンごとに、ナレーターの先生が、「何がいけなかったのか」子供たちの意見を十分引き
出しました。そして、最後に役者たちが再入場し、おばあちゃんをいたわり、席まで飲み物を持って行ってあげたり、部屋を出ていいかどうか先生に了解を得て、静かにドアを開け閉めしたり、きちんと決まった場所で食べ物を食べたり、「教会の物は勝手に触ってはいけない、と先生が言っていた」、と自分に言い聞かせている生徒たちが演じられました。そして、この後もすかさずナレーター先生が「今のシーンで何が良かった?」と、子供たちに考える時間を与え、そのことを発表してもらいました。
このスキットを通して、子供たちが6つのルールの大切さを理解してくれたと信じます。このルールが自分たちのためにあるんだ、と分かってもらうために、また、教会に集うすべての方に、これらのルールができたことを認識していただくために、礼拝後のアナウンスメントを利用して、子供たち全員が前に出、サンデースクールの先生の後に続いて6つのルールを繰り返しました。しかも一語一句間違えずにはっきりと大きな声で発表していました!
ルール6か条を言い終わった後、「このルールを守れる人は手を挙げてください!」という問いかけに、たくさんの子供たちが手を上げていました。神の家族の皆様の協力をいただいて、ルールが守れなかった時はその場で注意していただき、またルールが守れた時は大いに褒めてあげてくださると大変ありがたいです。
最後に、サンデースクールに、この思いを与えてくださリ、1日目のスキットの台本制作とナレーター役
をしてくださった治美姉、2日目の台本を書いてくださり、先生役を演じてくださった優子姉、生徒役を演じてくださったゆき姉、まりな姉、リリー姉、マイキー兄の尊い働きを感謝いたします。
これからも教会のすべての働きの上に、そしてサンデースクールの働きの上にイエス様の栄光があらわされますようにお祈りいたします。
兄弟の愛をもって互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい。(ローマ人への手紙12:10)
(子供ミニストリー: 香織)

私達の教会の数ある奉仕の中に「CDの奉仕」というものがあります。それは毎週、鶴田先生の礼拝メッセージをCDに録音し、希望者に販売したり、礼拝中他の奉仕で席を外している方々のため、また教会の記録として保存するという仕事です。今現在、CDの奉仕に携わっているのは先輩のY姉妹と私の2人です。教会ではこの奉仕を「CD係り」と呼んでいます。
CDの販売価格は$1です。$1で販売するには訳があります。どなたでも気軽に買うことができ、伝道ツールとして人に差し上げる場合も躊躇する価格ではなく、ということを前提に役員会で設定された販売価格です。買い求めた方々は車の中や家事をしながらなど、思い思いの聞き方で何回も繰り返して聞いておられるということです。礼拝をお休みした方でも、バックナンバーを後日お求めいいただくことができます。
毎週コンスタントにCDをオーダーする方々は10人程ですが、聖書箇所や、メッセージの内容や、それぞれの興味のある事柄などにより、CDの売り上げが違ってくるのは面白い発見でした。1例を挙げると、「ヨハネの黙示録」のメッセージの時はいつもより多くCDの注文があります。たぶん、難しい箇所だから何度も聞いて理解したいと思ったり、これから起こることだから重要だと思ったり、理由は様々あるようです。
礼拝と平行して子供達のサンデースクールや、ユースクラスが持たれていますが、先生方は教会員の奉仕者がされています。奉仕の先生方は礼拝メッセージを聞くことができませんので、礼拝後、録音したCDを差し上げることになっています。
録音はメッセージの前に聖書箇所を読む聖書朗読から始まります。聖書朗読は3人の朗読奉仕者が順番でされています。聖書朗読の後鶴田先生のメッセージへと移って行きます。メッセージが終わり、最後のお祈りまで録音したものが1枚のCD となります。
CDの録音手順はそれほど複雑なものではなく、すぐに慣れることが出来ます。音声レコーダーを礼拝が始まる前にあらかじめ準備しておき、録音は講壇のマイクを通して録音します。最大80分まで録れますが、通常は聖書朗読も含め60分くらいの録音になります。次に音声レコーダーで録音したものをCDに移します。大体10分もかからないでしょう。CDに録音できたら、次は皆さんにお渡しするCDを複数コピーします。これには、1回に7枚同時にコピーを作ることができるプロ用のマシンを使って作ります。
