FC2ブログ

LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

              s-Heart1.jpg

2月の第2週からサンデースクールのご奉仕に戻ってこられた山中あや先生。神様とアートのことを語らせるといっそう熱くなる元気な先生です。

2月13日のナースリークラスを担当してくださり、バレンタインデーにちなんで、とても可愛いクラフトを子供たちに提案してくださいました。

クラフトのタイトルは “All unconditional LOVE comes from God the exclusive Gift from above pouring on us like an invisible rain.” だそうです。
「神様の愛は目には見えないけれど、子供たちが作って楽しめるものをお祈りを通して与えてもらった。」のが今回の作品のアイデアとなりました。

このクラフトの一つ一つには意味があります。上のハートは神の愛、下のハートは子供の一番必要としている、神から与えられるべき愛。上と下のハートを結ぶひもは雨のように降り注ぐ聖霊様、ちぎった雲一つ一つは神様のみ業を表しているそうです。

「子供たちが、子供たちの創造性を用いて作ったので、出来上がりはひとつひとつ違います。」とあや先生。子供たち一人一人の個性を大切にして、とっても可愛い作品を導きだしてくださったあや先生に心から感謝します。

この作品を見て、私も小さかった時、こんなクラスに行けたら良かったな、と思いました。

子供たちは、始終集中して、まじめにクラフト作りに励んでいたそうです。
授業の最後に、「クラフトで作ったこの雲は誰が創ったのかな?」という質問に、児童の一人ジャスミンは、「手を上に上げ、顔は上を見て指差していた。」そうです。

最大のバレンタインデーギフト、イエスさま・神様の愛をこのクラフト作りを通して子供たちは学んだことでしょう。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 感謝!


(子供ミニストリー: 香織)


2011.02.18 00:00 | 子供ミニストリー
s-P1010584.jpg

2011年2月6日の礼拝で、ペギー姉妹がめでたく洗礼の恵みにあずかり、神の子となられました。本当にこの事を嬉しく思います。なぜなら、私たちのスモールグループにペギーさんが来られるようになり、今日のこの日まで、どのようにしてペギーさんが導かれ、変えられ、イエス・キリストを救い主として心から信じることができたのかという感動的な瞬間を見たからです。では、神様が少しずつペギーさんの心の中に触れてくださったかをこれからお話したいと思います。

サザンハイランドのスモールグループにペギーさんが来られたのは去年の11月頃でした。最初ペギーさんは、昔に洗礼を受けたことがあると言っておられましたが、「私は罪など犯していない」と仰ってましたので、スモールグループではあまり聖書の難しい学びではなく、「モーセの十戒」や「神の愛」など、比較的分かりやすいものを選び学んでいました。しかし今年に入り、中断になっていたガラテヤ書の学びが再開され、この学びを3週間続けていく中でペギーさんが毎週変わっていく姿を見ることができました。その学びとは・・・・

1週目には、「十字架を仰ぐ経験の大切さ」について学びました。「十字架の意味」や「なぜ十字架を仰ぐことが大切なのか」を話し合いました。それは、十字架を見上げればイエス様が私たちの罪のために死んでくださったことを知ることができるし、それは「神様の愛」そのものなのです。そして十字架を理解することにより神の義を知ることができます。十字架が原点であることを学びました。

2週目は、、御霊の恵みの経験について、「御霊とは何か」ということを話し合いました。御霊が私たちの内に働き、教え、とりなし、導き、命を与えてくださり、また、罪を教えてくださる認罪の霊といわれていることや、人はイエス・キリストを信じる信仰によって救われ、決して行いではないことを学びました。

3週目は、アブラハムの信仰について話し合いました。「神はアブラハムを義と認められた」というところから、神の義について話し合いました。神の義とは、神の完全な正しさであり、「義」という意味は、神の要求に適合すること。聖書がいうところの「罪」は、私たち人間は神の要求に適合しないこと、また、人間が神から離れ自己中心になる、といっていることを話しました。しかし、イエス・キリストを自分の救い主と信じたならば、救われ、また御霊が与えられ、私たちは神から正しいと認められる(信仰義認)。そして永遠の命が与えられる。

この学びを終え、一人ひとり祈るときに、ペギーさんの番になりました。ペギーさんは、涙を流して祈られ、「今、本当のことがわかった。私は全て自分で成功をなし、全ては自分の力だと思っていたので、私は私を崇拝していた。しかし私は間違っていた。私をここまで導いてくださったのは、神様だった。」そのように悔い改めの祈りをされました。その瞬間に、聖霊様がペギーさんの心に触れてくださり、ペギーさんが神様とつながった感動的な瞬間を、スモールグループに参加していた一人ひとりが見ることができたのでした。イエス様を心から信じ受け入れた瞬間でした。

聖書勉強を通して神の御言葉を学び、神の御言葉には力があることを見ました。そして、御言葉により神の義を教えていただき、永遠の命という恵みが与えられ、喜びと平安でペギーさんの心が満たされました。これは、神様の御業と言わず、何と言えるでしょう。

主の御名は、ほむべきかな・・・

s-P1010605.jpg

(サザンハイランド・スモールグループ: ケイ Sorentino)

2011.02.11 00:00 | 洗礼
      s-uncategorized-vision_001.jpg

今日は、若々しさということについて考えてみました。

今月の18日に私は58歳になります。早いものでアメリカに来て丸34年が過ぎ35年目に入りました。20年間の会社経営を経て牧師になった私は、さしずめ牧師としては青年(?)ということになりますか。ある先輩牧師が、「伝道者は最終的には体力だ」と言われた言葉が頭を離れず、未だに体力づくりに励んでいます。(笑)

しかし、やはり若さというのは体力以上に心の持ち方ですね。先日、こんな詩を目にし、改めて本当の青春とは何かということを考えました。

青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな創造力、炎える情熱をさす
青春とは人生の深い泉の清新さをいう
青春とは臆病さを退ける勇気 
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する
時には、20歳の青春より60歳の人に青春がある
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる
歳月は皮膚にしわを増すが、
熱情を失えば心はしぽむ
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い 
精神は芥になる
60歳であろうと、16歳であろうと人の胸には、
脅威に魅かれる心、
幼な子のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある人から
神から、美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り
君は若い霊感が絶え、
精紳が皮肉の雪に覆われ、
悲嘆の凍りに閉ざされる時、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波を捕らえる限り、
80歳であろうと人は青春にして己む


考えさせられる詩ですね。聖書にも年老いてなお青年の志で生きた人が何人も登場します。75歳で祖国を離れ新しい地に向かったアブラハム、80歳で出エジプトを指揮し数百万のイスラエル人を約束の地に導いたモーセ、85歳でアナキ人を追い出しヘブロンを手に入れたカレブ、いずれも主にあって心若き人々です。

預言者ヨエルは、「若者たちは幻を見る」と言いました。つまり、若々しさのしるしはVisionを持つことだということです。あなたはVisionをお持ちですか。ぜひ若さの証しであるVisionを持って、いつまでも若々しく生きてください。

今日の一言:Visionは若さのしるし

平安
鶴田牧師


2011.02.08 00:03 | 鶴田健次牧師より

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.