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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、人間が持つ以下の4つの基本姿勢の第3番目と4番目のものを考えてみました。今回は少し長いですが、とても大切な人間理解について書きましたので最後まで読んでください。

① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)
② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定)
③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定)
④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定)


③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定)


この姿勢で生きている人は、厳しく育てられた、いじめにあった、そういう背景を持った人が多いようです。

小さい頃の親や先生が厳しいということは、「まだまだ、そんなことじゃダメだ。もっと頑張れ」と言われて育つということです。テストで80点を取っても、「百点を取らなきゃダメだ」と言われたりして高い水準を求められると、それに達していない自分が責められ、やがて自分で自分を責めるようになります。だからいつも「私はダメだ」と感じるのです。うつ病などの精神疾患にかかる人には、圧倒的にこのタイプが多いようです。

いじめに関しては、親から離れ、学校という新しい世界に入った子供にとって、クラスメイトは非常に大きな影響力を持つ存在です。そのクラスメイトからいじめられるということは、その世界で、自分の存在が拒否されることになり、世の中から「おまえはOKではない」と宣言されるようなものです。

しかし、もっと大きな問題は、家に帰ってから、その気持ちを聞いて慰めてくれる人がいたかどうかということです。慰めてもらえる強い味方がいれば耐えられるし、やがてはいじめられない子供になります。ところが、いじめられて帰って来ても、親に受け止めてもらえなければ、あとは逃避しかありません。学校は怖いので行きたくない。ところが行かないと親が怒る。こうして、学校も家も自分にとっては攻撃される恐ろしい場所になるのです。

家や学校は、子供にとっては「世界」の代表です。こうして、その子供は「世界は私を受け入れてくれない。それは私が価値のない人間だから」と無意識のうちに確信するようになり、その結果、無意識的に自分をいじめるようになるのです。また妄想を抱くようになります。皆が自分のことを噂しているように感じます。「あいつはおかしな奴だ。早くいなくなればいいのに」と、現実には誰もそんな話などしていないのに、そういう妄想を抱き、周りに対して心をふさいでいきます。ところが実は、これはすべて、本人が自分に向かって無意識的に語っていることなのです。

では、なぜそんなことをするのでしょう。それは、長い間いじめられ、助けられずに、無視されたために、「私はOKではないんだ」という基本姿勢が身についてしまったからです。そのため自分自身もその「OKではない自分」を責め、いじめるようになったのです。

もちろん、ほとんどの人はここまではいきませんが、たとえ普通に生活をしているように見えても、ちょっとした人の言葉に傷つきやすい人や、重要な仕事で必要以上に緊張して失敗を繰り返す人などは、この基本姿勢を持っている可能性があります。

④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定)

この心の基本姿勢は、この世の中に良いものは一つもないという、人生に対する最も否定的な姿勢です。幼児期に愛されたという記憶が全くない人や、捨てられたり置き去りにされた子供は、この基本姿勢を身につけやすいようです。また、そこまで否定的に扱われなかった子供でも、成長段階で否定的な働きかけを強く受けると、②か③の姿勢からこの姿勢に進んでしまうこともあるようです。

この姿勢を持っている人は、まず人を信じることができません。また人が好意で言った言葉でさえも、悪く解釈してしまいます。そうして誰とも親しくならずに、自分の方から原因を作って友達を失ってしまうのです。

また、このタイプの基本姿勢の人は自分もOKではないので、自分を愛することができません。ですから、一人でいると寂しくて耐えられないので人と付き合いたくなります。ところが「人はきっと私を傷つける」と信じているので、親しくならないうちに自分のほうから無意識的に関係が壊れるようにしていくのです。

こうして、この姿勢を持つ限り、一人でもいられないし、人と一緒にもいられない。この苦しさと空しさと寂しさは、とても他人に理解できるものではありません。安易なアドバイスなど何の役にも立ちません。そして、ついに「自分にはこの道しかない」と信じて、命を絶つことも少なくないのです。

結論:

以上、人生に対する四つの基本姿勢を考えましたが、①を除けば、他の三つはいずれも心が病んでいる状態だとも言えます。しかも、①の姿勢を完全に自分の基本姿勢として持っている人はいないのです。現にこういう事を書いている私自身ももともとは②の基本姿勢を持つ者であり、聖書を通して神の愛を知り、人の尊さを知り、神に助けられながら①の基本姿勢で生きようとしているにすぎません。

つまり、人は誰でも心が病んでいるということです。ただそれが、日常生活に大きな障害になる程度の場合を「神経症」とか「心の病」と呼びますが、それは程度の差であって、広い意味では、罪の支配の中で生まれ、生きてきた人間は、全員、心が病んでいるのです。