私はこのCDの奉仕はただのお手伝いとは思っていません。鶴田先生のメッセージが、先生を通して語られる神様のメッセージであるように、私達CD係りは、その神様のメッセージをCDに録って誰もがいつでもどこでも聞けるように提供するという素晴らしい仕事に携わっています。ですから、私たちもまた神様の手足となっていることを思うと、この奉仕をさせていただいていることが心からの感謝なのです。
CDを渡された友人も教会にはなかなか足を踏み出せないけど、このCDを聴いて何か感じるかもしれませんし、これをきっかけに教会に来たり、イエス様の事に関心を持ったりするかもしれません。そうなればとても素晴らしいことです。
私はこの奉仕に携わっている事を誇りに思います。
(LVJCC, CD係り: Tack)

今日も、東日本大震災のその後を考えました。
東日本大震災の死者数が日を追うごとに増え続け、日本時間3月23日現在、死者・行方不明者を合わせると24,000人以上にのぼるとのことです。また福島第一原発事故後の処理も全力を挙げてなされていますが、未だ予断を許さない状況です。
ところで、東京電力が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。志願者です、決死隊として原発の内部作業をする原発関係者のベテランを募ったのです。
それに対し、中国電力の原発勤務40年というある男性が、この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ。自分は定年まで後一年であるし、子育ても終わったとして、志願したそうです。ご家族は静かに思いを語る自分の夫、自分の父親の決意に何も言えなかったということです。その方の娘さんは、今までと違う父親の物静かな顔を初めて見たそうです。志願者20名。翌朝、いつも出勤する時のように、「じゃあ、行って来る。」と言って玄関を出て行かれたとのことです。
原発での作業中、放射線被爆があります。国が定める限界被爆単位100ミリシーベルト。それが250ミリシーベルトになったとのことです。何故なら、彼等がそれを望んだからです。100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい数分では作業ができない。だから国に250に上げてくれと頼んだというのです。その為の被爆量は覚悟の上なのです。なんという高貴な生き方でありましょうか。
それに対して、経営側幹部の人たちは我が身安泰の為、情報を小出しにし、遠く離れた東京から出て来なかったそうです。この生き方の違いは何でしょう。
また管総理大臣も、被災地を訪ね、あちこちの避難所にいる被災者たちを励ます予定になっていましたが、その予定がキャンセルになったとニュースで報じていました。天候不順がその理由でした。たとえ本当の理由が何であれ、一国の頂点に立つ者としてはあまりにもひ弱です。
皆さん、祈りましょう!
事故処理の作業が成功するように祈りましょう!
隊員の皆さんが無事であるように祈りましょう!
今日の一言: 人が友のために命を捨てることは最大の愛
平安
鶴田牧師

(地震計が記録した東日本大震災)
3月2日から家族を訪問する為に、日本に帰省していました。約1週間ほどの滞在を終え、3月11日に成田空港で出国手続きをしている時に、大地震が起きたのです。
最初は地震だとは思いませんでしたが、空港ビルの天井が激しく揺れて音がだんだん大きくなった時に、空港スタッフの方の「外に逃げてください!」という声で、空港中の人たちが出口をめがけて走り出しました。幸い空港はすいていましたので、けが人なども出ずに、安全に外まで非難する事ができました。
近くにいた方が、すぐに携帯でニュースを見てくださり、東北地方で震度7の地震、成田は震度6の地震が起きた事を知りました。気持ちを落ち着かす間もないうちに、2度目の大きな揺れが起きた時は、自分の立っていた場所が崩れ落ちるかもしれない、自分は死ぬかもしれないと思った瞬間、その場にひざまずいて「イエス様、助けてください。守ってください。」と、声を出して祈っていました。必死の祈りでした。
少しして、揺れがおさまったときには、心から神様に感謝しました。しかし、その後も心の中で絶えず神様の守りを祈っていました。その後、平地の駐車場に非難し、安全が確認できてから空港内に入れて頂き、その日は有難い事に、毛布や非常水が支給され、空港内で一夜を明かしました。その間も、ずっと余震が続いていましたので、横になる時も、靴も上着も着たまま、いつでも逃げられる体制で備えました。一晩中、空港内には地震速報が放映されていて、多くの方がじっと耳を傾けていました。