ですから、私たちのそばに「心の病」を持つ人がいるときに、間違っても、「私は正常で、この人は異常だから、この人を助けてあげなければ」と考えるべきではないのです。私たちに出来ることは、その人との出会いを通して、自分の心のゆがみに気付き、自分も同じゆがみを持つ仲間として、互いに交わり、互いに成長していくことです。

人が心の病から解放されるためには、心の自立が不可欠な要素になります。最初は人の助けが必要ですが、少しずつその助けの手から離れていかなければなりません。どんなに辛くても、その分離の痛みを通らなければ、決して自立することはできないのです。ところが、ここにジレンマがあります。心が病んだ人が良い状態になり、その状態を保つには、どうしても人の助けが必要です。しかし他方、人の助けの中にいる限り、決して直らないのです。人の助けを離れると、状態は逆戻りします。とどまるなら直らず、離れるなら逆戻りする。しかも、いつまでも人の助けに頼って生きることもできません。

では、一体どうしたらいいのでしょう。自立とは親離れをし、自分が自分の親になることです。しかし本当の自立は、いつまでも変わらない愛で、どんな時にも共にいて下さる神を親として生きることです。そこで私たちは、人生のどこかで、この本当の意味での「親換え」をし、一生涯、頼り続けることのできる神を真の親として生きることが必要なのです。

今日の一言: 本当の自立のために、神を親として生きよう

平安
鶴田牧師


2011.02.28 12:10 | 鶴田健次牧師より
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2月20日礼拝後、治美姉によるサンデースクールの先生方を対象にしたシェアリングタイムがもたれました。

治美姉は牧師家庭に育ち、子供の頃は教会学校に出席。クリスチャン教育者、フレーベルの教育理念に立って行われるキリスト教保育がモットーの頌栄短期大学で保育を学ぶ。短大を卒業後、現場で5年間働き、その後大学に戻り教育学士を取得。

初めに、治美姉の子供時代についてシェアーしてくださいました。
素敵な体験をされたな、と思ったことがいくつかあります。

それは、毎朝、朝食前に短い聖書のおはなしがあり、時々治美姉やご兄弟がその登場人物に置き換えられて読まれたこと。夜には、お父様がジェスチャーつきで旧約聖書のお話をされたこと。また、お母様が学校に行く前、毎朝お祈りをして子供たちを送り出されたことです。

他にも、当時神学生で、今では各教会の主幹教師をされている先生方との遊びを通して、謙虚で愛情に満ち、主を心から賛美されている姿を見、本来あるべき教師像を体感されました。

次に教会学校の目的を話してくださいました。
フィリップの実験を通して、人間は愛なしでは育たないということを改めて教わりました。愛の中で最も尊いアガペーの愛は神様からしか与えられません。教会学校はそのアガペーの愛を子ども達が知り、体験する場所。『神は愛です。』(ヨハネの手紙第一4章8節)

また、教会学校は、マタイの福音書の御言葉が語っているように、イエス様が心から愛された子供たちを救いに導く働きの場。『-----だから、この子どものように、自分を低くする者が、天のみ国で一番偉い人です。また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。-----あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。------このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。』(マタイ18章1-14節)

また、罪を犯してしまった子どもや、弱気を覚えている子どもたちのために、その子どもと共に祈る場、そして伝道の場。『あなたの若き日にあなたの創り主を覚えよ』(伝道の書12章1節)

三つ目に、先生と生徒の良い人間関係のあり方をシェアーしていただきました。
ありのままを受け入れ良い信頼関係を築き、その上で子どもを導いてあげる。
神様が私たちに示してくださった、無償の愛を、祈って、実践していく。
少しでも、子どもとの一対一の時間をとる。

四つ目に、教会内で一貫したルールの提案をいただきました。
教会学校の先生や、親御さんだけでなく、教会の大人たち全員が共通理解をして、子どもたちがルールを守れるように注意してあげること。これに伴い次の日曜日には先生方が集まってルールの検討をすることになっています。また、シェアーいただいたタラントカードもとても面白いと思いました。

五つ目に、治美姉が行われていた教会学校、幼稚科のプログラム案のシェアーがありました。

1 開校 (出席カードにシールをはる、手遊びなど)
2 挨拶 
3 子ども賛美(振り付など)
4 先生のお祈り (子どもまねする)
5 子どもの賛美 (今月の歌、楽器などを使って)
6 主の祈り
7 聖書の御言葉・暗唱聖句
8 聖書のお話し
9 お話にちなんだクラフトまたはゲームなど
10 後奏または短い祈り
11 閉会のうた 「きょうもたのしく」「なかよしこよしで」「かえりましょう」「せんせいさよなら」「またまたあした(来週)」

聖書のおはなしについて
子どもの年齢にあった時間内で(3から4歳:5から10分、3歳以下:5分以下)で話す。一番大事なことは先生自身が、その箇所を自分のものとしていること。聖霊様ご自身が語ってくださるようにと祈る。

教会学校のクラスを進める上で、治美姉は、常に子どもたちがクラスに喜んで来ることができるよう楽しい経験をさせ、ポジティブな経験を積み重ね、簡単なルールを決め、守れたときの達成感を子どもたちに味あわせました。また、イエス様が子どもを愛したように子どもたち一人ひとりに、無償の愛を祈って、実践していかれ、御心を求められました。

それが今回のサンデースクールの先生方へのシェアーへと導かれたのだと思います。
私自身、サンデースクールに携わるようになって、祈っていたことの一つ、サンデースクールの助け人が与えられますように、ということが治美姉を通してかなえられました。治美姉の尊いお働きを心から感謝いたします。これからもサンデースクールの上に聖霊様の働きが注がれますようお祈りいたします。


(子供ミニストリー: 香織)


2011.02.25 00:00 | 子供ミニストリー
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今日は、人間の基本姿勢について、むかし学んだノートを見ながら考えてみました。

人は誰でも生きていくために、その土台となる基本姿勢を持っています。この基本姿勢によって、その人の行動パターンや思考パターン、また感情パターンが違い、その人らしさが表わされるものです。ですから、自分を知り、他者を知り、病んだ心を理解してあげるためにも、この基本的な心のメカニズムを知っておくことは大変重要です。

交流分析の創始者エリック・バーンは、自己や他者に対する基本姿勢を次の四つに分類しました。

① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)
② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定)
③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定)
④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定)


誰でも幼少時代にこの中の基本姿勢のどれかを身につけ、それからはその基本姿勢に大きく左右されながら生きていくことになります。

① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)
この基本姿勢は、自分と他人の双方の存在価値を自然に承認できる最も望ましい姿勢です。両親に本当の意味で十分に愛されて育つと、この基本姿勢が身につきます。「お父さんとお母さんが愛してくれる僕はきっと素晴らしい人間なんだ。そして、お父さんもお母さんも素晴らしい人なんだ。きっとすべての人が素晴らしい人間なんだ」と、無意識に直感するのです。これを「基本的信頼感」と呼びますが、人間が健全に生きる上で最も大切な条件になります。ですから、この基本姿勢を持っている人の人生は豊かさと幸せがついてきます。

もちろん100%の基本的信頼感を持っている人はいませんが、この基本的信頼感が高ければ高いほど、人間関係を上手く調和させ、自分の能力を十分に発揮して、幸せな人生を生きることができるのです。

聖書の最大の戒めの一つに「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という教えがありますが、この教えがまさに「私もOK、あなたもOKという基本姿勢で生きなさい」ということであり、良い人間関係の秘訣、また幸せな人生の極意だと言えるでしょう。

② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定)
人間が生まれながらに持っている罪の特徴は、わがまま、自己中心です。つまり、自分を肯定して、他人を否定する姿勢です。この自己肯定、他者否定の基本姿勢を持った人は、基本的に自分に甘く、人に厳しい傾向があります。

ですから、このタイプの人は人をよく批判します。人が自分の期待に応えないと、その人を非難します。ところが自分が人の期待に応えない場合は、いろいろと自己弁護をします。また、人の話を聞くよりも自分のことばかり話したがります。それも自慢話が多いです。また、よく人に忠告をしたがります。

しかし、よく考えてみれば、「私はOKだが、あなたはOKではない」という姿勢は、本当はあり得ないのです。なぜなら、本当に「私はOKだ」と思える人は、人のことも「OK」と思えるからです。

ではなぜ、「私はOKだが、あなたはOKではない」という姿勢で生きている人がいるのでしょうか。それは、その「私はOK]というのは、実は本当のOKではなく、ただ「私はOKだと思いたい」ということなのです。そして、OKではない自分をOKとするには、OKでない自分を人のせいにするしかなく、自分が幸せな人生を送れないのは他の人のせいだ、と無意識のうちに自分の責任を他人に転嫁しているのです。

したがって、その人は本当は自信がないのです。自分を持ち上げ、人を引き下げておかないと自分の立場がなくなってしまうと恐れているのです。また自分をいつでもアピールしていないと、誰も尊敬してくれないと思っているのです。

あなたの基本姿勢はどうですか。本当の自己肯定をできる自分になるためには、「あなたはOKな人」というストロークを受け続けることが必要です。

― つづく ―

今日の一言: 自他肯定の姿勢で生きよう

平安
鶴田牧師



2011.02.21 09:39 | 鶴田健次牧師より

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