その中で、信じられない光景が目に映ってきました。津波による被害です。日本中いえ世界中の人々がこの映像を現実として見る事ができなかったと思います。流れ込む波が全てを一瞬で奪ってしまい、何もかもが飲み込まれていったのです。
私がうけた地震の影響はほんの小さなものでしたが、一瞬でも死を現実の事として受け入れた時に大きな恐怖に襲われました。ましてや、震源地に近い場所で被災された方や家族を失った皆様、そして今は、原発事故の被災にあわれている方々の恐怖心や不安、悲しみは想像を絶します。
救出作業の事や被災されている皆様の必要が満たされる事、被災の影響が一日も早く食い止める事を各個人でまた教会で祈っております。また、祈りと共に当教会からも義捐金を送る事にいたしました。
皆様の温かいお心と共に義援金・援助金を被災地へ送りたいと思います。ご協力をお願い致します。すべての義捐金は、一括して日本赤十字社へ送り、被災地の救援・復旧活動のために用いていただきます。
チェックの宛先: Las Vegas Japanese Community Church (or LVJCC)
チェックの送り先: Las Vegas Japanese Community Church
(Attn: Japan Earthquake Relief Fund)
9175 S. Las Vegas Blvd. # 108 Las Vegas, NV 89123
(ブログチーム:倉田 薫)

今日は、東日本大震災のことを考えました。
まず、東日本大震災の被災者の方々を覚え、主の憐れみを祈り求めたいと思います。
時間の経過とともに、大地震の惨状がさらに明らかになってきています。時間を追って死傷者が増え、最終的に、死者の数は一万人を越えると予測されています。私たちの教会に来ておられる方々の中にも、日本の家族・親族の皆さんと連絡が取れない方々がおられます。
今年のSCCRのメイン講師である力丸先生からの連絡によれば、教会員のご親族が一家揃って津波の犠牲になり、壊れた家屋の中から自衛隊によって見つけ出されたとのことです。その後、自衛隊機で、故郷の宇都宮に空輸され、国の費用で、葬儀の全てが整えられるそうです。
十万戸以上の家屋が倒壊したり、津波に破壊され、多くの人々が住む家を失っておられます。農地には海水が入り、地盤沈下で、海水の排水が出来ない状態です。塩水に浸かった農地を農地として再び使えるようにするには大変なことであろうと想像します。
この度の地震は、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0とのことですが、まさにこれは日本が経験する自然災害としては未曾有「未(いま)だ曾(かつ)て有らず」の経験であり被害になりそうです。また、今ひとつ心配な事は、原発事故の問題です。大量の放射性物質が大気中に漏れることのないように祈りたいと思います。
この度の大震災で思うこと
まず、この度の大震災で思うことは、人間の無力さということです。自然災害に対し、人間にはなすすべがありません。地震を止めることも、津波を止めることも、台風を止めることもできません。患難時代には、このような自然災害が世界大で起こるようです。人間にとって、すべての問題解決の道は、ただ神に立ち返ることしかないことを思います。
大震災で、家も家族も仕事もすべて失い、途方に暮れている人々を見ると、私たちが日頃、取るに足らない問題を問題にしていることに気付かされます。どこに目を向けて生きていくか。結局のところ、人生はここが鍵ですね。「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われたイエス様に目を向けること、これが勝利の人生を生きる極意です。
最後に、この度の大震災は、神無しの社会とも言える日本に対する神様の警告のようです。結局は、日本が国を挙げて神様の前に悔い改めることが最終的な生きる道です。そのためには、その事を知っている筈のクリスチャンがもっと責任を自覚しなければなりません。その意味では、神様の警告は私たちクリスチャンに対するものでもあります。皆さんもそう思われるでしょう。その心を忘れないようにして下さい。私たちは終末の時代に生きています。ですから、いつも目を覚まして、主の業に励みましょう。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。(マタイ6:19-20)
今日の一言: 天に宝を蓄える生き方をしよう
平安
鶴田牧師